今日は風もなく、穏やかな晴天です。最近は風が強い日が多く、部屋の前にある大きな桜の木は、あらかた花が落ちてしまいました。
今回は『幻影2 荒原の墓標』13回目を掲載します。新たな事件が起こり、物語はいよいよ連続殺人への謎を深めていきます。
5
小笠原安治(おがさわらやすじ)は早朝、名古屋市守山区、千種区、東区の境界に当たる矢田川の河川敷をジョギングしている。会社を定年退職したが、老後の蓄えも十分あり、生活のために働く必要はない。家にいれば、女房に粗大ゴミ扱いされるので、毎日近所の同年配の人たちとゲートボールに興じたり、囲碁の対局を楽しんだりして余暇を過ごしている。しかし、最近体調が悪くなり、近くの病院で診てもらうと、糖尿病と宣告された。医師から適度な運動を勧められ、毎朝のジョギングを始めた。
早起きは何でもないのだが、最初は少し走り始めると、すぐに息が上がってしまい、目標の距離を走ることができず、諦めてしまった。家を出てすぐに帰ると、女房に 「せっかく高いお金を出してジョギングシューズやウェアを買ったのに、だめな人ね」 と馬鹿にされた。
いつも粗大ゴミ扱いされる女房にそう言われると、何となく悔しさが込み上げ、よし、やってやろうじゃないか、と決心に火が点くのだが、また長続きしない。
近所の友人たちに、早朝のジョギングのことを話すと、 「やっさんもジョギング始めなさったんか。わしも健康のために何とか続けようと思っても、結局三日坊主で、なかなか続かなくてな」 というような話になった。それで、ゲートボール仲間の男女四人で、一緒に励まし合って走ろう、ということになった。
やはり一人だけで走るより、仲間がいるほうが張り合いが出る。毎朝六時に矢田川河川敷の千代田橋緑地に集合して、走り始める。みんな六〇歳以上なので、無理はせず、ゆっくりしたペースで走る。
安治は今まで自宅近くの街中を走っていたが、河川敷の緑の中を走るほうが気持ちがいい。四人は最初のうちはすぐにばててしまい、ペースもばらばらになってしまった。それでも慣れるに従い、四人の息が合うようになってきた。
このところ、雨が続いていた。梅雨も末期に入ったのか、降れば大雨になることが多い。昨夜はかなり降っていたようだ。今日は久しぶりに朝から晴天なので、早朝、四人が千代田橋緑地に集まった。矢田川の水量がいつもより多かった。流れは土色に濁っていた。集まった四人は、 「久しぶりの晴天だね」などと話し合った。
「では、朝の気持ちがいい空気の中で走るとしますかな。最初は早足ぐらいのゆっくりした速さで行こう」 と安治が切り出した。雨でぬかるんだところは避けて、舗装してある道を走る。
走り出そうとしたとき、唯一の女性メンバーである芦田喜久枝(あしだきくえ)が、 「あれ? あそこにあるのは何だろうかね?」 と、川の畔(ほとり)の草むらを指さした。
「何だね、喜久さん」 と安治が尋ねた。
「ほら、あれよ。人形みたいなのが草むらに流れ着いているけど。私、なんだか怖いわ。ちょっと見てきてよ」
喜久枝は不安そうにその草むらを指し示した。単なる人形ではなく、ひょっとしたら、という思いが頭をよぎった。自分ではとても確認に行く勇気がなかった。
「やっさん、あれは」
もう一人のメンバーが恐る恐る言った。三人がためらっている中、安治は気を奮い立たせて、その“物体”の方に進んでいった。そして、それを確認して大声をあげた。
七月七日早朝、名古屋市守山区と東区の境界をなす矢田川の河川敷で、男性が死んでいるとの通報を受け、小幡署の署員が駆けつけた。現場近くの守山自衛隊前交番から、外勤巡査が先に来ていて、現場を保存していた。発見者は小笠原安治始め、四人のジョギング仲間だ。
被害者は三〇代の男性。死因は後頭部を鈍器のようなもので殴打され、それが致命傷となっていた。遺体に抵抗の跡がないので、いきなり背後から襲われたのかもしれない。死亡推定時刻は前夜一〇時から一二時ごろと思われる。
その場で殺されたのか、上流から流れてきたのか、それとも他の場所で殺され、ここに運ばれてきたのかは、現時点ではわからない。何時間か水に浸かっていたようだ。昨夜はかなり雨が降り、矢田川は増水していた。
男性は持っていた運転免許証から、山下和男、三五歳と判明した。住所は名古屋市中川区春田××。遺体は司法解剖に付されることとなった。
この事件には、県警捜査一課の石崎警部の班が投入された。石崎警部の指揮の下、三浦も現場に急行した。
翌朝、美奈は新聞を読んで驚いた。社会面に昨日の矢田川での事件が報道されていた。美奈が取っているY新聞は、中部地区では夕刊を発行していない。昨夜は仕事から帰ると、インターネットでニュースを見る余裕すらなく、ベッドに入ってしまった。だから、朝刊で初めて事件を知った。
殺された男性の名前が山下和男、遺体が見つかったのが川の畔の草むらというのは、北村弘樹の『荒原の墓標』の設定そのままなのだ。新聞の記事には、名前は匿名にされていたとはいえ、某作家の作品の登場人物と同姓同名の被害者が、よく似た状況で殺害されていたため、その作家を重要参考人として事情を聴取している、と報道されていた。美奈はすぐ三浦に電話した。
「ええ、そうなんですよ。たまたま小幡署にミステリーファンの刑事がいて、そのことに気づきました。それで、昨日の捜査会議で、大騒ぎになっています。僕も今回の事件の担当になり、昨夜、北村先生に重要参考人として小幡署に来てもらいました。先生は続いてこんなことが起き、自分自身が最も驚いている、と言っています。もちろん事件への関与は否定していますが、アリバイについては口をつぐんでいるんです」
「先生は犯人じゃありません。先生には、アリバイがありますから」
「え? 美奈さん、どうしてそんなことがわかるのですか?」
美奈に北村弘樹にはアリバイがあるといわれ、三浦は不審に思った。そして、やっぱりそうだったのかと思い当たった。
「先生は、そのとき、私と一緒でした。一昨夜一〇時から、一一時半までの一時間半、オアシスに見えました。私が接待したのは、一〇時半ごろからですが、その三〇分近く前には店にお見えでした。店を出たのは、一一時半を過ぎていたので、三〇分で現場に向かい、人を殺すのは不可能だと思います。私が証人です。たぶん、先生は風俗店にいたことが言いづらいので、黙秘しているのだと思います。一時は疑われても、自分は犯人じゃないから、きっとまた前回のように真犯人が見つかり、無罪放免されると思っているんじゃないでしょうか」
美奈はそのとき北村と、以前の作品のことや、南木曽岳登山のことなど、話した内容を簡略に述べた。
「わかりました。美奈さんが証人なら、間違いないと思います。確認した上で、北村先生は釈放します」
三浦は『鳳凰殺人事件』のことを聞いたときから、北村がミクの常連客であることをうすうす感づいていた。とはいえ、美奈からはっきり言われ、複雑な気持ちだった。美奈も非常に言いづらいことではあったが、北村は事件に無関係であることがわかっていながら、放置しておくわけにはいかなかった。
「すみません。それから、言いにくいことなんですが、先生も社会的な身分がありますから、できれば風俗にみえたことは内密にお願いしたいんです。特に私は繁藤の事件で、マスコミに派手に書き立てられてしまったから、多くの人に知られています。そんな私と関係していたことがわかったら、先生がどんなスキャンダルに晒されるかわかりませんし」
美奈は気まずそうに三浦に頼んだ。
美奈のスキャンダルに関しては、警察官の一人が雑誌記者に美奈のことをリークしてしまったことが、情報が漏れた原因の一つでもあった。三浦はそのことで、警察の一員として美奈に申し訳なく思っている。
「承知しました。無関係な先生をスキャンダルに巻き込むことは、警察としても本意ではありませんから」
三浦は美奈の気持ちを汲んで、善処することを約束した。
美奈からの証言を受け、三浦は小幡署の倉田警部とともに、再度北村の聴取を行った。オアシスのミクの名前を出すと、北村は渋々一昨夜のことについて、供述を始めた。北村の話は美奈の言葉と何ら矛盾はなかった。これまでの捜査で、被害者と北村には何の接点も見いだせなかった。それで、犯人としての適合性がないと判断された。
「あの、刑事さん、僕のことをしゃべったのは、ミクさんなんですか?」 と北村は尋ねた。
「ええ。新聞で事件を知って、先生には明確なアリバイがあるから、犯人ではあり得ない、と連絡がありました。しかし、ミクさんは先生がいらぬスキャンダルに巻き込まれないように、と非常に心配していましたよ。それに警察としても、無実の人をスキャンダルから守るため、余計なことは言いませんので、どうぞご安心ください」
三浦は美奈を擁護するためにも、北村を安心させるように話した。
北村弘樹はアリバイが成立し、事件と無関係ということがわかり、小幡署では改めて捜査方針について会議が持たれた。
二件も続けて北村弘樹の小説に酷似した事件が起きたことに、釈然としないという意見もあった。北村のアリバイはまず疑いのないことだが、中には北村が殺人を依頼したのではないかという者もいた。だが、前回の徳山久美の事件では、北村と被害者、加害者とは何の接点も認められなかった。犯人の山岡も、北村の関与を否定した。山下和男に関しても、現時点では北村との関係は見いだせなかった。北村が依頼殺人を行ったということには、無理があった。
これまでも事件発生当時の目撃者探しや現場の徹底捜査等をやってきたが、当時はかなり激しく雨が降っていて、目撃者はまだ見つからない。資料なども雨で洗い流されてしまったのかもしれない。
山下和男の自宅を捜索しても、犯人に結びつくようなものは見つからなかった。近所の人たちは、山下は毎朝出勤していたので、どこかに勤めていたようだと言っていた。しかしその勤め先を具体的に知っている者がいなかった。山下は柔和で人当たりがよいという一方、何を考えているのかわからない人だという評価もあった。預金通帳にはかなり残高もあり、どういう仕事をしているのかわからないということが、不審といえば不審だった。
まずは引き続き、現場での不審者や不審車などの目撃情報の聞き込み捜査、被害者のその日の足取り捜査、被害者の交友関係の捜査を軸とすることが確認された。遺体は解剖の結果、肺や胃からは矢田川の水がほとんど検出されなかった。つまり川に投げ込まれる前に頭部への殴打により、息が絶えていたことを物語る。
今回は『幻影2 荒原の墓標』13回目を掲載します。新たな事件が起こり、物語はいよいよ連続殺人への謎を深めていきます。
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小笠原安治(おがさわらやすじ)は早朝、名古屋市守山区、千種区、東区の境界に当たる矢田川の河川敷をジョギングしている。会社を定年退職したが、老後の蓄えも十分あり、生活のために働く必要はない。家にいれば、女房に粗大ゴミ扱いされるので、毎日近所の同年配の人たちとゲートボールに興じたり、囲碁の対局を楽しんだりして余暇を過ごしている。しかし、最近体調が悪くなり、近くの病院で診てもらうと、糖尿病と宣告された。医師から適度な運動を勧められ、毎朝のジョギングを始めた。
早起きは何でもないのだが、最初は少し走り始めると、すぐに息が上がってしまい、目標の距離を走ることができず、諦めてしまった。家を出てすぐに帰ると、女房に 「せっかく高いお金を出してジョギングシューズやウェアを買ったのに、だめな人ね」 と馬鹿にされた。
いつも粗大ゴミ扱いされる女房にそう言われると、何となく悔しさが込み上げ、よし、やってやろうじゃないか、と決心に火が点くのだが、また長続きしない。
近所の友人たちに、早朝のジョギングのことを話すと、 「やっさんもジョギング始めなさったんか。わしも健康のために何とか続けようと思っても、結局三日坊主で、なかなか続かなくてな」 というような話になった。それで、ゲートボール仲間の男女四人で、一緒に励まし合って走ろう、ということになった。
やはり一人だけで走るより、仲間がいるほうが張り合いが出る。毎朝六時に矢田川河川敷の千代田橋緑地に集合して、走り始める。みんな六〇歳以上なので、無理はせず、ゆっくりしたペースで走る。
安治は今まで自宅近くの街中を走っていたが、河川敷の緑の中を走るほうが気持ちがいい。四人は最初のうちはすぐにばててしまい、ペースもばらばらになってしまった。それでも慣れるに従い、四人の息が合うようになってきた。
このところ、雨が続いていた。梅雨も末期に入ったのか、降れば大雨になることが多い。昨夜はかなり降っていたようだ。今日は久しぶりに朝から晴天なので、早朝、四人が千代田橋緑地に集まった。矢田川の水量がいつもより多かった。流れは土色に濁っていた。集まった四人は、 「久しぶりの晴天だね」などと話し合った。
「では、朝の気持ちがいい空気の中で走るとしますかな。最初は早足ぐらいのゆっくりした速さで行こう」 と安治が切り出した。雨でぬかるんだところは避けて、舗装してある道を走る。
走り出そうとしたとき、唯一の女性メンバーである芦田喜久枝(あしだきくえ)が、 「あれ? あそこにあるのは何だろうかね?」 と、川の畔(ほとり)の草むらを指さした。
「何だね、喜久さん」 と安治が尋ねた。
「ほら、あれよ。人形みたいなのが草むらに流れ着いているけど。私、なんだか怖いわ。ちょっと見てきてよ」
喜久枝は不安そうにその草むらを指し示した。単なる人形ではなく、ひょっとしたら、という思いが頭をよぎった。自分ではとても確認に行く勇気がなかった。
「やっさん、あれは」
もう一人のメンバーが恐る恐る言った。三人がためらっている中、安治は気を奮い立たせて、その“物体”の方に進んでいった。そして、それを確認して大声をあげた。
七月七日早朝、名古屋市守山区と東区の境界をなす矢田川の河川敷で、男性が死んでいるとの通報を受け、小幡署の署員が駆けつけた。現場近くの守山自衛隊前交番から、外勤巡査が先に来ていて、現場を保存していた。発見者は小笠原安治始め、四人のジョギング仲間だ。
被害者は三〇代の男性。死因は後頭部を鈍器のようなもので殴打され、それが致命傷となっていた。遺体に抵抗の跡がないので、いきなり背後から襲われたのかもしれない。死亡推定時刻は前夜一〇時から一二時ごろと思われる。
その場で殺されたのか、上流から流れてきたのか、それとも他の場所で殺され、ここに運ばれてきたのかは、現時点ではわからない。何時間か水に浸かっていたようだ。昨夜はかなり雨が降り、矢田川は増水していた。
男性は持っていた運転免許証から、山下和男、三五歳と判明した。住所は名古屋市中川区春田××。遺体は司法解剖に付されることとなった。
この事件には、県警捜査一課の石崎警部の班が投入された。石崎警部の指揮の下、三浦も現場に急行した。
翌朝、美奈は新聞を読んで驚いた。社会面に昨日の矢田川での事件が報道されていた。美奈が取っているY新聞は、中部地区では夕刊を発行していない。昨夜は仕事から帰ると、インターネットでニュースを見る余裕すらなく、ベッドに入ってしまった。だから、朝刊で初めて事件を知った。
殺された男性の名前が山下和男、遺体が見つかったのが川の畔の草むらというのは、北村弘樹の『荒原の墓標』の設定そのままなのだ。新聞の記事には、名前は匿名にされていたとはいえ、某作家の作品の登場人物と同姓同名の被害者が、よく似た状況で殺害されていたため、その作家を重要参考人として事情を聴取している、と報道されていた。美奈はすぐ三浦に電話した。
「ええ、そうなんですよ。たまたま小幡署にミステリーファンの刑事がいて、そのことに気づきました。それで、昨日の捜査会議で、大騒ぎになっています。僕も今回の事件の担当になり、昨夜、北村先生に重要参考人として小幡署に来てもらいました。先生は続いてこんなことが起き、自分自身が最も驚いている、と言っています。もちろん事件への関与は否定していますが、アリバイについては口をつぐんでいるんです」
「先生は犯人じゃありません。先生には、アリバイがありますから」
「え? 美奈さん、どうしてそんなことがわかるのですか?」
美奈に北村弘樹にはアリバイがあるといわれ、三浦は不審に思った。そして、やっぱりそうだったのかと思い当たった。
「先生は、そのとき、私と一緒でした。一昨夜一〇時から、一一時半までの一時間半、オアシスに見えました。私が接待したのは、一〇時半ごろからですが、その三〇分近く前には店にお見えでした。店を出たのは、一一時半を過ぎていたので、三〇分で現場に向かい、人を殺すのは不可能だと思います。私が証人です。たぶん、先生は風俗店にいたことが言いづらいので、黙秘しているのだと思います。一時は疑われても、自分は犯人じゃないから、きっとまた前回のように真犯人が見つかり、無罪放免されると思っているんじゃないでしょうか」
美奈はそのとき北村と、以前の作品のことや、南木曽岳登山のことなど、話した内容を簡略に述べた。
「わかりました。美奈さんが証人なら、間違いないと思います。確認した上で、北村先生は釈放します」
三浦は『鳳凰殺人事件』のことを聞いたときから、北村がミクの常連客であることをうすうす感づいていた。とはいえ、美奈からはっきり言われ、複雑な気持ちだった。美奈も非常に言いづらいことではあったが、北村は事件に無関係であることがわかっていながら、放置しておくわけにはいかなかった。
「すみません。それから、言いにくいことなんですが、先生も社会的な身分がありますから、できれば風俗にみえたことは内密にお願いしたいんです。特に私は繁藤の事件で、マスコミに派手に書き立てられてしまったから、多くの人に知られています。そんな私と関係していたことがわかったら、先生がどんなスキャンダルに晒されるかわかりませんし」
美奈は気まずそうに三浦に頼んだ。
美奈のスキャンダルに関しては、警察官の一人が雑誌記者に美奈のことをリークしてしまったことが、情報が漏れた原因の一つでもあった。三浦はそのことで、警察の一員として美奈に申し訳なく思っている。
「承知しました。無関係な先生をスキャンダルに巻き込むことは、警察としても本意ではありませんから」
三浦は美奈の気持ちを汲んで、善処することを約束した。
美奈からの証言を受け、三浦は小幡署の倉田警部とともに、再度北村の聴取を行った。オアシスのミクの名前を出すと、北村は渋々一昨夜のことについて、供述を始めた。北村の話は美奈の言葉と何ら矛盾はなかった。これまでの捜査で、被害者と北村には何の接点も見いだせなかった。それで、犯人としての適合性がないと判断された。
「あの、刑事さん、僕のことをしゃべったのは、ミクさんなんですか?」 と北村は尋ねた。
「ええ。新聞で事件を知って、先生には明確なアリバイがあるから、犯人ではあり得ない、と連絡がありました。しかし、ミクさんは先生がいらぬスキャンダルに巻き込まれないように、と非常に心配していましたよ。それに警察としても、無実の人をスキャンダルから守るため、余計なことは言いませんので、どうぞご安心ください」
三浦は美奈を擁護するためにも、北村を安心させるように話した。
北村弘樹はアリバイが成立し、事件と無関係ということがわかり、小幡署では改めて捜査方針について会議が持たれた。
二件も続けて北村弘樹の小説に酷似した事件が起きたことに、釈然としないという意見もあった。北村のアリバイはまず疑いのないことだが、中には北村が殺人を依頼したのではないかという者もいた。だが、前回の徳山久美の事件では、北村と被害者、加害者とは何の接点も認められなかった。犯人の山岡も、北村の関与を否定した。山下和男に関しても、現時点では北村との関係は見いだせなかった。北村が依頼殺人を行ったということには、無理があった。
これまでも事件発生当時の目撃者探しや現場の徹底捜査等をやってきたが、当時はかなり激しく雨が降っていて、目撃者はまだ見つからない。資料なども雨で洗い流されてしまったのかもしれない。
山下和男の自宅を捜索しても、犯人に結びつくようなものは見つからなかった。近所の人たちは、山下は毎朝出勤していたので、どこかに勤めていたようだと言っていた。しかしその勤め先を具体的に知っている者がいなかった。山下は柔和で人当たりがよいという一方、何を考えているのかわからない人だという評価もあった。預金通帳にはかなり残高もあり、どういう仕事をしているのかわからないということが、不審といえば不審だった。
まずは引き続き、現場での不審者や不審車などの目撃情報の聞き込み捜査、被害者のその日の足取り捜査、被害者の交友関係の捜査を軸とすることが確認された。遺体は解剖の結果、肺や胃からは矢田川の水がほとんど検出されなかった。つまり川に投げ込まれる前に頭部への殴打により、息が絶えていたことを物語る。