売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

第9交響曲

2012-11-30 16:13:10 | 小説
 もう年末も近いので、久しぶりにベートーヴェンの第9を聴きました。ベルナルト・ハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏です。

 第9の第4楽章を聴くと、年末というより、エヴァンゲリオンの最後のシ者(使徒)、渚カヲルと碇シンジの戦いを思い出してしまいます。最近、劇場版の『序』と『破』をテレビで放映していたので、見ていました。以前にも放映していたので、見るのは2度目です。今、『Q』を上映していますね。

 私にとって第9といえば、ベートーヴェンだけでなく、ブルックナー、マーラーの第9も好きで、よく聴きます。第9交響曲には大傑作が揃っています。ドヴォルザークの『新世界より』も9番ですし、シューベルトの第8番ハ長調(『ザ・グレート』とも)もかつては第9番と呼ばれていました。

 マーラーは過去の大作曲家が、交響曲第9番を作曲した後死んでいる(ブルックナーは未完に終わりました)ので、自分も第9番を作曲したら死ぬのではないか、という恐怖にとらえられ、9番目に当たる交響曲『大地の歌』には、あえて第9番という番号を与えなかった、という説もありますが。

 『幻影』第32章を掲載します。いよいよ犯人逮捕か……?



          32

 三浦と鳥居は、足立商事の田中真佐美に協力を求めた。真佐美は「それで千の仇が取れるんなら、喜んでやります」と、部屋の掃除を装って、五藤の頭髪を何本も収集してくれた。
 その毛髪を神宮署で保管されているものと照合すると、同一人物の毛髪と推定できると鑑定された。
 神宮署の刑事二人と鳥居、三浦は早朝、名古屋市中区橘にある五藤の家を訪れた。
 そろそろ出勤しよう、という五藤に、「神宮署の者ですが、ちょっと署まで来ていただけませんでしょうか」と任意同行を求めた。
「何だね、君たちは。私はこれから会社に行かなきゃならないんだ。つまらん冗談はやめてくれ」
 五藤は神宮署という言葉に不安をかき立てられながらも、精一杯虚勢を張った。
「事件の参考に、ちょっとお伺いしたいことがありましてね。なに、お手間はとらせません。正直にお話を聞かせていただければ、すぐ済むことですよ」
 神宮署の刑事は強引に五藤の右手を引いた。
「あなた、これはどういうことですの?」
 状況を見守っていた五藤の細君が、不安げに言った。
「いや、たいしたことではない。すぐ済むので、ちょっと行ってくる。社のほうには、所用で少し遅れる、と連絡しておいてくれ」
 神宮署の取調室では、警部の浅川が取り調べに当たった。他に神宮署の刑事が一人と鳥居、三浦が同席した。刑事四人に取り囲まれた物々しい雰囲気に、五藤は圧倒された。
「朝早くからわざわざこんなむさ苦しいところに足を運んでいただき、どうも申し訳ありません」
 浅川は丁重に詫びた。四人の刑事に囲まれ、自白を強要されたと言わせるような雰囲気を和らげるためにも、浅川は穏やかに話しかけた。
「そうですよ。会社に行かなければならないというのに、迷惑です。いくら警察でも、ことによってはただでは済まされませんよ」
 五藤はいかにも迷惑そうな顔をした。
「私たちの捜査に協力していただければ、すぐに済みますよ」
「で、何を話せばいいのですか? 私は忙しいので、早く帰していただきたいですね」
「では、お訊きします。あなたは一月二四日の夜、一〇時から一二時の間、どこにいましたか?」
 浅川は相手によっては、取り留めのない世間話などから尋問に入っていくこともあるが、このときはずばりと本題に入った。気持ちが急いている相手なので、世間話などで気分を和らげるような手法は、大して効き目がないと判断した。
「それって、アリバイですか?」
「軽い気持ちでお答えください。まだほんの一ヶ月ほど前のことです」
「昼間なら会社の用事などで、メモもつけてありますが、夜ですとね。その頃は新年会もなかったし。家で寝ているしかないですね」
「知人から電話があった、など、具体的に在宅が確認できるような事実があったか、ぜひ思い出していただきたいのです」
「そこまでは思い出せないですな。それに、携帯にかかってきた場合は、自宅でなくても受け取れるんで、在宅の証拠にはならんでしょう。最近は固定電話より、携帯にかかってくるほうが多いですから」
「携帯も、ある意味不便ですね。アリバイの証明に限っては。まあ、冗談はさておき、どうですか? じっくり思い出してもらえませんか」
「その日は家で寝ていましたよ。家族が証人ですが、家族の証拠能力は認められんのでしょう? よく推理ものに書いてありますが」
 五藤という男、見かけによらず、なかなかしたたかだと三浦は感じた。さっきまでおどおどしていた五藤だが、意外と落ち着いている。これはなかなかの役者かもしれない。
「まあ、ご家族の証言でも、ないよりはましでしょう。アリバイのことはさておき、あなたは繁藤安志、という人をご存じですか?」
 浅川はアリバイから繁藤のことに話を切り替えた。
「しげとう? いいえ、知りません。誰ですか? その人は」
 尋ねられることを予想して、備えを固めてあるとはいえ、こうまでポーカーフェイスを貫けるとは、予想以上に手強いな、と三浦は思った。
「熱田区一番町に住んでいる人ですが。ハイム白鳥、ってご存じないですか?」
「何で私がそんなことを知ってると思われるんですか? 一番町なら知ってますが、そんなマンションは知りません」
「ハイム白鳥がマンションだと、よくご存じですね。小さなアパートかもしれないのに」
 浅川はちょっとした相手の言辞を突いた。
「そりゃあ、ハイム白鳥、といったら、いかにもマンションらしい名前じゃないですか」
 こんなことは失言でも何でもない、落ち着け、落ち着け、焦ったら相手の思う壺だ、と五藤は自分に言い聞かせた。
「まあ、いいでしょう。ところで、本当にこのマンションを知らないのですか?」
「いい加減にしてください。私が知ってるわけないじゃないですか。いったい何ですか? わけのわからないアリバイを訊かれたり、知りもしない男のマンションを知らないか、とか。私は忙しいんだ。こんな馬鹿なことには付き合っていられませんよ。いくら警察だからって、私にも忍耐に限度がありますよ」
 さすがの五藤も少しいらだってきた。いや、これも芝居かもしれない。たとえ無実でも、こうまで言われれば、いらだつのが当たり前だと思わせるための。
「それは申し訳ありません。しかし、ハイム白鳥をご存じない、というのはおかしいですね。さっき言った繁藤さんの部屋、ハイム白鳥三〇二号室から、あなたの髪の毛が出てきたんですがね。行ったことがない部屋から、なぜあなたの髪の毛が出てきたんでしょうかね? たまたま抜け落ちた髪が風で飛ばされて、繁藤さんの部屋の窓から入り込んだとでもいうんでしょうか?」
 五藤はぐっと詰まった。しかし「なぜそれが私の髪の毛だとわかったのですか? 私はあなた方警察に毛髪を提供した覚えはないですが」と空しい抵抗を試みた。
「あなたの会社で、部屋を清掃した人から提供してもらったのですよ」
「そんな勝手なことを。それに、なぜそれが私のものだと確定できるのですか? 誰か会社の他の者の髪かもしれないじゃないですか。来客のものかもしれないし」
 五藤は最後の抵抗を試みた。
「それでは、そのテーブルに落ちている毛髪、それを鑑定させてもらいましょうか。それなら、間違いなくあなたのものですね」
 浅川は勝ち誇ったように、五藤の目の前のテーブルに落ちている毛髪を指さした。
「さあ、どうですか。五藤光男。一月二四日の夜、ハイム白鳥三〇二号室の、繁藤安志のところに行ったことは認めるな」
 五藤はがっくりうなだれた。そして、「はい、行きました」と認めた。
「繁藤安志の殺害を認めるんだな」
 浅川は一気に切り込んだ。
「いいえ、繁藤の部屋には行きましたが、私はやっていません。私は繁藤に恐喝され、金を持っていっただけです。繁藤は多くの人から恨まれていましたから、誰に殺されても、不思議じゃありません」
 五藤はしぶとく、殺人については否定した。
「おーみゃー、いい加減にしろ。その日、繁藤の部屋に行って、金だけ払って帰ってきて、その後、別の犯人が入り込み、繁藤をやったというんか? おみゃーが持ってった金がないのも、そいつが行き掛けの駄賃として、持ってったとでもこきやがるんか?」
 脇で話をじっと聞いていた鳥居が、たまりかねて怒鳴った。
「ほんなら、何でおみゃーは繁藤から恐喝されとったんだ?」
「実は、私は会社で、ある女を利用して、不正経理をやってまして」
「橋本千尋だな」と鳥居が確認した。
「橋本は繁藤の女で、橋本が繁藤に、私が不正経理で会社の金を横領していることをチクったんです。それで、繁藤が私を恐喝してきました」
「とーれーこと言っとってかんがや。たーけ! 殺しより、横領のほうがずっと罪が軽いんで、そっちにすり替えようとしとるんだろうが、そうはいかんぞ」
 鳥居は五藤の胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。
「私は繁藤の部屋に行ったことは認めます。会社の金を横領していたことも認めます。しかし、人は殺していません。繁藤も橋本も、殺していません」
 五藤はふてぶてしく言った。
「待ってください、五藤さん。橋本さんも殺してないって、どういうことですか? 我々は今、繁藤殺しのことしか問題にしていないのに、なぜ橋本さんを殺していない、という言葉が出るんですか?」
 三浦が発した疑問で、五藤は失言に気がついた。
「そ、それは、そちらの刑事さんと二人で、前に橋本のことで私のところに来たことがあるじゃないですか。それで、つい名前が出てしまったんですよ。それに私は橋本とつるんで、不正をしてましたし」
 五藤は崖っぷちで何とか踏みとどまった。
 五藤は繁藤に恐喝されていただけで、会社での背任行為はやったが、殺しは一切関係ない、との主張を一貫して曲げなかった。
 五藤は殺人に関しては頑強に否認したが、神宮署は五藤を勾留した。
 また、令状を取り、五藤の自宅を家宅捜索した。しかし、証拠になるような物件は出てこなかった。

「五藤の野郎、思ったよりしぶといがや。締め上げたりゃあ二件とも簡単にゲロすると思っとったのによ。横領だけで終わらせるわけにはいかんがや」
 鳥居は憤懣やるかたない、というところだ。
「僕も五藤が本ボシだと思いますよ。二件とも。繁藤に関しては、あそこまで証拠が挙がっているのに、シラを切るとは思いませんでした。これだと、二年以上前の橋本千尋の件は、更に難しくなりそうですね」
「そうだな、どうせ死人に口なしで、繁藤がやったとこきやがるに決まっとる」
 二人は意外としたたかな五藤に、唇を噛んだ。

 公休日に三浦と喫茶店で待ち合わせた美奈は、五藤の取り調べの結果を聞いた。
 三浦と外で待ち合わせて会うのは、初めてだった。
「そうなんですか。でも、私は五藤が犯人だと思います。千尋さんが言っていました」
「え、千尋さんが言っていたって、どういうことですか?」
 死んだ千尋が言っているとは、どういうことか。三浦は疑問に思って訊いた。
「こんなこと言っても信じてもらえないと思って、今まで黙っていましたが、実は私、千尋さんの霊と交流しているんです。もっとも交流といっても、一方的に千尋さんが通信を送ってくるだけですけど」
「幽霊と交信ですか?」
 三浦は信じられないような顔をした。
「はい。最初に現れたのは、私が初めて繁藤に会った日の夜でした。そのときは、悲しそうな顔をして足元に浮かんでいるだけでした。でも、私は二回千尋さんに命を助けてもらいました。繁藤に首を絞められて殺されそうになったとき、助けてくれたのも千尋さんでした」
「本当ですか? 僕は絶対霊はいないと存在を否定するつもりはありませんが、すぐには信じられないですよ」
「でも、私が今こうして生きて刑事さんと話ができるのも、千尋さんのおかげなんです。その千尋さんが、私の考えは間違ってない、と言ったんです。だから、絶対に五藤が千尋さんや繁藤を殺害した犯人です」
「しかし五藤は頑強に殺人は否定していますからね。神宮署は毛髪を物証として、本人否認のまま起訴する予定です。繁藤殺害はそれでいいとして、どうしても千尋さんの事件まで踏み込むことができないんですよ」
 三浦はここまで五藤を追いつめながら、今ひとつ決め手に欠くことが悔しかった。
 そのとき、美奈の頭の中に、「私を五藤と対面させてください。美奈さんが五藤に面会してくれれば、私が五藤と対決します」と千尋の声が響いた。
「千尋さん、千尋さんですね。わかりました。私、五藤に会えるよう、頼んでみます」
 美奈が独り言を呟いたので、三浦が驚いた。
「どうしたんですか? 美奈さん」
「私を五藤に面会させていただけませんか? そうすれば、千尋さんが五藤に直接話してくれるかもしれません。繁藤のときは、私を助けてくれたんです。五藤にも何らかのメッセージを送ってくれると思います。今、千尋さんからテレパシーのようなものと思いますが、声が聞こえたんです」
 美奈は三浦に訴えた。
「それが幽霊からのメッセージなのですか?」
 三浦は驚いた。そして少し考え込んだが、「いいでしょう。とりあえず美奈さんから電話で神宮署に面会の依頼をしてみてください。美奈さんの言うことに懸けてみます」と美奈に神宮署の連絡先を教えてくれた。

 留置場で三浦と二人で面会を申し込むと、しばらく待たされた上で、許可された。面会の時間は一五分程度だという。
 美奈は面会室に通された。係官が一人立ち会っている。
 美奈を認めた五藤は、「あ、あんたか? 俺のことを警察にチクったのは。客を警察に売るとは、ひどいじゃないか」と叫んだ。
「ごめんなさい。でも、私は五藤さんに罪を償ってほしいのです。千尋さんが五藤さんに、どんな思いで殺されたのか。あんな寂しいところに二年以上も埋められて、どんな思いで過ごしていたのか。千尋さんの悲しそうな顔を見るたび、私は犯人に対して、そう思わずにはいられませんでした」
「何を馬鹿なことを言っているのかね。俺が橋本君を殺しただと? 馬鹿も休みやすみ言いたまえ」
五藤が怒鳴り出したので、係官が来て、「君、事件に関係があることを話してはいかんよ。そんなことをすれば、今すぐ出て行ってもらうよ」と美奈をたしなめた。
 そのときだった。五藤が、「うわー!」と大声をあげた。
 美奈と係官はその五藤の様子に驚いた。
「わー、く、く、来るな、来るな、こっちに来るなー! 俺がわるかった。ゆ、許してくれー。こっちに来ないでくれ、千尋!」