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ちょっといっぷく33 琵琶湖に匹敵する水盆ー京都盆地

2012-08-25 13:14:15 | まち歩き

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図1 鴨脚(いちょう)家庭園。 水位によって水面の形が変わるーいわば水位計である。

 

 下鴨神社の境内に湧く水が京都の水の源であるといわれ、それを守ってきたのが鴨氏である。都の水の守り手として天皇に重んじられる一族である。鴨氏は神社に社家として奉仕していながら、一部は御所に仕えていた。鴨氏の末裔鴨脚(いちょう)氏が下鴨神社の傍に今も暮らしている。鴨脚家が残した御所の図面には合計110に及ぶ井戸の場所が細かに記されているそうである。鴨脚家の先祖は代々御所の井戸の水を管理していたと伝えられている。

 

 京都の中心につながるという池。地下水が湧いている。昔から、この水位が京都御所の水位と同じであるとされている。以前は水が満々とあり、崖の線までずっと水があり、架けてある橋から先祖が神事や神のお勤めの時に、禊をしてお仕えしていた。

 

 この池は水かさに従い姿が変わる。初めは丸、水が増えると真四角に、さらに増えると自然な池に変わる。水面を一目見ただけで水位がわかるようになっている。言わば水位計である。鴨脚家ではこの地で都全体の水の恵を祈り続けてきた。

 

 

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図2 京都盆地の南北断面図(反射法地震探査ー防災危機管理室データ)

 

 京都盆地は古来より地下水の利用が盛んな地域である。それは平安京の時代から今も変わらない。現在、京都盆地ではどれくらいの地下水が利用されているのか。その用途は上水道、農業、工業をはじめ飲食、酒造り、豆腐造り、友禅、茶道など多岐に亘る。また、京都市内には堀川、清水、出水、泉殿、小川、河原町、御池、今出川、川端、白川、泉川等、水に関係する地名が多い。
 関西大学の楠見晴重学長はその砂礫層の分布から、見えざる水の流れを読み取れないかと、市内8000ヶ所を調べた。砂礫の多い場所(水が豊に流れる場所)をつなぐと、水脈が浮かび上がる。最大の水脈は、盆地の北部、京都の中心部にあった。下鴨神社、御所、神泉苑、3ヶ所全てがこの水脈の上にあった。天皇は、見えざる水脈の上に、水の要所を置き、京都千年の礎を築いていたのだ。

 

 京都は水に纏わる文化を1200年の間育んで来た。なぜ京都盆地には地下水が豊富に存在するか? NHKは関西大学の楠見晴重学長の三次元表示を取り入れて、「京都の地下に眠る巨大水がめ」という番組を作り、水の都である平安京をコンピュータ・グラフィックで再現した。以下に、三洋化成ニュースNo273~278に掲載された記事を編集して紹介する。

 

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図3 京都盆地地下水のCG。京都水盆の地下水賦存量は約211億tである。琵琶湖が約275億tであるから地下水量はほぼ匹敵する。

 

 もともと盆地は地形的に地下水が富んで、京都盆地は盆地の大きさもさることながら、地下水の賦存量は他を圧倒している。京都盆地は南北約33km、東西約12kmの縦に長い形をしており、地質は上から約三万年前に薄く堆積した沖積層、約150万~500万年前に堆積した洪積層、約1億~1億5000万年前に堆積した岩盤から成る古生層が分布している。地下水は主に沖積層、洪積層の砂礫層に多く包蔵されている。この南北方向(堀川通)の地下の様子は(京都市消防局防災対策室(現・防災危機管理室)が人工的に地震を起こして活断層を探る反射法地震探査を用いて行った)図2の通りで、岩盤までいちばん深い場所は巨椋(おぐら)池(宇治の辺りにあった大きな池で、埋め立てられて今はない)付近で約800m、その上に砂れき層は何層にも分布していることがわかる。また、京都盆地に入ってきた地下水が流れ出る個所は桂川、宇治川、木津川の三川が合流する幅約1kmの天王山―男山辺りである。天王山と男山は同じ古生層から成り、地下わずか30mのところで繋がっている。即ち、幅約1kmの天然の地下ダムが存在していることになるのである。ほかの地震探査資料、重力探査資料、約8000本のボーリング資料から、京都盆地の地下水賦存量を計算した結果、約211億tとなっった。琵琶湖が約275億tであるから、京都盆地の地下には琵琶湖に匹敵する水量の地下水が存在していることになり、しかも天然の地下ダムによってほんのわずかな量しか流れ出さないため、京都盆地には多量の地下水が貯留されていることになる。このように、自然の作用によって形造られた地下水の豊富な京都盆地は「京都水盆」と名付けられた。

 

 京都水盆の地下水賦存量は琵琶湖に匹敵する約211億tであるが、当然、これをすべて利用することはできない。地下水を有効に利用し、長く維持していくためには、地下水の入る量、出る量を正確につかんでおくことが大切である。但し、お金のように人がすべて管理できるものなら正確に把握できるが地下水はそんなに簡単に収支を求めることはできない。種々の推定した値を用いて収支を求めていくことになる。京都水盆に流れ込む水は、淀川流域(猪名川水系は除く)に降った雨が元となる。淀川流域とは、降った雨が最後には淀川を流れて海に出て行く区域のことをいう。すなわち、滋賀県の余呉辺りに降った雨は、琵琶湖に注ぎ、瀬田川、宇治川から淀川へと流れる。琵琶湖には流入する川は多くあるが、流出する川は瀬田川の一カ所である。瀬田川はいずれ宇治川に変わり、それから淀川となる。また、亀岡辺りに降った雨も保津川から桂川、そして淀川となる。さらには三重県伊賀辺りに降った雨も木津川から淀川へと流れて行く。京都水盆の地下水は、この約7,050平方kmの面積に降った雨のうち、一部が地下に浸透して供給される。この地域の年平均降水量は約1700tなので、年間降水量は約120億tとなります。一方、京都水盆から流出する水は淀川のみで、旧建設省近畿地方整備局枚方流量観測所における約30年間の観測データによれば、年間平均流出量は約90億tとなっている。流入、流出の差は単純に蒸発量30億となる。降った雨の表面流出量と地下浸透量との比率は湖面、山地、耕地、市街地によって大きく異なりますが、それらを平均して大まかに考えると、ほぼ同じ量とすることができる。したがって、この流域に降った雨水が表面流出する量と地下に浸透する量は、それぞれ約45億tとすることができる。一度浸透した地下水も他に出口がないことから、何らかの形で再び淀川水系に戻って流れ出していくものと考えられる。このように多量の地下水が京都水盆に流入するうえ、京都水盆にたまった地下水の出口は、上記三川合流地点の天王山―男山からの非常に狭隘な一カ所のみなので、理想的な地下水盆構造を呈している。従って、昔はこの三川合流地点の背後には、地下水が自噴していた個所が多くあったようである。今は干拓でなくなったが、巨椋池もこの地下水の自噴によってできたものと思われる。このように多くの地下水の存在が明らかになったが、これらをすべて使用することはできない。地下水の適正な維持管理と有効利用はこれからの課題である。