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売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『幻影2 荒原の墓標』第36回

2014-09-20 14:30:13 | 小説
 最近は日没が早くなり、いよいよ秋だな、という感じになりました。日中はまだ暑いのですが、朝晩はめっきり涼しくなりました。
 私も1日の気温の較差が大きいせいか、風邪を引いてしまい、時々咳が出ます。
 季節の変わり目は体調を崩しやすいので、気をつけなければと思います。

 今回『幻影2 荒原の墓標』はいよいよクライマックスです。


            7

 事件はこれですべて終わった。誰もがそう思った。しかしそうではなかった。真の恐怖はこれから始まろうとしていた。
 鳥居は捜査本部の倉田警部に、パトカーの警察電話で、武内の身柄を拘束したと連絡をした。
「それじゃあ、行こまいか」
 鳥居が覆面パトカーのドアを開け、武内に乗るように促した。鳥居は帰りに北勢署に挨拶に寄るつもりだ。捜査本部の倉田と柳が北勢署まで迎えに来ることになっている。
 そのとき、千尋が 「美奈さん、気をつけてください。邪悪な霊が近づいています。それも三体も」 と警告をした。
 千尋の警告を受け、美奈は三浦たちに、 「邪悪な霊が近づいているそうです。注意してください」 と大声で伝えた。
 すると、今までおとなしくしていた武内が、急に暴れ出し、鳥居を突き飛ばした。鳥居は不意を突かれ、転倒した。
 武内は裕子を後ろからがっちりとつかまえ、のど元にポケットから取り出したシャープペンシルの先端を当てた。三浦は武内に飛びかかろうとした。
「おとなしくしろ、シャーペンとはいえ、こいつの喉を突き破るのはたやすいことだ」
 武内は三浦を牽制した。
「何するの? やめて、お兄さん」
「俺は秋田ではない。佐藤だ。そして、大岩、山下もここにいる」
「何だと? 佐藤、大岩、山下だと?」
 立ち上がった鳥居が、三人の名前を聞いて、叫んだ。
「そうだ。秋田に殺された佐藤だ。怨霊に殺され、俺たちは死んでも死にきれず、この世に戻ってきた。秋田は死んでいて、もう殺すことができないので、代わりにこの娘をなぶり殺しにしてやる」
 美奈には、武内の身体から追い出された秋田の霊が、 「よせ、ゆうを放せ」 と武内に飛びかかるのが見えた。しかし、山下、大岩と思われる二体の霊に、はじき飛ばされた。そして強力な怨念の念力により、動けなくされてしまった。千尋も金縛りにされてしまったようだ。
「おい、女、きさまが持っている車のキーをよこせ」
 武内が美奈に迫った。裕子を人質に取られているので、やむなく美奈はパッソの電子カードキーを手渡した。
 武内はパッソに裕子とともに乗り込んだ。そして美奈も後ろに乗るように命令した。武内はパッソを発進した。パッソは国道を東の方向に進んだ。三浦と鳥居は覆面パトカーで後を追った。北村を危険に巻き込むといけないので、北村の了承を得た上で、その場に残してきた。北村は登山のベテランなので、その場に残しても、特に問題はないと思われた。
「この道は以前、御池岳からの下山のときに歩いたことがあるから、わかります。西藤原まで、僕の足なら一時間もかからずに歩けますから、暗くなるまでに、駅に着けますよ。三岐鉄道の電車で帰ります」
 北村は三浦たちを安心させた。天気は安定しており、夕立の恐れもなさそうだった。

「いいか、妙な真似しやがったら、車ごと大事故を起こしてやる。それでも秋田の妹を殺すという目的は達成できるんでな。武内がどうなろうと、俺たちの知ったことじゃねえ。これは脅しじゃない。俺たちは霊体なので、事故に遭おうと、関係ないからな」
 佐藤に操られている武内が、運転しながら後ろの席にいる美奈に釘を刺した。
 鳥居は警察電話で、女性二人が人質として武内に連れ去られ、パッソで逃走中、ということを捜査本部に連絡した。倉田は北勢署に連絡し、すぐに手配してもらうと返答した。
「くそ! 殺された佐藤、大岩、山下の霊だと!? いったいどうなっとるんだ。こんな幽霊だらけの事件なんか、俺の三〇年の刑事生活で、初めてだがや」
 鳥居はかなり困惑していた。これは現実なのか? 武内か秋田が芝居しているのではないのか? 三〇年の刑事生活とはいっても、鳥居は数年間交通機動隊で暴走族などの取り締まりをしていた。
 パッソは非力なコンパクトカーとは思えないほどの猛スピードを出した。三浦は覆面パトカーに赤色灯を付け、サイレンを鳴らしてパッソを追った。しかし、特別仕様のスカイラインをベースとしたパトカーでも、パッソに追いつけない。目いっぱい飛ばせば追いつけないことはないが、一般道でそんな危険な行為はできなかった。
「おい、トシ、おみゃーさんの彼女のパッソ、違法なエンジンチューンしたるんじゃないだろうな?」
 パッソのあまりのスピードに驚いた鳥居が三浦に尋ねた。
「いや、そんなことはありえませんよ。ひょっとしたら、霊の超能力のようなものかもしれませんね」
 美奈は交通の流れを妨げない程度のスピードは出しても、決して無茶な運転をしない。そのことをよく知っている三浦は、美奈が車をチューンアップしているはずがないと思った。
 美奈もパッソが一般道で一五〇キロ近いスピードを出していることに驚いた。そんなスピードがそう簡単に出るはずがない。しかもエンジン音はそれほどうるさくなかった。無理なスピードを出そうとすれば、エンジンがうなるような音を出すはずだ。これはひょっとしたら、霊たちの念力のようなものの作用なのだろうかと考えた。美奈はパッソの守護霊となっている多恵子に、どうか私たちをお守りください、と祈った。
 武内は非常線が張られていることを予見し、捕まる前に藤原岳登山口でもある聖宝寺(しようほうじ)の近くにパッソを停めた。そして、二人に 「出ろ」 と命じた。武内は二人を藤原岳登山道に連れて行った。美奈は 「今しょうほうじ」 と、素早く三浦に今いる場所をメールした。漢字変換する余裕がなかった。
「どこに行くんです?」 と美奈が訊いた。もう暗くなりつつある。ヘッドランプもない状態で登山道を行くのは無謀だ。
「これからおまえたちの死に場所に向かう。秋田が好きな鈴鹿の山をおまえたちの墓場にしてやろう。これもせめてもの思いやりだと思え」
 武内はそう言いながらほくそ笑んだ。裕子ががっちりとらえられ、のど元に鋭いシャープペンシルの先端を突きつけられているので、美奈は何もできなかった。三浦たちも追いかけてきてくれるとはいえ、相手が怨念霊だけに、状況は最悪だと思った。千尋でさえ、三体の悪霊が相手では、歯が立たないようだ。
「美奈さん、ごめんなさい。私たち兄妹(きようだい)の問題なのに、美奈さんまで巻き込んでしまって」
 裕子は泣きながら美奈に詫びた。
「何言ってるのよ。気にしないで。私たち、親友でしょう。それにまだ希望を失ってはいけないわ。頑張るのよ」
 美奈は強い口調で裕子を励ました。
 武内はどんどん登山道を先に進んでいく。薄暗くなり、視力が弱い美奈は足下がよく見えない。ときどき石や木の根などに躓き、バランスを崩した。もう遅い時間なので、登山者には出会わなかった。
 途中で長命水という小さな滝があった。登山者の多くがここで飲み水を補給する。
「裕子さん、ここで少し水を飲んでおいたほうがいいですよ。まさかこんなことになるとは思わなかったので、飲み水を用意していなかったから。この先、もう水はないの」
 美奈は裕子に勧めた。
「何をやっている。早くしろ」
 武内は二人を急かした。
「あなたも水を飲んでおいたほうがいいわ。武内さんは生身の人間ですからね。肉体の方が脱水状態になれば、あなたも困るでしょう」
 美奈は武内に憑依している、佐藤の霊に言い聞かせた。
 実際は武内の身体(からだ)が脱水状態で動けなくなるほうが好都合なのだが、美奈としては、事件に無関係の武内を危険にさらすことをしたくなかった。
「暗くなっているから、足元に気をつけて。岩が滑るといけないから」
 美奈は両手で掬って水を飲むとき、裕子に注意した。
「冷たくておいしい」
 裕子はちょうど喉が渇いていたので、おいしそうに水を飲んだ。美奈も続いて飲んだ。武内もやむなく水分を補給した。武内が水を飲んでいる隙に、美奈は素早く三浦に携帯電話で、 「今藤原岳登山道で、長命水のところです。山に向かいます」 とメールを打った。
 三浦と鳥居は聖宝寺の近くに美奈のパッソが停めてあるのを見つけた。美奈からメールを受けた三浦は、捜査本部に 「武内は聖宝寺から藤原岳に向かう模様」 と連絡し、そのあとを追った。
 北勢署の応援が四人やってきて、三浦たちと合流した。鳥居は手際よく状況を説明した。ただ、悪霊のことを話せば、混乱を招きそうなので、そのことは敢えて省略した。武内は犯行を自白し、出頭するつもりであったのが、拘束直前になり、人質を取って逃走したことにした。二人の人質については、逃亡生活に疲れた武内が、たまたま出会ったその二人の女性に説得され、出頭を決意したのだが、拘束直前になって、翻意したと説明した。真相は武内を拘束し、二人の人質を保護した後に、改めて説明すればいい。
「加茂署の事件の容疑者、武内雅俊が、女性二名を人質に取り、藤原岳の登山道を登っていったということですね」
 北勢署の刑事、坂部が要約して反芻した。
「もう暗くなってきましたが、今日は満月です。武内は月明かりで行動するかもしれません。我々も少しずつ進みましょう。ただ、ライトをつければ、武内に我々の行動がわかってしまい、刺激するといけないので、月明かりで慎重に行動しましょう」
 三浦が提案をした。今夜はちょうど満月でほんのりと明るい。

 佐藤に意識を乗っ取られた武内は、わずかな月明かりを頼りに、登山道を進んだ。いくら霊が憑依していても、佐藤も大岩も山下も、登山の経験がなく、武内の肉体はあまり速くは歩けなかった。それに裕子もいる。
 乱暴者の佐藤は、 「どうせ殺すのなら、早いところやってしまおう」 と意見したが、大岩が 「明るくなってから、山の上で刑事たちに惨劇を見せてやろう」 と反論した。
「刑事の一人はこの美奈とかいう女の恋人のようだから、そいつの目の前で崖から突き落としてやるのもおもしろい」 と大岩は提案した。山下もそれに賛成した。
 美奈は悪霊たちが相談している声を聞くことができた。千尋が守護霊となり、いつの間にかこんな能力が身についたのかしらと美奈は考えた。ただ、常時霊が見えたりするわけではなく、必要に応じて霊の存在を感じられるようだ。やはりいくら寺の娘でも、常時霊が見えるのでは、たまらない。
 とりあえず明るくなるまでは大丈夫だ。その間に何とかできるのではないか。きっと千尋さんも手を貸してくれる。美奈はそう前向きに考えることにした。怯える裕子には、 「絶対大丈夫だから、心配しないで。私には守護霊の千尋さんがついているのだから。それにお兄さんも護ってくれますよ」 と勇気づけた。
「そうですね。きっと兄が護ってくれますよね」
 裕子も兄が護ってくれると信じることにして、笑顔を見せた。作り笑いではあったが、笑顔を作ることにより、気分が少し楽になった。
「お兄さん、どうかゆうを護ってください」
裕子は心の中で兄に祈った。
 美奈は裕子を連れて逃げようかとも思ったが、相手は怨念霊だ。美奈一人ならまだしも、裕子を連れてでは、とても逃げ切れない。捕まった場合、どんな仕打ちをされるかわからないので、焦ってうかつな行動はしないほうがいいと考え直し、チャンスを待つことにした。
 三人は月明かりを頼りに、少しずつ登山道を進んでいった。満月といっても、杉の樹林が覆う登山道では、月明かりはわずかしか地面に届かない。登山経験が豊富な美奈も、ヘッドランプなしで夜の登山道を歩くのは、初めての体験だった。日の出前のまだ真っ暗なうちから行動したことは何度もあるが、そのときはヘッドランプを使用していた。相手は肉体を持っていない霊体なので、遭難などを懸念することはなかった。憑依している武内の肉体がたとえどうなろうと、どうでもよかった。自殺志願者以上に無謀だった。
 明るいときなら、美奈は聖宝寺から藤原岳の山荘まで、二時間ほどで登ってしまう。しかしこのときは、暗くて十分道が見えないので、何倍もの時間がかかった。靴もトレッキングシューズではなく、一般のスニーカーだ。それに、昼食を食べてから、軽くスナック菓子をつまんだだけなので、空腹だった。登山に慣れていない裕子は、美奈以上に疲労がたまっている。まだ九月上旬で、寒さがないことだけはよかった。登山道を外さないよう十分注意し、ときどき武内に、そちらじゃありません、と指摘した。

 美奈たちはのろのろと登山道を進んでいった。裕子が辛そうなので、美奈はときどき休憩を要請した。最初のうちは要請に応じた武内も、 「いい加減にしろ。どうせおまえたちは死ぬんだから、休憩など必要ない。とっとと歩け。俺たちにとっては、おまえらがのたれ死にしても、いっこうにかまわないんだ」と命じた。
「あなたは平気でも、武内さんの肉体の方が辛そうですよ。武内さんが歩けなくなったら、あなたたち霊だって困るでしょう。まあ、そうなれば私は裕子さんを負ぶって逃げますから、そのほうがかえって好都合ですが」
 美奈は空腹で、とても裕子を背負って逃げる体力などなかったが、はったりをかけた。武内に憑依している佐藤は、やむなく武内の肉体を休ませた。
 六時間以上かけて藤原山荘に着いたころには、裕子は精も根も尽き果てていた。携帯電話の時刻表示を見ると、すでに日付が変わっていた。三浦から 「すぐ後ろを追っているから、がんばれ」 とメールが届いていた。霊たちを刺激しないよう、着信音はオフにしてある。美奈はこっそりと、 「今藤原山荘に着きました」 とメールを送った。
 美奈も空腹で歩くのが精一杯だった。何か口に入れたかった。こんな状態で、しかも夜間の暗い中、無謀な登山をして、よく無事にここまで来られたと思った。暗い道を歩いたため、何度も転倒し、美奈も裕子も傷だらけ、泥だらけだ。長命水の水場以来、水も口にしていない。石灰岩でできている藤原岳は、水が乏しかった。これが普通の登山なら、どんなに楽しいことだろう。できるものなら、小屋の中で少し休みたかった。藤原山荘は無人の避難小屋とはいえ、大きく立派な山荘だ。
 屈強な武内の肉体ももう疲労困憊なのか、思うように動かないようだった。佐藤は 「くそ、人間の身体は不便だ」 と悪態をついた。不便だといいながら、未浄化な霊たちは、また人間の肉体に戻ることを切望している。死によって肉体を失った霊は、人間界に帰りたくてたまらないのだ。だから霊波というか、波長が合う人間を見つけると、すぐさま憑依しようとする。かつての千尋も、霊界の暗闇の中で美奈を見いだして、美奈にすがったのだった。
「しょうがない。朝までこの小屋で休むとするか。だが、逃げようとするなよ。こいつの肉体は眠っても、俺たちは起きているからな。逃げようとすれば、すぐさまおまえたちを殺す」
 武内を操っている佐藤の霊が美奈と裕子に告げた。そう言って、武内はごろりと横になった。
 美奈と裕子はとりあえず体力を回復させるため、壁際のベンチの上に横になった。窓から月の光が差し込み、小屋の中はおぼろげに見えた。空腹と喉の渇きでなかなか寝付けなかった。山荘の標高は一〇〇〇メートルを超えているので、夜はさすがに冷えてきた。美奈と裕子は身体を寄せ合った。

 そのころ、三浦たちはもう藤原山荘の近くまで来ていた。先ほど美奈から、武内は山荘で寝ているとメールが届いた。
 六人の刑事はそっと山荘に近寄った。窓から覗くと、月明かりで、誰かが横になっているのが見えた。体つきが大きいので、武内と思われた。
 三浦が軽く窓ガラスをとんとんと叩くと、美奈がその音に気づいた。窓の外を見ると、三浦が立っていた。三浦の姿を見て、美奈は目に涙があふれた。美奈はうとうとしていた裕子を起こし、 「警察の人が来てくれたわ。さあ、逃げるのよ」 と小声で言った。
 すると今まで眠っていた武内が起き上がった。
「逃げても無駄だと言っただろう。俺たちにはすべてお見通しだ。外にデカどもがいることもな。幸い今夜は月夜で明るい。月の下で、派手に殺人ショーだ。おまえの兄貴にも、おまえの身体を切り刻むところをたっぷり見せてやる」
 武内は登山ナイフを振りかざした。登山者が忘れていったナイフのようだった。少し眠ったため、肉体の疲労は回復していた。武内は裕子に躍りかかった。裕子は恐怖で立ちすくんだ。そのとき、美奈は渾身の力を込めて、武内に頭から体当たりをした。美奈の不意打ちに、武内はもんどり打って倒れた。
「やりやがったな、このアマ!」
 武内はすぐに立ち上がった。美奈はさっきの体当たりの際、左の前腕部にナイフで軽い切り傷を負った。パープルのメガネもぶつかった衝撃で、どこかに落としてしまった。
 六人の刑事が一斉に小屋の中に飛び込み、武内を取り押さえようとした。だが、六人すべてが弾き飛ばされてしまった。三浦も鳥居も、山荘の壁に身体を打ちつけた。
「三浦さん!」
 美奈は悲鳴をあげた。
「何だ、こいつは。まだ武内に触れてもいないのに、どうなっとるんだ?」
 鳥居が訳がわからん、と呟いた。
「無駄無駄無駄。てめえらは俺の身体に指一本触れることはできん。これから恐怖の殺人ショーをおまえたちにも見せてやる」
 武内は怯える裕子を小屋の外に引きずり出した。外は満月で、かなり明るかった。小屋のあたりは樹木が少なく、満月の光がふんだんに注いでいた。美奈と刑事たちも武内を追って、山荘の外に出た。
「やめて、お願い。助けて、武内さん。あなたはそれほど悪い人ではないはずよ」
 裕子は悲痛な思いで、武内の心に呼びかけた。
「何度も言っとるだろう。俺は武内ではない。俺はおまえの兄貴に殺された佐藤だ。そして大岩と山下もここにいる。俺たちもおまえと同じように命乞いをしたが、聞き入れられずに殺された。俺たちはおまえの兄貴がしたことと同じことを、おまえにしてやる」
 怨念霊たちは、自分たちが秋田にしたことを忘れ、勝手な主張をした。
 それを聞いていた、事実を知らない北勢署の刑事たちが、不審に思った。武内の真後ろにいた北勢署の坂部が飛びかかった。しかし、武内に触れることもできず、弾き飛ばされた。坂部は吹き飛ばされて背中を強打し、激痛で動けなくなった。他の刑事も何とか武内を止めようとしたが、金縛りにあったかのように、身体の自由がきかなかった。
「くそ、あいつめ、なんか超能力でも使いやがったのか?」
 柔道で鍛えた精神力で、金縛りを打ち破ろうとした鳥居だが、どうしても身体が動かなかった。
「すまない、美奈さん。この僕がいながら、何もできないとは」
 三浦も無念そうに美奈に詫びた。
「まず、このかわいい目玉をくり貫いてやろう」
 武内はナイフをかざして、裕子の目をめがけ、振り下ろした。
「いやー、助けて、お兄さん」
 裕子は兄に助けを求めた。美奈も千尋に祈った。
 ナイフが裕子の目を貫こうとする寸前、秋田宏明と千尋が、武内の背後にいる佐藤の霊に飛びかかるところが美奈には見えた。そして武内はすんでのところで、ナイフを手放した。裕子にも兄が助けてくれたのが見えた。いや、目を閉じていたので見えるはずもないが、心でその情景をはっきりととらえていた。
 千尋と宏明は、三体の怨念霊に挑みかかった。
「あなたたちはもう死んで肉体は消滅したのだから、いつまでも人間界の怨みを抱くことなく、一刻も早く自分が行くべき霊界に戻りなさい」
 千尋は説得を試みた。
「ふん、あんな恐ろしい地獄にまた戻る気はないね。きさまこそ、地獄に叩き落としてやる」
 三体の怨念霊は、邪悪な通力で千尋を縛り付けようとした。そこに宏明がなだれ込んだ。
 刑事たちを縛っていた金縛りが解けた。三浦と鳥居は、美奈と裕子を武内から引き離した。北勢署の刑事たちが武内を取り押さえようとしたが、武内を取り巻く異様な気配を感じ、動くことができなかった。
「今、千尋さんと裕子さんのお兄さんが三体の悪霊を封じようとしています。でも、やはり二対三で、形勢は不利のようです。このままでは千尋さんも危ないです」
 美奈は自分に見えている状況を三浦と鳥居に説明した。北勢署の刑事たちも、その話を聞いていたが、何のことか理解できなかった。美奈は何とかしたいとは思っても、手出しができなかった。ただ、祈るのみだった。
「なんということだ。守護霊と怨霊の戦いとは。俺はわけがわからんくなってきたがや」
 事態は鳥居の理解を超えていた。事情をある程度知っている鳥居ですらそんな状態だったので、北勢署の刑事たちは、何が起こっているのか、さっぱりわからず、困惑していた。ただ、目の前でとんでもないことが起きているのではないかということは、刑事たちの誰もが感じていた。裕子も美奈に指示されて、兄に頑張るよう、心の中で声援を送った。今できることは、祈ることしかない。
 しかし、どう見ても千尋には不利だった。
「あなたたち、霊としての今の境界を悟り、自らが向かうべき霊界に戻りなさい。そして反省し、少しでも高い霊界に向上できるように精進しなさい」
 千尋がいくら説得しても、怨念霊たちは聞く耳を持たなかった。
「いけない、このままでは千尋さんが危ない」
 そう感じた美奈は、パッソの守護霊となっている多恵子のことを思い出した。
「私の交通安全の守護霊であられる多恵子さん、お願いします。どうか千尋さんに力を貸してください」
 美奈は心を込めて多恵子に祈った。どうか多恵子さん、お願いします。
 すると、美奈の祈りが通じたのか、そこに新たな霊体が現れた。そして、千尋、宏明に加勢して、怨念霊たちを説得し始めた。ただ説得するだけではなく、千尋、多恵子は真っ白に光り輝く霊の波動を怨念霊たちに浴びせた。美奈にはその情景がありありと心に感じられた。白銀のまばゆい光のオーラがはっきりと見えた。今まで押され気味だった千尋だったが、多恵子の協力を得て、徐々に三体の怨念霊を押し始めた。
 千尋たちの白銀のオーラは、だんだんと強くなった。そして、逆に怨念霊たちの勢いが削がれていった。やがて怨念霊たちも輝く霊体となって、消滅した。
 終わった。美奈はそう思った。非常に長かったようで、またほんのわずかな時間だったようにも感じられた。
「終わりました。北村先生の作品で予告された、一連の事件は、すべて終わりました」
 美奈は三浦と鳥居に告げた。三浦と鳥居は美奈のその言葉で事件が終結したことを理解した。だが、北勢署の刑事たちは何が何だかわからないという状態だった。主犯の武内が気を失って倒れているので、事件が終わったということは理解できたのだが。
「お兄さん、どうなったのかしら」
 裕子が兄のことを懸念した。美奈には、怨念霊が消滅したあと、宏明の霊体も、千尋と多恵子の白銀に輝く霊的エネルギーをふんだんに浴び、まばゆい光となって消えていったのを見ることができた。
「お兄さんは大丈夫ですよ。輝く光となって、自分が行くべき霊界に向かいました。いつかきっと守護霊となって、裕子さんを護ってくれますよ」
 美奈は力強く裕子に告げた。そして、改めて千尋と多恵子に、心からお礼の言葉を贈った。


『幻影2 荒原の墓標』第35回

2014-09-12 15:55:45 | 小説
 9月も中旬に入り、ずいぶん秋めいてきました
 最近はツクツクボウシの鳴き声も元気がなくなってきています。
 今回は『幻影2 荒原の墓標』第35回です。


            6

 武内を指名手配したものの、行方はまだわからなかった。小幡署、篠木署、加茂署は捜査本部を合同し、武内の行方を追った。全国指名手配をしているので、いずれは網にかかるだろう。しかし、もし山下和男、佐藤義男も殺害しているのなら、逃げ切れないと観念し、自殺をしているのではないかという懸念もあった。

 裕子は昼食後、気晴らしに散歩にでも行こうかな、と思っているときに、美貴から 「来週の水曜日にさくらのところに行って、新しいタトゥーの相談をするよ」 とメールを受けた。ベルばらのオスカルを入れる予定、という。裕子はメールを見て、アニメのキャラクターを入れるなんて美貴さんらしいと、つい微笑んでしまった。
「今日は金曜日だけど、珍しく美奈が公休日を取ってるよ。月、水だけだとやっぱり身体がきついんで、今月から前みたいに、金曜日は隔週で休みにするんだって。休みの日は愛しの彼のところに行くみたい」
 絵文字をふんだんに使った美貴のメールは続いた。裕子もすぐに返信した。
オアシスナンバーワンのコンパニオン、ミクはこのところ、休憩する間もないほど、びっしり予約が入っていた。前の客の接待が終わると、すぐ次の予約客が待っているという状態だった。ベテランの沢村が受付するときは、予約の時間を少しずらして、ミクが休憩する時間を捻出してくれる。しかし他のスタッフが担当すると、一息つく時間も取れないほど、びっしりスケジュールを組んでしまう。一日約八時間の勤務時間で、最低でも五人、多いときは七人を相手にする。ダブルで一人に九〇分対応することもある。
それではさすがのミクも身が保(も)たない。それで、隔週で金曜日にも公休日を取ることにした、と裕子も美奈から聞いていた。
美奈は公休日には三浦のアパートに行って、掃除や洗濯、そして夕飯の準備をしたりする。夕飯といっても、三浦が帰る時間は不規則で、深夜になってようやく食べてもらえるということもある。それでも美奈はよかった。愛する人の食事を作れるだけで、嬉しかった。小型のノートパソコンを持ち込み、空いている時間に原稿を執筆することもある。三浦は美奈が来る日は署には泊まらず、遅くなっても、必ず帰ってきてくれる。もうすっかり新婚ムードだ。公休日を増やしたのは、体調維持のためより、そのほうが大きな理由かもしれない。
最近三浦のアパートでは、近所の人たちの間で、 「刑事さんのところに、メガネをかけたかわいいお嫁さんが来た」 と話題になっている。美奈も同じアパートの人に会うと、積極的に挨拶をしている。もちろんタトゥーは隠している。
裕子自身は、以前は指名してくれる客が少なかった。特に指名がない振りの客をあてがわれるのを待っているという状態で、指名が多いミクをうらやましく思っていた。しかし最近では 「リサちゃん、タトゥー入れてから、明るくなったね。とても魅力的になったよ」 と指名してくれる客もぐっと増え、週によっては、人気ランキング上位に連なるほどになった。親しい仲間もでき、仕事にもやりがいを覚えるようになった矢先に、実家に連れ戻されてしまった。
裕子は美奈、恵、美貴に無性に会いたかった。さくらの誕生日会に行けなかったことが、残念だった。五ヶ月ぶりに葵にも会いたいと思っていた。だが、誕生日会に出ることは、父親が許してくれなかった。
誕生日会があった翌日、葵から 「昨日は裕子に会えなくて残念だったわ。今度名古屋に行くときには、ぜひ会おうね。静岡にも遊びに来て」 と電話があった。
 裕子は美貴に返信してすぐ、いなべ公園に散歩に出かけた。裕子の自宅からいなべ公園までは、徒歩で約二〇分だ。いつものようにシンボルタワーに登った。小高い丘の上にある、五重塔をかたどったシンボルタワーは、一番上まで登るのは、けっこうきつかった。でも、裕子はここからの鈴鹿山脈の雄大な展望が好きだ。
 最上階には誰かがいた。身体が大きな男性だった。帽子を目深にかぶり、サングラスをかけていた。最初、ちらっとその男性を見たとき、何だか怖そうな人だと思った。しかし、何となく懐かしい気配を感じた。見たことがない人なのに、なぜそう思うのだろうかと、裕子は不思議だった。するとそのとき、裕子はその男が、以前一度オアシスに来たことがある、背中に大きな不動明王の彫り物を入れていた客だということに気がついた。帽子とサングラスで顔を隠してはいるが、間違いない。その人がなぜここにいるのだろうか、と裕子は不審に思った。
 その男は 「ゆう」 と裕子に声をかけた。その言い方が、なぜか兄にそっくりだった。しかしどうして私の愛称を知っているのだろう? あのときはリサとしか名乗らなかった。
「お兄さん?」
 つい反射的にそう言葉が出た。でもまさか。兄は死んだはずだ。それに、この人は兄ではない。
「ゆう」
 その男はもう一度繰り返した。
「ゆう、俺だ。宏明だ。おまえの兄さんだよ」
 声は全く違うが、その口調は兄に間違いなかった。
「お兄さん……」
 裕子は信じられなかった。しかし、その男の姿が、一瞬兄と重なった。そういえば、オアシスでこの男と話しているとき、なぜか裕子はこの男を兄のように感じたことがある。そのとき、私によく似た妹がいると言っていたが、その妹とは私のことだったのだと裕子は思い当たった。だから核心のサービスを拒んだのだ。
「俺は本当におまえの兄さんだよ。今はこの男の身体を借りているが、俺は宏明、おまえの兄さんだ」
「お兄さん!」
 間違いない。兄に間違いない。裕子はその男の懐に飛び込んだ。少し汗臭かったが、そんなことは気にせず、裕子はその男と抱き合った。そして涙を流した。
「ゆう、すまない。ぐれて勝手に家を飛び出して、おまけに死んでしまって。もうおまえも知っているだろうが、俺は数々の悪いことをしてきた。本来ならおまえには合わせる顔もないんだが」
「いいの。そんなこといいの。会えただけでも嬉しい。ほんとよ。お兄さんに会えて、私嬉しい。これからずっと一緒にいられるの?」
「いや、そんなわけにはいかない。いつまでもこの男の身体にいるわけにはいかないんだ。ただ、おまえに頼みがある。おまえの友人に、木原美奈という人がいるだろう。その人に俺を会わせてほしい。それから、その人の知り合いの刑事と、作家の北村先生に」
「美奈さんに? それはいいけど、なぜ?」
「その美奈というおまえの友達は、霊感が強いし、俺の言うことを信じてくれる。彼女に、ぜひ聞いてもらいたいことがある。それからその知り合いの刑事も、俺の言うことを信じてくれるだろう。俺が今憑いているこの武内という男は、俺に利用され、三人を殺している。このままでは確実に死刑だ。だから、その刑事にすべてを打ち明け、何とかこの男を死刑から救ってもらいたい。この男も悪党ではあるが、俺が殺した三人よりはましなやつだ。お年寄りをだますことには、心を痛めていた。それから、北村先生には殺人予告をさせて、迷惑をかけてしまったことを、直接お詫びしたい」
 宏明はなぜ武内の肉体を借り、裕子の前に現れたのかを説明した。しかし、最も大きな理由は、裕子と会うことだった。
「俺の復讐は終わった。だが、復讐を果たしたものの、結局むなしいだけだった。殺す必要がない徳山久美まで殺してしまった。久美には生きて償いをさせ、またこの世で人生をやり直させるべきだった。俺は霊界に戻ったら、当分この罪を償うために、地獄で苦しまなければならないだろうが、その前にこの世でやるべきことをやっておかなければならない」
「お兄さんが地獄に堕ちるだなんて、いや!」
「こればかりは、どうにもならない。自分が犯した罪は自分で償わなければならない。それが霊界の掟なんだ。それより、この武内は指名手配になっており、いつ捕まるかわからない。一刻も早く美奈という人に会わせてくれ」
「わかったわ。これからすぐ美奈さんに電話する」
 そう言って裕子は携帯電話で、美奈に連絡した。

 裕子から電話をもらい、美奈は驚いた。そして、すぐにそちらに駆けつけると裕子に言った。
「裕子さんのお兄さんを救えるのは美奈さんだけです。私も力を貸します」
 千尋の声が心に響いた。美奈は千尋が応援してくれることが心強かった。
 美奈はまず電話で三浦に事情を説明した。三浦はちょうど今、鳥居と北村弘樹のところにいるので、三人ですぐいなべ公園に向かうと応えた。美奈はカーナビをいなべ公園に設定し、パッソでいなべ市に向かった。
 美奈は勝川から東名阪自動車道に入った。一般道では、いなべ市まで時間がかかる。桑名インターチェンジで東名阪自動車道を下り、国道四二一号線でいなべ市に走った。
 いなべ公園はすぐにわかった。美奈は公園の広い第一駐車場にパッソを駐めた。そして、駐車場に着いたことを、携帯電話で裕子に知らせた。駐車場には武内が乗ってきた黒いティーダが駐めてあった。しばらく待っていると、裕子が大きな男を伴って、駐車場にやってきた。裕子はその男を 「兄です」 と紹介した。
「妹が世話になってます。今は別の男の身体を借りているけど、俺が裕子の兄の宏明です。俺が霊体でいるときは、ときどきあんたの近くにいたことがあるから、知っています」
 秋田は常識から考えれば、おかしな挨拶の仕方をしたが、美奈は気にかけなかった。
「それより、ここでは人目につく。もう少し鈴鹿の山の方に行きたい。この男は指名手配されているので、人目につくのはまずい。俺はあんたに何も危害を加えるつもりはないから、信じてほしい。刑事さんにも携帯で場所を教えたらいい。三〇六号線をずっと行って、藤原岳の方に行ってくれないか? ただ、藤原岳は登山者が多いので、もう少し先がいい」

  藤原岳 山肌が石灰石採取のため削り取られていますが、花の名山です

 秋田は美奈に依頼した。藤原岳の方、と指定したのは、そこが秋田のお気に入りの山だったからだ。美奈は秋田の頼みを受け入れ、三浦に場所を変更することを伝えた。三浦は運転中だったので、電話には代わって鳥居が出た。
「三〇六号で、西藤原方面だな。わかった。そっちに向かう。こっちもまもなくいなべ市に入るがや。また連絡してちょう。それより、気をつけやあよ。相手は凶悪な武内だでな。いや、秋田か。ややこやしいな」
 鳥居は美奈を気遣った。
 車の中で、秋田はなぜ美奈に来てもらったかを話した。秋田は自分がやったこと、そして詐欺グループのことを説明した。詐欺グループの犯罪については、すでに警察が詳しい資料を入手しているので、簡略に話した。それから、武内を死刑から救ってほしいと依頼した。最初は武内が死刑になることを望んでいた。しかし、復讐を終え、冷静になって振り返ってみると、自分がしてきたことは、果たしてよかったのだろうかと疑問に思えるようになった。特に久美まで死なせてしまったのは、やり過ぎだったと後悔した。武内にしても長い懲役刑を食らうのは当然だが、死刑は重すぎると思い直した。
実際には、武内は自分の意志では一人も殺していない。だが、もう死んで魂だけの状態になっている秋田は、証人としては認められない。何とか美奈や三浦に、武内自身の意志で殺人を犯したのではないことを説明してもらいたいとのことだった。
 秋田は自分を殺したのも、金剛堂の守衛を殺したのも、武内ではなく、詐欺グループの一人である佐藤だと言った。武内は元暴力団員で、粗暴ではあっても、佐藤や大岩、山下よりはましなやつだった。北村弘樹に殺人予告をさせたのも自分だと告白した。そして自分は司法の裁きを受けられないので、地獄でこれまで犯した罪の償いをすると言った。
 運転をしながら話を聞いていた美奈は、やはり裕子の兄は、根はいい人だったのだと知り、嬉しかった。
 国道三〇六号線を走っていたら、三浦が運転する覆面パトカーが追いついた。三浦はクラクションを鳴らした。美奈のパッソを、覆面パトカーが追走した。美奈は運転している三浦に気付き、安心した。
 美奈のパッソは国道三〇六号線を鞍掛(くらかけ)峠に向かった。もうずいぶん山の方に入り、行き交う車も少なくなった。秋田は道路の脇に、ちょっとした空き地を見つけ、そこに車を停めさせた。覆面パトカーも停まった。まだ日没時刻には間があるはずだが、太陽は鈴鹿の山並みに沈みつつあった。鈴鹿最高峰の御池岳や鈴北岳が近かった。
 六人は車から降りた。
「おみゃーが武内、いや、秋田か。大岩をやったのはおみゃーか?」
 鳥居が秋田に訊いた。
「はい。俺、秋田です。武内ではなく。徳山久美、山下和男、佐藤義男も俺がやりました。久美をやったのは山岡という男で、他の三人は武内ですが、操ったのは秋田です」
 まず秋田は自分の犯行を自供した。
「でも、久美さんを殺したのは、秋田さんではありません。秋田さんは久美さんを殺すのを思いとどまったんですが、山岡が秋田さんの、久美さんを助けようとした意志を無視して、死なせてしまったそうです」
美奈は車の中で聞いたことを三浦たちに伝えた。
秋田はさらに先ほど美奈にした説明を、刑事たちにも繰り返した。三浦はその話をすべてICレコーダーに録音した。
 詐欺グループに加入したのは、インターネットの闇サイトで、一発でかいことをやってみないか、という大岩の書き込みを見たからで、殺した四人と武内の六人がメンバーだったことも打ち明けた。その六人の名は、ライフパレス徳川に残した資料にもあった。詐欺事件や、金剛堂、その他の窃盗事件については、ここで長々と述べなくても、その資料に詳しく書いてあるので、そちらを見てほしいと言った。
 しかし弱い立場のお年寄りから平気で金をだまし取る悪辣さに嫌気がさしたことに加え、金剛堂の事件で守衛を殺してしまったことで、組織を抜けたいと申し出たところ、リンチで殺されてしまった。
 その説明のところで、裕子は泣き出した。
 そして北村には、 「先生を利用してすまなかった。小説の中で、あんなことを書かせてしまったのはこの俺です。本当に迷惑をかけて、申し訳ありません」 と深々と頭を下げ、謝罪した。
 ただし、秋田自身には小説を書く才能はない。『鳳凰殺人事件』『荒原の墓標』の二作がベストセラーになったのは、北村自身の実力なので、自信を持ってほしい、と力づけた。
「いや、感謝するのは僕の方ですよ。あんたには、命を助けられた。あのとき、声をかけてくれなかったら、間違いなく僕は死んでいましたよ」
 北村は感慨深げに言った。
「しかし、不思議なことがあるものですね。美奈さんから前の事件の話を聞いたときは、半信半疑でしたが、こうして秋田君の霊の話を本人から聞いたのだから、信じざるを得ませんよ。これはあまりに現実離れしすぎて、とても僕の小説には使えません。美奈さん、どうですか? この話、『幻影』の続編として、書いてみませんか? この前読ませてもらった作品、とてもよかったですよ。文学舎の僕の担当に読ませてあげたいですよ」
 北村はあまりに非現実的体験をして、少し興奮していた。
「これで俺の話は終わりです。武内の身体は返すので、拘束してください。警察に着くまでは、俺はこの身体に入っています。そのあと、霊界に戻り、しかるべき償いをします」
 秋田は話し終わった。三浦は霊の話に証拠能力があるのかはわからないが、秋田の話は、すべてICレコーダーに記録した。
「お兄さん、行かないで」
 裕子が武内の身体に抱きついた。
「大丈夫だ、ゆう。俺は霊界で償いを終えて、浄化されたら、すぐにおまえのところに戻ってくる。そして、美奈さんの背後にいる女性の霊のように、おまえを護ってやるよ。それから最後に、親父とお袋に、すまなかったと謝っておいてくれないか。二人とも心から愛していたのに、俺がひねくれていたせいで、素直に感謝の気持ちを伝えることができなかった」
 秋田は優しく裕子に言い聞かせ、そして依頼した。
「お兄さん」
 裕子は武内の足下で泣き崩れた。美奈もぽろぽろ涙をこぼした。三浦や北村ばかりではなく、鳥居までが涙で顔をくしゃくしゃにしていた。

『幻影2 荒原の墓標』第34回

2014-09-05 12:04:55 | 小説
 9月に入っても天候不順は続き、今朝も9時頃、すごい雷雨でした。
 車のワイパーを高速にしても、一瞬、視界がかすんでしまうほどの雨でした。
 この天候不順、いつまで続くのでしょうか?

 今回は『幻影2 荒原の墓標』34回目の掲載です。


            5

 さくらの誕生日会のあと、美奈は恵のマンションに行き、葵と三人で話に花を咲かせていた。さくらも来るとよかったのだが、鬼々がさくらと語り明かしたいというのを、無視することもできなかった。さくらはまた静岡に遊びに行きます、と葵に約束をした。
 翌朝、恵と美奈は珍しく八時前に起きた。主婦の葵は朝六時半に起床し、朝食や秀樹の弁当を作るので、早起きの習慣が身についている。秀樹が勤めている会社は八時半始業なので、八時前には家を出る。
 恵と美奈が目を覚ましたときには、勝手知ったる他人の家で、葵がご飯を炊き、ハムエッグやサラダ、味噌汁などの朝食を用意してくれていた。もちろん前もって、恵の了承を取ってある。味噌汁はインスタントの赤だしだが。葵は名古屋にいたころ、いつも飲んでいた赤だし味噌を、懐かしく思った。
「冷蔵庫にあったもので、適当に作っておいたから、たいしたもの作れなかったけど。でも、ハムエッグだとパンの方が合ってるわね」 と葵が謙遜した。
「さすが主婦。毎日秀樹さんの朝食や愛妻弁当を作っているのね。熱いな。私、結婚したら、朝起きれるかしら」
 恵が眠そうな顔で感心した。
「愛妻弁当じゃなくて、悪妻弁当かもしれないわよ」
 葵が混ぜ返した。
「悪妻だなんて、心にもないこと言っちゃって」 と恵が笑った。
「美奈も、三浦さんと一緒に住むようになったら、主婦しなきゃあならないのね。まあ、美奈なら以前OLやってたときはきちんとしてたから、じきリズムをつかめるようになると思うけど。お寺にいたときは、朝五時起きだったんでしょう」
「五時だなんて、私にとっては真夜中よ。でも、オアシスで美奈と一緒に仕事できるのも、あと四ヶ月足らずね。この四ヶ月、大事にしなくっちゃあ」
「ごめんなさい、わがまま言いまして」
「美奈が謝ることないよ。いいことなんだから。私もあと二、三年今の仕事でお金貯めて、三〇前には辞めるつもり。そしたら喫茶店か何かやりたいから、そのときは美奈も協力してね。美奈がウエイトレスやってくれたら、お客さんたくさんやってきそう。何せ、オアシスのナンバーワンコンパニオンだもんね。それに、美奈が淹れるコーヒー、絶品なんだから。喫茶店でも十分通用するよ」
「そのときは、私こそお願いします。働かせてください」
「メグが店出したら、私も名古屋に来るとき、メグの店、寄らせてもらうからね」
「メグさんが喫茶店出したら、三浦さんや鳥居さんが会議室代わりに使いそうですね」
「警察御用達(ごようたし)ね。みかじめ料とかで、暴力団が近づかなくていいわ。警察専用の部屋、用意しとくわ」
 そんな話をしながら、三人は朝食の席に着いた。
 恵がテレビをつけた。朝のニュースをやっていた。ニュースが地元の放送局に移ると、最初に豊田市足助町の山林で、昨日男性が刺殺されたという事件の報道があった。被害者は大岩康之三四歳。犯人は元暴力団員と思われ、逃走中という。美奈はそのニュースに驚いた。大岩は確か昨日、小幡署を中心とした捜査官が任意同行をすると三浦から聞いていた。大岩は詐欺事件や宝石店強盗事件に関係していると思われ、背後関係を調べている、とのことだ。また、大岩が北村弘樹の小説で、殺害を予言されていたということも、最後にアナウンサーが付け加えた。
「大岩が殺された!?」
 美奈はテレビのニュースに釘付けになった。
「大岩って、裕子が会ったという、おおやまのことね」
「え、それ、どういうことなの? 何で裕子がその殺された被害者と関係あるの?」
一人静岡にいて、事件のことをあまり詳しく知らない葵が、美奈たちに尋ねた。葵は北村弘樹の作品に沿って連続殺人が起こっているということは、新聞やテレビの報道で知っていた。しかしそれが親友たちの間近で起こっていることを聞き、驚いた。
「マジで? 嘘みたい。真犯人が裕子のお兄さんかもしれないだなんて。しかも、もう死んでいて、怨霊となって復讐しているとは。昨日、さくらの誕生日会で、裕子がお兄さんの霊に会った、なんて話が出て、私、びっくりしちゃった。前にも美奈、事件に巻き込まれたけど、今度もまたその渦中にいるだなんて。北村弘樹と美奈が知り合いだということも、びっくりよ」
 葵は美奈と恵から説明を受け、さらに驚愕した。またおぞましい事件に巻き込まれるのじゃないかと、美奈と裕子のことを心配した。
「大丈夫です。今回の事件は、三浦さんや鳥居さんが担当しています。さっきのニュースでも言っていましたが、犯人は元暴力団の人と特定できたようだし、その背景も解明できてきた、ということですから」
 美奈は葵に心配かけまいと、事件も解決が近いことを強調した。
「でも、霊が絡んでいる事件なら、最後は美奈と千尋さんの出番になるんじゃない?」
 それでも葵は不安だった。葵は絶対危険なことに首を突っ込まないでね、と美奈に忠告した。ここまで親身になって考えてくれる親友に、美奈はありがたいことだと心から感謝した。
 葵は久しぶりに、以前よく行ったファミレスで昼食を食べた。顔なじみだったウエイトレスが葵を見て、 「久しぶりですね。結婚されて静岡に行かれたと聞いていましたが」 と声をかけてくれた。深夜の勤務が多い人だが、今日はたまたま昼間のシフトに入っていた。食事のあと、ドリンクの飲み放題やケーキなどのデザートを注文し、恵と美奈の出勤時間まで話をした。
 恵はセレナで葵を駐車場まで送り、葵のヴィッツと入れ替えで、セレナを美奈が借りている駐車場に入れた。
「葵さん、気をつけて帰ってね」 と恵が葵に声をかけた。
「ありがとね。楽しかった。また会おうね。今度は裕子にも会いたい。さくらや美貴にもよろしく。それから美奈、本当に無理はしないでね。事件は警察に任せて」
 葵は別れるまで美奈のことを気にかけていた。
 葵は山田西インターから東名阪自動車道(現名古屋第二環状自動車道)に入り、上社(かみやしろ)ジャンクション経由で東名高速道路に入った。
 オアシスで美貴が 「昨日はありがとうございました。葵さんと久しぶりに会えて、よかった」 と開口一番挨拶をした。美貴はさくらに電話して、来週の水曜日に、タトゥーのことで相談に行くことになったと言った。スタジオは休みだけれど、美貴が公休日なので、その日に来てくださいとのことだった。それまでに見本の絵も描いておいてくれるそうだ。
「いよいよオスカルを入れるの?」 と恵が尋ねた。
「うん。オスカルなら、年を取ってもそんなに恥ずかしくはないから。宝塚でもやってるし。背中一面じゃなくて、太股にしようか、ってさくらと話してたんだ。背中に入れちゃうと、ウエディングドレス着れなくなるといけないから。アメリカなんかでは、アニメのキャラクター彫る人も多いんだって。悟空とかガンダムとか、日本のアニメも人気だそうだよ」
 夕方六時ごろ、葵から無事自宅に着いたとメールが入っていた。お尻の近くに牡丹を入れたから、三時間近く車のシートに座っていて、痛かったと書いてあった。
 その夜は美奈はファミレスでの談話を早めに切り上げた。美奈はタクシーで三浦のアパートに向かった。別れ際に恵と美貴から、 「愛しの君によろしく」 と冷やかされた。

 アパートに着いたときは、まだ三浦は帰っていなかった。美奈は預かっているスペアキーで中に入った。三浦から 「これから戻るので、まだ着いていなかったら、中に入って待っていてください」 とメールがあった。今は三浦のアパートも美奈の部屋もお互い自宅同然だ。
ほどなく三浦は帰ってきた。
「やあ、美奈さん、いらっしゃい」
 三浦は嬉しそうに美奈に挨拶をした。
「こんばんは。図々しく、中で待たせてもらいました。何か召し上がりますか? もし召し上がるなら、大至急作ります」
 美奈は冷蔵庫を覗き、どんな食材があるかを確認していた。
「いや、夜は鳥居さんと牛丼屋に行ったから大丈夫。ありがとう。でも、もうすぐ毎日美奈さんの手料理を食べられますね」
 美奈の手料理を食べられると三浦に言われて、美奈は恥ずかしさで真っ赤になった。でも、愛する人に料理を食べてもらえるのは、女としてこの上ない歓びだ。こんなことを言うと、女性差別だとムキになる人がいるかもしれない、と思いもした。もうずいぶん前のことになるが、 「私作る人、僕食べる人」というCMが女性差別と問題になったことがある。それでも美奈は愛する人に尽くせるのは嬉しかった。
 三浦が一段落つくと、美奈は熱いコーヒーを淹れて、三浦に勧めた。三浦の家はドリップ式のコーヒーメーカーだが、美奈はコーヒーメーカーを使わず、直接ドリッパーに湯を注(そそ)ぐ。その注ぎ加減が、微妙に味を左右する。
「ありがとう。美奈さんのコーヒーを飲むと、ほっとします。昨日今日は本当に忙しかったですよ。この二日間、満足に寝ていませんからね。昨日は署に泊まりでした」
「テレビのニュースでも見ましたが、大岩が犠牲になったそうですね」
 美奈は“殺された”という言葉を使いたくなかったので、言い換えた。それから話は事件のことになった。ナイフに残っていた指紋から、加害者は元暴力団員の武内雅俊だと警察が断定したことを三浦は伝えた。詐欺グループ内の仲間割れのようだ、と三浦が言った。それから出来町のマンションで貴重な資料を発見したことも。
「出来町ですか? 私の家のすぐ近くなんですね」
「僕もそう気付いて、驚きましたよ。光照寺までだと、歩いても一〇分とかからないところです」
「でも、いくら間抜けな犯人でも、そんな重要な証拠資料を残しておくはずがないです。それに、その詐欺グループって、とても巧妙だったんでしょう。きっと、裕子さんのお兄さんが、犯行を告発しようとして、意図的にやったことだと私は思います」
「そうか。確かにいくら何でも、詐欺や宝石強盗の証拠をそのまま残しておくのは、ずさんすぎます。それが霊の仕業だなんて、考えてもみませんでした。しかし、この事件も武内を逮捕すれば、ある程度は解決します。指名手配をしたので、逮捕も時間の問題だと思いますが。ただ、常識では説明がつかないことも出てきます。たとえば、北村先生になぜあんな予言ができたのかなんて。警察では霊が関与していたということは、正式には認めませんからね。だからこれをどう理解すればいいのか」
 しばらく二人は今回の事件のことを話し合っていた。しかし三浦もさすがに疲れていたので、入浴して寝ることにした。美奈もまだ暑い季節で、汗ばんでいたので、一緒に入浴した。三浦のアパートの浴槽は、二人で入浴するには狭かった。湯船は身体をぴったり寄せ合わせないと、入れないほどだ。美奈の団地の浴室も狭いが、三浦のアパートの浴室はさらに狭い。基本的には、浴室は一人で入浴するようになっているのだろう。
「本当に何度見ても、美奈さんの身体はきれいだと感動しますよ」
 三浦は美奈の美しい身体を褒めた。
「恥ずかしい。あまり見ないでください」
 美奈は恥じらった。仕事で、裸で客を接待しているときの美奈とは、全く別人だった。美奈は仕事のときは、プロ意識に徹しているが、職場を離れれば、一人の女性に戻っていた。
「タトゥーはまだまだ日本では認知されず、日陰の存在で、美奈さんも辛い思いをすることが多いと思います。でも、僕は美奈さんの優しい純朴な人柄を愛しているので、肌の上の絵は関係ありません。決して卑屈にならないでくださいね。たとえ美奈さんがどんなに辛い境遇に陥っても、必ず僕が美奈さんを守ります」
「俊文さん、嬉しい」
 美奈は三浦の胸に飛び込んで、歓びの涙を流した。
 その夜は三浦は疲れ切っていたので、交わることなく眠りについた。それでも美奈は三浦の言葉に酔っていた。

『幻影2 荒原の墓標』第33回

2014-08-29 16:32:19 | 小説
 8月も今日を含めてあと3日。最後の土日も天気が不順のようです。
 台風12号、11号の襲来以来、それまでの猛暑が一転、夏がどこかに吹っ飛んでしまったようです。
 連日の悪天候、豪雨など、ここ数年猛暑、酷暑に襲われた日本列島でしたが、今年は太平洋高気圧があまり張り出してこず、雷雨や局所豪雨などが頻繁に起こっています。
 私の友人も、今年は日照時間が少なく、農作物の被害が多いと困っています。
 これから本格的な台風シーズンになりますが、大きな被害をもたらさないよう、祈るばかりです。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』第33回です。いよいよ大詰めが迫ってきました。


            4

 山下和男、佐藤義男の事件の合同捜査本部では、秋田宏明のことで、大岩康之を事情聴取することにした。これまで秋田宏明の動向が不明だったため、大岩を聴取することはしなかった。だが、秋田が殺害されていたことがわかり、そうもいっていられなくなった。
 秋田が詐欺グループの一員であったかどうかはまだ確定していない。ただ、秋田は殺害された徳山久美と知り合いだった模様で、詐欺グループの一員であったことは間違いないと思われる。そして、秋田宏明の妹である裕子の証言により、大岩と秋田は知り合いだったということがわかっている。
 小幡署、篠木署の合同捜査本部、そして上松署の捜査員二名も合流し、いよいよ大岩の任意同行に踏み切ろうとした矢先の九月六日早朝、大岩を監視していた柳、戸川両刑事より、大岩が行方不明になったという連絡が入った。昨夜は確かに自宅にいたことを確認していた。二人は交代で終夜監視していたのだが、ちょっとした隙に自宅を抜け出したらしい。ベテランの二人らしからぬミスだった。倉田警部は 「たわけ!」 と二人を怒鳴りつけたが、もう後の祭りだった。

 そのころ、大岩は武内の車で、豊田市内を走っていた。今は足助町(あすけちょう)のあたりだ。
「大丈夫か? サツの奴らにはつけられてないだろうな?」
「ああ、大丈夫だ。監視が交代をする隙を突いて、脇の非常階段から抜け出してきた。尾行していないことも確認している。おまえの家に行くまでに、大回りして、タクシーを何度も乗り換えてきた。部屋も証拠になりそうなものはすべて処分してある。今ごろあいつら、ほぞを噛んでるだろうな」
大岩は愉快そうに笑った。
「しかし、とうとう秋田の死体が、出てきたんだろう」
「意外と早く見つかってまったな。もっと山の奥深くに埋めとくんだったな」
 大岩はしくじったとばかりに言った。
「だが、あれ以上奥に運ぶといっても、大変だぞ。夜にしかあんな作業はできんし。熊か何かがほじくり出してまったんだろ」
「しかし、なんであんなに早く、あれが秋田だということがわかってしまったんだろうな。死体は下着だけにして、身元がわからんようにしといたのに。久美なら背中のいれずみで身元が判明するかもしれんけど、秋田には特徴になるような傷なんかもなかったし。それに死体はかなり腐乱して、白骨化しかけとったんだろう。まさに腐乱ケン死体ンだな。それから、サツは俺と秋田の関係も察知したようだ。やはりソープで秋田の妹にうっかりしゃべってまったのがいかんかったかな。失敗だった」
 大岩はフランケンシュタインをもじった駄洒落を交えて、滔々(とうとう)と自分の失敗を、自虐的にしゃべっていた。ふと窓の外を見ると、車はかなり山の中を走っていた。
 足助町はトヨタ自動車の城下町である豊田市だとはいえ、前年四月に豊田市に編入される前は東加茂郡(ひがしかもぐん)足助町で、山や森林の緑が豊かな町だ。紅葉の名所といわれる香嵐渓(こうらんけい)が有名だ。
「今どのへんだ?」
「今、足助あたりを走っている。香嵐渓から少し奥の方に入った、綾渡(あやど)というところだ。ここらまで来れば、もうサツも追ってこんだろう」
「そうだな。このへんなら安心だ。少しどこかで休憩して、この先のことを相談しよう」
「この近くに、大きな寺があるから、そこで休憩するか」
「おまえ、よく知っとるな。このへんに来たことあるのか?」
「ああ。前に寧比曽岳(ねびそだけ)に登ったことがあるからな。そのときに、その寺の駐車場に車を駐めさせてもらった」
「へえ。元やくざのおまえに、登山の趣味があったとはな」
 元やくざと言われ、武内は大岩をにらんだ。
「あ、すまん。やくざと言ったのはわるかった。謝るよ」
「まあ、やくざも詐欺師も大して変わらんよ。かえって詐欺師のほうが、年寄りを泣かせるだけ罪深い」
 武内は無表情に呟いた。車を近くの平勝寺(へいしょうじ)の広い駐車場に入れ、二人は車を出た。
「久しぶりだから、ちょっとそのへんをぶらつかないか? 今日は天気もいいし」
 武内は大岩を誘った。
「なかなかいいところだな。それじゃあちょっとだけ歩こうか。ただ、山まではとても無理だぞ」
 大岩も賛成した。武内はさっさと前を歩き、薄暗い森の中へ入っていった。
「なんか変なところに来てしまったぞ」
「大丈夫だ。寧比曽岳への登山道だ。このあたりは東海自然歩道にもなっている。登山道というのは、こんなもんだ」
 そう言って、武内は立ち止まった。
「そして、ここがおまえの死に場所になるんだ」
 武内のその言葉に、大岩は驚いた。
「おい、変な冗談はやめろ。言っていいこととわるいことがあるぞ」
「冗談ではない。おまえには北村弘樹の小説にあるように、心臓をナイフでひと突きにして死んでもらう」
 そう言い終わらないうちに、武内は大岩の顔面にパンチを叩き込んだ。その強烈な一撃に、大岩は運動能力を失った。
「な、なんでだ? なんで俺を殺そうとするんだ? 俺たちは仲間だろ?」
 地面に這いつくばった状態で、大岩は武内に尋ねた。
「おまえたちはその仲間であるはずの俺をなぶり殺しにした。もう詐欺や殺人はいやだから、組織を抜けたいと言った俺を、リンチで殺した」
 武内は倒れている大岩を、さらに踏みつけた。
「おい、武内、おまえ、何わけのわからんことを言っとるんだ!」
「俺は武内ではない。秋田だ」
「バ、バカな。なんでおまえが秋田なんだ?」
 大岩は武内の凶暴さに満ちた目を見て、怯えた。
「俺は秋田だ。おまえたちになぶり殺しにされた秋田だ。俺は今、武内の潜在意識、顕在意識を乗っ取り、肉体を支配している」
「そ、そんなバカなことが……。おまえは秋田の幽霊なのか? 今まで仲間を殺したのは、おまえの仕業(しわざ)か?」
「そうだ。死ぬ前に、冥土の土産(みやげ)に教えてやろう」
 武内、いや、秋田はこれまでの事件はすべて自分がやったことだと告白した。
 昨年の晩秋、南木曽岳の森で死のうとしていた北村に取り憑き、その潜在意識に働きかけて、『鳳凰殺人事件』を書かせた。もっとも小説を書かせたといっても、秋田に小説を書く才能はない。作品を書いたのは、北村自身だった。ただ登場人物に、徳山久美という名前を織り込ませるよう、作用した。
 そして通りすがりの男に憑依(ひょうい)し、久美を絞殺した。その男は、日ごろの欲求不満から、人を殺傷してみたいという歪曲した欲望を抱いていたから、操りやすかった。いくら怨念霊でも、健全な精神力を持っている人間を動かすことは困難だ。
 そして次の作品、『荒原の墓標』でも、山下、佐藤、大岩の三人の名前を使わせた。以前武内が怯えていた、武内宿禰(たけのうちのすくね)の墓は北村の発案であって、秋田の霊は関係なかった。
 わざわざ北村の作品で殺人予告をさせたのは、久美以外の三人の恐怖をあおるためだった。それは成功した。最初の被害者の久美は、殺害予告に気付かなかったが、残る三人は、今度は自分の番か、という恐怖に打ち震えた。週刊誌などで騒ぎ立てられるたびに、恐怖心をかき立てられ、怯えた。『荒原の墓標』で予言された残る佐藤、大岩の二人は誰か? などという興味本位のワイドショーもテレビで放映された。久美に対しては、せめて怯えることがないうちに死なせようと、最初の犠牲者に選んだ。それは秋田の屈折した配慮だった。
 山下以降は通りすがりの者ではなく、武内に取り憑き、殺害した。武内は肉体は頑強でも、精神的にもろいところがあり、憑依しやすかった。山下、佐藤もまさか武内が殺人者だとは思ってもいなかったので、油断して簡単にやられた。
 佐藤は凶暴で体力もあったが、油断していたため、同じように屈強な武内に不意を突かれ、あっけなく倒された。身動きできなくなった山下と佐藤は、秋田の執念と怨念を聞かされ、恐怖に震えながら絶命した。
 ただ、北村弘樹にはできるだけ迷惑をかけないように、アリバイがはっきりしているときを選んで犯行をしていた。アリバイを作るために、文学舎の担当者に突然北村に電話をかけさせたのも、秋田の精神感応の通力(つうりき)だった。しかし秋田はもう十分に北村に迷惑をかけていることまでは、考えていなかった。とはいえ、秋田が北村に憑依しなければ、北村は致死量の睡眠薬を飲み、もうこの世に存在していなかったことは確実であった。結果的には、秋田は北村を救ったことになる。
「そうか。すべてはおまえ、秋田のせいだったのか。でも、おまえを殺したのは佐藤だぞ。俺はあのとき、おまえに指一本触れてない。なのに、なぜ俺まで殺すんだ」
「指一本触れてないだと? そんなことを言うなら、なぜ佐藤を止めてくれなかったんだ? おまえも山下も、久美も何も言ってくれなかった。おまえと山下は『やっちまえ』と佐藤をけしかけた。俺は久美に好意を寄せていたんで、せめて一言やめてと言ってくれれば、久美は殺さないつもりだった。だが、久美は何も言わなかった。怖くて意見できなかったんだろうが、好意を持っていたからこそ、よけいに何も言わなかった久美を恨んだ。武内だけは『もうそれぐらいにしとけ』と止めてくれたがな。しかしもう少し早く止めてくれれば、俺は死なずにすんだんだ」
 秋田は大岩に恨み言を言った。自分に直接手を下した佐藤。そしてそれを黙って見ていた大岩と山下、久美。特に大岩と山下は制裁を受けている秋田を見てほくそ笑み、 「もっとやっちまえ」 と佐藤をけしかけた。
 元やくざの武内はけんかのプロでもあり、加減ということを知っている。しかし、格闘家だった佐藤は、やみくもに相手を倒すことだけに徹していた。だから相手をKOするか、ストップがかかるまで、攻撃をやめようとはしなかった。武内はそれ以上やれば危ないというところで、もうやめろと声をかけた。けれども佐藤は武内の制止を無視して、秋田を殴り続けた。同じ詐欺グループのメンバーでも、佐藤は年上の武内に対抗心を燃やしていた。佐藤はガチンコで戦えば、プロの格闘家であった俺のほうが絶対に強い、と自負していた。武内が身を挺して止めたときには、もう手遅れだった。
 秋田は久美が止めに入ってくれることを期待した。だが久美は何も言ってくれなかった。いや、恐ろしくて声が出なかったのだ。せめて 「やめて」 とただ一言さえかけてくれればと、秋田は久美を恨んだ。お互い好意を抱(いだ)き合っていたのに、そのことが秋田を絶望させた。ただ、今になって、秋田は久美まで死なせてしまったことを後悔していた。久美を殺すべきではなかったと、悔やんでいた。
 久美はネクタイで首を絞められ、断末魔の苦しみの中で、 「ヒロちゃん、ごめんなさい。あなたを助けられなくて」 と呟いた。いや、久美は言葉を発することができない状態だったので、心の訴えが聞こえたのだ。ひょっとしたら、久美は山岡の背後に秋田の気配を察していたのかもしれない。心からの叫びである以上、嘘偽りではあり得ない。命乞いではない、謝罪の言葉を聞いたとき、秋田は力を抜こうとした。久美を助けるつもりだった。しかし、秋田の意志に逆らい、山岡は久美の首を絞める力をさらに強めた。山岡の潜在意識に潜んだ、人を殺したいという歪んだ欲求が、秋田の制止を拒絶したのだった。秋田は実行者に山岡を選んだことを悔やんだ。
「もうこれまでだ。これ以上ぐずぐずしていれば、ハイカーが通る恐れがある。死んでもらうぞ。今日は警官どもが、おまえを任意同行するつもりだったようだが、警察に行っていれば、助かったかもしれんものを。武内には司法の裁きを受けさせる。三人殺せば、死刑は間違いないだろうがな。詐欺や強盗殺人の罪もあるし」
 秋田はズボンのポケットからナイフを取り出した。刃渡り一〇センチほどの果物ナイフだ。
「や、やめてくれ。謝る。謝るから許してくれ。俺たちは仲間じゃないか。助けてくれ!」
 大岩は平身低頭した。逃げようにも、先ほど食らった強烈な一撃で、まだ足がふらついていた。

 その日の午後、小幡署に大岩の遺体が見つかったという連絡が、加茂(かも)署から入った。筈ヶ岳(はずがたけ)へ登る予定の登山者が大岩の遺体を発見した。北村の作品にあるように、心臓を鋭いナイフで貫かれていた。
 筈ヶ岳は寧比曽岳の西北西約二キロのところにある、標高九八五メートルの山だ。一一二一メートルの寧比曽岳よりは低く、樹林のため、頂上からの展望にはそれほど恵まれていない。とはいえ、登山道は東海自然歩道となっており、危険も少なく、豊かな自然を満喫できる。綾渡から寧比曽岳に登る場合、筈ヶ岳のすぐ近くを通るので、ちょっと足を伸ばすのもよい。
 被害者が所持していた運転免許証から、身元はすぐに判明した。小幡署が大岩を指名手配していたため、小幡署にも連絡が入った。小幡署の刑事たちは、大岩を取り逃がし、さらに殺されていたことを悔しがった。北村は警察の監視下にあり、犯人ではあり得ない。大岩を逃がした柳と戸川が、加茂署に向かった。
 現場付近の平勝寺の駐車場に、犯行があった時間帯に、黒いティーダが駐まっていたという目撃情報があった。残念ながら、目撃者はナンバーまでは記憶していなかった。この車は犯人や被害者が乗ってきた車かもしれない。
「くそ、やられてまったか。大岩を訊問できりゃあ、事件も進展しとったかもしれんのによ」
 鳥居は残念がった。しかし鳥居は大岩を取り逃がした、柳と戸川を責めるようなことは決してしなかった。二人にさんざん悪態をついた、倉田警部とは違っていた。倉田は上松署から来た二人の捜査官の手前、このような失態を犯した柳と戸川に、小幡署の恥さらしだと、くどくど嫌みを言った。鳥居は気落ちしていた二人を、 「茹(ゆ)で蛸(だこ)親父の言うことなんか、気にするな。加茂署で何かつかんで、茹で蛸親父を見返したれよ。元気出しゃあ!」 と軽く背中を叩いて励ました。三浦はそんな鳥居に全幅の信頼感を寄せた。
 鳥居と三浦を始め、八人の警察官や検察官が令状を取り、大岩が住んでいた名古屋市千種区(ちくさく)のマンションを家宅捜索した。マンションの管理人に解錠させ、立ち会ってもらった。
 大岩の部屋は、さすがに手がかりになりそうなものは処分してあるようだった。写真、ノート、メモ書きなどを押収したが、これといって有力な手がかりは見つからなかった。三浦は本棚にあった本も、一冊一冊丹念に、すべてページをめくった。そこには北村弘樹の『鳳凰殺人事件』と『荒原の墓標』があった。三浦は『荒原の墓標』の中を見てみた。すると、本のページの間から、メモ書きが見つかった。まさに大岩が殺害されるシーンを描写したページだった。そのメモ書きには、東区のマンションの住所や部屋番号、電話番号が記してあった。三浦はその番号に電話をかけてみた。しかし何度呼び出しても、むなしく呼び出しのコール音が響くだけだった。そのマンションの住所が、久美が絞殺された出来町公園の近くだということに気付いた三浦は、事件と何か関連があるのではないかと考えた。三浦と鳥居は、他の捜査官の許可を取り、そのマンションに急いだ。
 そこは東区出来町(できまち)にあるライフパレス徳川という、築一五年以上を経た、六階建てのマンションだった。出来町通りから少し北に入ったところで、都心の栄や、大曽根に出るのに便利な位置にある。ここは美奈の生家である、光照寺の近くだということに三浦は気付いた。
 マンションの管理人に身分を告げ、鳥居と三浦はその入居者についての話を聞いた。まだ事件との関係もわからない段階で、部屋の捜索令状は取れなかった。
 マンションのその部屋は分譲ではなく、賃貸となっており、借り主は高田康夫となっていた。
「高い安いで、何となく偽名臭いがや」と鳥居がいぶかった。三浦も同感だった。
 その部屋には男女数人が出入りしていたが、ここ二ヶ月ほど、借り主の高田には会っていないそうだ。ちょうど山下が被害に遭った時期に符合する。出入りしていた女性というのが、徳山久美の特徴によく似ていた。家賃は定期的に振り込まれているため、管理人としては高田にしばらく会っていないことは、あまり問題にしていなかった。三浦は賃貸契約のときに取った住民票などがあれば、見せてもらえるように頼んだ。令状がないので、拒まれれば強要はできないが、管理人は相手が刑事なので、応じてくれた。賃貸契約書の原本は不動産会社が保管しており、管理人の手元には運転免許証のコピーしかないとのことだった。
 コピーはかなり鮮明で、顔写真が何となく山下に似ていた。全くの同一人物ではないが、山下がちょっと顔を変えれば、そんな感じになる。三浦は管理人室のファックスを借り、そのコピーを県警の石崎警部宛に送った。
 しばらくして三浦の携帯に、石崎よりその免許証は偽物であるとの報告があった。高田康夫という名前も偽名だった。免許証の番号に、その氏名の者が該当しない。記載されている本籍も住所も虚偽のものだ。実物を見ていないので何とも言えないが、ファックスで送られた画像を見る限り、かなり精巧に偽造されており、素人目には偽物と判別するのはむずかしいだろうということだった。
 三浦はその免許証が偽造であることを管理人に告げ、犯罪に関係している可能性があるので、部屋を見せてもらえるように頼んだ。管理人は驚いて、三浦の要請に応えた。
 高田の部屋は四階四〇二号室だった。管理人はスペアキーでドアを開けた。部屋は2LDKで、リビングにあるテーブルの上にパソコンが置いてあった。
 テーブルの上に何気なく置いてあったUSBメモリーを目にした鳥居が、 「おい、トシ、こいつに何か入っとるかもしれん。ちょっと中見てみよまいか」 と三浦を促した。鳥居は近くが見づらくなっているので、パソコンの操作を三浦に任せた。令状もないのにあまりやり過ぎると、あとあと問題になるかもしれないが、三浦は何となく胡散臭いものを感じた。それでパソコンを起動して、USBメモリーの中を読み出した。ついている指紋などを消さないよう、ハンカチにくるんで、そっと作業をした。
 三浦は「jewel」というファイルを開いてみた。そのファイルは、何かの見取り図のようだった。その見取り図には、金剛堂と記入してある。金剛堂、と呟いていた三浦は、ふと思い当たった。
「鳥居さん、金剛堂というと、確か去年の夏、強盗に遭って、警備員が一人殺された店ですよ。繁藤の事件で協力した、神宮署が担当している事件です。まだ解決していないはずです」
 さらにファイルを開いてみると、例の詐欺グループが犯したと思われる詐欺事件のことが、次々と出てきた。
「おい、トシ、こいつはどえりゃあもんが出てきてまったがや。ここは詐欺グループの拠点みたいだな。こんな重要な証拠物件を残しとくとは、つくづくとーれーやつらだがや」
 鳥居はあきれてそう言った。しかしそれは、武内に憑依した秋田が、意図的にやったことだ。刑事に監視され、動きがとれない大岩が、武内にこの部屋の証拠物件の隠滅を依頼した。武内は 「処分しておいた」 と言いながら、大切なUSBメモリーを意図的に残してきたのだった。USBメモリーだけではなく、ほかにもいくつかの証拠書類などを残しておいた。大岩のマンションにこの部屋のメモ書きを残したのも、秋田だった。秋田に憑依された大岩が、無意識のうちにメモ書きを挟んだのだった。
 久美はメガネをかけ、髪型を変えていたので、マンションの管理人は、その被害者がこの部屋に出入りしていた女性だとは気づかなかった。
 三浦は捜索令状を取り、すぐに家宅捜索にかかるので、それまでこの部屋は絶対に触らないよう、管理人に強く言い聞かせ、県警に向かった。鳥居はひとまず小幡署の合同捜査本部に戻った。鳥居と三浦の発見で、県警と小幡署はひっくり返るような騒ぎになった。

 加茂署では、凶器のナイフから、照合可能な指紋を検出した。ナイフの柄はぬぐわれていたが、一つだけ指紋が残っていた。
 警察庁に指紋照合の依頼をすると、名古屋市港区に本拠を置く暴力団極導会(きょくどうかい)の元構成員、武内雅俊三八歳であることが判明した。また、ライフパレス徳川の部屋からも、武内と大岩の指紋が検出された。それ以外にも徳山久美、山下和男、佐藤義男、その他の指紋が見つかった。おそらく秋田宏明のものもあるのではないかと思われた。秋田の遺体は腐敗が進み、指紋の採取は不可能だった。
 USBメモリーや部屋に残されたノートからも、これまでの多くの詐欺事件や金剛堂強盗事件を裏付ける、重要な証拠が見つかった。これで事件は一気に解決に向かうと思われた。詐欺事件を扱っている捜査二課も、今回押収した資料に注目した。あとはただ一人生き残った、武内雅俊を逮捕するだけだ。


『幻影2 荒原の墓標』第32回

2014-08-22 10:39:07 | 小説
 広島市で豪雨のため、大変な災害が起こっています。
 私の彼女も現在広島県に住んでいますが、彼女のところは大丈夫でした。
 最近は1時間に100mm以上の豪雨は珍しくなくなったようです。
 先日、うちのすぐ近くの名古屋市守山区でも100mmの雨量を記録したとのことです。数年前に庄内川が氾濫し、このときは多くの住宅に浸水しました。
 国や自治体は災害に対し、十分な備えをする一方、私たち一人一人もいざというときに、適切な行動がとれるよう、常に心の準備をしておくべきだと思います。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』32回です。


            3

 九月六日はさくらの誕生日だ。さくらの星座は乙女座である。恵は 「さくらはとても乙女座だなんて思えない」 と憎まれ口を叩いた。
 その日はちょうど水曜日で、卑美子ボディアートスタジオは休みだ。恵、美貴、美奈も公休日にしている。夕方、今池にあるレストランの一室を借り、卑美子がさくらの誕生日パーティーを開いてくれた。今池は名古屋屈指の繁華街で、卑美子のスタジオから地下鉄で一駅だ。歩いてもたいした距離ではない。パーティーにはトヨも参加した。
 葵もわざわざ静岡から出てきてくれた。秀樹のヴィッツを借り、静岡から東名高速道路を飛ばしてきた。葵は昼間、さくらに腰の左側に、牡丹の花を二輪彫ってもらった。色は鮮やかな赤と渋い紫だ。赤い牡丹がメインで、紫はやや小さめだ。将来子供と一緒にプールに入れるよう、水着で隠れる場所でなければならない。葵は当分の間、これ以上はタトゥーを増やさないつもりだ。もし増やすなら、子供が成人してからだと考えている。
 さくらと仲がいい、皐月タトゥースタジオの鬼々も誕生日会に参加した。鬼々は初対面の葵、恵、美貴、美奈に名刺を渡して挨拶をした。鬼々は美奈のことは、以前にさくらから聞いており、またタトゥー雑誌にも載っていたので、知っていた。鬼々も今はプロのアーティストとして活動している。スタジオの事務室の一部をパーティションで区切ってもらい、自分のブースとしている。さくらと鬼々は、友であると同時に、切磋琢磨するよきライバルでもあった。
 まずみんなでさくらの二四歳の誕生日を祝って、乾杯をした。卑美子が乾杯の音頭を取った。車で来た葵も、今夜は恵のマンションに泊まるので、ワインで乾杯した。車は美奈が借りている、オアシス近くの駐車場に入れてある。美奈は今日はJRで来ている。
 さくらは作品を記録するデジタル一眼レフカメラを欲しがっていたので、葵を含めたオアシスの仲間でお金を出し合って、カメラをプレゼントした。誕生日会に参加できない裕子からもお金が届いていた。機種は美奈が選定し、なじみのカメラ屋で安くしてもらった。卑美子と同じ、ニコンのカメラだ。美奈もニコンのD50を愛用している。さくらには、発売されたばかりの上位機種、D80を贈った。
「ありがとう、みんな。こんないいカメラを。大事にするね。裕子にもお礼の電話しとくわ。いい作品をどんどん彫って、これで作品を記録するわ。いつか作品集を出したいな」
 さくらはみんなからのプレゼントに、大いに感激した。
 みんなは次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打った。
「裕子、大変ね。私も裕子から電話もらって、びっくりしちゃった。今日会えなくて、残念」
 主役のさくらが、裕子のことを話題にした。
「裕子、親父さんにタトゥーを消せって言われたそうだけど、私に彫ってもらったタトゥーは絶対消さない、と言ってくれて、嬉しかった。もっとも病院でも、きれいに消すのは無理だと言われて、親父さんも諦めたそうだけど。早く事件が解決して、また裕子も交えて会えるといいね」
 話題はしばらく裕子のことになった。葵も久しぶりに裕子に会いたがっていたので、裕子の欠席を残念がった。裕子の兄の不幸についてはすでに連絡を受けていた。
 一昨夜、裕子が兄宏明らしい霊を見た、ということも話題にのぼった。
「あたいは親に会うときは、さすがに顔の桜はファンデで隠してますよ。でも、タトゥーの仕事をやってること知っているから、もう顔の桜のことは気付いてますけどね」
 鬼々は不退転の決意を表明するために、左のこめかみに桜の花を入れた。鬼々はなぜ顔に消せないタトゥーを入れたのかを、美奈たちに説明した。
「すごいわね、鬼々さん。さくらも鬼々さんを見習って、顔に何か入れたら? おでこに肉とか」
 恵がいたずらっぽくさくらを促した。
「私も前にトヨさんに、ほっぺいっぱいに桜を彫られそうになって、焦ったことがあるの」
 トヨと鬼々が卑美子のスタジオで一夜を明かしたときの出来事を、さくらはみんなに語った。トヨはニヤニヤ笑ってさくらを見ていた。
「うちのスタジオでは、目立つところには、本人のよほどの決意がない限り、彫らないようにしていますからね。だから、さくらの顔に彫る、ということは許可しませんでした。殺鬼には殺鬼の考えがあるので、口出ししませんが。裕子さんも目立つ手首に入れたいというので、一緒に相談に乗りましたけど、裕子さんにはリスカのいやな思い出を振り払って、強くなりたいとの決意が強かったから、私も賛成しましたよ」
 卑美子がスタジオの考え方を説明した。
 卑美子は少しおなかが目立ってきた。もう二〇週になる。最近は胎動もあり、新しい命への慈しみが実感できる。子供は男の子だ。卑美子の体つきも全体的に丸く、ふっくらしてきている。今は新規の予約は受け付けず、すでに予約を受けている客や、大きなものを彫っていて、継続中の客だけにタトゥーを彫っている。スタジオの主役はトヨとさくらに移行している。さくらはまだプロとなって二ヶ月とはいえ、口コミやネットで名前が広がり、客も増えてきた。全国的に知名度が高い、卑美子ボディアートスタジオ所属のアーティストというネームバリューも大きい。まもなく発売される『タトゥーワールド』に、トヨとさくらの特集が掲載される予定だ。それにより、さらに客の数は増えるだろう。
 少し前に、卑美子に背中一面に水滸伝(すいこでん)の豪傑、“波切り張順(ちょうじゅん)の水門破り”の絵を彫ってもらっていた男性客がいた。その客は、まもなく産休に入る卑美子は、もう当分タトゥーを彫ってくれないと早とちりして、和彫りを専門にしている彫瑠(ほりりゅう)という彫り師のところで、続きを彫ってもらった。その客は彫り物ならどこで彫っても同じだと考えていた。
 ところが、彫瑠は機械彫りではなく、昔ながらの手彫りで、卑美子とは作風が大きく異なっていた。だから仕上がりが、卑美子に新たに描き下ろしてもらった下絵とは、全く違うものになった。あと少しで完成というところだったのに、せっかくの美しい図柄が、台無しになってしまった。
 彫瑠は客に彫りながら、さんざん卑美子の悪口を言った。
「卑美子の絵は彫り物になっていない。女に彫り物の神髄など、わかってたまるか。伝統の彫り物とは、こういうものだ」
 彫瑠はそううそぶいて、彫り物の伝統の美を語った。彫瑠の口車に乗せられ、客は卑美子ではなく、最初からその和彫りの彫り師にお願いすればよかったと後悔した。
 日本伝統の彫り物の絵は、確かに卑美子が描く精緻な絵に比べ、おおざっぱで稚拙に見える。だが、その稚拙に見える絵に、浮世絵のような、深い味わいがある。図柄を詳細に描き込むと、年数を経れば、線がぼけてきて、何を描いてあるのかわからなくなってしまうことがある。人間の肌は生きているので、皮膚に刺し入れられた色素が少しずつ移動し、にじんでしまうのだ。その点伝統の彫り物の絵は、大まかなようでも、経年による図柄の劣化の影響が少なく、また遠目にも引き立って見える。
 しかし、女性らしい感性を取り入れた卑美子の絵は、繊細で優美でありながら、五年一〇年と年月が経ち、輪郭が多少にじんできても、それなりに見栄えがするように、工夫されている。また、卑美子が引く輪郭は、長い年月が経っても、にじみにくい。日本伝統の彫り物とは趣が異なるが、卑美子の作品は、日本だけではなく、世界中のタトゥー愛好家に紹介され、高く評価されている。
 彫瑠の絵は、伝統の彫り物といいながら、ただ下手以外の何物でもない。彫る技術はまずまずではあるが。かつて名人と称された彫り師たちが彫った絵のような、味わい深い趣はない。卑美子の精緻で美しい絵とは、比べるべくもなかった。彫瑠は自分の稚拙な絵こそ、日本伝統の彫り物の絵だと勘違いしていた。
 また彫瑠は、卑美子ほどには衛生管理を徹底していなかった。高温高圧滅菌器オートクレーブを導入しているものの、針を使い捨てにせず、洗浄し、オートクレーブにかけて再利用していた。自分で組んだ手彫りの針だから、そうおいそれとは使い捨てにできないというのだ。それでいて、客には消耗品はすべて使い捨てをアピールしていた。彫瑠は針は消耗品ではないと考えていた。オートクレーブで滅菌すれば、感染のリスクはかなり減るだろうが、万全を期すために、針は使い捨てにするべきだ。卑美子は衛生管理に関しては、経費や手間を惜しむなと、トヨとさくらに指導している。
 その客は背中の絵が、あまりにひどく改変されたことに驚いた。せっかく卑美子に美しく彫ってもらっていた絵が、見るも無惨なものに変わっていた。作者を示す卑美子の銘まで、黒く塗りつぶされてしまった。しかし彫瑠の仕事場には、一目で暴力団関係者とわかるような人たちも出入りしているので、怖くて苦情を言うことができなかった。彼は卑美子に泣きついたが、もはやどうしようもなかった。
「現在継続中のお客様には、最後まで責任持って仕上げます、と言っているのに、なぜしっかり確認してくれなかったのですか?」
さすがに温厚な卑美子も、その客の軽はずみな行動には腹が立った。卑美子もその作品には、産休前に仕上げる最後の大きな仕事として、思い入れが強かった。それを台無しにしてくれたのだ。いきなりほかの彫り師のところに行くのではなく、せめてトヨかさくらにでも一言相談してもらえれば、そんなことにはならなかった。卑美子は客や彫瑠の個人名は出さず、そんなエピソードを披露した。
 続いて、話題は美奈の結婚のことになった。
 結婚といっても、一緒には住むけれど、しばらくは籍を入れない内縁の関係でいくつもりだと美奈は言った。だから結婚式なども挙げない。いれずみがある元ソープレディーと結婚したということになれば、三浦が警察で何かと不利な状況に陥ることは明らかだ。
 三浦は昇進の道が閉ざされてもかまわない、一刑事として犯罪を追いかけていくつもりだから、入籍しよう、と言ってくれる。しかし、それでは美奈の気がすまなかった。私は俊文さんのことを信じているから、内縁の関係でも大丈夫です、と美奈は譲らなかった。結婚といっても、結局は婚姻届一枚のことだ。法律上のことがどうであろうと、愛の絆さえあれば、それで十分だ。
 子供が生まれれば、認知の問題などがあるので、いずれは正式に入籍することになるだろうが、今は三浦の足を引っ張りたくない。
 三浦も高蔵寺の自然が好きなので、美奈と一緒に、高蔵寺近辺の、賃貸か安い中古のマンションを探している。そこに二人で住む予定だ。県警までの通勤は遠くなるが、どうせしょっちゅう事件であちこち走り回らなければならない。
 美奈はそんなことをみんなに話した。
「結婚式を挙げないなんて、いくら何でも寂しいよ。私たち仲間内だけでも、式の真似事をしようよ」
 恵がみんなに提案した。全員がそれに賛成した。美奈はそんな友の気持ちがありがたかった。
「三浦さんなら絶対の折り紙付きだと、鳥居さんが言ってますよ」
 卑美子が美奈を冷やかした。
「へぇ、美奈さんの彼氏って、刑事さんなんですか? ひょっとして、前に冥先輩のところに来た、あのすてきな刑事さん?」
 鬼々が美奈に尋ねた。確かあのとき、三浦と鳥居だと名乗っていたように記憶している。鬼々はけっこう記憶力がいい。鳥居に関しては、殺鬼がニコチャン大王にたとえたのが印象に残っている。
「三浦さん、前の美奈の事件も解決してくれたし、今度もきっと裕子のお兄さんの事件、解決してくれるよね」
 美貴が感情を込めて言った。いつもコンタクトレンズを使用している美貴だが、今日はしゃれた大きなメガネをかけていた。
「はい。直接は上松署の事件ですけど、三浦さんの事件とは関連があるようだから、きっと犯人を逮捕してくれますよ。もう犯人のめどはついたみたいです」
 美奈は確信を持って頷いた。
「でも、美奈はおめでたいことだから、しかたないとして、もし裕子までオアシス辞めることになったら、寂しいね」
 美貴がぽつりと言った。
「大丈夫よ。たとえどんなことになっても、私たちはずっと友達だからね。ここにいるみんな、そして裕子も仲間なんだから」
 恵が力強く宣言した。
 さくらの誕生日パーティーは三時間ほど続いた。女性ばかりということで、けっこうきわどい下ネタも飛び出し、美奈は顔を赤らめた。
 美貴はさくらに、以前雑談で出たベルサイユのばらのオスカルを、背中か太股に入れてみたい、という相談をした。さくらはだいたいの希望のイメージを聞いて、近いうちに見本の絵をいくつか描いておくと約束した。ただ、漫画やアニメのキャラクターを入れる場合、自分が五〇歳、六〇歳と年をとったときでも、その絵に納得できるかをよく考えて、とアドバイスした。以前、腕にキティちゃんを入れてほしいと依頼した二二歳のバーのホステスに、 「若い今はかわいいけど、お婆ちゃんになったときにキティちゃんでいいですか?」 と助言して、結局赤いハイビスカスの花と蝶に変更したことがあった。そのことも美貴に話した。
 以前ラオウを彫った男性客の友人が、ラオウの出来栄えに 「おお、すげえ」 と目を見張り、背中にケンシロウを彫りに来ている。彼のガールフレンドが 「背中は大きすぎるから、あたしは太股にユリアを入れようかな」 と迷っているそうだ。さくらは 「タトゥーは一生ものだから、いっときの勢いで入れるんじゃなく、よく考えてからにしてください、と彼女に言っておいてね」 とアドバイスした。
「さくらは漫画のキャラクターがうまいんだから。私じゃあ、ちょっとかなわないわね」
 トヨがさくらに脱帽した。アーティストにも得手不得手がある。デッサン力はさくらが勝っているが、和風の絵に関してはトヨに一日の長がある。鬼々は洋風な絵柄を得意としている。
 それから近くの喫茶店で二次会をして別れた。葵と美奈は恵のマンションに泊まった。方向が一緒なので、美貴もタクシーに同乗し、アパートまで送ってもらった。鬼々はトヨ、さくらと卑美子ボディアートスタジオまで歩いていった。トヨも久しぶりにスタジオの自分の部屋に泊まって、さくら、鬼々と遅くまで語り合った。