怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

少しでも役に立ちたい! 被災者へのカンパ、まだの方は一緒に

2011年03月21日 | 東日本大震災…山形から

無理にすすめるわけではありません。このままでは、自分が自分に納得できないからカンパをするだけです。

でも、まだの方がいたら、一緒にどうですか?

今朝のテレビに、アジアのスラムの人たちが、日本の私たちのために募金を集めている姿が報道されていました。見ていて胸が痛くなりました。

何もしないままでは一生悔むことになってしまう、そう思うのです。

募金はいろんな団体、ルートですすめられています。それは大いに良いことだと思います。私たちもその端っこに加わりたいのです。

     

カンパの具体的な方法は以下のとおりです。

① 主催団体は、(有)保険相談所 とします。責任者は私、東海林正弘です。(有)保険相談所について疑問の方は、次のアドレスでホームページをチェックしてください。

  http://www.tmn-agent.com/hokennsoudannsho/

② 募金の口座は、 きらやか銀行寒河江支店、普通預金、口座名義人「トウカイリン マサヒロ」、口座番号「300827」。

③ 入金状況は、適宜、このブログで報告します。3月21日から始めて、今日現在の残高は 100,066円です。

「touhokudaijisinnkannpa.JPG」をダウンロード 

④ 一定期間が過ぎた段階で、募金をまとめて、県か日赤に送りたいと考えています。その経過は、このブログで相談、報告します。

なお、今回のカンパ活動の責任は、(有)保険相談所 代表取締役 東海林正弘 にあります。

お問い合わせは、わたくし、東海林正弘に。

メールアドレスは、 tok222@io.ocn.ne.jp

  以上です。

 

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被災地ではない山形でも、表に出ない死者や生活の窮迫が…

2011年03月21日 | 東日本大震災…山形から

「買いだめ」とかテレビでは報道されているが、山形でガソリンスタンドに列を作っている人の大部分は「買いだめ」なんかじゃない。

田舎でも、鉄道が廃止されたり効率化される中で、否応なく「車社会」にされてしまった。車がなければ、鉄道もバスも不便な中で、基本的な生活が成り立たなくなってしまっている! (この陰でほくそ笑んできたのは誰?)

89歳のお袋は、ここから往復50キロくらい離れた病院に入院している。医者からは「肺に水が溜まっていて、体が弱り、何時亡くなっても不思議じゃない」と宣告されている。

だが、しかし、お袋の見舞いに行けない、ガソリンが無いから!!

先週、見舞いに行ったら、ガソリンががたっと減った。保険代理店という仕事柄、大きな事故があったら駆けつけなければならないし、お袋の万一の時も「ガソリンが無い」などと言ってられない。

お袋の最後に立ち会うこともできないとしたら・・・? 世話になった息子として何と詫びたらいいのか?

地震に弱い車大国!

ガソリンの行列には、多くの人の必死な思いがあるのでは、と思った。

    

自動車保険のことでお客さんと話していたら、こんなことを言われた。

「86才のおばの葬式だったのよ。酸素吸入してたんだけど、地震の時の停電で弱ってしまった。小さな酸素ボンベはあったんだけど…ね。弱って、プリンを咽喉に詰まらせて亡くなってしまった。割に元気だったのにねえ。」

直接、地震で亡くなったとは言えないかもしれないが、巨大地震は、被災地をはじめ多くの地域に、巨大な爪痕を残しつつある。

隣の西川町のお客さん(70代)は、早朝の午前4時ころ、ガソリンスタンドに並ぼうとして、同じく並ぼうとしていた人の車に追突してしまった。

これから深刻な問題として表面化してくることの一つが、派遣やパートの人たちが賃金をカットされないかという問題。「原材料が入らないので臨時休業に」、「ガソリン不足のために出社できないから」など、仕事を休まざるを得ないという問題はあちこちで起きている。

「金が入らない」「困った」との声は、すでに聞こえ始めている。

これは、山形の地元企業では背負いきれない問題かもしれない。かといって、放置できる問題でもないのではないか。

国として何とか統一的な対策を考えることが必要になるかも。

     

みんなで生き抜くための、自分たちのささやかな節約法などについて少々・・・。

① 車はできるだけ乗らないのはもちろん、乗る時もエアコンを切る。

② 灯油も残り少ないので、ファンヒーターを止めて、石油ストーブに。古い型の上が鉄板で熱くなるタイプが、押入れの奥に大事にとってあった。暖房になるし、一昨日は豆を煮るのに最適だった。ただし、換気に注意!

③ お風呂は、夫婦でばらばらに、とくに私は夜中に入っていたが、できるだけ続けて入り、お湯を沸かす無駄を防ぐ。髭剃りも、今まではお湯で安全剃刀で剃っていたが、灯油を使わないために電気カミソリを使うことにした。でも、剃り味は安全剃刀が一番だなあ。

④ 自動車保険の継続手続きなどは、車を使わないために、当面はできるだけ電話での手続きにしてもらっている。

⑤ これは以前からだが、事務所のトイレには「音姫様」なるものを取り付け、音を消すための水を使わないようにしている。

  ・・・などなど。

これは、被災地から離れた山形での地震の記録第二号。

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地震の中での1週間  申し訳ないけど生活確保に走りました・・・山形県寒河江市在住

2011年03月21日 | 東日本大震災…山形から

3月11日の午後、代理店で仕事中に「あっ、地震だ」「えっ、机の下? 外へ出る!」 
あわてて外へ飛び出し、「あっ、茶々(犬)茶々!」と家に戻って犬を抱えて、また飛び出す。

その後、最初は停電程度で、すぐに収まると思ってた。
11日の夜は真っ暗。ろうそくと懐中電灯、携帯ラジオが役に立った。食べ物は生協のおかげで心配なかったし。
その日は水が止まらなかったので、これも大いに助かった。

12日は朝6時過ぎから、まず、水をバケツや鍋に汲めるだけ汲んだ。2階の水の出が悪くなったから、今のうちにと1階で汲んだ。
娘たちや息子のことが心配で、東京に行けないかと高速のインターに行ったが駄目。「それじゃあ」と買い出しに走った。
開いてるスーパーを探しまわり、1時間半ほど並んで、ろうそく、乾電池、冷蔵庫とアイスボックス用の氷を買った。3品に制限された。

そのあと、ガソリンを求めて走りまわった。
自分の車は、ガソリンを入れようとしていた時なので、ガソリンカラカラ。
大きな事故があったら駆けつけなければならないし、母親が入院中で、医者からは「いつ亡くなってもおかしくない」と言われていた。でも、ガソリンが無ければお袋の危篤に駆けつけることもできない。

地震から毎日5~6時間も並び続けた。2時間も並んで「売り切れ」と言われたこともあった。
ようやく4日がかりで、半分ほど(25リットルくらい)詰められた。
なんとか万一に備えられると一安心。
ガソリンに振り回された1週間だった。

これからのこととして、いくつか気付いたことは・・・

被災地の人たちとは比べ物にならないけど、山形でも大変なのが、
やはり、
① ガソリンがないこと、買い物にも、急用があっても足が無い。「入院中の父親のところに行けない」という声も。
② 仕事が休みになってしまったので、収入が無いとの悲痛な声も。「東海林さん、交通事故の保険金は早く出ないかな?」との電話があり、急いで手配したことも。
・・・
大したことでもないように見えるが、次に活かすためにも、少しずつ記録していきたい。
今回は第一号。

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