怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

「朝日新聞」の選挙報道に疑問あり ・・・ 歴史的・具体的な分析を

2009年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は総選挙。しかし、自分には納得できないものがあります。

 特に疑問なのはマスコミの報道姿勢、その中でも、長年愛読してきた「朝日新聞」の報道姿勢です。

 もちろん、自分達のやってきたことを棚に上げて相手の批判ばかりしている〇〇太郎君を支持するわけでもなければ、ノリピーとやらの報道に血道をあげているテレビ各局の報道ぶりに感心しているわけでもありません。

 期待すればこそ、朝日新聞などをはじめとする識者諸兄にモノ申したいのです。毎日毎日、昼も夜も、仕事に追いまくられているだけの凡人のたわ言にすぎないかもしれませんが、少しでも、今の日本が良くなることを願って、一言申し上げます。

      

[Ⅰ] 2009年8月29日付けの「朝日新聞」への疑問

 今日の未明、2時間ほどかけて「朝日」をじっくりと読みました。(ここ10日ほどは、毎晩1時間は「朝日新聞」を主に、地元の「山形新聞」と「日経新聞」を読んでいます。) そこで感じた疑問を幾つか上げてみましょう。

 ① 中味というよりも、「朝日」の報道姿勢に疑問を感じたのは、次のような記事でした。その一つは。

 4面「発言録」の舛添厚労相演説「(海賊から自国の船を)よその国に守らせて、我が国が尊敬を受けるとは思いません。我々自民党・公明党は外交政策、しっかりとした一本柱を持っています。野党(民主党)の諸君、昔で言えばソ連と手を握るような共産党みたいな連中と(連立)政権結んで、アメリカとの関係どうなるんですか。」

 ・・・これを、実際にあった発言だからとそのまま掲載することが“真実の報道”でしょうか?

 麻生首相の発言ぶりにも呆れますが、国政に責任ある大臣が、相手を批判するためなら何を言ってもよいのでしょうか? 野党に転落した時、政権を奪還するためなら黒も白と言わんばかりに、当時の社会党と手を組んで村山政権を作ったのは自民党だったじゃないですか。その反省もなしに、前記のような発言を繰り返す!

 私には、その発言の中身よりも、その節操のなさに呆れます。

 また、こんな発言を、何のコメントもなしに垂れ流す「朝日」の報道姿勢にも疑問です。

 ② 16面の漫画は、野球のベンチに選手があふれ、鳩山代表に似た監督らしき人物が「じゃま!」という叫び声で、ベンチから放り出されているひとコマ漫画です。

  「『それが心配』 320人もベンチに入ってきたら どうなるんだろ!? 」と題されています。

 これは風刺漫画として、何を言いたいのでしょうか? 

 民主党が勝ちすぎたら鳩山代表が放り出される、「それが心配」? ということでしょうか?

 真剣に選挙の投票を考えている多くの国民を揶揄してませんか。

 「投票に行ってもしょうがないよ。どうせ民主党が勝つんだし、勝ってもいいことないんだから…」などと、示唆していませんか。

 風刺漫画にこそ、鋭い権力批判と民への愛情を期待する私は時代遅れなのでしょうか。

 ③ 4面の記事、「鳩山氏寄稿『米主導の市場原理で尊厳喪失』…米専門家が批判」の内容も以前の「朝日」なら考えられないような記事ではないでしょうか。

 鳩山氏がニューヨーク・タイムズに寄稿した「米国主導」から「アジア中心」を唱える論文に対して、アメリカの専門家たちが批判的意見を言っているというものですが、そんなことは当たり前でしょう。よく言うアメリカの専門家が多いわけはありません。

 素人の私が考えるに、こういう記事を掲載するときは、逆の立場の人たち、すなわちアジアの専門家たちの意見も取材するのが“真実の報道”というものではないでしょうか。

 「朝日」は取材の手を抜いて、安上がりな報道に走っているのではないですか?

 ④ こうした手抜き記事は、他にも散見されます。

 17面には、私の尊敬する星浩編集委員が「民主党の子ども手当をはじめ『やるやるリスト』は示されたが、800兆円にも達する財政赤字をどうするかといった深刻な問題への処方箋は示されていない」と書いています。

 この記事の中味にいろんな意見があるのは当然としても、私がマスコミ人としての最低の倫理観を求めるのは、この「やるやるリスト」という表現です。

 政府与党である自民党の財源論を分析するどころか、野党の政策を「やるやるリスト」と茶化してしまう。こう言ってしまったら、民主党の子ども手当の中味を検討する必要は無くなるでしょう。入り口で切って捨てるやり方ではないでしょうか?

 「政策の論争を」と言いつつも、こんなレッテル貼りを行うのは星さんらしくもないことと思いますが、いかがでしょうか?

 同じ17面の作家高村薫さんの論文「はけ口求める不安 皮膚感覚に背く成長依存の枠組み…」の中で、高村さんは財源問題について次のように述べています。

 「国と地方合わせて800兆円もの長期債務を積み上げた与党が胸を張ることではないし、政権を取ったことのない野党に要求することでもない。まずは、一般会計と特別会計の財務内容の総点検と情報公開が先であり、私たち有権者としては、予算編成も財政再建もそこから始まると考えてよいと思う。…」と。

 変にレッテルを張るよりも、ずっと、「成るほど」と納得させるものがあるのではないでしょうか。

 ⑤ 3面の「地殻変動 自民・民主の『成長』海外注視」との囲み記事にも驚きです。

 自民の「閣僚経験もあるベテラン政治家」と、民主党の「薬害訴訟の原告として知られる若い女性候補」とが激突する長崎2区に関して、次のような論旨の展開をしています。

 海外メディアの宋さんの意見のようにして。

 「旧来型の政治家として率直に語る(自民党の)久間氏に宋さんは好感をもった。」「(民主党の)福田氏には勢いがあると感じた。『今回は民主だ』と多くの人がカメラに向かって語った。その根源を探ろうと、25日には福田氏に突撃取材を試みたが、陣営から断られた。」

 そして、この事実だけで、「宋さんは、こう言葉をつないだ」となっていく。「硬く、慣れていない政治。それが政権交代後の日本の政治にならなければいいが」。

 日本の理性と謳われた「朝日新聞」が、どうしてこのような論理の飛躍、浅はかな結論に至ってしまうのか、不思議でなりません。選挙終盤のぎりぎりの時に、「突撃取材」に応じられない時もあるでしょう。薬害患者なのですから、疲れ果てていたのかもしれません。

 取材に応じなかったというだけで、それ以外の何の根拠も示さずに非難する…、これが、大きな影響力を持つ大新聞の取るべき態度なのでしょうか。お粗末というか、マスコミの驕りではないでしょうか?

 ⑥ 3面の「総選挙 あす投票」と題した「社説」も疑問です。

 以前の「朝日」なら、何か勉強になるものがあったように思います。

 ところが、この歴史的と言ってもよいほどの総選挙の前日の「社説」が、分かりにくいの一語。

 本当に思っていることをベールに隠しながら書いているとしか思えません。そしてよーく読むと、「総選挙だからとて俄かに馬鹿騒ぎをするのは不必要のことだ」、もっと冷静に、「政権交代を望む。でもそれだけでは…。政権が暴走しそうな時の歯止め役になったり、市井の小さな声を丁寧にすくい上げたりする勢力も必要だ。…」との趣旨のようです。

 先ほど取り上げた17面の星浩編集委員の「政治コラム」にも同趣旨のことが書いてありました。

 「改革クラブ」の荒井参院議員の、「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすいことがよく分かる」という発言を借り上げながら論旨を展開しています。

 だが、しかし、もし「馬鹿騒ぎ」になっているとするなら、その半ばの責任は「朝日」をはじめとする報道人が負うべきではないでしょうか? 前回もそうでしたが、今回も、総選挙にあたって報道人は何をなしたのか!

 その世論に対する問題提起の足りなさこそ猛省されるべきなのではないでしょうか?

   

[Ⅱ] 取り上げてほしかった選挙の論点

 ① いつ始まるかと、連載記事を楽しみにしていたのが「戦後64年間の振り返り」でした。私の知る限り、ずっと取り上げられなかったようです。

 戦後の歴史は、激動の戦後でもあっただけでなく、多くの教訓に満ちた日本人の財産ではないでしょうか。

 戦争と平和について。世界と日本の連環について。「自社対立の55年体制」の功罪について。総評を中心とする労働運動は高度成長を妨害したのか…など、今日的な多くの教訓があると思います。

 戦後日本の60年余は、工業と農業、都市と農村の“対立と連環”をも教えていると思います。

 現在が大きな歴史的転換点にさしかかっていることには、多くの人々が異論のないことでしょう。ならば、政党のマニフェストを比べて欠点を指摘するだけで報道人の役割を果たしたと言えるでしょうか?

 否、です。

 私が最も恐れるのは、4年前の結果は裏切られたと感じている人々が、もし、今回も裏切られたと感じたなら、その先には何が待っているのか…?

 一気に社会は激動に向かわないのか? そして、現状の日本を考えるなら、激動は、外国人排斥などを掲げて日本的なファッショに向かわないのか…と。

 だからこそ、みんなの力で生活を改善できるんだ、という成果を挙げなければならないのではないでしょうか。それが今回の総選挙とその後の課題ではないでしょうか。

 「朝日」などの報道人には、こうした歴史的な視座からの問題提起も必要なのではと思えてならないのです。

 また、社会を“暴走”に陥らせないためには、曲解や暴言、歪曲による誹謗・中傷を許してはならないと思います。それこそ、冷静な事実にもとづく議論が必要であり、それをリードする大切な一つの役割が新聞・テレビではないでしょうか。

 ② 少なくとも、民衆の体感温度に共感し、根源を極めることが必要です。

 そうであれば、前述の[Ⅰ]ー⑥の星浩編集委員が取り上げた「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすい」との荒井参院議員の話は的外れ、となるのではないでしょうか。

 「雰囲気に流されやすい」のではなく、どうしようもないほどの生活苦と生活の不安、これが私たち民衆の心を揺さぶっているのです。

 4年前は、「自民党が変わる」ことに期待したのです。今回は、「自民党ではだめだ」と民主党に頼ろうとしているのではないでしょうか。

 私は、「保険相談所」という看板を掲げ、少しでも多くの人の役に立とうと、毎日、普通の人の家をまわっています。ご家族と、膝づめで話す機会も多い仕事です。それだけに、一人ひとりの苦悩や不安が痛いほど伝わってきます。

 もちろん、明るい話もあります。昨夜は、訪問したお宅の21才の息子さんが「今月、結婚するんだ。彼女の車の保険のことだけど…」と相談してくれました。私まで、心の中がほのぼのとなってきました。

 でも、明るい話題は少ないんです。

 おとといも、30才過ぎの奥さんから「いろいろ考えて、会社をやめたんだ」と聞かされました。会社の先の見通しがなかったようです。同じく30代の他の女性からは「建物関係の、何か仕事ないですか?」と電話がありました。営業でもないのに、会社から「注文を取ってこい」と責められているとのことでした。彼女の人となりからして、私のところまで頼んでくるのは相当に困ったからのようです。

 東京の大きな会社に勤めている人たち、ましてや大新聞社の幹部などの年収1000万、2000万もの人たちには分からないでしょうが、地方の普通の人たちにとっては、500円1000円でも大問題なのです。ですから、自動車保険料が年間1000円も上がったら、まず半分の人は「何故なんだ?」と不信感をもって責めてきます。

 ここ最近は、「お金がかかるから、子どもの病気では医者に行くけど、自分は行かないようにしてるんだ」と、若いお母さんたちに言われます。

 なんと悲しいことでしょう。こんなことがあってよいでしょうか?

 エライ人たちのみなさん! 想像してみてください。狭いアパートで、少しくらい熱があっても医者にも行かずに、小さい子どもの世話をしているお母さんたちの情景を?

 「子ども手当の財源はどうするんだ…」などと言うまえに、こういう若い家族の実情に眼を向けてほしいのです。他を削ってでも、みんなで若い夫婦を応援する時ではないですか!

 「風」や「ブーム」などではありません。多くの人たちの苦しい生活の現実があるのです。生活の現実の重みに押し出されるようにして、4年前は「小泉改革」に、今回は「政権交代」に望みをつなごうとしているのではないでしょうか。地底のマグマが胎動し始めているのかもしれません。 

 「朝日」も「地殻変動」と言うのなら、総力を挙げて、その根源を分析してほしいのです。

               09年8月30日 記

?追記? 8月30日の記述には、時間が不足してしまったために舌足らずな点や分かりにくい点がありました。9月3日未明に一部加筆修正しました。「総選挙の論点」については、特に、農村と都市、農業と工業・商業の問題については、近日中に私見を述べたいと思い、別建てに変更しました。 

 

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月山の自然博物園・・・いつ行っても自然に感動

2009年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 8月23日、久しぶりに月山の自然博物園を歩いてきました。1年ぶりくらいです。

 いつ行ってもすばらしい。初心者が安心して自然を満喫できるように、博物園の人たちが心を配ってくれていると感じます。

 園の入り口にあるネイチャーセンターに顔を出したら、今回は「スズメバチの巣があるから、通行止めになっているところには行かないで」と教えられました。ありがたいことです。

 山全体が自然博物園になっているようで、川に沿って上り、山に入っていくと、ブナ林や月山の湧水、大トチの木、山伏の修験場あと…などがあります。

 大人の足なら、ゆっくり歩いて1時間半くらい。きついというほどのコースではありませんが、胸の中が自然の香りであふれてしまうようです。

 来る途中の寒河江ダムで買った名物の団子(私は毎回買う、ほんとにおいしいんです!)を食べながら、休憩。緑のど真ん中で食べる団子は格別でした。

 10年ほど前、単身で山形に戻ってきてアパート暮らしをしていた頃、この山の中を歩き、のんびり昼寝をしたり、夕闇が迫りかけた山で見たお月さま…など、どんなに癒されたかしれない。それ以来の「自然博物園ファン」です。

 もっともっと、多くの人に月山の良さを知ってほしい。

 自然博物園のホームページは次のところです。

 http://gassan-bunarin.jp/

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お盆休みはどうでしたか?

2009年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、正確には昨日、17日から仕事が始まりました。でも、休み中にしようと思ったことは、まだまだできてません。

 庭の草取り(わが家の庭は草ぼうぼうで、きゅうりや芍薬はうどんこ病にやられ放題…木酢液で消毒しているのですが、回数が少なすぎるらしい)も、障子の張り替えも半分だけ。

 障子は、17日の夜も作業したのですが、18日未明の今なお、道半ば。

なかなか難しいし、慣れない身には時間もかかる。Photo

 でもでも、でき上がった一部の障子の白さ、きれいさ、何年も「やろうやろう」と思いつつできなかったことだけに、うれしーい。

 庭も草ぼうぼうながら、きゅうりが、毎日2~3本ずつ成りつづけている。きゅうりさんも、だめな主人にめげず、頑張ってます。

 

 また、15日の土曜には、東京にいる娘に誘われて(妻が誘われたのにくっついて行ったのが正解なのですが…)、娘と仙台で落ち合い、初めて仙台の何とか球場で楽天ーロッテ戦を見てきました。

 山形だと、仙台で夜の試合が終わって車で帰ってきても、11時ころには戻れます。球場の雰囲気もよく、たまに行っても悪くないな…と、視野が少し広くなった感じでした。

 みなさんの夏休みはどうでしたか。夏休みどころではない方もおられることと思いますが、私も、仕事ばかりではないので、ちょっと報告してみました。

 また、元気で仕事をしなくちゃ。昨日は、さっそく、自動車事故の連絡(私の仕事は保険の代理店なので)もありましたし、事故は大変なことですが、お客さんに必要とされることはありがたいことです。

 みなさんのご健康をお祈りしています。

 さあ、選挙も始まるし、しっかり勉強もしなくちゃ。

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「“首切りが自由”っておかしいよねえ」・・・『朝日新聞』の姿勢を疑う

2009年08月15日 | 社会・経済

 8月14日、前回に「4月に首を切られた」と書いたKさん宅に伺いました。自動車保険の継続手続きでした。今まではKさんの勤め先の会社を訪ねていたので、今回が初めての訪問です。

 質素な、だけど掃除の行き届いた小ぎれいな平屋のお家でした。

 Kさんに挨拶し、少しだべっていたら、隣の部屋からお母さんが顔を出してくれました。足が悪いようで、両手で這って、私たちの居る茶の間に上半身だけ出されたのでした。

 「口ばっかり達者で、何にもできない…」とぼやいてましたが、ほんとにちっとも惚けていない感じのはきはきしたおばあちゃんでした。93才と言われましたが、話していては、まだまだ80才代半ばにしか見えませんでした。Kさんとそっくり。

 自動車保険の継続手続きをしながら、Kさんのその後の話を聞きましたが、やはり仕事は見つからず、今も介護の研修を受けているとのことでした。

 話になったのは、Kさんや私の知り合いで同じように失業した人のことや、介護の資格を取っても、40才過ぎではなかなか就職できないらしい・・・などということでした。「どっかあったら頼みます」と言われましたが、情けないことに、明るい話をすることができませんでした。本当に悔しい。

 「失業保険が切れたらどうやって暮らせばいいの?」

 「首切り自由っておかしいよねえ」。

  なんと言って励ましたらいいのか、分かりませんでした。

 

 今日(14日午前)のKさんのことが頭から消えないまま、先ほど『朝日新聞』の14日付け朝刊の「社説」、「成熟日本に新産業革命を」を読みました。

 驚きました。

 つい半月ほど前までは、あれ程に「格差社会」を指弾し、「ワーキングプア」や雇用不安を問題視してきたマスコミ、とりわけ『朝日新聞』が、今や、「新産業革命」を唱え、「規制緩和や投資減税などの政策誘導…」「経済成長のための戦略は、内外でもっと民間活力を引き出すとともに、政策の相乗効果を発揮できる総合設計とすることが必要だ。」「国民の受益だけでなく、産業構造の転換に伴う痛みや負担増についても積極的に説明し、理解を求めなければならない。」などと主張しているのです。

 「規制緩和」と「民間活力」の行き過ぎ、野放し、それが格差や雇用不安を増幅させてきたのではないですか。なのに、問題解決のために、さらなる「規制緩和」を強調しているのです。

 働く者とその家族にとっての最大問題、雇用不安には一言も触れていません。

 「雇用不安」ではなく、「労働力確保」が難しくなる…と言うのです。(「超高齢化が進むと、労働力確保や年金・医療保険制度の維持が難しくなる。その不安がいま消費を委縮させている…」)

 これでは、生活者の視点とその現実を見失い、経営者の視点にどっぷりです。

 Kさんのような事例は、それこそ山のようにあるのではないですか? それに眼をつぶれと言うのですか?

 それとも、Kさんに「産業構造の転換に伴う痛み」として、ガマンを「説明しろ」と言うのですか?

 大朝日新聞の編集氏よ、一緒にKさんのお宅に行きましょう。あなたが、どのように「産業構造の転換に伴う痛み」を「説明」するか、勉強させていただきます。

 いつ、同行をお約束していただけるか、私にも楽しみができましたよ。

 14日朝のテレビ朝日の「スーパーモーニング」でも、口あんぐり、でした。

 ある主要政党の政策を取り上げて、「公務員の人件費の総額の削減は書いてあるが、人数で何割削減するかが書いてない」と声高に批判していました。

 そんなに「首切り」が素晴らしいことですか? 首を切られた人の家庭はどうなるのか、それを考えての発言でしょうか? 私の父も2度首切られましたから、私は子どもの心にまで一生の傷がつくことを知っています。

 最近の世相は、とりわけ一部マスコミや政・財界人には、人間の首を切るという死活問題を、あまりにも簡単に取り上げる傾向があります。人間が人間の心を失っている証左でしょう。

 今回のことから、結論として、

 ① 少なくとも、首切りには、それが不可欠だとする社会的な妥当性と合理性がなければならないはずです。あまりにも安易な首切りが横行していませんか。

 “首切り”が自由なわけがない!

 ② 『朝日新聞』の長年の愛読者の一人としても、最近の貴紙にモノ申す。

 権力に対する厳しい眼、言いかえれば、庶民に対するあたたかい眼差し、これが無くなったのではないですか。残念です。

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「4月から失業してる、何処かない?」

2009年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 数日前、自動車保険の継続手続きのことで、Kさん(女性、53才)の職場に電話しました。

 電話に出た男の人は、「もう辞めたよ、ここにはいないよ」との一言でした。

 「えーっ!」と驚くばかりでした。

 彼女は、年老いたお母さんとの二人暮らしで、彼女の給与が生活の支えだったのに?

 何度も電話をして、ようやくKさんと話すことができました。

 「4月で首になったのよ」

 「職安に行ってるけど、全然ないよ」

 「仕方ないから介護の研修受けてる」

 「どっか紹介してよ?」

    ・・・・・

 どうすればよいのでしょうか?

 8月14日に、Kさんの家に伺うことになっているのに。 

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“心の支え”って何ですか?

2009年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 ふだん、気にも留めずに過ごしていますが、ふっと気づいた時、自分の心の支えって何でしょうか? こんなこと、考えませんか。

 先日、こんなことがありました。

 交通事故のアフターフォローを行って間もないMさんから、「今週にでも家にきてほしい」と電話がありました。事務所の若手社員が自動車保険の継続契約をしてきたばかりなのに、「何だろう?」と思っていると、「年に1回は顔を見せてよ」と強く言われました。「うん、いいよ」と、近いうちの訪問を約束しました。

?? 私の仕事は保険の代理店で、山形県寒河江市というところで、数人の仲間たちと損保や生保の募集、交通事故や病気入院のアフターフォローなどをしています。?

 数日後、山形県の中でも山間部にある集落に、Mさんを訪ねました。60才を過ぎてなお元気にひとりで暮らしているMさん(女性)が、いつもの顔いっぱいの笑顔で迎えてくれました。

 Mさんは、この前の事故対応のお礼を言いたかったのでした。「何にしよう、何にしよう…」と考えたに違いないようなお礼のお土産をいろいろいただいて帰ってきました。

 「ありがたいなあ」と思いつつも、何か、引っ掛かりが残りました。

 何日か考えて、「信頼」ということの“重さ”ではないかと、ふっと思いました。

 信頼されるのはありがたいことです。

 しかし、信じ頼られるのは負担に違いないとも思います。

 毎日毎日、日曜もないくらいに忙しく、夜の10時過ぎにご飯を食べているとカクッと味噌汁をこぼしてしまう(食べながら眠ってしまう)こともある、それほどに疲れている。この上、他の人の世話までできるのか…?

 「旦那さんに先立たれたMさんは、先行き不安に違いない」「Mさんの信頼に応えるとは、これから10年、20年と、ながーくMさんの応援をすることだ、そんなことができるのか・・・?」

 信頼に応えることの重さを考えさせられたのでした。

 しかし、この後で気づいたのは、「Mさんのように信頼してくれる人がいるから、自分も頑張れているんじゃないか」という当たり前のことだったのです。

 今までは、誰かに支えられているからというよりも、「自分は打たれ強いから」とか、「精神的に落ち込みにくいほうだから頑張れている]などと思っていました。

 でも、そうじゃない。みんなのおかげで元気でいられるんじゃないか。ウーン十才になって、ようやく気付いたのでした。(気づくのが遅いねー。)

    ・・・・・

 どんなに、毎日、他の人にこそ励まされているか、この数日を振りかえっただけでもはっきりしています。

 昨日の土曜は、夜の8時に車で30分くらいのSさん宅に行きました。自動車保険での、ちょっと複雑な車の入れ替えでした。ご主人が「休みなのに、夜遅く、遠くまで悪かったね」と言ってくれました。この一言で、ちょっと強面かななどと思っていたご主人が、急に近く感じられ、うれしくなりました。

 その前の日は、お客さんの紹介で知り合ってまだ2年も経っていないEさんから、自動車保険に加えて、住宅ローンの長期火災保険を契約してもらいました。ご夫婦の生命保険の相談も受けています。契約できたことよりも、「信頼してくれてるんだなあ」と嬉しくなります。

 若い時は子供や家族が生きがいであり、支えですが、年をとって「人生の価値とは…?」と考え始めると、「信頼」などという、もっと社会的なもの、抽象的なものが心の支えになっていくのかなあ…などと思うこの頃です。

 

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