売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

紅葉

2012-11-06 10:01:29 | 小説
 11月3日の文化の日、春日井市の植物園に行きました。山ではもう紅葉たけなわですが、平地ではようやく始まったというところです。残念ながら弥勒山など愛岐三山はあまり紅葉は豊かではありません。




 ①~③は植物園で写しました。①は植物園のすぐ横の大久手池です。①③の山は大谷山です。④は弥勒山です。常緑樹が多く、あまり紅葉する木がありません。

 今回は『幻影』第27章です。ルミが卑美子に弟子入りし、タトゥーアーティストへの道を歩み始めます。


          27

 それから一週間が経過した。一月ももう下旬となった。その日、オアシスではちょっとした事件が起きた。
 待機室で、ケイ、ルミ、美奈の三人は、ミドリの到着を待っていた。いつもは出勤したら、すぐ仕事着に着替えるのだが、この日はルミがなかなか着替えようとしなかった。
「どうしたの、着替えないの?」とケイが尋ねると、「ミドリさんが来てからね」と答えるだけだった。
 最後にミドリが来て、四人が揃うと、ルミはおもむろに服を脱ぎ始めた。
「ジャーン」とかけ声をかけながら下着だけになり、ルミは三人に背中を見せた。
 ルミの背中には、まだ筋彫りだけだが、天女が艶やかに舞っていた。
「あ、ルミ、とうとうやっちゃったのね」とケイが言った。
「うん。昨日、トヨさんに彫ってもらったの」
 トヨの背中を彩っている天女とはまたタッチが違う絵だった。
「わざわざトヨさんにデザインしてもらったオリジナルの天女」
「でもルミ、背中に彫るなんて、私たちには一言も言ってなかったよね。やってみたいな、とは言ってたけど。ミク、あんた聞いてた?」
 ケイが美奈に尋ねた。
「いいえ、聞いてませんでした」
「みんなを驚かせようと思って、内緒にしてたの。ごめんね」
「水くさいぞ」とミドリが笑いながら咎めた。
「それから、もう一つ、ビッグニュース」
 またルミが爆弾発言をした。
「私、卑美子先生に弟子入りすることにした」
「えー、またまた、めっちゃすごい問題発言じゃん」とケイが驚いて声をあげた。
「ルミさん、お店辞めちゃうんですか?」と美奈が心細げに訊いた。
「ううん、まだ当分は辞めないよ。しばらくは公休日に行って、絵の練習とかスタジオの掃除とか、トヨさんの仕事のお手伝いをするの。お客さんにお金取って彫れるようになるまで、無収入だもんね。卑美子先生がそろそろ子供を作りたいから、トヨさんにスタジオを徐々に任せるようにしたいので、トヨさんのお手伝いする人を探している、というの。それで、私やりたい、とお願いしちゃったの」
 「卑美子さん、年齢考えると、もう赤ちゃん欲しいですよね」と美奈が言った。卑美子は美奈より一五歳年上で、少し前に三六歳になったことを美奈は知っている。
「びっくりねー。そんな重大なこと、今まで隠していたなんて。ルミ、水くさいぞ。もっとも私だって人のこと言えないけど」
 ミドリは自分自身の電撃的な結婚、退職のことを言っていた。
「ごめんなさい。でも、私だってびっくりするほどとんとん拍子に話が進んじゃって。私が描いた絵を見て、卑美子先生、今はまだまだだけど、勉強すればどんどん伸びそうだからって言ってくれたの」
「ルミ、漫画家志望だったもんね。絵はお手の物でしょう」
 ケイは以前ルミがよく漫画を描いていたことを思い出した。
そこへ、「ミクちゃん、ご指名ですよ。準備お願いしまーす」とフロントの沢村から声がかかった。
「ルミもまた新しい道を進むのね。私たち、別々になっても、友情は変わらないよ」
 ミドリが自分のことを思い重ねて、こう締めた。

 勤務が終わってから、四人はいつものファミレスではなく、久しぶりに深夜営業のバーに行った。「裏切り者のルミをつるし上げる会」とケイが銘打った。
「ケイさん、ひどいですぅぅ。裏切り者だなんて」
 ルミはすねて甘えたような言い方をした。
 チューハイやカクテルを飲みながら、三人はルミを質問攻めにした。ルミは卑美子の弟子になるまでの経緯を語った。
 トヨを含め四人がマーガレットを彫った日、トヨの背中の天女を見て、自分も天女を背負ってみたいと思ったルミは、三日後、出勤する前にトヨに電話をした。
 トヨさんの背中のような天女を彫りたい、とルミは希望した。
「私の背中の天女は先生の絵だから、私では同じ絵は彫れません。私のオリジナルの天女でよければ、ぜひ彫らせてください。一度下絵を見てから、先生に彫ってもらうか、私でいいかを決めるといいですよ」
 そうトヨに勧められ、ルミは次の日、卑美子のスタジオを訪れた。
「これは以前私が描いたものですが」と言って、トヨは三種類の天女の絵を持ってきた。それと、卑美子の見本帳の天女も示した。
 さすがに卑美子の天女はどれも美しかった。トヨが描いた天女の絵も魅力があった。ルミとしては、同じ友情のマーガレットを入れた友として、ぜひともトヨに彫ってもらいたかった。それで、卑美子の絵で最も気に入った天女を示し、「トヨさんのタッチでこんな感じの天女、お願いできますか?」と注文した。
「うーん、難しいですね。先生の絵を参考にしても、あくまで私のオリジナルにしなきゃいけないし。でも、これも勉強ですから、描いてみます。私、まだ先生みたいにはたくさんお客さんいないんで、時間もありますから」
「やっぱり卑美子さんの絵をそのまま転写して彫ってもらう、ということはできないんですか?」
「お願いすれば、たぶん許してはもらえるとは思いますが、やはりそれでは、私があとあと後悔しそうですから。私が一度描いてみて、それで気に入らなければ、先生にお願いしてみます」
 トヨは絵を描くのに、一週間の時間をください、とルミに頼んだ。
 一週間と言いながら、四日後に絵が描けた、とトヨから連絡があった。さっそくルミは絵を見に行った。ルミの出勤時間までまだ十分な余裕があり、トヨも時間が空いていたから、これからすぐ行きます、と言って、ルミは愛車の青いフィットで駆けつけた。
 その日は美奈が篠木署に行った日だった。
 ルミが賃貸しているマンションから卑美子のスタジオまで、車で行くより、地下鉄を使うほうが早いかな、とも考えた。が、雨が降っていたし、今の時間帯なら、道はそれほど渋滞していることもないだろうと判断し、車で行くことにした。ルミはオアシスからは少し離れている地下鉄高畑駅付近のワンルームマンションに住んでいる。だから卑美子のスタジオまでなら、地下鉄東山線一本で行ける。しかし、駅までの徒歩の距離がけっこう長く、雨の中を歩くのは、おっくうだった。
 ルミが着いた時間は、ちょうど卑美子も空いていて、三人で絵の相談をした。トヨが新たに描いた絵は、卑美子の絵と比較さえしなければ、ルミとしては十分満足できるものだった。
 ルミはトヨが描いた二枚のうちの一枚を選び、「この絵をお願いします」と依頼した。
「本当にこれでいいですか? 先生の絵のほうがよければ、私に遠慮せず、言ってくださいね。一度彫ったら、一生背負わなければならない絵ですから」
 トヨは念を押した。
「はい、私はこの絵がいいです。この絵なら、一生背負い続けても、後悔しません。これでお願いします」
 それから、施術の日を相談した。彫った後の傷の回復を考慮し、一週間置きの月曜日に彫ることになった。月曜日なら今のところ、トヨは予約が入っておらず、ずっとルミのために時間を取ることができるからだった。ルミも月曜は公休日にしていた。次の週の月曜日に最初の筋彫りをすることになった。
 図柄や日程の相談が終わった後、卑美子が、雑談で、「私もそろそろ赤ちゃんを作りたくなりましてね、ゆくゆくはこのスタジオをトヨに任せようと思うんですよ」と切り出した。
「先生、いきなり、何をおっしゃるんですか? 私なんて、まだまだ駆け出しですよ」
「いや、トヨは才能があるから、一年後には十分任せられると思うよ。私はトヨを高く評価しているんですよ。出産して復帰したら、私は彫る時間を一日六時間以内に減らして、トヨをこのスタジオのメインアーティストにするつもりです」
「先生、そんな……」
 トヨは卑美子の言葉がありがたく、泣き出しそうになった。
「その代わり、これから厳しくしごくから、しっかりついてきて欲しいですね」
「はい」
「それで、トヨをアシストしてくれる人を探しているんですが、ルミさん、以前漫画家志望で、けっこう絵を描いていた、と言ってましたね。ルミさん自身も、タトゥーアーティストになりたい、と言っていたし。この仕事、やってみる気はないですか?」
 今度はルミに対して、卑美子が尋ねた。
「私が、いれずみをですか?」
 あまりに急なことで、ルミはびっくりした。ルミもタトゥーが好きで、仕事としてやってみたいと考えたことはあった。タトゥー、というより、絵を描くこと自体が好きだった。しかし、まさかいきなりこんな話が飛び込んでこようとは、夢にも思っていなかった。
「できれば信用できる人にお願いしたいと思ってますからね。それにうちは女性客が気軽に来店できるよう、女性だけでスタッフを固めたいですから。ルミさんなら、うってつけです」と卑美子が言った。
「やってみたいとは思いますが、私でもできるでしょうか?」
「前に見せてもらった絵は、けっこういい線行ってましたね。ただ、やはりプロとしてやっていくからには、生半可な絵では通用しないので、もう一度絵を見せてもらいたいんですが。今日見本の絵を何枚か渡すので、それを模写してみてもらえませんか?」
「はい。では、描いてみます。今度彫ってもらうときに持ってこればいいですか?」
「ええ、そのときにお願いします」
 卑美子は背中に彫る鳳凰の絵をB4サイズに縮小コピーしたもの、ワンポイント用として牡丹の花と、アメリカンタトゥーのオールドスクールといわれる、女性にバラの花をあしらった絵を渡した。
「見本の絵には色がついてないので、ルミさんのオリジナルで彩色してみてください。色のつけ具合も見せてもらいます」と指示した。
「それから、何か身近なもののデッサンを二、三点描いてきてください」
ルミはせっかくつかんだチャンスだから、絶対ものにしようと決意した。

 施術の日が来た。ルミは公休日は一日部屋に籠もり、ずっと絵を描いていた。それを持参した。
 その日、ルミは早めに行って、施術の前に卑美子に絵を見てもらった。卑美子は絵をじっと見ていた。トヨも近くで心配そうな顔をしていた。
「はい、いいですね。まだまだ勉強してもらわなくちゃあならないけど、いいものを持ってます。努力すれば、十分いけますよ。やってもらえますか?」と合格を告げた。
「え、いいんですか? 私、ここで働かせてもらえるんですか?」
 ルミはとても嬉しかった。
「詳しくはまた後日話したいですが、とりあえずお客さんの受付と、スタジオの掃除など、それからトヨの手伝い。手伝いをすることによって、仕事を覚えてもらいます。空いた時間は絵を勉強してもらえばいいです。マシンを持つのは、しばらく経ってからです。それから、お客さんからお金がもらえるようになるまでは、収入がないので、しばらくは今の仕事を続けてもらってけっこうです。休みの日に来てください。週四日ぐらい、大丈夫ですか?」
「はい、来月はもう日程を組んでしまいましたが、三月から店に出るのは週三日にして、休みにこちらに来るようにします」
「それから、最初は人様の肌に彫るわけにはいかないから、自分の手足に彫って練習することになります。けっこう全身タトゥーで埋まっちゃいますよ。私やトヨを見てもらえば、わかると思いますが。もしそれがまずいなら、うちのスタジオではできませんが」
「覚悟しています。タトゥーの仕事をするからには、顔以外なら、全身彫ってもかまいません」
 ルミは全身タトゥーで埋まってもかまわない、と腹を決めた。両親は反対するかもしれないが、タトゥーアーティストとして実績を作って、認めてもらえるように、頑張ろう。
 ルミの背中に天女の絵を刻みながら、トヨはいろいろ仕事のことや心構えなどについて、ルミに話しかけた。ルミは背中全体に針を刺される激痛に耐えながら、トヨの話を聞いていた。
「あのおっかないデカさんが、早く子供を作れ、と言ったことを先生が旦那さんに話したら、旦那さんが恩人の刑事さんの命令だから、従わなければいけないと、その気になってしまったからなんですよ」
 トヨは卑美子がなぜ急に子供を作るつもりになったのか、という裏話も披露した。

 若いころ、暴走族のリーダーをやっていた卑美子の夫は、鳥居との交流により、立ち直ることができた。交流といっても、かなり荒っぽいものだったが。
 外之原峠の死体遺棄事件を契機に十数年ぶりに再会した卑美子と鳥居は、後日会ってゆっくり話をした。
 そのとき、鳥居が早く子供を作れ、と命令調に言ったことを卑美子は夫に話した。
 夫は「鳥居のとっつぁん」のことを懐かしがり、我々の恩人の命令だから、これは絶対従わなければ、と卑美子に意見した。
 夫はもともと子供を欲しがっていたが、多忙を理由に、なかなか卑美子がその気になれなかった。
 今回は夫も強く主張し、今度は卑美子が折れることになった。
 「子供が産まれたら、俺は会社を辞めてでも、育児に全面協力するよ。収入はおまえのほうがずっといいんだから。お袋も赤ちゃんが産まれれば、めんどうを見てあげると言っているし。だから作ろうよ。もう俺もおまえも若くないんだから、そろそろ作らないと」
 そう言って夫は卑美子を口説いた。
 卑美子も、トヨが思った以上によくやってくれるので、スタジオをトヨに任せられるようになれば、子供を産もう、という気になった。
 それでトヨのアシスタントをしてくれる人をもう一人雇い、卑美子の産休中を任せられる態勢を作っておこうと、かねてから話を聞いていたルミに白羽の矢を立てたのだった。
 ついでに言っておくと、全身にいれずみが入っているタトゥーアーティストの卑美子に対し、夫のタトゥーは腕に牡丹の花が一輪あるだけだ。
 卑美子の夫は不良時代、左の二の腕にドクロのタトゥーを彫った。素人が彫ったので、不具合な出来だが、当時はそれでも得意になってタトゥーをひけらかしていた。
 卑美子と結婚し、さすがにそれではみっともないので、卑美子が上から紫紺の牡丹の花を彫り、カバーアップした。夫に入っているタトゥーはそれ一つだけだ。その絵は美奈の胸にある牡丹と同じ原画から彫ったものだった。

「これからは私たち、仲間だから、一緒に頑張ろうね。けっこう厳しいけど、絶対頑張ってね。ルミさんなら、きっといいアーティストになれるから」
 トヨは新しい後輩を励まし続けた。
 四時間の施術が終わってから、卑美子がルミのタトゥーアーティストとしての名前を何にするかを二人に相談した。
 ルミの本名は高橋さくらという。桜は日本伝統の彫り物の図柄としては、牡丹や菊と並ぶ代表的な花だった。それで、アーティスト名を本名のままさくらでいくか、本名を出したくなければ、牡丹や菊を名前にするのもいいのではないか、と卑美子が提案した。それとも、まったく別の名前を考えるか。
「私やトヨのように邪馬台国の女王の名前を付けれるといいけど、邪馬台国の女王は二人しか知られていないから。トヨ(台与)はイヨ(壱与)が正しいのではないかという説もあるので、イヨはどうかとも思ったけど、同一人物の名前を二人で分け合うのも、おかしいですからね」
「私、さくらがいいです。本名のさくらでいきます」とルミは答えた。

「ふうん。タトゥーアーティスト、さくらか。かっこいいじゃん」とケイが言った。
「やるからには、途中でやめたりしないで、立派なタトゥーアーティストになってね」とミドリも応援した。
「ルミさん、じゃなかった、さくらさん、頑張ってくださいね。私の右脚やおなか、練習に使ってもらっていいから。脚にかっこいい龍を彫ってもらおうかしら」
「ありがとう、みんな。絶対卑美子先生みたいなすてきな彫り師になるよ」
 ルミは感激で涙が出そうだった。
「裏切り者のルミをつるし上げる会」は結局「タトゥーアーティスト、さくらを激励する会」となった。
 会は夜中の三時過ぎまで続いた。美奈はさくらの門出を祝うつもりで、あまり強くないのに、酒をかなり飲んでしまい、ふらふらに酔っていた。
「ミク、そんなんじゃとても家に帰れないから、わたしんち泊まりなよ」とルミが美奈に勧めた。ミドリとケイもルミのワンルームマンションに泊まることになった。四人はタクシーでルミのマンションに行った。
 ルミの部屋で、床に布団を敷き、四人は雑魚寝をした。みんな昼ごろまで眠っていた。