怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

地震によるダム決壊の恐怖・・・藤沼ダムの報告 ②

2011年07月24日 | 地震でダムは大丈夫?

第一の問題。

藤沼ダム(福島県須賀川市)の決壊については、新聞・テレビから、問題があまりに小さくとらえられている。

「地震によるダムの決壊は日本で初めて・・・」などの報道も眼にしたが、はたしてそうだろうか?

あたかも、今回のダム決壊は「想定外」かのような見方である。原発と同じく。

自分はそうは思わない。

現地に行って、なおのこと確信した。

大地震、あるいは直下型地震がくれば、ダムは決壊の危険がある、こう想定すべきなのだ。「決壊しないでほしい」という願いを、「決壊するはずがない」という想定に変えてはならない。

   

第二の問題。

ダムの決壊は他所の問題ではない。

藤沼ダムのように、農業用の灌漑ダムというのは全国いたるところにある。

戦後の食糧増産の掛け声とともに、灌漑用のダムが、いわば手づくりで、厳密な安全対策も立てられないままに、全国に造られていったのではなかったか。

さらに、近くで言えば、山形県の寒河江ダム、貯水量1億500万トン(藤沼ダム150万トンの70倍)、これだって、どれほどの地震に耐えられるのか。大いに疑問だ。

あの原発も「絶対安全」だったはずだ。

    

みなさんに提案です。

自分のところのダムは大丈夫か? 自分の足と眼で、みんながチェックしようではありませんか。

   

以下は、3.11大地震で決壊した藤沼ダムの写真です。

P7170814_3

決壊して水が無くなり、雑草の原となった藤沼ダム。

   

P7170811

ダムの護岸が地震で崩れた。

   

P7170810

危うく決壊しかかった護岸。車道はダム側に崩れ落ち、残った土手は70センチ程度の厚さだった。反対側で決壊したために決壊を免れたと思われる。

    

P7170824_2

決壊現場。地震でダムの護岸が崩落し、そこへ150万トンの水圧がかかり決壊したのでは?

   

P7170819

スギの森を濁流がなぎ倒して駆け下った!

   

P7170826

濁流はここから! 

下の村は、突然の猛烈な「津波」(地元の生き残った人の話)に襲われ、家々が流され、8人の生命が奪われた。

コメント

あれえっ おかしいよ! ④ ・・・広がり続ける肉牛汚染、悪いのは農家なのか?

2011年07月21日 | 東日本大震災…山形から

◆ 広がり続ける肉牛の放射能汚染

稲わらの放射能汚染による肉牛の汚染問題は、心配されたとおり、より広範囲に、より深刻になっている。

7月21日の朝日新聞は報じている。

「岩手県は20日、一関市と藤沢町の畜産農家5戸のわらから(国の)基準の約2~43倍のセシウムが検出されたと発表した。」「一関市と藤沢町はともに宮城県境で、第一原発から約150キロ離れている。」

前日の20日付け朝日新聞では、「(宮城)県によると、いずれも第1原発から100キロ以上離れた大崎市、登米市、栗原市の4業者が・・・福島、山形、新潟、青森、茨城、群馬の6県に出荷した。」「このうち、3業者が販売した分の一部で基準値を超えたことが確認されている。」と報じられたばかりだった。

すでに、放射能に汚染された肉牛は沖縄を除く46都道府県に出荷されたという。

それらの肉牛は消費者の口に入っているものも多いはずだ。保育園や小学校の給食に使われたとの報道もある。

    

◆ 放射能は、どこまで広がったのか?

さらに心配なのは、放射能の専門家ではないので詳しいことは分からないが、セシウム検出の数値の高さと土壌汚染の広がりだ。

福島県郡山市のわらからは「1キロあたり50万ベクレルのセシウムを検出」(7月17日付朝日新聞)。

宮城県産の「福島県に出荷されたわらからは1キロあたり3万4千ベクレルが検出された」(7月20日付朝日新聞)。

原発からさらに離れた岩手県のわらからは「1キロあたり2560~5万7千ベクレルのセシウムを検出した」(7月21日付朝日新聞)。

国の基準値は、1キロあたり300ベクレルというのだから、深刻な放射能汚染が、私たちの想像を超えて、福島県どころか宮城県、岩手県まで広がっているのだ。

安心はどこへいってしまったのか?

何を信じ、何を基準に、考え、行動すればよいのか!

      

◆ 悪いのは農家なのか?

新聞各紙からは、農家の呻きが聞こえてくる。

「福島の畜産は存亡の危機・・・JA福島の庄條会長談」(朝日新聞)

「何年もかけて築いた信頼やブランドが落ちるのは一瞬だ・・・肥育農家」(朝日新聞)

「安全でおいしい牛肉を食べてもらいたいと頑張ってきたのに悲しい。牛たちにも申し訳ない・・・山形県の畜産農家」(山形新聞)

農家は、まさか稲わらが汚染されているとは思っていなかった。知るための情報が隠されていたのだ。

福島県の畜産業者は言う、「宮城県から仕入れたわらで、汚染されているとは夢にも思わなかった。」(朝日新聞)

山形県の畜産農家は「(わらを仕入れた大崎市は)原発からも遠い。疑いもせずいつも通り牛に与えていた。それが突然汚染されていると言われても、まさかという思いしかない。」(山形新聞)

    

宮城県や岩手県のわらが汚染されているなどとは思いもよらずに、畜産農家に出荷した稲わら販売業者が悪いのか?

放射能で汚染された肉牛と知らずに市場に出荷した畜産農家が悪いのか?

汚染されているとは知らずに、牛肉を消費者に販売したお肉屋さんが悪いのか?

何も知らずに「おいしい、おいしい」と食べてしまった消費者が愚かだったのか?

      

◆ 主たる原因は何か?

新聞、テレビなどは、この深刻な肉牛汚染問題の原因に迫っているだろうか?

朝日新聞(7月16日)は『「事故発生前に刈り取ったものだけを使う」という農林水産省の指導が、現場に徹底されていなかった』と言っている。

それもそうに違いない。

さらに、同じ日の朝日新聞は「県の(わらなど飼料についての)指導はどうなっているのか。行政の怠慢だ」との酪農家の怒りを報じている。

「事故後にわらを放射能測定していれば、こんなことにはならなかった」という稲わら販売業者の憤りもある(7月20日、朝日新聞)。

これらの指摘が間違っているとは思わない。

それはそうだが、これらが主たる原因なのか、と思う。

    

最大の問題は原発というものの爆発にあるが、その次に問題なのは、政府と東電の“事故隠し” “汚染隠し”ではないのか?

3.11地震直後の原発の爆発はチェルノブイリ級だったのではないか!

放射能は爆発直後に一気に広がっていったのではないか!

ところが政府は、原発から10キロ圏、20キロ圏と、危険区域を小出しに設定していたのだ。

とっくに放射能が拡散してしまった3月24日時点でも、政府は20キロ圏内を「避難指示」とし、30キロ圏内を「屋内退避指示」にしていた。そして「屋内退避指示の在り方を見直す方向で検討に入った」(3月25日、山形新聞)。

それも、枝野官房長官は「放射能の影響の問題とは別に、社会的な要請への対応だ。危険がさらに広がったのかとの間違ったメッセージにしてはいけない」とも強調したのである(同)。

「政府の対応が後手後手だ・・・」と非難されているが、私はそうは思わない。

「後手後手」というよりも、政府・菅内閣は、問題の巨大さに恐れをなして、躊躇し、右往左往していたのだ。真実を隠し、対策を小出しに小出しにし、その日暮らしをしていたのだ。

戦争論でいえば、「戦力の漸次的投入」の愚である。

その結果、地震と原発の爆発という災厄だけでなく、その後の2次的、3次的な災厄を招いてしまったのだ。

今回の肉牛汚染問題は、その典型的な具体例である。これは政府によって引き起こされた“人災”ではないのか?

国民に、今回の原発爆発の真実が、直ちに、できるだけ正確に周知されていれば、一時的なショックはあったに違いないが、こんな稲わら汚染による肉牛汚染問題など、起きるはずもなかった。

誰も、爆発後に屋外で放射能に汚染された稲わらなど使わないのだから・・・。

   

◆ まとめの代わりに3題:

① 『胎児や乳幼児「影響心配ない」 産科学会「遠ければ」』

『日本産科婦人科学会は16日、妊娠・授乳中の女性への放射線被曝の影響に関する見解を学会ホームページで公表した。福島第一原発で爆発事故が起きた15日に、同原発から5キロ以上離れた場所にいた場合、被曝量は人体に影響を与えない低レベルのもので、本人や胎児、母乳を飲んでいる乳幼児への「悪影響について心配する必要はない」としている』(3月17日、朝日新聞)。

産科学会もそうだが、これを無批判に報道した朝日新聞も、恐ろしい。

② 最近、小さく扱われていたが、きわめて重大な記事を見つけた。

7月17日の朝日新聞に「柏崎刈羽の経験生きず、中越沖地震から4年」と題した記事があった。それは、次の一節でまとめられていた。

『中越沖で保安院の対策委は、情報の正確性より迅速性を優先すべきだと指摘したが、今回も東電や政府の発表は混乱し爆発や炉心溶融の認定も遅れた。「パニックを恐れた」(細野豪志原発担当相)ため、放射性物質の拡散予測は最も必要な時期に公表されなかった。』

これを書いた記者は凄い、勇気がある。問題の本質に肉薄していると思う。最後に署名入りの記事となっていた。

「佐々木英輔」と。

③ 須賀川市の藤沼ダム決壊現場を調べに行った7月17日、途中の郡山市三穂田町の県道沿いで撮った写真です。

あまりに青々とした田んぼが美しかったから、ついシャッターを切った。農家の方たちの苦労が無にならないことを念じつつ。

20110717

この米さんたちは大丈夫か?

政府の対策が今のような状態で進めば、秋には大パニックがやってこないとも限らない。

消費者も、米農家も、どうなるのか?

少なくとも、政府は直ちに、放射能汚染の実状を公表し、米の出荷ができない地域を定め、その補償を明らかにすべきだ。

あわせて、すでに始まっているという米の青田買いを禁止し、罰則をもって速やかに取り締まるべきだと思う。

コメント

地震によるダム決壊の恐怖・・・藤沼ダムの報告①

2011年07月17日 | 地震でダムは大丈夫?

あなたは、東日本大震災によってダムが決壊し、住宅の全半壊だけでなく、7人が亡くなり、今もって1歳の男の子が行方不明になっているということを、知っていましたか?

知らない方が多いのでは? つい1か月ほど前までは、私も知りませんでした。

自分のところ(山形県)のダム(月山の麓にある寒河江ダム)は大丈夫か、と調べているうちに、「えっ! 3.11でダムが決壊したの?」と知ったわけです。

   

ここで、ちょっとヘソを曲げてみたい。

「知らないってことは罪じゃないの?」

「誰も教えてくれなかったから・・・で、済むの?」

原発のことも、ダムのことも、「政府もマスコミも教えてくれなかったから・・・」では、自分たちの安全も、生活も、守れないんじゃないの? 

これが、今回の一連の事態の教訓の第一じゃないのかな。   

政府も、テレビも、教えてくれなくても、自分たちでネットワークをつくり、自分たちで情報を集め、自分たちの生活や安全を自分たちで守っていく努力が必要だと思う。もともと、中国などの人たちは、そうして自分たちを守っているんじゃないか。

   

自分の無知を恥じるからこそ、自分の眼と自分の足で、そして自分の肌で感じるために、今日、福島県須賀川市のダム決壊現場に行ってきました。

灌漑用に作られた藤沼ダム、今回の地震で決壊し、150万トンの水が一気に濁流となって沢を駆け下り、山あいの集落を襲いました。須賀川市長沼地区。

北町という集落では、半壊で助かったお宅のおばあちゃんが、「地震がおわって良かったね」と、近所のお年寄りとお茶を飲もうとしたところへ、ごーっと濁流が流れ込んできた・・・と。

柱にすがって、何とか助かったと。

しかし、11軒の住宅のうち、残ったのは4軒だけだと。

近くの家では、おばあちゃんと1歳の子どもが流され、助からなかった・・・と。

    

今日は、とり急ぎ、報告の第1報です。

今回の写真は長沼地区滝の集落です。

    

◆ 写真1、ダムの濁流はこの森から奔流となって押しよせた。

P7170833

   

◆ 写真2、濁流は住宅を、人間の生活と生命を、呑み込んでいった。

P7170834

   

◆ 写真3、その威力は、コンクリートの護岸も破壊した。

Sh3b0135_2

   

◆ 写真4、4か月経って、失われた生活の跡は草ぼうぼうの原に。

P7170835

コメント

急な話ですが、藤沼ダム(福島県)決壊現場は?  明日行く人は? 案内してくれる人は?

2011年07月16日 | 地震でダムは大丈夫?

明日の日曜に、3.11大震災で決壊した福島県須賀川市の藤沼ダムを調べに行こうと思っています。

原発や津波のことも大事なのですが、同時に、内陸部でのこうしたダム決壊とそれに伴う家の全壊や8人の行方不明・死亡も大問題だと思うのです。

なんか「8人」というと小さな被害のような感覚になってしまっていますが、8人も大問題ですし、全国いたるところにあるのが藤沼ダムのような農業用の灌漑ダムだと思うと、他人事にできないんじゃないでしょうか?

   

どうしても現地を見たうえで、山形のあちこちにある農業用ダムについても考えてみようと思ったのです。

  

しかし、行く段になって、須賀川市の長沼支所に現地の様子を聞いたり、地図とにらめっこをしてみると、全然、現地のことを知らずに、一人で行くのはちょっと心細くなってきたんです。

そこで、急ですが、一緒に行きたいという人、あるいは現地に近い人で「案内してやろう」という方がおりましたら、ちょっとご一報ほしいのですが?

とり急ぎ、下記のメールか、私の携帯にご連絡下さい。

PCメール:tok222@io.ocn.ne.jp

東海林正弘携帯:090-1933-3579

コメント

ヘルニアから、歩き方の勉強に・・・歩き方も難しい?

2011年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

6月、7月と、椎間板ヘルニアで左足がしびれ、結構、苦しんでいました。

当初は整形外科に始まり、指圧や温泉浴など、いろいろと試みましたが、症状が軽くなるにつれ、早足の散歩や腰の体操などが中心になりました。

助けられたのは犬の茶々丸に。

毎朝、無理やり起こされるので、足がしびれて辛いけど、なんとか散歩を続けることができました。

Sh3b01250001

大いに参考になったのは、整形外科で渡された『弁慶・牛若丸の腰痛教室』という薄いパンフ。

特に「腰に負担をかけない歩き方」として、「かかとから着地」し、「後ろ足はつま先で地面をける」というのが難しかった。

子どもの時から何十年もやっていることなのに、歩くって難しいんですねえ。

なかなか、後ろ足の「つま先で地面をける」というのができなかった。

気にして歩きだしてから1か月も経ったころ、数日前の朝の散歩で、「“つま先でける”のがうまくいかないのは、足の指先が固まっているというか、縮こまっているからでは?」と、ふっと気づいたのです。

   

ずうっと革靴中心の生活をしてきているので、足の指が真ん中寄りに縮こまっているようなんです。だから、つま先でけるといっても、指先に柔らかく力が入らないようなんです。

こういう見かたはどうでしょうかね?

間違ってる?

それからは仕事中もスニカーで歩き、靴の中で、思いっきり指を開いているんですが…、これって腰にいいのかな?

  

歩き方のおまけは、散歩の途中で、軍隊調に、思いっきり膝を上げて歩くことです。これを200歩くらい歩くと脚が疲れてくる、なんか効いてるという感じなんですが?

コメント

あれえっ おかしいよ! ③ ・・・がれき処理法案、どうなってるの?

2011年07月11日 | 東日本大震災…山形から

7月7日付けの「山形新聞」によれば、「東日本大震災の津波などで発生した大量の災害廃棄物の処理を加速するため、政府が今国会に提出する特例法案が6日判明した。」

「市町村の事務であるがれき処理を、被災自治体の要請を受け国が直轄事業として代行できるとする内容」で、「8日にも閣議決定する」と。

   

えーっ!

あのがれきの山の処理は「市町村の事務」だったんだ!

見ただけで呆然となってしまうようながれきの山の処理を、この4ヶ月間も、被災した市町村に任せてきたのか?

存続すら危うい状態になっている市町村に?

      

「国による代行は、震災直後から自治体側が強く要望。」

にもかかわらず、財源負担の問題から延び延びになり、「処理の遅れに対する批判の高まりを受け、(政府は)震災から4カ月たって方針転換した」のだそうだ。

20110703

これは亘理町の阿賀野川河口付近のがれきの山。4か月経っても、こんな山があっちにもこっちにも・・・。

「一体、どうしろと言うんだ!」と叫びたくなるのではないか。

これは、まとめられて山になっているだけ、まだマシなほうかもしれない。

コンクリートの土台だけになった住宅街やがれきの散乱する田んぼを見たとき、自分が思ったことは、被災者の方には申し訳ないですが、ただ、ただ、無力感でした。

国民を守るべき国が、まずやることは「がれきの処理は国で行う、だから、みんなも頑張って」ということではないのか。

ところが現実は、「岩手、宮城、福島の3県から出た2183万トン(推計)のうち、仮置き場に移されたのは35%の763万トンだけ」(7月8日付け朝日新聞)という。

がれき処理は遅々として進んでいない。

4か月も経って、ようやく、がれき処理の特例法案を閣議決定の予定だとか?

    

自民、公明などの野党は、既に法案を国会に提出しているとか。

なぜ、進まないのか?

法案の中身について、新聞などの報道も疎かになっていないかと思う。

政争を取り上げるだけでなく、もっと被災地復興のための具体的な国会の動きを報道するべきではないのか。

      

「集落解散 住民散り散り ・・・石巻の雄勝・牡鹿地区」「地域社会再生困難に」(7月8日付け、日経新聞) 

「被災3県 転出超過3万人超」(7月9日付け山形新聞)

「沿岸工場 相次ぐ撤退、 宮城 引き留め限界も」(7月9日付け朝日新聞)

これらの記事を見ると、政府の無策に歯ぎしりする思いです。

みなさんは、どう思いますか。

ご意見を下さい。    

コメント

大震災から間もなく4カ月・・・ 亘理町の現場は、

2011年07月04日 | 東日本大震災…山形から

7月3日、ようやく被災地に行くことができました。最近は、持病のヘルニアが悪化し、左足が痛くて歩くのも辛かったのです。

しびれは残っていますが、なんとか歩けるようになりました。

   

仙台のお客さんの自動車保険の手続きもあり、昨日、仙台、仙台港、亘理町とまわってきました。

「これでもか、これでもか」と言わんばかりの惨状に、本当に心が挫けてしまいそうでした。震災直後は、「地獄絵もこれほどまでに酷くはないのでは・・・」と思わせるものではなかったでしょうか。

津波の残骸に覆われたであろう田んぼが、大分片付いているところも多かったです。

でも、まったく手つかずの田んぼもありました。

Photo

      

こんな瓦礫や残骸の片づけが個人の負担になっているからでは、と思いました。私だったらとてもできない、否、続けられない!

   

まず第一義的には、国の責任だと痛感する。個人の努力云々の前に、まず国が働かなければならない。そうしてこそ、個人が頑張る勇気を持てるのではないか!

   

津波で無残に壊された鉄工所(?)の中がきれいに掃き清められていました。再建の見通しも立ってない(?)状態の元で、掃き清める工場の経営者や従業員の姿が浮かび、胸が詰まるようでした。

Photo_2

    

Photo_3  

    

Photo_4   

残骸の山の中に、「ペコちゃん」の描かれたクッションがありました。

仔馬のおもちゃもありました。

子どもや親たちの笑い声が聞こえてくるようでした。

P7030696   

      

 P7030701  

   

P7030722

   

P7030708

   

P7030709

    

P7030707

   

第一回目の訪問で痛感したのは、こんなにも酷い仕打ちに立ち向かおうとしている被災地の皆さんの努力に、ただ、ただ、声もなく立ちつくす他なかったということです。

   

Photo_5

コメント