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『once ダブリンの街角で』

2009-01-18 | cinema & drama


2007年に公開された映画、『once ダブリンの街角で』 が、主役のふたりのデュオThe Swell Season(スウェル・シーズン)の来日に合わせて、一週間限定でレイトショーでアンコール上映されていた。
前から観たいと思っていた映画だったし、Jack's Mannequin(ジャックス・マネキン)のライヴが終った時間が早かったので、食事してから観に行った。
今回のこの公開はたまたまインターネットで見つけて、来日公演もその時知ったのだが、チケットはSOLD OUTで追加公演も決定という大盛況ぶりに驚いた。映画への期待も膨らむ。

邦題にあるとおり、舞台はアイルランドの首都ダブリン。
ストリート・ミュージシャンの男性と、彼の歌を聞いていたチェコ移民の女性の、音楽が心と心をつなぐハート・ウォーミングな物語。
それぞれ俳優ではなく、本物のミュージシャンが演じているので、歌や演奏は元より、ミュージシャンとしての苦悩なんかもよりリアルに表現されていた。
男(劇中で名前は明かされない)は、地元アイルランドの人気バンドThe Flames(フレイムス)のフロントマンGlen Hansard(グレン・ハンサード)で、しかも監督はそのバンドの元ベーシスト。女(こちらも名前は明かされない)は、チェコのSSW、Marketa Irglova(マルケタ・イルグロヴァ)が演じている。ちなみにGlen Hansardは、1991年の映画 『ザ・コミットメンツ』 にも出演している。
男は母親が死んでから、父親の家業である掃除機の修理屋を手伝うかたわら、ボロボロのギター1本でストリートで演奏する日々を送っていた。
他の男とロンドンに行ってしまった愛する恋人が忘れられず、部屋には写真を飾り、寂しい気持ちを歌に託していた。
人通りの多い昼間は誰もが知っている歌を歌い、夜は思いっきりオリジナルを歌う。そんな男の前に、ある夜ひとりの女が現れ、10セント硬貨をギター・ケースに投げ入れる。“10セントか・・・” と言う男の皮肉は通じず、女はまるで尋問のように根掘り葉掘り男に質問する。そのシーンでは、なんか嫌な女だなと感じてしまうくらいしつこかった。
結局掃除機の修理まで約束させられ、翌日本当に掃除機を持って再び男の前に現れた女。その時も、今から休憩だから後にしてくれという男につきまとい、一緒にランチをする。
そこで音楽の話になり、初めて素直に打ち解けることができたふたりは、女がピアノを弾かせてもらえるという楽器店に行き、セッションする。初めてとは思えないほど息が合い、通じ合うものを感じた男は、一緒に曲作りや演奏をすることを提案。ものおじしない女は、即答でOK。
音楽を通して、ふたりの中で特別な感情が生まれて行く。しかし、男は去って行った恋人が忘れられずにいる。一方女には祖国に別居中の夫がいて、子供には父親が必要だと思っている。
やがてロンドンに渡る決心をした男は、女にデモ・テープのレコーディングを手伝ってくれないかと言う。男はバック・バンドをストリートでスカウトし、女はスタジオ代を値切ったり、古着屋で男のスーツを見立てたり、ミュージシャンに憧れていた銀行の頭取から貸付を承諾させたりとチャキチャキこなして行き、その行動力に男は圧倒されるほど・・・。
レコーディング当日、最初は見くびっていたスタジオのエンジニアも、音を聴いた途端その素晴らしさに気付き、協力して行く。
無事にレコーディングが終り、男がロンドンに発つ時が近付いてくる。お互いに惹かれ合っているふたり、その後は・・・。

この映画は、アメリカでクチコミで広がり、大ヒットしたそうだが、ホーム・ビデオのように撮られているのが身近で親しみを感じる。ストリートでのシーンは、カメラを隠して撮影したそうで、主役の彼は既に顔を知られているので、色々苦労したらしい。
レコーディングを終えたメンバーを、海へとドライブに連れ出すスタジオのエンジニアの粋な計らいと、多くを語らずに男の夢を応援する男の父親がすごく良かった。
ストリートでスカウトしたバンドが、“オリジナル? 俺たちはThin Lizzy(シン・リジィ)しかやらないよ” と言うのには受けた。さすが、アイルランド!(笑)
その他、フィドルやチェロとのホーム・パーティでのセッションなどもあり、アイルランド文化の歴史に欠かせない音楽の伝統が、さり気なく描かれれていた。
男と女の微妙な心の動きを、音楽を通してひとつずつ丁寧に描かれた作品で、感情表現も歌に乗せることによって、とっても自然体でリアルに響いてくる。
ふたりの心が通じ合い、お互いに意識していると、通常はすぐキスして抱き合って・・・となるが、一時の気の迷いで一線を越えるということはなく、プラトニックなままなのがいい。
そして最後に、ふたりの心がひとつになった時のメロディだけが流れて行く。そのメロディが、ふたりに夢と希望と優しさを添え、柔らかく包み込むように流れて行くのが印象的だった。
ハッピー・エンドでも悲しい結末でもない、ひと言で表すことのできないこの終り方には、中には納得できない人も居るかも知れないが、私はこれはこれでアリだと思う。
全編で音楽が溶け出して、ふたりの心の痛みや切なさになって行く様は、音楽好きにはとっても浸透して行く温かい作品だった。
劇中のThe Swell Seasonの曲は本当に切ない曲ばかりで、力いっぱい熱唱する男の声に絡む、女の儚いハーモニーが心に沁みて、より切なく感じさせた。
私がダブリンに行ったのは1990年、去年京都で逢ったダブリンから観光に来ていた人は、“その頃とはずいぶんと変わったわよ” と言っていた。今はEU統合で通貨もユーロになり、経済面での成長が伺われる反面、移民などの貧困率が高い傾向もある背景も、そこかしこに描かれていた。