怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

地震の中での1週間  申し訳ないけど生活確保に走りました・・・山形県寒河江市在住

2011年03月21日 | 東日本大震災…山形から

3月11日の午後、代理店で仕事中に「あっ、地震だ」「えっ、机の下? 外へ出る!」 
あわてて外へ飛び出し、「あっ、茶々(犬)茶々!」と家に戻って犬を抱えて、また飛び出す。

その後、最初は停電程度で、すぐに収まると思ってた。
11日の夜は真っ暗。ろうそくと懐中電灯、携帯ラジオが役に立った。食べ物は生協のおかげで心配なかったし。
その日は水が止まらなかったので、これも大いに助かった。

12日は朝6時過ぎから、まず、水をバケツや鍋に汲めるだけ汲んだ。2階の水の出が悪くなったから、今のうちにと1階で汲んだ。
娘たちや息子のことが心配で、東京に行けないかと高速のインターに行ったが駄目。「それじゃあ」と買い出しに走った。
開いてるスーパーを探しまわり、1時間半ほど並んで、ろうそく、乾電池、冷蔵庫とアイスボックス用の氷を買った。3品に制限された。

そのあと、ガソリンを求めて走りまわった。
自分の車は、ガソリンを入れようとしていた時なので、ガソリンカラカラ。
大きな事故があったら駆けつけなければならないし、母親が入院中で、医者からは「いつ亡くなってもおかしくない」と言われていた。でも、ガソリンが無ければお袋の危篤に駆けつけることもできない。

地震から毎日5~6時間も並び続けた。2時間も並んで「売り切れ」と言われたこともあった。
ようやく4日がかりで、半分ほど(25リットルくらい)詰められた。
なんとか万一に備えられると一安心。
ガソリンに振り回された1週間だった。

これからのこととして、いくつか気付いたことは・・・

被災地の人たちとは比べ物にならないけど、山形でも大変なのが、
やはり、
① ガソリンがないこと、買い物にも、急用があっても足が無い。「入院中の父親のところに行けない」という声も。
② 仕事が休みになってしまったので、収入が無いとの悲痛な声も。「東海林さん、交通事故の保険金は早く出ないかな?」との電話があり、急いで手配したことも。
・・・
大したことでもないように見えるが、次に活かすためにも、少しずつ記録していきたい。
今回は第一号。

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