怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

ヒットラーに乗っ取られたベルリンオリンピック ・・・ 翻弄されるオリンピック選手たち

2021年05月30日 | コロナとたたかうぞー

日本では、あのヒットラーが侵略と虐殺の戦争に利用したベルリンオリンピックについて語られることは少ない。

今また、コロナとたたかい、全世界の民衆の生命をまもるために平和と友愛のオリンピック精神の発露に努めるのか、それとも、政治的野望や個人的名誉(利益も)のためにオリンピックを利用するのか、二つの道の前でたじろぎ迷っている、それが日本のオリンピック界ではないだろうか?

1936年8月、ナチスドイツの領袖ヒットラーとその信奉者たちが推し進めたベルリンオリンピックこそ、歴史に残る欺瞞と野望のオリンピックだった。オリンピックはここから大きく狂いだした。

平和の祭典のはずのベルリンオリンピックからわずか3年後、1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火ぶたを切った。

第二次世界大戦中の全世界の死者総数は5000万人とも8000万人とも言われる。

一体、ベルリンはなんのためのオリンピックだったのか?

 

ヨーロッパとアメリカではベルリンオリンピックボイコット運動がおこった。これはオリンピックの歴史で初めてといわれている。

しかしボイコット運動は成功しなかった。

その大きな要因はアメリカのオリンピック委員会がナチスに協力し、積極的にベルリンオリンピック推進にまわったことである。そしてその中心こそアメリカオリンピック委員会の委員長アベリー・ブランデージだった。

彼は後に国際オリンピック委員会の第5代会長を務めた。親ナチスの彼が、平和の祭典オリンピックの会長に登りつめたのだ。

なぜ彼が? 彼がオリンピックの会長にふさわしいのか?

日本に関することで言えば、ベルリンオリンピック平泳ぎの金メダリスト前畑秀子についても知っておくべきではないのか?

単に称賛されているだけのようだが、ヒットラーの野望に協力することになっていることをどう考えるのか?

当時の日本の状況ではやむをえなかったかもしれない。

だが、世界的なスポーツ選手であればこそ「政治とは無縁」ではなく、平和のためにできることをすべきだと思う。

現に世界的にはヒットラーのオリンピックに対するボイコット運動も起こっていたのだから、取り得る道はさまざまあったと思われる。。

そのときの態度は永遠に汚点としてのこるに違いない。

ギリシアから運ばれてきた「聖火リレー」は、日本国内では、あたかもオリンピックの神聖さのシンボルのように見られているが、意外や意外、あれを始めたのは残虐の極みのナチスでありヒットラーなのだ!

今こそ、日本のオリンピック選手の一人ひとりが、平和と友愛のオリンピックのために何ができるか、何をすべきか、を考えてほしい。

日本では、今までのところ、

「コロナから一人ひとりの生命を守るために私はオリンピックをボイコットする!」

「コロナから世界の子どもたちを守るためにボランティア運動に集中する‼」

というスポーツマンとスポーツウーマンが一人もいないらしい。これは余りに寂しいことではないのか??

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20億本のワクチンを世界の子どもたちへ・・・あなたはこの悲惨に眼を閉じていられますか??

2021年05月20日 | 一つの生命の重さは教える

ユニセフが子どもたちを守るための「新型コロナウイルス緊急募金」に取り組んでいます

「20億本の新型コロナウイルスワクチンを

       世界に届けるためにあなたのご支援を! 」

 

「子どもたちを苦しめるコロナ禍の一日も早い収束を目指して!

 コロナ禍で損なわれた保健・栄養サービスの復旧を」と題して

「パンデミック宣言から約1年。この間、途上国の子どもたちを取り巻く環境は急速に悪化しました。

 医療現場への負担の集中や、多くの医療従事者の罹患などにより、低中所得国では提供される保健サービスが50%も減少しています。母子栄養サービスも著しく減少しています。

 このままワクチンが届かず、子どもを守るシステムが圧迫されつづければ、何百万人もの幼い命が危機にさらされます。(つづく)」

 

 私たち1人1人が、こうした身の回りのできることから声を上げ、行動を起こすことこそ、平和の祭典オリンピックにふさわしいと思いますが、あなたはどう思いますか?

 

 最近、オリンピック精神はゆがめられているのではないか?

タイムや距離を競うことだけがオリンピック精神ではないはずだ!
 

 平和と友愛、危機の時代の助け合いこそ、オリンピック精神のはずだが・・・?

 今、世界中のコロナ禍に眼をふさぎ、ひとり一人の生命を守ることをおろそかにして、何がオリンピックか?

オリンピック候補選手たちは皆同じように「オリンピックで成績をあげ、みんなに勇気を与えたい」と言う。

それは勝手な思い上がりというものではないのか?

多くの人々はオリンピックの記録よりも、変異型コロナが蔓延することのほうを恐れているのではないか?

(つぎのテーマに続く)

 

 

 

 

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"さくらの丘” の夜桜は ひっそりと、でも力強く 咲いていました・・・寒河江公園

2021年05月05日 | 花や木々にも生命がある

     4月の後半、自動車険などの本業は一年で一番忙しい時期、だからこそ桜を見たかった。

しかし日中は時間が取れず、人込みも心配だったし・・・。夜、スーパーに買い物に行った

際、ふっと「ここからなら長岡山は眼の前」と気づいた。「ちょっと様子をみるだけ…」

「人がいっぱいなら帰ってくればいいし…」などと言い訳しいしい。

行ってみてびっくり、人が居ない。私が見かけたのは7人だけ。

桜だけが暗闇にライトアップされていた。

いくらコロナでも、もう少しは見てくれる人が居なかったら寂しいよね。

来年のために写真を何枚か。

 

来年はみんなで楽しく見れるといいですね。

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