3月21日に送信させてもらったメールに、返事がありました。
勝手で申し訳ないのですが、大震災の現状を、できるだけ多くの人たちに知ってもらいたいから、ここに茨城の仲間からのメールを転載します。
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「 東海林さん いつも多忙ですね…大変、ご苦労さまです。
こちら茨城も給油所探しには苦労し、2時間待ちはザラです…緊急時は大変です。
ところで、私の家は12日の夜12時半から、妻の息子家族4人(娘の子供1人)ら5人が、福島・原町浜通りから『避難』に突然現れてます。
『津波による水浸しと、放射能被害から逃げて来たよ。お世話になりますが、宜しくお願いします』と、9時間(通常3時間)を要して来たとのこと。
『一瞬のうちに全てがなくなり、何がなんだか分からなくなった。もの凄い勢いで全てが消えた。1号炉が爆発したし、怖かったので逃げてきた』。
狭い家が急に賑やかになり、妻の落ちついた対応にはア然としてしまった。
息子はミキサー車の運転、嫁さんは自宅で美容院を両親と経営していたが、家が水浸しで破壊されたので、親達(宮城に)と別れた『避難』生活に入った。
息子は、『原発がなければ、ここ迄は来ないよ。いま迄に原発に何でも対応が遅すぎた。原発が憎い!』と、焼酎を飲みながらボヤいている。
ここにいつ迄いるのか分からないが、付近に『避難所』があったとしても、身内である以上、納得した生活を少しでも支援せずにはいられません。
いまは、親戚や友達等の安否を電話で確認するなど、落ち着いた毎日にあるが、心の中は苛立ちが時々みえ、『原発』の復旧活動が始まるのを、待ち望んでいる。
という訳で、私は゛ともに生活する゛ことで、『避難者』を心から支援しております。それでは、この辺でまた…憘。
ともに、健康第一にして、頑張ろう!。
T.S 」
(本人の了解を取らずに転載したので、名前を伏せさせてもらいます)