怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

投票日迫る都知事選、最大の争点は“ガン”と“大震災”

2016年07月26日 | 生活のあんしん

7月15日の各紙に、「新規がん患者100万人超 死者37万4000人、高齢者増 要因」(山形新聞)というタイトルが躍った。

国立がん研究センターの予測発表だという。

私は仕事柄(保険代理店)、ほぼ状況を知ってはいたが、それでもショックを受けた。

新聞、テレビの報道に注目したが、意外なくらいの冷静な報道ぶりにびっくりした。

みんなに聞きたい。 

毎年37万人前後の人がガンで死ぬ! これは驚くに値しないことなのか?

毎年100万人前後の人が新たにガンにかかる! これは驚くに値しないことなのか?

第二次大戦時の日本の死者(軍人・軍属だけなのか、広島長崎の被爆者など一般国民の死者も含むのか記憶があいまいだが、)が300万人と言われている。これと比較しても「毎年37万人の死者」というのは凄い数ではないのか?

誰もが、大切な人をガンによって奪われていないのか!

私は今年に入ってからも、3月、従妹を急性骨髄性白血病で失った。

あなたはどうですか?

言わば第二次大戦時のような被害者の多さではないか?

 

いつ襲ってきてもおかしくない「関東大震災」、これも大変だ。

10万人以上の死者を出した1923年9月の関東大震災、あの時、「大地震の時が近づいている」と警告を発した地震学者が居たという。それが学会の「いたずらに不安を煽ってはならない」との多くの意見に抑え込まれたとか。

日本は、なんでこうまで無難に無難に、「波風を立てない安全策」に閉じこもるのか?

その結果が、巨大な不幸に導いているのではないのか!

 

先の参院選でもそうだったと思うが、ガンと「関東大震災」は国民が総力を挙げて立ち向かうべき巨大なテーマではないのか。

私は声を大にして叫ぶ!

「ガンとたたかおう!」

「明日くるかもしれない関東大震災に備えよう!」

都知事選は、これを全国民に提起し、みんなで考え行動するいい機会ではないのか? 

候補者同士が、ぜひ議論をたたかわせあってほしい。

 

私が一番恐れるのは、オリンピックのさなかに「関東大震災」が襲ってくることである。

極論と言われるだろうが、私はオリンピックの延期を提案する。

有名スポーツ選手は命がけでオリンピックにそなえようとしているのだから、「東京オリンピックの延期?」、「何を言ってるんだ」となるだろう。

しかし考えてみてほしい。

大切なのは、自分のメダルなのか? 国民の生命を守ることなのか?

万が一、オリンピックの時に大地震が襲ったら、いったい誰が責任をとるのか?

 「関東大震災」の危険が目の前に迫っていることを知りながら、オリンピック招致の旗を振った安倍首相なのか?

まさか「想定外」で逃げることはないだろうが・・・。

 

 

 

 

 

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実は、私は「隠れ小沢派」

2016年07月14日 | 国際・政治

今回の参院選挙で、小沢一郎が中心の「生活」の党が、比例区で106万票を得て1議席を確保した。

最後の方で滑り込んだらしい。

夜中の4時ころまでは開票速報を見ていたが、眠ってしまい、朝、眼が覚めたら1人(青木愛さん)当選していた。

社民党の福島さんの当選にもほっとしたが、実は私は比例区は「生活」に投票したのです。

私は「隠れ小沢派」なんですよ。

何でか?

戦後日本の政治家で、自民党から一時的にでも国家権力を奪ったのは小沢一郎だけだから。

もちろん、彼一人の力ではないが、彼が中心になって、2度、政権(国家の権力)を自民党から奪った。

一度は細川内閣で。

もう一度は鳩山内閣で。

そして、2度とも、朝日新聞などの「革新的マスコミ」(?)による小沢攻撃と、うまく踊らされた村山や菅直人などの裏切りによって国家の権力は自民党に奪い返された。

言い換えると、当時の社会党や民主党の村山や菅直人、野田、この3人の首相経験者は、国家とは何か、その権力の凄さを知らなかったのだし、自民党は当時の社会党委員長の村山を首相に担いでも政権にしがみつこうとした、それほどに国の権力とは何かを知り尽くしていたということ。

権力を知り尽くしている小沢だから、当時も、今回の野党4党の協力にしても、対自民党の野党協力構築に執念を燃やしていたのだと思う。

とても、ただの「旧田中派」、「金権」などのレッテルで切り捨てられるものではない。

小沢一郎に昔日の面影はない。だが、小沢には余人に代え難い何かがある。

自民党がわが世の春を謳歌している今だからこそ、打倒自民党のために、小沢一郎には舞台から去ってほしくない。

難しいだろうが…。

今回も、何とか小沢が生き延びたことを、日本の世直しのために喜ぶ。

 

「なんで、小沢などを」と言う人もいるだろう。だが、

それほどまでに日本の政治が右に動いている、だから、あまり変わらない小沢が左みたいになってしまった。

社民党が「生活」と国会内統一会派を組むという。これは、単に両党の数が減ったからだけではないと思う。

日本全体が右旋回しており、それをくい止めるためには、社民党は生活の党とも手を組まなければならないのだ。

村山政権のドタバタと、その後の社会党の転落を知る者としては感慨ひとしおというか、言いあらわせない思いがする。

 

1994年、当時の社会党村山委員長が、細川連立政権とそれに続く羽田内閣から離れ、自民党政権のシャッポになったとき、大義として掲げたのは「反小沢」だった。

だが、それは国民・大衆から支持されなかった。

社会党の急転落はここから始まった。

村山社会党は、完全に闘うべき相手を見誤っていた。

当時、居ても立ってもいられなくなった自分は、入社して8年ようやく落ち着いた会社を辞めて、その退職金200万と友人たちのカンパで市会議員選挙に立候補した。勝算もなにもない無謀な選挙だった。

地域の課題を組み上げつつも、村山自民党政権を批判し、消費税5%アップに反対した。

社会党本部からは「勝手に市議選に出馬し、村山委員長を非難している」と社会党を除名された。

今だから言うが、もし当選していたら、全国の社会党員に呼び掛けて“護憲社会党”をつくるつもりだった。

そのための立候補だったし、全国に「社会党はこれでいいのか、無名党員の会」という組織も立ちあげていた。

だが、仲間たちが手弁当で献身的に応援してくれたにもかかわらず、私の力不足で市議選に勝てなかった。

 

そのころからか、小沢一郎には不思議な連帯感を抱くようになったらしい。 

小沢一郎よ、身体を大事にしながら、もうひと働きしてほしい! 

 

 

 

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