怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

「白岩義民にまなぶ会ニュース」から ニュースNO.40の抜粋

2018年12月02日 | 白岩義民

この1年近く、脳動脈瘤の検査、入院、手術…などで白岩義民の勉強会は開店休業状態でした。今年の3月、仙台でカテーテル手術を受け、ほぼ全快したようです。夜中にパソコンを打つのは厳禁されていますのでなかなか時間がつくれませんが、ぼちぼち勉強に取り組んでいきますのでゆっくりとみていてください。まずはニュースの抜粋から。

【ちょっとお目眼を】

▆ 白岩一揆は「農民一揆」なのか、「百姓一揆」なのか? これまでなんとなく引っかかっていましたが、「農民一揆」にしてしまうと白岩一揆の実相を狭めてしまうのではないか? 目安状にも造り酒屋や質屋の話が出てきますから農民の問題だけをとりあげていたのではなかった?

▆ 神奈川大学の教授を務めていた網野善彦氏はその著『日本の歴史をよみなおす』で次のように述べています。「実際、百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民―農業以外の生業に主としてたずさわる人々をふくんでおり、そのことを考慮に入れてみると、これまでの常識とはまったく違った社会の実態が浮かび上がってきます。…」(234P)。

▆ 「農民」という言葉についても、「古くから『農民』ということばも使われていますが、注意して文献を見ていると『農人』という語が意外に古くから使われている…」。「『農人』は古代から近世まで一貫して使われた、これこそ農民を表現することばなのです」(371―372P)と。

▆ 秋田県男鹿市の方から「秋田にも『白岩御目安状』が…」「この地の百姓一揆に影響をあたえたのではないか…」と、お便りをいただきました。他地域の一揆に影響⁈ 大注目です。(東海林)

コメント

白岩義民(寛永白岩一揆)にまなぶ会ニュース NO.29  2015/09/19

2015年10月03日 | 白岩義民

✎ 7月の第29回勉強会から、渡辺為夫さんを講師に「白岩目安状」の勉強に取り組み始めました。どんな勉強会になったかと言うと、勉強会が終って帰ろうとしていたら、ある会員が近づいてきて「今日のは面白かった」「こういう勉強会がしたかったんだ」と言いました。嬉しい驚きでした。

✎ 勉強会のすすめ方は、目安状23カ条を1カ条ずつ読み合わせて話し合っていくというものです。自分たちが疑問に思っていることなど、自由に質問したり意見を出しながら渡辺さんに教えてもらうというやり方です。だから面白いのかもしれません。人数が5~10人程度で、コジンマリなのがなおいいのかもしれません。

✎ ニュ―ス発行が遅れ前日の夜となってしまったこと、本当にすみません。

        ◣◣ 第30回「まなぶ会」9月20日(日) ◢◢

◇  時:9:30-12:00、「第30回白岩義民にまなぶ会」

◇  所:フローラ・SAGAE(元のパオ)503号室。駐車場広い。JR寒河江駅から徒歩7分ほど。 ☎0237-77-6330

㊟当日は「寒河江まつり」で、午後から古式流鏑馬や「神輿の祭典」が会場周辺で行われます。駐車場が込み合うかもしれません。その時は東海林に電話を。

◇  テーマ:『白岩一揆目安状全文の勉強…第2回』

◕ 目安状のテキストとしては、渡辺為夫氏著『寛永白岩一揆』(60頁~75頁)に掲載されているものを使用します。これは荘内藩関係資料の『雞肋編』所収とのこと。

このテキストを持っていない方は東海林までご連絡ください。コピー代100円。

◕ 今回の学習は、目安状原文23カ条のうち、第3条と第4条の読み合わせから入りたいと思っています。お互いに疑問や意見など持ち寄りましょう。

◇  講師は渡辺為夫さんにお願いしています。

お忙しい中ですが、目安状全文の学習について毎回来ていただく予定になっています。

㊟ なお出席される方は東海林まで、メールか☎のご一報を。

_______________________________________                                               

 

前回(7/19)義民にまなぶ会での討論から

▆ 渡辺為夫氏著『寛永白岩一揆』63頁の「白岩目安状の全文」から始めました。主な討論は以下のようなものです。(敬称なし)

 

「出羽国村山郡白岩郷八千石惣百姓同名主乍恐奉捧御目安之事」

 

「一 酒井長門守様御入部之後子之年御種貸と被仰四割ニ御定村々江籾御貸被成御取被成候時分ハ籾1壱俵之代金壱分ツツ之御算用ニ被成御取候御事」(第一条)」

㋑ これは荘内藩関係資料の『雞肋(けいろく)編』に収録されているもの。「雞肋」とは、にわとりのあばら骨ということ。ガラを集めた、捨てるにはもったいない骨柄という意味。荘内藩を調べるには必見の資料。長門守一件の資料が網羅されている。(渡辺)

㋺ 長門守の白岩入部は元和8年か、ただし入部の記録はない。(渡辺)

㋩ 長門守は将軍との初見の礼をとり、元和3年、4000石で小姓組(将軍の親衛隊のようなもの)に任ぜられた。元和8年には4000石加増され、白岩8000石の領主になった。将軍の家来は三通りあり、大名(1万石以上)、旗本、御家人。(渡辺)・・・㊟ 忠重にとっては、1万石に満たないことが大きな問題だったのではないか?(M)

㊁ 「御種貸…四割ニ…」とは、利息のこと、普通は三割だった。(渡辺)

㋭ 「寛永10年の白岩目安がなければ忠重の収公、白岩領の幕府領編入ということは起こらなかったのではないか?」(M)・・・「そうだと思う」(渡辺)。

 

「一 白岩御年貢屋敷八拾御城並御家中衆御鉄砲衆の御屋敷ニ御倒シ被成御年貢ヲバ百姓弁差上申候御事」(第二条)

㋑ 「御年貢屋敷」とは年貢の対象屋敷ということ。「間」とは「軒」のことか。目安状によっては「軒」と書いてあるものもある。(渡辺)

㋺ 「百姓弁差上…」というのは、さしづめ進駐軍の接収のようなものか。忠重の家臣団は軍役171人+また者=約250人。かれらが白岩に来て80軒の家を接収したのか。(渡辺)

㋩ 「白岩村の規模は?」(M)・・・書きあげ明細帳には、宝暦のころで約300軒、その内80軒が接収されたのか。(渡辺)

 ・・・以下、割愛します。

【この日、渡辺さんが勧めた本】  磯田道史著『武士の家計簿』新潮新書680円。  児玉幸多著『近世農民生活史』アマゾンで購入2,481円。

 _________________________________________                                                

  連絡先/文責; 東海林正弘(寒河江市柴橋913-1) 、 Fax 0237- 86-0638。

   携帯090-9639-4886。  E-mail:tok222@io.ocn.ne.jp 

 _________________________________________

コメント

白岩義民にまなぶ会ニュース NO.24

2014年09月07日 | 白岩義民

「白岩義民にまなぶ会ニュース NO.24」を発行しました。

これまで何回かは佐々木潤之介氏の『大名と百姓』(中公文庫)の中の白岩一揆などを取り上げた「不法の支配」や「太閤検地」を勉強してきました。

次回からは煎本増夫氏著『島原・天草の乱』(新人物往来社刊)を勉強してみるつもりです。白岩一揆との共通性と相違点、時代的背景など、興味深いものがあるようです。

では、ニュースをご覧ください。

「gimin24_word.docx」をダウンロード

「gimin24_pdf.pdf」をダウンロード

コメント

死してなお罰せられ・・・白岩義民の供養碑

2014年07月07日 | 白岩義民

あなたは見たことがありますか?

墓石に、罪人の印として二重の刻印が入っているのを。

Mazawa_tousennji

これは山形県西村山郡西川町にある寛永白岩一揆の義民の供養碑です。

「2基の供養碑頭部に注目を!

それぞれ2本の縄目が入っています。

科人(とがにん=罪人のこと)の印と思われます。

・・・・・

処刑(残忍な磔の刑)から33年経てなお、このような供養碑しか許されなかった?」

今年、「白岩義民にまなぶ会」が発行したリーフレット『白岩義民』の一節です。

江戸時代初期、西の天草一揆とほぼ同時期に起きた白岩一揆は、あまり知られていませんが、江戸幕府に重大な警戒心をおこさせるものでした。

5年におよぶ闘いのその頑強さ、その組織力、白岩目安状に示された百姓の危機的様相の実態、それらは各地の百姓層に大きな共感を惹き起したに違いありません。

だからこそ、幕府は百姓層に対する譲歩として時の白岩領主 酒井忠重を領地召し上げの処分に付しつつ、他方の手で36人もの磔を強行したのではないでしょうか。

・・・・・この続きは、リーフ『白岩義民』(頒価300円)をご覧ください。

コメント

「白岩義民にまなぶ会ニュース NO.23」の発行

2014年06月05日 | 白岩義民

リーフレット『白岩義民』の発行や販売にかまけて、ついつい「ニュース」の案内が遅れてしまいました。

添付しましたように5月15日には「ニュース NO.23」を発行し、5月25日には「まなぶ会」を開きました。

今は、“太閤検地”について勉強しています。

秀吉の太閤検地は、農村と日本の社会を大きく変えたものだったと教えられます。すぐには白岩一揆に結び付かないようですが、一揆の背景を知らずに一揆を理解することはできないと思うようになりました。

白岩一揆についての認識の広がりに、少しでも役立てばと思って続けています。

ご意見等、どうぞおよせください。

「gimin23_w0rd.docx」をダウンロード

「gimin23_pdf.pdf」をダウンロード

コメント

白岩義民にまなぶ会ニュース NO.21発行

2013年11月22日 | 白岩義民

前回の勉強会は、白岩領主酒井長門守忠重がなぜ「収公」処分を受けたのかが中心的に討論になりました。

(注)広辞苑によれば、「収公」とは「領地などを官府に取り上げること」。

次回は「太閤検地」を勉強します。

初参加歓迎です。

詳しくは添付のニュースをご覧ください。

「giminn.doc」をダウンロード

コメント

白岩義民にまなぶ会ニュース NO.20

2013年09月02日 | 白岩義民

2013年9月1日発行の「ニュース NO.20」を掲載します。

ご覧になって気づいたことなど、なんでもご連絡ください。

      

「徳川幕府の成立期から、長期政権確立期への大きな変化の中で、白岩農民も、酒井忠重も翻弄されていったのかもしれません。日本の歴史の変動を勉強することは、白岩一揆をより深く知ることにつながるのではないでしょうか。」(ニュース NO.20から「giminn20.doc」をダウンロード

コメント

7月21日は白岩義民の命日でした

2013年07月22日 | 白岩義民

簡単に二つだけご連絡します。

       

① 今日7月21日は、江戸時代の初期、寛永15年(1638年)に、白岩一揆の中心メンバー36人が山形城下長町の広川原で磔の刑を科された日です。今の馬見ケ崎川と村山高瀬川の合流点付近です。磔という処刑のむごたらしさは渡辺為夫氏の『寛永白岩一揆』に詳述されています。

それから375年の歳月が過ぎ、地元白岩(旧白岩郷ですから、今の寒河江市白岩から西川町大井沢までの広範な地域)でも、多くの人たちから忘れられようとしています。

そんな中で、処刑の地、長町の地元の人たちが小さな祠を祀り、今日までまもってきたのです。

今日も、「千歳の昔を訪ねる会」の会員の方、10名近くが祠のまわりを清掃し、お燈明とお線香をあげて祀ってくれました。

P7210006

    

昨年は詳しいことが分からずに参加できませんでしたが、今年は代表の菊地さんのご厚意もあって、一緒におまいりをすることができました。

感激でした。

年配のご婦人がた中心にお参りを続けてくれていることに、嬉しさと同時にすごく心強く感じた一日でした。

白岩義民にまなぶ会からは佐藤さん、荒木さん、私の3人が参加しました。

P7210008

       

② 次回の白岩義民にまなぶ会は、9月8日(日)午前9時30分~12時です。

場所やテーマは後日ニュースでお知らせしますが、今のうちに予定を入れていただきたいのです。

                             

               2013/07/21    

                  白岩義民にまなぶ会 代表 東海林正弘 記

コメント

白岩義民にまなぶ会ニュース 19号

2013年07月13日 | 白岩義民

前回は藤沢周平著『長門守(ながとのかみ)の陰謀』(文春文庫)を勉強してみました。

渡辺為夫さんの『寛永白岩一揆』(全335頁)を読み終えた(理解したというのではなく文字通り一回は読み終えたということ)ので、白岩一揆をより広く考えてみようと思ったからです。

        

旧白岩郷(今の西川町と寒河江市の過半)の中では、白岩一揆を「田舎の小さな農民一揆」と思っている人がほとんどのようです。あるいは知らない人も多い現状です。

まず、この常識を覆さなければなりません。

この小説の主人公、「長門守」とは、当時の白岩城主 酒井長門守忠重のことです。彼は藤沢周平の時代小説の中で、大きな役割をもたされています。

7月の勉強会で取り上げる佐々木潤之介著『大名と百姓』(中公文庫、日本の歴史第15巻)の中でも、「『不法』の支配」とのテーマで白岩一揆が取り上げられています。

これらを勉強していく中で、白岩一揆を全国的、歴史的な視野からとらえなおしていきたいと思うのです。

    

7月勉強会の案内として「白岩義民にまなぶ会ニュース NO.19」を掲載します。気づいたことなど、ぜひメール下さい。

「giminn19.doc」をダウンロード

コメント

白岩義民にまなぶ会ニュース NO.18

2013年06月10日 | 白岩義民

今は夜中の3時、久しぶりの夜なべです。

保険代理店の私にとっては毎年3~5月が、1年間で一番忙しい時です。ちょっとヒマをみては寝る・・・ような状態。読みたい本もなかなか読めないし、書きたいブログなども書けない。

    

そんなこんなで「白岩義民にまなぶ会ニュース⑱」の掲載が遅れてしまいました。もちろん、学習会は定期的に2か月に1回、続けているんですよ。

2年ほど、ずっと続けてきた『寛永白岩一揆』(渡辺為夫氏著)の勉強は3月の「まなぶ会」で1回目を読み終えました。その感想なども出しあってています。

「siraiwagiminmanabukai.doc」をダウンロード

コメント