昨日、伺ったAさんのお宅で、「ひどい地震だったよねえ…」、「このアパートは造りが悪いのか、ものすごく揺れて、本や茶器など落っこって…恐かったあ」「ガソリンが無くて、はじめは毎日5~6時間も並んだ、それでも買えない時もあって」・・・などの話から、仕事の話よりも、自然に地震のことが話になった。
その中で強く印象に残ったことを幾つか。
[1] Aさんは「テレビ見て、何度も号泣しちゃったよ」、「子どもの顔が映ると堪らない」と言う。
言われて、はじめに思ったのは「自分はそこまで成れてない?」ということ。それよりも「原発はどうした?」、「被災地の状況は?」と、つい毎日、テレビを見ている。
もちろん面白半分なんかじゃなく、「日本が大変だ!」、「世界はどうなる?」、「東京電力は、菅首相は何をしてる。自分の政権維持ばかりじゃないか!」と怒りながら見ている。
しかし、Aさんのような思いが、この大災害(多分に人災もあるが)を考えていく土台になければ・・・と、はっと気付かされたのでした。
そして「日本全国で同じ思いをしている人が一杯いるに違いない」・・・と思ったのです。
今回の過酷な事実が、多くの人の胸に訴えている。多くの人の人間としての魂を揺さぶっているんだと気付かされたのです。
この事実に、いい意味でのショックを受けた。
過酷な惨状に立ち向かわなければならない、同時に、その過程で、多くの人の人間的な心に火が点けば、必ず前進できる。そう思ったのです。
[2] 昨日、3か月ぶりくらいに行った散髪屋のSさんとも話になりましたが、Aさんも言ってました、「今まで普通の生活が当たり前と思っていたけど、普通って大変なことなんだね」と。
毎日、ご飯が食べれる、お風呂に入れる、家族がいる、仕事がある・・・素晴らしいことなんですね。
Aさんも、Sさんも「子どもが、これは嫌いだとか言ったら、何を言ってるの、食べれるだけありがたいんだよと教えてる」と。
今回の大惨事は、私たちに多くのことを教え続けるのではないか。
[3] 被災地の子どもの映像を見て号泣するAさんは、実は、数年前、2人の小さい子どもがいるのに、夫が蒸発してしまい、毎日、あくせくと仕事や家事に追い回されている状態なのです。
大変な人ほど、苦しんでいる人に、愛情や連帯感を持てるものなのかも・・・と教えられたのでした。
先日、アジアのある国のスラムで、自分たちは食うのにも困っているのに日本のために義捐金を集めていると報道されていました。
人間って、片方に戦争を起こす人間もあるが、このような愛すべき人間もあるんだなあ・・・。