goo blog サービス終了のお知らせ 

売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

パソコン起動しました

2012-08-10 18:38:08 | 小説
 パソコン、3日ぶりに起動しました。動いたといっても、一時的なことで、またすぐ起動しなくなると思います。前のパソコンもそうでした。基本的には、もう安心しては使えません。いつだめになるか、予想がつきません。ただ、動くうちに、必要なデータだけはバックアップしておこうと思います。重要なデータは、すでにDVDなどに保存してありますが。

 明日から天気が下り坂になるというので、弥勒山などに行きました。最近、年のせいか、以前は短いと思っていた道が、長く感じられるようになりました。弥勒山を内津峠側に下り、すぐのところから、林道に出る道があります。以前は、その道は短く感じましたが、最近はこんなに長い道だったかな、と思うようになりました。

 子供のころ、当時住んでいた家の前の路地が非常に長く感じられましたが、成長してから、こんなに短い道だったのかと思ったことがありました。今はその逆です。

 今回は『幻影』第11章を掲載します。



             11

 加藤は美奈の常連客となった。月に二度は美奈を訪れる。しかし、その後千尋の霊は現れなかった。それで、千尋の死に加藤が関係しているという疑いは、徐々に薄れていった。それに比例して、美奈の加藤への傾倒が大きくなっていった。
 店は客との恋愛を禁じている。美奈もプロのコンパニオンとしての自覚を持ち、仕事は仕事として割り切っていた。だが、なぜか加藤には美奈の堅固なプロ意識でも抵抗できない何かを感じた。魅力というのでもない。加藤より、ずっと魅力がある顧客は何人もいた。セックスパートナーとして、さらに相性がいい男性もいた。にも関わらず、加藤だけに惹かれていった。

 何度目かの来店のとき、加藤は、「ミクちゃん、君はいつまでもこの仕事を続けるつもりか?」と美奈に尋ねた。客からこの種の質問をされたのは初めてだった。
「いつまでも、ということはないですけど。身体もきついし、いつかは辞めて、自分をもっと大切にできる生活を始めたいと思っています。ただ……」
「ただ、なに?」
「こんな全身にいれずみしちゃって、堅気としての生活ができるかどうか。もちろん好きでしたことだから、いれずみしたことは後悔してないけど」
 美奈はつい本音を漏らした。
「よかったら、僕と結婚してくれないか? 僕はうだつが上がらない、しがない公務員だけど、ミクちゃんを平凡な主婦として、幸せにしてあげることぐらいはできると思う」
「加藤さん、公務員なの?」
「ああ、市の行政職員として、市役所に勤めている」
「でも、公務員って、綱紀が厳しいんでしょう? こんな私でもいいの?」
「もちろんさ。僕はミクちゃんの人柄が好きなんだ。こんな商売、あ、ごめんなさい。差別する気はないんだけど、夜の仕事をしている割りには、純情で優しくて。僕はまだそう何度もミクちゃんと会ったわけではないけど、そのぐらいはわかるよ」
「でも私、まだ二〇歳だし、すぐに結婚しようというつもりはないです」
「今すぐにとは言わない。しばらくは恋人として付き合えばいい。当分はこの仕事を続けてくれてもかまわない。でも、これからは店でだけでなく、個人的にも会ってくれないか?」
「でも、お店ではお客さんと店以外のところで付き合うことは、禁じられています」
「君は堅いな。ならば僕はもう店には来ない。店に来なければ、客ではないだろう。それなら、恋人として、大手を振って会えるじゃないか」
「少し考えさせてください」
「ああ、いいですよ。後で僕の電話番号、教えるから、決心ついたら、電話してください。でも、僕を失望させないでくださいよ。これっきりもう連絡なしだなんて。あ、そうそう、僕、加藤と名乗っていたけど、本当の名前は安藤なんだ。安藤茂。普通の安藤に、しげるはくさかんむりの茂。ミクちゃんの本名もよかったら教えてくれないか?」
 美奈は加藤の本名をこのとき知った。そして、美奈も本名を明かした。これまで店の中で、本名を聞いてきた客はいなかった。客はいっときのアバンチュールとして楽しんでいるから、コンパニオンに本名を訊こうとはしなかった。彼らには、ミクちゃんで十分だったのだ。もちろん客が本名など、明かすはずもない。中にはあまり遊び慣れていない人が、つい本名を名乗ってしまうことはあっても、素性を明かすことはしなかった。また、美奈の方からも決して訊かなかった。
 美奈は初めて安藤に唇を許した。これまでプロのコンパニオンとして、セックスはしても、唇だけは許さなかった。身体は許しても、心は許さなかった。
 待機室に戻ると、休憩中だったケイが、「あら、ミク、ご機嫌そうね。さっきのお客さんと何かいいことあったの?」と訊いた。
「え、いえ、別に何も……」
「隠したってだめよ。ミク、すぐ顔に出ちゃうんだから。よっぽどいい思いできたのね。相性ばっちりだったり」
「いやだぁ、ケイさんったら、エッチ」
 ミクは顔を赤らめて、五歳年上の気のいい先輩のお尻を軽くはたいた。
 美奈は気分がよかった。安藤の言葉に酔っていた。本当に結婚してくれるのかしら。結婚なんてことは、つい数十分前までは、まったく頭になかった。全身にいれずみをした風俗業の女が、堅気の男性と結婚できるとは考えていなかった。
 安藤は本気で言ったのだろうか。ただからかっているだけではないのか?
 あまりのぼせていると、あれは冗談だよ、と言われたとき、大きく落ち込んでしまう。まだ仕事中なのだし、気を引き締めていかなければ、と美奈は自分を戒めた。

 仕事を上がってから、「ねえ、ちょっと飲みに行かない?」とケイが仲のいいミドリ、ルミと美奈に声をかけた。
 名古屋駅の近くに、午前三時まで営業しているバーがある。ときどきケイたちは仕事が終わってから、そこに飲みに行く。美奈もあまり飲めなくても、みんなと話す雰囲気が好きで、よく一緒について行く。最近は勤務終了後、四人で終夜営業のファミレスに行くことも多くなってきた。
「今日はミクにいいことがあったみたいだから、何があったのか、白状させないと」
「そんなことじゃないんですぅ」
「はは、赤くなってる。ミクは隠し事しても、すぐ顔に出るからだめだよ」とルミが言った。
 四人はタクシーで名古屋駅前の馴染みのバーに向かった。まだ一時過ぎだから、二時間近くは話ができる。
 四人は席に案内された。美奈は甘い酒が好きなので、いつもフルーツ果汁入りの酎ハイなどを頼む。ビールは苦みが合わなかった。他の三人も思い思いの酒を注文した。
「さて、今日は何があったの?」とさっそくケイが話を切り出した。
「相性抜群のお客さんと、天国に行っちゃったとか?」と言って、ミドリはアハハと笑った。四人のうちではミドリが最年長で二七歳だった。ケイは二五歳、ルミは二二歳だ。二〇歳の美奈はいちばん年下である。
 面長で一七〇センチを超える長身のケイに対し、ミドリは丸顔で、肉付きのいい体格をしていた。ルミは美奈と同じように、小柄だった。ルミのほうが少し背が高い。
 美奈はオアシスでは、この三人の先輩と特に仲がいい。入店後一年半足らずでトップクラスの指名数を得られるようになったミクは、先輩のコンパニオンたちに妬まれることも多かった。背中に騎龍観音のいれずみを入れてから、陰で「メガネ観音」と蔑まれて呼ばれることもあった。
 その中でも、この三人はミクをかわいがってくれた。初めての出勤の日、最初に会ったマキとも仲がよかったが、マキは半年ほど前に店を辞めていた。
 三人の先輩にいろいろ問い詰められ、とうとう美奈は、お客さんから結婚してくれないか、と言われたことを白状した。酒にも酔ってきた。
「ああ、やっぱりね。そんなことかと思ったわ」
「でも、そんな話、真に受けちゃあ、だめ」
「あんた、からかわれてんのよ。下手に引っかかると、もてあそばれて、さんざん貢がされて、それでポイ、よ。ソープレディーはお金を貯めてる、と思われてるから」
「お客さんとは、絶対にだめとは言わないけど、よく考えなきゃだめだよ。やっぱり、恋愛相手は、商売とは関係ないところで探したほうがいいよ」
 みんなは口々に言った。
「ミドリったら、郷里の静岡に熱々の彼氏がいるのよ。知ってた? その人も仕事と関係ないところで見つけたんだから」とケイがすっぱ抜いた。
「そんなこと、ここで出さないでよ」
 ミドリがちょっと顔を赤らめた。
「とにかく何かあったら、私たちに絶対相談してね。ミクはこの業界に入って、まだ一年半も経ってないんだから、怖さが十分わかってないのよ。全身にいれずみがあるから、結婚は難しいかな、なんてミク、よく言っているけど、それで甘い結婚という言葉についふらふら、と来ちゃったんじゃない?」と経験がいちばん長いミドリが助言した。オアシスではケイもミドリとほぼ同期だが、ミドリには以前に、他店で働いていた経験があった。
「ありがとうございます。そうですよね。まだ五回しか会ったことがないお客さんなのだし、どういう人かわからないのに、のぼせちゃった私が馬鹿でした。しっかりしなきゃ」
「そうそう、しっかりしなきゃね。本当に、この業界のことは私たちのほうがよく知っているんだから、やばそうなことがあったら、絶対言ってね。それから、店長にはこんなこと言えないけど、玲奈さんなら信頼できる人だから、私たちでは手に負えないときは、玲奈さんに相談するのがいいよ」
 ケイのその言葉が結論となり、この話題はそれまでとなった。後は酒をすすり、軽い食事をしながら、閉店まで取り留めのない話になった。

 バーを出た後、四人は二四時間営業の喫茶店に行った。七月の夜明けは早かった。梅雨の真っ最中の時季だが、この日は晴れていた。美奈も飲酒したので、車の運転ができず、中央本線の始発の時間まで待って、電車で帰ることにした。車は店の近くに借りている駐車場に置いておけばよい。

 自宅に戻った美奈は、ざっとシャワーを浴びてから、すぐ布団に潜った。そのまま昼近くまで眠っていた。起きてから、またシャワーを浴びた。少し頭がふらふらした。二日酔いかしら。私もすっかりオヤジギャルしているな、と古い言葉で自嘲した。
 その日は日曜日で、もうしばらくしたら出勤しなければならない。美奈は平日は火曜日、木曜日に出勤している。土日は続けて勤務だった。隔週で金曜日にも出勤しているので、そうなると四日連続の勤務となる。
 昨夜は車を店の近くの駐車場に置いてきてしまったので、今日は電車で通勤する必要があった。出勤する頃には、雨が降り出していた。

 その夜だった。久しぶりに千尋の霊が現れた。今度も何も言わず、悲しそうな顔をして、ときどきだめだめ、と言うように首を振っていた。
 千尋の霊に対する恐怖感はまったくなかったが、いったい千尋は何を訴えたいのだろうか、わからなかった。自動車事故から助けてくれたときは、はっきりと「危ないからスピードを落としなさい」と頭に響くように言ったのだ。これはテレパシーというものかもしれないけれど、千尋は何もしゃべれないわけではないはずだ。
「もし何か伝えたいことがあれば、言ってください」と美奈は頭の中で話しかけたが、千尋はただ悲しそうな顔でときどき首を横に振るだけだった。しかし、目は明らかに何かを訴えたがっていた。
 しばらくして、千尋は消えた。
 ひょっとして安藤と何か関係があるのだろうか。安藤から結婚の話をされたのは一昨日だった。だが昨夜は四人で飲みに行き、眠っていないので、今夜何かを告げたくて現れたのかもしれない。安藤が付き合っていた赤いバラのタトゥーの女性とは、やはり千尋のことなのだろうか。私に以前の恋人だった安藤さんと付き合わないでほしい、と言っているのだろうか、と美奈は考えた。