怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

河北新報社編 『私が見た大津波』

2013年04月29日 | 東日本大震災…山形から

この本のカバーに次のように書いてあります。

「大津波の現場は被災者の数だけあるーーー。

発生からひと月を経て開始された『河北新報』の連載企画『私が見た大津波』を書籍化。

大津波の被災体験を絵に描き、伝え残す。

宮城県から75編、『心の現場』の再現記録。」と。

    

被災者の生の声を聞きたいとの思いから、この本を手にしたのでした。

あれほどの苦難や絶望に打ちのめされながらも、被災者おひとりおひとりの文と絵は、予想よりもずっと落ち着いているように思えました。

しかし読み進むうちに、この静かな叫びこそが、言い表しようのない被災者本人の訴えなのだと気づかされたのです。

Photo    

石巻市の女性は書いています。

「門脇小に通う長男(9歳)、長女(8歳)と、次女(5歳)は避難して無事でした。でも、夫は子どもたちの避難を確認した後、仕事で油まみれの作業着を着替えようと家に戻ったまま、行方不明です。」

一見、たんたんとした語り口の中に、どきりとするのです。

生き残った人も、紙一重で生き残ったのでした。

東松島市の女性は書いています。

「思えば、津波に襲われる30分ほど前に(避難していた小学校から)『もう帰ろう』との声も出ましたが、『あと30分待とう』と呼び掛け、学校に踏みとどまったことで、私自身も命拾いしました。あのとき、車で帰っていたら、どうなっていたか分かりません。」

みんなが、必死で助け合ったことも教えられます。

女川町の男性は書いています。

「水が役場の4階ベランダに迫ったため、はしごを登って塔屋に避難しました。お年寄りを引っ張り上げ、車いすの女性は消防ホースでつり上げました。」

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ぜひ読んでみて下さい。そして感じたことなどを教えて下さい。

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自分のことで手一杯なのに他の人のために動く…?!

2013年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今夜は疲れたあ。だけど勉強にもなったかなあ・・・。

    

午後の5時半から1時間半ほど、60代後半の女性と話した。保険のお客さんで、「相談がある」と電話があったから。

夫と離婚で悩んでいた。「離婚する」と思いつつ、決めきれないで悩んでいた。

「利用されたかと思うと悔しいし、夜も眠れない…」、「これからどうしたらいいのか?」と悶々としていた。

暗い室内に閉じこもっているというので、「ノイローゼになるから、毎日、少しでも外に出るようにしたほうがいいよ」、「自分のことで考え込んでいるんだから、もっと他の人のためになることも考えるといいんだけどね・・・、ボランティアとか、被災地の人たちのこととか・・・」と話した。

しかし、重い気持ちを少しでも楽にできたのか、ほとんど役に立てなかったのでは・・・と思い、自分が重たい気持ちになってしまった。

   

その後、すぐに移動して、今度は30代の離婚したばかりの女性と会った。自動車保険の手続きで会ったのだが、彼女は子どもを抱えて生活に窮していた。

アパートの家賃、子どもの教育費、電気・ガス・水道・灯油代、車の維持費・・・などに追われ、「今の給料では、とても食事代までまわらない」と言っていた。

市や国の母子手当や児童手当、教育補助・・・など、使えるものは何かと話し合ったが、今の状況では、とても苦しい状態のようだった。

私が話したのは、「子どものためにも、貧乏に卑屈になっちゃだめだよ。貧乏が何が悪いと胸張って生きることだよ。でないと子どもまで卑屈になってしまうから」「うちも子ども4人で、生活大変だった。教育補助も受けたし、奨学金も借りた。でも、貧乏を恥ずかしいと思ったことはない」と。

そしたら彼女が言ったのは、「ボランティアでもしようかと思う」と。「えっ!」と、びっくりした。自分のことで手一杯なのに他の人のために動こうとしている。正直、「凄い!」と思った。

「なんで?」と聞いたら、「生活のことなどで頭が一杯になってしまうから、他の人こと考えて、もっと広く見なくちゃ・・・」と言った。

普通の若い女性がこんな風に考えている。

日本も捨てたもんじゃないねえ。

この前、石巻の大川小学校跡に行って、亡くなった子どもたちの心情を考えた話をしたら、眼がしらを何度も拭いていた。

彼女は「離婚に比べ、結婚は簡単よ」と言っていた。今の苦しさを痛烈に訴えているんだと思う。

    

今夜は疲れたが、勉強になった・・・。

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