今日は強風が吹き荒れ、私の部屋の前にある、満開の桜
の花びらが、風でどんどん吹き飛ばされていました。花吹雪ですが、せっかくきれいに咲いているのに、花がなくなってしまうのでは? と心配です。
4月から消費税が8%に上がり、それ以後、今日初めて買い物に行きました。
1日には新作の校正原稿をレターパックで出版社に送りました
が、それを除いて、初めて消費税アップ後にお金を使いました
。
売れ残って値下がりしたもの
を中心に買いましたが、家計に響きそうです
。
今回は『幻影2 荒原の墓標』12回目の掲載です。
4
七月に入り、さくらは卑美子より、プロとしての許しを得た。トヨのときのように、特にプロのためのテストはしなかったが、何十人にも彫らせてもらった作品を見て、卑美子は七月より、一時間一万円の料金を取ってもよろしいという許可を出したのだった。それは卑美子、トヨと同じ料金だ。彫るスピードも上がり、トヨと同額にしても引けを取ることはなかった。さくらは、私なんかが先生やトヨさんと同じ土俵に立たせてもらっていいのだろうかと思うと、申し訳ないのと同時に、とてもありがたかった。卑美子が認めた以上は、さくらはプロとしての技量は十分にある。卑美子はいい加減なことで妥協したりはしない。
七月三日の公休日に、さっそくさくらの記念すべきプロデビュー作第一号、二号として、恵と美奈はさくらに彫ってもらった。トヨのプロ最初の作品は美奈だったので、今回は恵がさくらのプロとしての第一作めを彫ってもらった。美奈が今度はメグさんに、と譲ったのだった。
葵からも、さくらがプロになったというので、おめでとうというメールが届いた。そして、名古屋に行く機会を作るから、記念にひとつだけ小さい絵を彫って、と書いてあった。アイリのように、腰に小さな絵を入れるつもりだ。
葵は今、静岡市葵区の駿府(すんぷ)公園の近くにある賃貸マンションに、夫婦二人で住んでいる。葵は昼間は近所のスーパーマーケットで、レジのパートをして働いている。パートが休みの日には、運動のため、ときどき標高一七一メートルの賤機山(しずはたやま)に登っているという。秀樹と一緒に歩くこともある。
恵は左腕、肩の近くに赤い牡丹、美奈は右の乳房に同じく赤い牡丹を彫った。美奈は左の胸に紫の牡丹があるので、左右がシンメトリーとなった。そしてトヨもさくらのプロ三号として、左胸に紫の牡丹を入れてもらった。三人とも牡丹の花だった。トヨのプロ最初の作品が、四人同じマーガレットの花だったので、今回も三人が同じ絵を入れようということになった。ただ、さくらは転写ではなく、肌に直接下絵を描くので、全く同じ絵というわけにはいかないが、似せて描くように努めた。
「メグさん、腕には入れないと言ってたのに、大丈夫ですか?」 と彫る前にさくらは確認した。
「大丈夫よ。少し長めの半袖ならはみ出ないし。この位置なら、後ろの蝶のタトゥーとマッチするでしょう」
昨年末に卑美子に入れてもらった青いアゲハチョウを飾るのにも、ちょうどいい場所だった。
トヨはさくらの練習で、左右の太股の後ろ側に、龍と鳳凰を彫ってもらっていた。太股の後ろは、自分の手が届かず、練習で彫れなかったため、白いまま残っていたのだ。トヨは自分の経験に基づき、実戦に向けての練習のため、さくらにあえてむずかしい注文をつけていた。もちろんそれは意地悪ではなく、自分のためを思ってしてくれるのだということを、さくらは理解していた。
背中には入れないと言っていた恵が、龍と牡丹を背中一面に彫ることを決意し、さくらに見本の絵を描いてくれるよう、依頼した。
「あまり大きくしないつもりだったのに、私もやっぱり悪の誘惑に負けちゃったわ。でも、消すことができないほどの大きな絵を彫ったほうが、一生タトゥーを背負っていくんだという覚悟もできて、すっきりする」 と恵は笑っていた。
さくらがプロとして初めて三人に作品を彫った日の夜、卑美子は四人を自宅に招待し、手料理をご馳走してくれた。このとき、恵と美奈は初めて卑美子の夫に会った。夫は大島隆一(りゅういち)といい、卑美子とはかつて暴走族の仲間だった。隆一は卑美子より二歳年上の、三八歳だ。隆一が暴走族のヘッドを張り、卑美子がレディースのリーダーだった。二人は手がつけられないほどの不良だったが、当時交通機動隊で暴走族を取り締まっていた、巡査長の鳥居と激しい格闘をして渡り合った。その結果、二人は鳥居と心が通じ合い、更生できたのだった。だから二人は鳥居のことを、恩人として非常に大切に思っている。隆一は 「鳥居のとっつぁん」 と親しみを込めて呼んでいた。
隆一はかつて暴走族のリーダーとして暴れ回っていたとは思えないほどの温厚な感じだ。卑美子とはとても仲睦まじく、幸せそうな夫婦だった。二人は暴走族やレディースのメンバーを友として非常に大切にしていたので、仲間内では人望が厚かった。当時の主要なメンバーはやはり鳥居のおかげで更生し、まだ交友が続いている。何人かは卑美子にタトゥーを入れてもらった。
トヨとさくらは、心身の鍛練と護身のために、隆一からときどき空手の手ほどきを受けている。隆一も卑美子も空手の有段者だ。
卑美子の家に招かれたとき、恵と美奈は卑美子の妊娠を告げられた。
「え、先生、そうなんですか? おめでとうございます」
恵と美奈が卑美子に祝福の言葉を贈った。
最初はプロとして許可を出す前に、さくらに卑美子の肌に彫らせてプロの試験をする予定だった。試験なしで許可したのは、妊娠が判明したためだった。代わりにトヨの肌を試験に使うということは、したくなかった。試験をしなくても、さくらの技量はすでに十分だった。
少し前に、美奈は姉の真美から二人目の子供を授かったという知らせを受けていた。姉に続いて、卑美子からもおめでたい知らせだった。
「もう三ヶ月よ。だから、これからはすでに予約を受けている分だけにして、新規の受付はしないつもりです。私ももう高齢出産になるから、大事にしなくてはね。トヨもさくらもしっかりやってくれるから、私が休んでいる間は、安心して二人に卑美子ボディアートスタジオの看板を任せられます。本当に二人とも頑張ってくれているから、私も嬉しいですよ」
師である卑美子にそう褒められ、トヨもさくらも恐縮してしまった。
卑美子は料理に腕を揮(ふる)った。スタジオを終えてからなので、夕食というより、夜食の時間となってしまう。スタジオは遅いときには、午前様になることもあるので、つい食事の時間が不規則になる。申し訳ないと思いながらも、隆一には、一人で出前や外食で食事を先にすませてもらっている。ときには隆一が自分で調理し、遅く帰ってきた卑美子に料理を温めてくれることもある。そのときは 「今夜は俺がめしを作って待ってるからな」 などと携帯電話にメールしてくれる。隆一は理解がある夫だった。かつて二人で暴れ回っていた不良だったが、今では夫婦として、お互いとてもよいパートナーとなっている。
子供が成長し、タトゥーアーティストとして復帰しても、トヨとさくらの信頼できる弟子たちにスタジオを任せ、卑美子は稼働時間を短くして、家庭を大切にしたいと考えている。多少収入は減っても、これまで隆一と共働きしてきたおかげで、十分な資産がある。子供が成長し、学費などで大きなお金が必要となっても大丈夫だ。それに、タトゥーアーティストを辞めるわけではない。これからも身体をこわしたりしなければ、ある程度の収入を見込むことはできる。
また、トヨとさくらには、これから遅くとも夜一〇時にはスタジオを閉め、無理をしないように指導していこうとも考えている。以前は不定休だったスタジオも、水曜休みとした。すでに水曜日に予約が入っている分はやむを得ないが、今後水曜日の予約受け付けはしない。やはり不規則な生活で、体調を崩さないようにしなければいけない。特にさくらはスタジオに住み込みなので、休日をきちんと決めなければ、休みを取れなくなってしまう。
トヨとさくらはときどきご馳走になることがあるが、恵と美奈は、卑美子の手料理は初めてだった。心尽くしの卑美子の料理はとてもおいしかった。この日は隆一も一緒にテーブルに着き、盛り上がった。みんなの共通の知人である“鳥居のとっつぁん”の思い出話をしてくれた。ビールや日本酒も入った。美奈は苦いビールがあまり好きではないが、最近多少は飲めるようになった。ただ、タトゥーを入れたあとはアルコールは厳禁なので、乾杯だけにしておいた。卑美子は妊娠が判明してから、酒を控えている。たばこはもうやめていた。副流煙の害があるので、隆一も禁煙している。卑美子の出産に向け、隆一も全面的に協力している。
「もしできるものなら、俺が出産の苦しみをマコと代わってやりたいぐらいだ。でもこればかりは、男には絶対無理だからな。子供との絆をより深く持てて、ある意味、母親が羨ましく思うよ」 という隆一の言葉を、美奈は微笑ましく思った。隆一は卑美子のことを、暴走族時代からの愛称で、マコと呼んでいる。その夜は皆は卑美子の家に泊まった。
六月下旬に刊行された北村弘樹の新作、『荒原の墓標』の売れ行きはまずまずだった。初版発行後、すぐ版を重ねた。『荒原の墓標』が発売になってから、初めて北村がオアシスを訪れた。
「いやあ、よく降りますね。七夕豪雨なんてのが昔あったと聞きますが、明日も七夕ですね。今は梅雨前線が活発で、よく雨が降る時季なんですね。これじゃあ、織り姫さんと彦星さんのデートもままなりませんよ。今日は大降りだから、すぐ予約できると思ったら、夜一〇時過ぎでないと空いてないと言われました。ミクさん、相変わらず大人気ですね」
季節の挨拶をしながらミクの胸を見た北村は、 「あれ、ミクさん、赤い牡丹が増えてますね。まだ彫ったばかりじゃないですか?」 と言って、かさぶたが張りかけたミクの乳房のタトゥーに触れた。
「いやですわ、高村さんのエッチ」 とミクは笑顔で応じた。
「高村さん、新しいご本、よく売れているそうですね。おめでとうございます」
「ありがとう。でも、この世界は、一冊や二冊、いいものを出しても、継続できなければ意味がありませんからね。以前の僕がそうでした。よかったのは七作目までで、それ以後は鳴かず飛ばずでしたよ。特に、トリックの代わりに呪いを使ったのは、大失敗でした」
北村は以前の苦い思い出をミクに語った。
「私、その作品も読みましたが、それほど悪いとは思いませんでした。いきなり最後の種明かしで呪いの藁人形だった、なんてことになれば、まずいと思いますが、かなり呪いとか、人の念の恐ろしさなどについて、詳しく説明もあり、伏線もきちんとなされていましたし。かえって、ホラー感覚で読めて、楽しめました」
「そのような好意的な意見も一部にありましたが、やはり推理小説に呪いを持ち込んだのは、邪道だったようですね。僕は斬新なアイディアだと思っていたのに。ホラー小説としては陳腐でしたし。それ以後、僕は何とか失点を挽回しようと焦るばかりで、いい作品が書けなくなり、急坂を転がり落ちるように転落しました」
北村は自分の失敗談などをミクに語った。そして、初めてミクに会った翌日に起きた、南木曽岳での不思議な体験も話した。
「え、そうなんですか? 南木曽岳中腹の、夜の森の中で、そんな体験をなさったんですか」
「あのときは僕も驚きましたよ。今では夢を見ていたんじゃないかと思います。でも、その声がなかったら、僕は間違いなく自殺していました。死ぬな、というあの声で、もう一度やり直してみようと思ったんです。そして、曲がりなりにも、以前ほどではないですが、そこそこ『鳳凰殺人事件』が売れ、何とか復活への道筋が見えてきました。ひょっとしたら守護霊の声だったのかもしれません」
美奈も千尋の霊を初めて見たときは、夢なのかしらと思った。しかし今現実に、守護霊となった千尋からときどき霊界からの通信が来る。また、新しく買った車に呪縛されていた女性の霊も、今では交通事故から守ってくれる守護霊となっている。だから、北村が言っていることは、一概にでたらめだとは思えなかった。
「ミクさんは信じてくれるんですか」
「はい。実は、私にも似たような経験がありますから。私の場合は、運転中にスピードを落としなさい、という声が聞こえたので、助かりました」
「そうですか。ミクさんも霊の声を聞いた体験があるのですね。ミクさんはお寺の娘さんだというから、霊感も強いんですね」
「いいえ、そんなことはないんですが。それに私の父も兄も、霊などいない、と否定してましたし」
「お坊さんなのに、霊はいないというんですか?」
「でも、死後の世界を完全に否定しているわけではなく、念仏を唱えれば、死後極楽浄土に往生できる、と言ってます。私としては、霊の存在を否定していながら、極楽浄土があるという考え方には、ちょっと矛盾を感じて、賛成できないところもあります。宗派が違いますが、お釈迦様の根本の教えや、日蓮大聖人様の仏法のほうが、私としてはいいと思います」
「お寺の娘さんが、宗派の教えに疑問を持っているのですか?」
「私、ソープランドに勤めていたり、全身にいれずみ入れたりしたことがばれて、住職をしている兄から勘当されてしまいまして、今はお寺とは関係なくなってしまいました。もともと私、お寺の娘なのに、うちの宗派があまり好きではなかったですし」
北村とはそんな信仰上の話をしていたが、やがて山の話に移っていった。北村が南木曽岳にはよく登った、と言ったのに対し、美奈も南木曽岳には三度登ったことがある、と応えた。
「私は上の原、尾越(おこし)のどちらからも登ったことがあります。シュラフを持参して、山頂付近の小屋で一人で泊まったこともありました。ゴールデンウィークでしたが、夜は寒かったです」
「え、ミクさんも山登りをするのですか? 無人小屋にシュラフを担いで一人で泊まったということは、けっこう山をやってますね」
南木曾岳山頂付近の山小屋です
南木曽岳には、南北二つの登山道がある。北の上の原から登るルートは、距離が長く、体力が要求される。南の尾越からのルートは、途中で二つに分かれる。一般には登りは左側のルートを使い、登頂後、摩利支天(まりしてん)を経由するルートを下山に使う。尾越からのコースは、上の原からの登山道より距離は短いが、急峻だ。どちらのルートも、それぞれの良さがあり、美奈は下りに距離は長くても、尾越からのルートよりはなだらかな上の原ルートを使うことにしている。直接駅まで下るので、バスの時間を気にする必要もない。
標高一六七七メートルの頂上は樹林に覆われているが、その近くの見晴台からは、御嶽山(おんたけさん)や中央アルプスが美しい。また、避難小屋から少し上がった女岩(めいわ)の展望台からは、間近に中央アルプス連峰が望まれ、その展望の雄大さには圧倒される。上の原ルートの途中にある、巨大な樹木の森も素晴らしい。深く怪しい森の中に迷い込んだかのようだ。南木曽岳は美奈が最も気に入っている山の一つだ。
北村は華奢(きゃしゃ)なミクが登山のベテランで、北アルプスや中央アルプス、八ヶ岳などにも単独行で登っているということを聞き、意外な思いをした。一度一緒に山に行きませんか、と誘おうかと、喉元まで声が出かかったが、それは遠慮しておいた。
北村はソープランドのコンパニオンと、個人的に会うことはあまりよくないのではないかと思った。全身にタトゥーが入ったソープレディーと一緒に歩いている姿が報道されるのはまずい。特にミクは半年ほど前、殺人犯人の疑いで、週刊誌などにスクープされたことがある。そんなソープレディーと仲良く登山している画像がインターネットで流れでもしたら大変だ。噂はあっという間に広がってしまう。ミクとはやはりオアシスだけの関係にしておいた方が賢明のようだ。
北村はミクにとっては、非常に好意を持てる客ではあったが、結局自身の保身を第一に考えている、一般客と変わりがなかった。三浦のように、下手をすれば警察幹部への道を閉ざす虞(おそれ)があるのも辞さず、美奈との付き合いを続けているのとは違っていた。
その日は山の話などをしながら、ミクはサービスを終えた。

4月から消費税が8%に上がり、それ以後、今日初めて買い物に行きました。
1日には新作の校正原稿をレターパックで出版社に送りました


売れ残って値下がりしたもの



今回は『幻影2 荒原の墓標』12回目の掲載です。
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七月に入り、さくらは卑美子より、プロとしての許しを得た。トヨのときのように、特にプロのためのテストはしなかったが、何十人にも彫らせてもらった作品を見て、卑美子は七月より、一時間一万円の料金を取ってもよろしいという許可を出したのだった。それは卑美子、トヨと同じ料金だ。彫るスピードも上がり、トヨと同額にしても引けを取ることはなかった。さくらは、私なんかが先生やトヨさんと同じ土俵に立たせてもらっていいのだろうかと思うと、申し訳ないのと同時に、とてもありがたかった。卑美子が認めた以上は、さくらはプロとしての技量は十分にある。卑美子はいい加減なことで妥協したりはしない。
七月三日の公休日に、さっそくさくらの記念すべきプロデビュー作第一号、二号として、恵と美奈はさくらに彫ってもらった。トヨのプロ最初の作品は美奈だったので、今回は恵がさくらのプロとしての第一作めを彫ってもらった。美奈が今度はメグさんに、と譲ったのだった。
葵からも、さくらがプロになったというので、おめでとうというメールが届いた。そして、名古屋に行く機会を作るから、記念にひとつだけ小さい絵を彫って、と書いてあった。アイリのように、腰に小さな絵を入れるつもりだ。
葵は今、静岡市葵区の駿府(すんぷ)公園の近くにある賃貸マンションに、夫婦二人で住んでいる。葵は昼間は近所のスーパーマーケットで、レジのパートをして働いている。パートが休みの日には、運動のため、ときどき標高一七一メートルの賤機山(しずはたやま)に登っているという。秀樹と一緒に歩くこともある。
恵は左腕、肩の近くに赤い牡丹、美奈は右の乳房に同じく赤い牡丹を彫った。美奈は左の胸に紫の牡丹があるので、左右がシンメトリーとなった。そしてトヨもさくらのプロ三号として、左胸に紫の牡丹を入れてもらった。三人とも牡丹の花だった。トヨのプロ最初の作品が、四人同じマーガレットの花だったので、今回も三人が同じ絵を入れようということになった。ただ、さくらは転写ではなく、肌に直接下絵を描くので、全く同じ絵というわけにはいかないが、似せて描くように努めた。
「メグさん、腕には入れないと言ってたのに、大丈夫ですか?」 と彫る前にさくらは確認した。
「大丈夫よ。少し長めの半袖ならはみ出ないし。この位置なら、後ろの蝶のタトゥーとマッチするでしょう」
昨年末に卑美子に入れてもらった青いアゲハチョウを飾るのにも、ちょうどいい場所だった。
トヨはさくらの練習で、左右の太股の後ろ側に、龍と鳳凰を彫ってもらっていた。太股の後ろは、自分の手が届かず、練習で彫れなかったため、白いまま残っていたのだ。トヨは自分の経験に基づき、実戦に向けての練習のため、さくらにあえてむずかしい注文をつけていた。もちろんそれは意地悪ではなく、自分のためを思ってしてくれるのだということを、さくらは理解していた。
背中には入れないと言っていた恵が、龍と牡丹を背中一面に彫ることを決意し、さくらに見本の絵を描いてくれるよう、依頼した。
「あまり大きくしないつもりだったのに、私もやっぱり悪の誘惑に負けちゃったわ。でも、消すことができないほどの大きな絵を彫ったほうが、一生タトゥーを背負っていくんだという覚悟もできて、すっきりする」 と恵は笑っていた。
さくらがプロとして初めて三人に作品を彫った日の夜、卑美子は四人を自宅に招待し、手料理をご馳走してくれた。このとき、恵と美奈は初めて卑美子の夫に会った。夫は大島隆一(りゅういち)といい、卑美子とはかつて暴走族の仲間だった。隆一は卑美子より二歳年上の、三八歳だ。隆一が暴走族のヘッドを張り、卑美子がレディースのリーダーだった。二人は手がつけられないほどの不良だったが、当時交通機動隊で暴走族を取り締まっていた、巡査長の鳥居と激しい格闘をして渡り合った。その結果、二人は鳥居と心が通じ合い、更生できたのだった。だから二人は鳥居のことを、恩人として非常に大切に思っている。隆一は 「鳥居のとっつぁん」 と親しみを込めて呼んでいた。
隆一はかつて暴走族のリーダーとして暴れ回っていたとは思えないほどの温厚な感じだ。卑美子とはとても仲睦まじく、幸せそうな夫婦だった。二人は暴走族やレディースのメンバーを友として非常に大切にしていたので、仲間内では人望が厚かった。当時の主要なメンバーはやはり鳥居のおかげで更生し、まだ交友が続いている。何人かは卑美子にタトゥーを入れてもらった。
トヨとさくらは、心身の鍛練と護身のために、隆一からときどき空手の手ほどきを受けている。隆一も卑美子も空手の有段者だ。
卑美子の家に招かれたとき、恵と美奈は卑美子の妊娠を告げられた。
「え、先生、そうなんですか? おめでとうございます」
恵と美奈が卑美子に祝福の言葉を贈った。
最初はプロとして許可を出す前に、さくらに卑美子の肌に彫らせてプロの試験をする予定だった。試験なしで許可したのは、妊娠が判明したためだった。代わりにトヨの肌を試験に使うということは、したくなかった。試験をしなくても、さくらの技量はすでに十分だった。
少し前に、美奈は姉の真美から二人目の子供を授かったという知らせを受けていた。姉に続いて、卑美子からもおめでたい知らせだった。
「もう三ヶ月よ。だから、これからはすでに予約を受けている分だけにして、新規の受付はしないつもりです。私ももう高齢出産になるから、大事にしなくてはね。トヨもさくらもしっかりやってくれるから、私が休んでいる間は、安心して二人に卑美子ボディアートスタジオの看板を任せられます。本当に二人とも頑張ってくれているから、私も嬉しいですよ」
師である卑美子にそう褒められ、トヨもさくらも恐縮してしまった。
卑美子は料理に腕を揮(ふる)った。スタジオを終えてからなので、夕食というより、夜食の時間となってしまう。スタジオは遅いときには、午前様になることもあるので、つい食事の時間が不規則になる。申し訳ないと思いながらも、隆一には、一人で出前や外食で食事を先にすませてもらっている。ときには隆一が自分で調理し、遅く帰ってきた卑美子に料理を温めてくれることもある。そのときは 「今夜は俺がめしを作って待ってるからな」 などと携帯電話にメールしてくれる。隆一は理解がある夫だった。かつて二人で暴れ回っていた不良だったが、今では夫婦として、お互いとてもよいパートナーとなっている。
子供が成長し、タトゥーアーティストとして復帰しても、トヨとさくらの信頼できる弟子たちにスタジオを任せ、卑美子は稼働時間を短くして、家庭を大切にしたいと考えている。多少収入は減っても、これまで隆一と共働きしてきたおかげで、十分な資産がある。子供が成長し、学費などで大きなお金が必要となっても大丈夫だ。それに、タトゥーアーティストを辞めるわけではない。これからも身体をこわしたりしなければ、ある程度の収入を見込むことはできる。
また、トヨとさくらには、これから遅くとも夜一〇時にはスタジオを閉め、無理をしないように指導していこうとも考えている。以前は不定休だったスタジオも、水曜休みとした。すでに水曜日に予約が入っている分はやむを得ないが、今後水曜日の予約受け付けはしない。やはり不規則な生活で、体調を崩さないようにしなければいけない。特にさくらはスタジオに住み込みなので、休日をきちんと決めなければ、休みを取れなくなってしまう。
トヨとさくらはときどきご馳走になることがあるが、恵と美奈は、卑美子の手料理は初めてだった。心尽くしの卑美子の料理はとてもおいしかった。この日は隆一も一緒にテーブルに着き、盛り上がった。みんなの共通の知人である“鳥居のとっつぁん”の思い出話をしてくれた。ビールや日本酒も入った。美奈は苦いビールがあまり好きではないが、最近多少は飲めるようになった。ただ、タトゥーを入れたあとはアルコールは厳禁なので、乾杯だけにしておいた。卑美子は妊娠が判明してから、酒を控えている。たばこはもうやめていた。副流煙の害があるので、隆一も禁煙している。卑美子の出産に向け、隆一も全面的に協力している。
「もしできるものなら、俺が出産の苦しみをマコと代わってやりたいぐらいだ。でもこればかりは、男には絶対無理だからな。子供との絆をより深く持てて、ある意味、母親が羨ましく思うよ」 という隆一の言葉を、美奈は微笑ましく思った。隆一は卑美子のことを、暴走族時代からの愛称で、マコと呼んでいる。その夜は皆は卑美子の家に泊まった。
六月下旬に刊行された北村弘樹の新作、『荒原の墓標』の売れ行きはまずまずだった。初版発行後、すぐ版を重ねた。『荒原の墓標』が発売になってから、初めて北村がオアシスを訪れた。
「いやあ、よく降りますね。七夕豪雨なんてのが昔あったと聞きますが、明日も七夕ですね。今は梅雨前線が活発で、よく雨が降る時季なんですね。これじゃあ、織り姫さんと彦星さんのデートもままなりませんよ。今日は大降りだから、すぐ予約できると思ったら、夜一〇時過ぎでないと空いてないと言われました。ミクさん、相変わらず大人気ですね」
季節の挨拶をしながらミクの胸を見た北村は、 「あれ、ミクさん、赤い牡丹が増えてますね。まだ彫ったばかりじゃないですか?」 と言って、かさぶたが張りかけたミクの乳房のタトゥーに触れた。
「いやですわ、高村さんのエッチ」 とミクは笑顔で応じた。
「高村さん、新しいご本、よく売れているそうですね。おめでとうございます」
「ありがとう。でも、この世界は、一冊や二冊、いいものを出しても、継続できなければ意味がありませんからね。以前の僕がそうでした。よかったのは七作目までで、それ以後は鳴かず飛ばずでしたよ。特に、トリックの代わりに呪いを使ったのは、大失敗でした」
北村は以前の苦い思い出をミクに語った。
「私、その作品も読みましたが、それほど悪いとは思いませんでした。いきなり最後の種明かしで呪いの藁人形だった、なんてことになれば、まずいと思いますが、かなり呪いとか、人の念の恐ろしさなどについて、詳しく説明もあり、伏線もきちんとなされていましたし。かえって、ホラー感覚で読めて、楽しめました」
「そのような好意的な意見も一部にありましたが、やはり推理小説に呪いを持ち込んだのは、邪道だったようですね。僕は斬新なアイディアだと思っていたのに。ホラー小説としては陳腐でしたし。それ以後、僕は何とか失点を挽回しようと焦るばかりで、いい作品が書けなくなり、急坂を転がり落ちるように転落しました」
北村は自分の失敗談などをミクに語った。そして、初めてミクに会った翌日に起きた、南木曽岳での不思議な体験も話した。
「え、そうなんですか? 南木曽岳中腹の、夜の森の中で、そんな体験をなさったんですか」
「あのときは僕も驚きましたよ。今では夢を見ていたんじゃないかと思います。でも、その声がなかったら、僕は間違いなく自殺していました。死ぬな、というあの声で、もう一度やり直してみようと思ったんです。そして、曲がりなりにも、以前ほどではないですが、そこそこ『鳳凰殺人事件』が売れ、何とか復活への道筋が見えてきました。ひょっとしたら守護霊の声だったのかもしれません」
美奈も千尋の霊を初めて見たときは、夢なのかしらと思った。しかし今現実に、守護霊となった千尋からときどき霊界からの通信が来る。また、新しく買った車に呪縛されていた女性の霊も、今では交通事故から守ってくれる守護霊となっている。だから、北村が言っていることは、一概にでたらめだとは思えなかった。
「ミクさんは信じてくれるんですか」
「はい。実は、私にも似たような経験がありますから。私の場合は、運転中にスピードを落としなさい、という声が聞こえたので、助かりました」
「そうですか。ミクさんも霊の声を聞いた体験があるのですね。ミクさんはお寺の娘さんだというから、霊感も強いんですね」
「いいえ、そんなことはないんですが。それに私の父も兄も、霊などいない、と否定してましたし」
「お坊さんなのに、霊はいないというんですか?」
「でも、死後の世界を完全に否定しているわけではなく、念仏を唱えれば、死後極楽浄土に往生できる、と言ってます。私としては、霊の存在を否定していながら、極楽浄土があるという考え方には、ちょっと矛盾を感じて、賛成できないところもあります。宗派が違いますが、お釈迦様の根本の教えや、日蓮大聖人様の仏法のほうが、私としてはいいと思います」
「お寺の娘さんが、宗派の教えに疑問を持っているのですか?」
「私、ソープランドに勤めていたり、全身にいれずみ入れたりしたことがばれて、住職をしている兄から勘当されてしまいまして、今はお寺とは関係なくなってしまいました。もともと私、お寺の娘なのに、うちの宗派があまり好きではなかったですし」
北村とはそんな信仰上の話をしていたが、やがて山の話に移っていった。北村が南木曽岳にはよく登った、と言ったのに対し、美奈も南木曽岳には三度登ったことがある、と応えた。
「私は上の原、尾越(おこし)のどちらからも登ったことがあります。シュラフを持参して、山頂付近の小屋で一人で泊まったこともありました。ゴールデンウィークでしたが、夜は寒かったです」
「え、ミクさんも山登りをするのですか? 無人小屋にシュラフを担いで一人で泊まったということは、けっこう山をやってますね」

南木曽岳には、南北二つの登山道がある。北の上の原から登るルートは、距離が長く、体力が要求される。南の尾越からのルートは、途中で二つに分かれる。一般には登りは左側のルートを使い、登頂後、摩利支天(まりしてん)を経由するルートを下山に使う。尾越からのコースは、上の原からの登山道より距離は短いが、急峻だ。どちらのルートも、それぞれの良さがあり、美奈は下りに距離は長くても、尾越からのルートよりはなだらかな上の原ルートを使うことにしている。直接駅まで下るので、バスの時間を気にする必要もない。
標高一六七七メートルの頂上は樹林に覆われているが、その近くの見晴台からは、御嶽山(おんたけさん)や中央アルプスが美しい。また、避難小屋から少し上がった女岩(めいわ)の展望台からは、間近に中央アルプス連峰が望まれ、その展望の雄大さには圧倒される。上の原ルートの途中にある、巨大な樹木の森も素晴らしい。深く怪しい森の中に迷い込んだかのようだ。南木曽岳は美奈が最も気に入っている山の一つだ。
北村は華奢(きゃしゃ)なミクが登山のベテランで、北アルプスや中央アルプス、八ヶ岳などにも単独行で登っているということを聞き、意外な思いをした。一度一緒に山に行きませんか、と誘おうかと、喉元まで声が出かかったが、それは遠慮しておいた。
北村はソープランドのコンパニオンと、個人的に会うことはあまりよくないのではないかと思った。全身にタトゥーが入ったソープレディーと一緒に歩いている姿が報道されるのはまずい。特にミクは半年ほど前、殺人犯人の疑いで、週刊誌などにスクープされたことがある。そんなソープレディーと仲良く登山している画像がインターネットで流れでもしたら大変だ。噂はあっという間に広がってしまう。ミクとはやはりオアシスだけの関係にしておいた方が賢明のようだ。
北村はミクにとっては、非常に好意を持てる客ではあったが、結局自身の保身を第一に考えている、一般客と変わりがなかった。三浦のように、下手をすれば警察幹部への道を閉ざす虞(おそれ)があるのも辞さず、美奈との付き合いを続けているのとは違っていた。
その日は山の話などをしながら、ミクはサービスを終えた。