怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

正月の新聞・テレビ・・・ちょっとおかしいよ

2014年01月07日 | 社会・経済

ちょっと一言。

正月の新聞、テレビを見ていて不思議に思ったのです。

「なんか変だなあ」

「あーそうだ。3.11や原発、復興のことがほとんど取り上げられていないんだ」

と気づいたのは正月4日ころになって。

   

新聞は朝日新聞と山形新聞しか見ていませんが、3.11関連の記事はほとんどありませんでした。

テレビも、NHKが4日か5日に福島県双葉町(?)が原発とどうかかわってきたかの特集を報道していました(これは見ごたえがあった)が、その程度。他局にいたっては、お笑いかスポーツ、ドラマ、がほとんど。

2014年を見すえて、3.11の教訓にまなぼうとする番組と記事はあまりに少なかったのでは・・・?

私が見落としているのかもしれませんが、でも「ひどい!」。

被災者の人たちはどんな思いで正月を過ごしたでしょうか。ますます孤立感を深めたのではと気になります。

   

朝日新聞に印象に残ったひとつの記事がありました。ひとつだけ、

   

「私は詠む 子と夫の 生きた証しを」(朝日、2014年1月1日)と題して、残された被災者の短歌と生活が紹介されていました。

岩手県大槌町の小畑幸子さん(79才)です。

     

「これからは つたなきペンも 夫(つま)と息子(こ)の 生きた証しを 残すためにと」

    

「天国の 子や夫にとどけよと たまには大声 あげて泣きたく」

    

「悔しくて 悲しく涙 止まらずに 一周忌の団子 一人煮上げる」

    

「今日よりは 明日はきっと 良くなると 信じて生きねば 道は開けず」

・・・・・ 以下、割愛します。

朝日新聞1月1日号をご覧ください。

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菅首相に問う!

2010年12月22日 | 社会・経済

最近、新聞、とりわけ朝日新聞を見るのが嫌になった。テレビも同様。

理由は簡単、見ていると自分の品格が落ちていくと感じるから。

朝日などは、小沢一郎を追い落とすことが政治の最大課題と思っているらしい。

そのマスコミを利用し、自らの野心のために政治を愚弄しているのが、残念ながらわが国の首相、カンナオト殿ではないか。

最近、自分の顔が権力剥き出しの顔になったと思わないのかなあ?

   

菅首相に二つだけ問いたい。

一つは、あなたは、なぜ、小沢自由党と合併したのか? あなたが民主党代表の時に小沢氏と握手したのではなかったか。ところが、今や「諸悪の根源は小沢」とばかりに、水に落ちた犬である小沢を政治的に叩き殺そうとしている。

   

二つは、「政治家の説明責任」を声高に叫びながら、小沢の国会招致を実現しようとしている。これは、清廉潔白の人らしき岡田幹事長も同じだ。

しかし、あなた方に問いたい。あの総選挙の時の「生活第一」の主張はウソだったのか?あなた方から「生活第一」の主張はまったく発信されていない。

説明責任を言うなら、政治家として、民主党の代表、幹事長として、民主党が国民に約束したこの「生活第一」の放棄こそ、最大の問題ではないのか!

小沢氏の金の問題の説明責任は、もうすぐ来年の裁判の中で、いずれ明らかになる。しかし、あなた方の政治家としての、首相や代表としての説明責任は、「小沢問題」の陰で隠されようとしている。

残念ながら、吾が愛読の朝日新聞も同様だ。

   

隠すな、逃げるな、最大の問題はわれわれの生活なんだ。これをどうするつもりなんだ?

それこそ「生活が第一」だ。

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日本社会の歯車は逆戻り? ・・・ 何十年ぶりかの歌の強要

2010年05月07日 | 社会・経済

久しぶりに・・・と言うしかないような、腹が立つというか、情けないというか、懇親会での歌の強要に遭遇しました。

或る会合の後の懇親会で、しつこく、入れ替わり立ち替わりに、カラオケの歌を強要してきたのです。

日頃は立派に活動されている人たちからのススメですから、私も協力できるものなら協力します。しかし、「私は絶対に歌いません」とはっきり断っているのに何度も強要してくる!?

舞台のほうからは「会長命令だ!」との叫びも聞こえました。

「会長命令」? 「会長」と言ったって会社の会長ではありませんから、給料をいただいているわけでもありませんので、業務命令のように従う言われはありません。

宴会での歌の強要には、何十年も前からのいやーナ思いでがたくさんあります。

同じような思いを持っている方も多いと思います。

   

カラオケの好きな人は歌えばいい、それに反対しているわけではありません。しかし、歌いたくない人にまで強要することはない。この当たり前のことが昔の日本では通りませんでした。私の若いころの日本社会では、宴会と言えば “歌”。それも無理やりに歌わせる。

     

今でも忘れられない嫌な思い出の第一は、私が日動火災という保険会社の研修生だった15年前の頃。支店長が来たというので開かれた宴会、その後のスナックでの二次会のことです。

支店長がカラオケを始めた。なかなか上手だ。他の人も次々に歌い、渋る人には、それこそ「支店長命令」で歌わせていた。私の番になったが、私は「歌えません」と断った。事実、あまりの下手さなのだから。(こっそりと何回もカラオケボックスに練習に行ったこともあるが、ダメだった。)

そのあとの支店長のしつこさ! 

あまりのしつっこさに、場の雰囲気が壊れるとまずいと思い、やむをえず歌った。

その時、支店長は「してやったり」とばかりにニヤリとし、「俺が言えば歌うんだ」というようなことを言ったのです。

この後からは、どんな宴会でも、強要されて歌ったことは一度もないようです。

   

昔、宴会といえば、若い頃の私はまず酒を数杯あおる、そして歌の順番がまわるまでじっと汗ばんで待つ。歌をうたってからようやく食べ始める… こんな宴会が、本人にとって楽しいと思いますか?

  

ここ十年以上も、あんなことは無くなったと思っていました。

ところが、十年、二十年も経った今頃になって、普段は優秀な人たちが、宴会となると歌を強要してくるように・・・?

日本の社会は、今また、個人の自主性や多様性に眼を光らす非寛容な社会になりつつあるのでしょうか。

昔の宴会での“強要”には、どこか軍隊調の「一律性」と「上意下達」のにおいがありました。

今の“強要”には、会社ぐるみの「統一性」と「上意下達」がにおってきます。

ちょっとしたカラオケについて、こんなことを考えるのは考え過ぎ?

いやいや、こんなことを考える人もいなければ・・・、違います?

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まず検察こそ説明責任を! ・・・小沢一郎の政治資金問題に思う

2010年01月19日 | 社会・経済

常に「わが道を行く」を信条とする者にとって、最近の検察、マスコミ、政界の動向は大いに疑問。

おいおい、おかしいんじゃないの?

   

ⅰ、「説明責任」が叫ばれている。一般的には悪いことではないから、誰でも言いやすいし、誰もが反対しづらい。しかし、ちょっと待てよ。

戦争の時もそうだったろうが、みんなが言う時は危ういぞよ。ちょっと、自分の頭で考えてみよう。

「説明責任」はいい、しかし、誰に、何を求めるかは問題じゃないの?

第一に求められるべきは検察の説明責任ではないのか!

何のために、どのような犯罪容疑で、国会議員を逮捕したのか、を。

小沢氏の説明責任は、この次の問題ではないのか。

権力を使って、国会議員まで逮捕した側が、その理由を国民の前に明らかにしていない。これは異常なことではないのか。

通常なら、警察でさえ、記者会見などで逮捕に至る経緯や理由を公表するのではないか。それなのに、こんな重大事態に、検察は、国民に向かって、何の説明もしていない。

おどろくべき検察の横暴である。

   

ⅱ、なのに、権力に対して批判的精神を堅持すべき新聞、テレビが、小沢一郎には「説明責任」を叫びながら、検察に対しては何の説明責任も求めていない。それどころか、

逆に、検察の流す情報を、大声で世間に広めている。

マスコミが、小沢一郎という時の権力者を批判するのはいい、しかし、もう一つの権力である検察の「お先棒」を担ぐのでは情けない。

マスコミの記者諸兄姉に問う。

あなたがたの記者魂はどこにいったのか? 

その批判的精神は何処に? 

本来、マスコミは自らの調査報道を基本としていたのではないのか?

無批判に、検察情報をスピーカーのごとく喚き立てることを恥と自覚してほしい。

本当は、検察が政治的すぎるのではないかと疑う。

「巨悪はここだ」と見込みを立て、徹底的な見込み捜査をすすめ、その包囲網造りにマスコミなどを通じて世論を誘導する。

表だって説明責任を果たさなければ、自らの行為責任も問われないということか?

   

ⅲ、自分の肩の上にあるのは自分の頭?!

若い時、勉強会で、私の尊敬する先生によく言われたのは、「自分の肩の上に自分の頭を」ということ。

これは、第二次大戦という未曽有の惨禍を体験したからこそ言いたかったのではないか。

無批判に社会に迎合するなかれ、と。

戦争への奔流に逆らうのが、いかに難しいか。

奔流となる前に、多くの人々が批判的精神をもって社会の健全性を守り、強めていかなければ・・・と。

小沢一郎を批判するのも結構。しかし、社会の流れに呑まれて、口うつしのように「小沢の説明責任を」などと言うだけでは、あれっ、あなたの頭は自分のモノ?・・・と疑われてしまうのではないか。

2~3日前のテレビで、ジャーナリストの江川紹子さんが言っていた。

「東京地検がすべて正しいかのように報道されているのは疑問だ」「過去にも、福島県知事の問題など、大きな問題として騒がれても、裁判など後になるにつれて、どんどん小さな問題になっていった事件が幾つもある」と。

「さすがー、江川さん」と、拍手しました。

だって、そうでしょ。時々問題になる冤罪事件、あれは警察が問題にされているが、一番の責任は検察にあるはず。検察だって間違うんですよ。

こういう風に、大勢とちょっと違う人が居てこそ民主主義が成り立つと思うのです。

   

ⅳ、「取り調べの全面可視化」

地方紙の一つ、山形新聞1月18日版に、次のような記事が載っていた。

石川容疑者の弁護人が「石川容疑者に対する取り調べ全過程の録音・録画(全面可視化)などを求める申し入れ書」を東京地検や法務省に送付した…と。

へたな「説明」よりもこれはいい、と思うのは私だけ?

検察庁情報の喧伝に忙しい朝日新聞などは、なぜか、この記事を掲載していないようだ。私の見過ごしでなければだが。

国民も、私も、本当のことが知りたいのだ。

   

ⅴ、蛇足

こんなに検察やマスコミを批判したからと言って、私を捕まえないでくださいね。

この前、つい、急いでいたのでスピードをオーバーしたかもしれません。

運転中、携帯が鳴ったので「はいはい」と、ちょっとだけ電話に出ました。だって、お客さんからの交通事故の連絡かもしれないのですから。

やっぱり、検察や警察が、国民になんの説明もなく、逮捕などを行う社会になったら怖いんですよ。

みんなで監視するというか、国民が検察や警察を統治する、それが本当の民主主義ではないのかなあ。政治権力も、国民が選挙で決めているように。

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癌は大切な人の敵(カタキ)だ!

2009年12月15日 | 社会・経済

以下の文章は、私の思いをぶつけたものです。

11月7日に書きました。

悔しいことですが、この後も、職場の仲間となったばかりのSさんのご主人が、5年ほどの闘病のすえに癌でなくなりました。

12月1日の告別式では、眼を真っ赤にしたSさんに、言葉をかけることもできませんでした。

癌は「仕方のない、諦めるしかない」病気なのか?!

絶対にそうではない!

癌は社会的な病だ。年間に30万人もの死者、これは国と県と市町村と、そして社会のすべての人々の怠慢によるものではないのか!

こんな現状を許しておいてはならない。

この思いをもって、以下に転載いたします。

ぜひ、あなたのご意見を聞かせてください。 

   

「gannhakataki.doc」をダウンロード

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工業、商業は農業の支援を ・・・ 総選挙後に思う “日本の行方” ②

2009年10月19日 | 社会・経済

 最近の政治やマスコミの論調に思う、ちょっとおかしんじゃないかい、と。

 農業への「戸別所得補償制度」の導入を契機に、さまざまな意見が出されるのはいいことに違いありません。しかし、私が思うことはちょっと違います。

 「農業が可哀そうだから支援を」などと思うのではありません。

 本来的に、農業と工業は違う性質の産業ではないでしょうか?

 農業と工業・商業を同次元で議論することはできないのではないでしょうか?

 工業の生産性向上と同質に農業の生産性向上を図ることはできないはずです。そのことが暴露されるのは、冷夏や台風などの天変地異の時です。

 いかに農業が自然に左右されているかが明らかになります。

 何か農業の法人化や大規模化を図ることで、農業に夢が広がるかのように語られています。工業で、無人化された大規模工場によって生産性の飛躍的なアップが達成されたように、農業でも、それが可能だと言わんばかりに。

 それは、もし可能になったとすれば、農業という名称は同じでも、違うもの、「農業的工業」、「農業的工業生産物」ではないでしょうか。

   

 自然と切っても切れない関係にある農業は、工業と同じスピードで生産を増大させることはできないでしょう。

 だから、

 “工業や商業は、農業を支援しなければならない” “都市は農村を援助しなければならない”

 そうでなければ社会の調和ある発展は難しいと思います。

 9月11日の「山形新聞」に興味ある記事が載っていました。山形県の「知恵袋委員会」の初会合で、お年寄りから次のような発言があったというのです。

 「特産の食品加工に取り組む菅松子さんからは『農繁期の労働力対策に、都会に出た団塊の世代を週単位で里帰りさせて働いてもらう仕組みはできないか』とのアイデアも出された。」

 実際にどうするかは別として、工業が農業を、都市が農村を支援する一つの方策として、面白く読みました。

 同じようなことを考えているのでは…と。

 

 現状は、まったく逆ではないでしょうか。

 大型スーパーが農家を買いたたいていないですか!

 自動車輸出のために農業を犠牲にしていないですか?

 トヨタやイオンの社長達に命じたい、「年間に20日程度の農家の手伝いを義務化する」と。

 今や、小規模な専業農家は青息吐息です。10月9日の「農家を守るために息子家族が…」でも書きました。今夜、自動車保険の仕事で伺った農家も大変なようでした。

 親子3人の専業農家です。息子さんも、当初は農業に夢をもって働きだしたと思います。しかし、息子さんは現在39才、「働けど働けど・・・」の心境ではないでしょうか。

 工業や商業、金融業の社長達よ、あなた方が毎日食べているお米や野菜は、誰が、どのようにしてつくっているのか、考えていますか?

 都会のサラリーマン、ウーマン・・・のみなさん、あなた方も考えて下さいよ。 

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一寸の虫にも五分の魂! 定額給付金はもらいません

2009年09月19日 | 社会・経済

 一昨日の17日、「定額給付金の申請は9月18日までです」との通告のチラシが郵便ポストに入っていました。

 これまで何回も、市役所から催促の電話がありました。「早く申請して下さい」と。

 もらう気はないのに、「私は申請しませんから」と、はっきり断ってしまうのに躊躇があったのです。だから、その都度「はいはい」とあいまいな返事に終始していました。

 この微妙な気持ち、ご理解いただけますか。

   

 4月3日のブログで、

 「麻生太郎君へ  あなたが多くの国民の声を踏みにじり、強引にすすめている定額給付金、私はいただきません」(ブログのこの文は、うまく表示されないので手直し準備中です)と書きました。

 書いたから今更もらうわけにいかない…ということもあるでしょう。

 でも本当は、私もお金は欲しいのです。

 東京にいる娘が妊娠3カ月とか。「今の会社では、子どもを育てながらなんて働けない。働かなかったら生活できないでしょ…」と悩んでいた娘、それが30代半ばになって、ようやく妊娠。「あの娘が…」と、娘の勇気に拍手です。

 明日、東京に行って、その娘に会うのです。

 少しでも多く、「良かったね」「身体に気をつけろよ」と、お祝いを渡してあげたい。

 他にも、お金の必要な使い道は幾らでもあります。これは、ほとんどの人に共通のことだと思います。

 だから、「私は申請しません」と、決着をつけるような回答はできなかったわけです。

  

 でも…、定額給付金はもらいません。

 もらったら、あの太郎君たちが、「ほら反対していても、いざとなったら、もらうだろ」とほくそ笑むと思うからです。

  

 「武士は食わねど」なんとやら、私にも意地があります。

 私の好きな言葉は、「一寸の虫にも五分の魂」とか、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」なんです。

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奨学金の返済分は「経費」と認め、「所得控除」にせよ ・・・ 総選挙後に思う “日本の行方 ①”

2009年09月10日 | 社会・経済

 総選挙を通じて、民主党中心に、「モノよりも人にお金を」と叫ばれるようになりました。

 大賛成です。

  

◇ 文字通りの「貧乏人の子だくさん」として、4人の子どもを育てた経験からも、子ども手当はぜひ実現してほしいと思っています。

 妻が3人目を妊娠した時は、本当に夫婦で悩んだものです。6畳と4.5畳の2間に、トイレ付き風呂というか風呂付きトイレというか、今では考えられないような造りの都営住宅住まい。ここに、親子4人暮らし。「もう一人子どもが増えたら、どうするの?」「子どもの面倒は誰がみるの?」「生活費はどうなる?」・・・。

 当時、28才の私と25才の妻、志は高く持っていても、貧乏暮らしの自分たちには大変な難問でした。

 今の若い人たちが子どもをつくらない、否、つくれないのも無理のない状況と思います。仕事もろくにない、あってもいつまで続くか分からないのですから。

 でも、こんな日本にしたのは誰ですか! 政治家も悪い、しかし、彼らを選び、現状追随でその日暮らしをしてきたのは私たち壮年・老年世代なのです。

 子ども手当に「財源はどうするんだ」などと騒ぐ前に、まず私たちは、大いに恥を知らなければならないと思うのですが、いかがでしょうか?

  

◇ 話は飛びますが、同じようなことは、社民党の福島党首にも言いたい。なにか、自分たちは正しくて、たくさんの支持を集めた民主党がおかしいかのような言動を繰り返しています。

 なぜ社民党が支持を集められないのか、一番の原因は、票を取りすぎた民主党にあるのではなく、自分たち社民党に問題があるからではないですか。

 自分たちの弱さや誤りを他人のせいにしてはいけない。

 社民党が今のように凋落した最大の原因は、私が思うに、自民党と手を組んで村山政権をつくったことだと思いますよ。あれで社会党は無くなったのです。

 それを反省せずに、民主党の弱さばかりを叩いていても本当の支持は得られないのではないでしょうか。(ちょっと横道にそれてしまいました)

   

◇ 日本は、もっともっと“人づくり”に金も人材も振り向けるべきだと思います。それを疎かにしてきたことを反省しなければ・・・、政治家もマスコミも、そして私たち年配者も。

 子ども手当は、この反省からの出発じゃあないですか。

 そして、財源がどうの…と言われているので、私のささやかな提言を一つ。これは大したお金がかからないと思うのですが。

 生活が大変な中でも勉強したいと、奨学金を受けた若者の現状は悲惨なものです。大学を出た時には200万とか、500万とかの借金を抱えているそうです。

 そのうえ、奨学金には利子がついているとか。

 これは無茶苦茶です。

 私が山形の片田舎から東京の大学に入った時の何十年も前の日本は、今の日本よりずっと貧しい国だったでしょう。でも、当時で、月8,000円の奨学金がもらえました。返済は3,000円分だけでよかったのです。それも無利子の20年か30年払いでした。月に10,000円あれば間借りでの生活ができた時代の8,000円です。

 ありがたいと思ったし、日本に生まれてよかったと思ったものです。

 この奨学金がなければ、今の私はいなかったでしょう。東京の私立の大学などには、とても入れませんでした。

 だから、奨学金の大幅拡充や無利子化、貸与(貸すだけでなく与える分も)制度の復活など、深刻で緊急の課題だと思います。

 でも、国のお金が無いなら、まず、奨学金返済中の若者に、返済分を「経費」として認め、所得から控除したらどうですか! これは、やる気になれば、すぐできるのではないでしょうか。

 ぜひ、みんなで、早急に、検討をしてもらいたいのです。  

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「“首切りが自由”っておかしいよねえ」・・・『朝日新聞』の姿勢を疑う

2009年08月15日 | 社会・経済

 8月14日、前回に「4月に首を切られた」と書いたKさん宅に伺いました。自動車保険の継続手続きでした。今まではKさんの勤め先の会社を訪ねていたので、今回が初めての訪問です。

 質素な、だけど掃除の行き届いた小ぎれいな平屋のお家でした。

 Kさんに挨拶し、少しだべっていたら、隣の部屋からお母さんが顔を出してくれました。足が悪いようで、両手で這って、私たちの居る茶の間に上半身だけ出されたのでした。

 「口ばっかり達者で、何にもできない…」とぼやいてましたが、ほんとにちっとも惚けていない感じのはきはきしたおばあちゃんでした。93才と言われましたが、話していては、まだまだ80才代半ばにしか見えませんでした。Kさんとそっくり。

 自動車保険の継続手続きをしながら、Kさんのその後の話を聞きましたが、やはり仕事は見つからず、今も介護の研修を受けているとのことでした。

 話になったのは、Kさんや私の知り合いで同じように失業した人のことや、介護の資格を取っても、40才過ぎではなかなか就職できないらしい・・・などということでした。「どっかあったら頼みます」と言われましたが、情けないことに、明るい話をすることができませんでした。本当に悔しい。

 「失業保険が切れたらどうやって暮らせばいいの?」

 「首切り自由っておかしいよねえ」。

  なんと言って励ましたらいいのか、分かりませんでした。

 

 今日(14日午前)のKさんのことが頭から消えないまま、先ほど『朝日新聞』の14日付け朝刊の「社説」、「成熟日本に新産業革命を」を読みました。

 驚きました。

 つい半月ほど前までは、あれ程に「格差社会」を指弾し、「ワーキングプア」や雇用不安を問題視してきたマスコミ、とりわけ『朝日新聞』が、今や、「新産業革命」を唱え、「規制緩和や投資減税などの政策誘導…」「経済成長のための戦略は、内外でもっと民間活力を引き出すとともに、政策の相乗効果を発揮できる総合設計とすることが必要だ。」「国民の受益だけでなく、産業構造の転換に伴う痛みや負担増についても積極的に説明し、理解を求めなければならない。」などと主張しているのです。

 「規制緩和」と「民間活力」の行き過ぎ、野放し、それが格差や雇用不安を増幅させてきたのではないですか。なのに、問題解決のために、さらなる「規制緩和」を強調しているのです。

 働く者とその家族にとっての最大問題、雇用不安には一言も触れていません。

 「雇用不安」ではなく、「労働力確保」が難しくなる…と言うのです。(「超高齢化が進むと、労働力確保や年金・医療保険制度の維持が難しくなる。その不安がいま消費を委縮させている…」)

 これでは、生活者の視点とその現実を見失い、経営者の視点にどっぷりです。

 Kさんのような事例は、それこそ山のようにあるのではないですか? それに眼をつぶれと言うのですか?

 それとも、Kさんに「産業構造の転換に伴う痛み」として、ガマンを「説明しろ」と言うのですか?

 大朝日新聞の編集氏よ、一緒にKさんのお宅に行きましょう。あなたが、どのように「産業構造の転換に伴う痛み」を「説明」するか、勉強させていただきます。

 いつ、同行をお約束していただけるか、私にも楽しみができましたよ。

 14日朝のテレビ朝日の「スーパーモーニング」でも、口あんぐり、でした。

 ある主要政党の政策を取り上げて、「公務員の人件費の総額の削減は書いてあるが、人数で何割削減するかが書いてない」と声高に批判していました。

 そんなに「首切り」が素晴らしいことですか? 首を切られた人の家庭はどうなるのか、それを考えての発言でしょうか? 私の父も2度首切られましたから、私は子どもの心にまで一生の傷がつくことを知っています。

 最近の世相は、とりわけ一部マスコミや政・財界人には、人間の首を切るという死活問題を、あまりにも簡単に取り上げる傾向があります。人間が人間の心を失っている証左でしょう。

 今回のことから、結論として、

 ① 少なくとも、首切りには、それが不可欠だとする社会的な妥当性と合理性がなければならないはずです。あまりにも安易な首切りが横行していませんか。

 “首切り”が自由なわけがない!

 ② 『朝日新聞』の長年の愛読者の一人としても、最近の貴紙にモノ申す。

 権力に対する厳しい眼、言いかえれば、庶民に対するあたたかい眼差し、これが無くなったのではないですか。残念です。

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お人よしもほどほどに! 年金運用損10兆円

2009年06月27日 | 社会・経済

 普段、自称「温厚な」私が頭にきました。

 ニュースを見てたら、6月27日配信の読売新聞に「公的年金の積立金運用、赤字10兆円…過去最悪に」という記事が掲載されていました。

 その記事によれば、これでは「将来の給付カットにもつながりかねない」「年金不信がさらに深刻化する恐れもある」とありました。

 しかし同時に、結びでは、2008年度は大赤字だが、「今年度に入ってから、株式市場は回復基調にあり、運用実績は改善しつつあるとの指摘もある」と述べていました。

 これ、何かおかしくないですか?

 国民年金と厚生年金を合わせた積立金は約140兆円であり、1年間でその内の10兆円が消えたというのですぞ。

 それなのに、「今年は株などが下がったから仕方ないかあ、また上がりそうだし…」と諦めるのですか?

 家庭の中で、夫がこんな大損をしてきたら、賢明な主婦は「株はまた上がるし…」と言われても、「何を考えてるのよ! 株なんかに手をだすからでしょ。大切な老後の蓄えなのに」・・・と怒りまくるか、「あなたには愛想が尽きました」と、離婚裁判になるのではないでしょうか。

 140兆円の内、90兆円を市場で運用しているとのこと、これがおかしい。

 株などで運用するのは余裕のある手元の資金、ナケナシの老後の蓄えを株などに運用するのがおかしいんだぞー。

 運用で大赤字を出した責任者は金を返せ!

 返せないんなら、給料を差し押さえるぞー。麻生君も、マス添えクンも、そもそもの小泉君、タケちゃんも、弁償しろー。

 文句を言わない「立派な」人の分は別として、私の分は返せー!

 当たり前でしょ。年金保険料を払う時、「株で運用します」などと説明を受けてないんですから。説明責任があるでしょ。

 お人よしは、もうごめんだ!

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