怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

一寸の虫にも五分の魂! 定額給付金はもらいません

2009年09月19日 | 社会・経済

 一昨日の17日、「定額給付金の申請は9月18日までです」との通告のチラシが郵便ポストに入っていました。

 これまで何回も、市役所から催促の電話がありました。「早く申請して下さい」と。

 もらう気はないのに、「私は申請しませんから」と、はっきり断ってしまうのに躊躇があったのです。だから、その都度「はいはい」とあいまいな返事に終始していました。

 この微妙な気持ち、ご理解いただけますか。

   

 4月3日のブログで、

 「麻生太郎君へ  あなたが多くの国民の声を踏みにじり、強引にすすめている定額給付金、私はいただきません」(ブログのこの文は、うまく表示されないので手直し準備中です)と書きました。

 書いたから今更もらうわけにいかない…ということもあるでしょう。

 でも本当は、私もお金は欲しいのです。

 東京にいる娘が妊娠3カ月とか。「今の会社では、子どもを育てながらなんて働けない。働かなかったら生活できないでしょ…」と悩んでいた娘、それが30代半ばになって、ようやく妊娠。「あの娘が…」と、娘の勇気に拍手です。

 明日、東京に行って、その娘に会うのです。

 少しでも多く、「良かったね」「身体に気をつけろよ」と、お祝いを渡してあげたい。

 他にも、お金の必要な使い道は幾らでもあります。これは、ほとんどの人に共通のことだと思います。

 だから、「私は申請しません」と、決着をつけるような回答はできなかったわけです。

  

 でも…、定額給付金はもらいません。

 もらったら、あの太郎君たちが、「ほら反対していても、いざとなったら、もらうだろ」とほくそ笑むと思うからです。

  

 「武士は食わねど」なんとやら、私にも意地があります。

 私の好きな言葉は、「一寸の虫にも五分の魂」とか、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」なんです。

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  亡くなった友人がくれた14年前の「餞別」

2009年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 9月12日に、このブログに「信頼していた友人が死んだ!」と書いたFさん、Fさんのくれた「餞別」が出てきました。

 14年前、私が32年間生活した東京から山形に帰ってくる時、彼がくれた「餞別」。

 職を辞め、単身で田舎に戻る私を心配して、手紙などくれたことのない彼が、初めて封筒に入れて「餞別」と題した手紙をくれたのでした。

   

「東海林さん(私の本名です)へ

 長い間、東京での活動、ご苦労様でした。

 今度は、山形での生活、東京とは違った苦労があるとは思いますが、元気で頑張って下さい。また東京で活動されることを願っています。

 東海林さんへ送る言葉として、相田みつをさんが書いている中から、私の思いをつたえるものを選びました。

 『  ただ

 花には人間のような

 かけひきが

 ないからいい

 ただ咲いて

 ただ散ってゆくからいい

 ただになれない

 人間のわたし   』

   

 『    道

 長い人生にはなあ

 どんなに避けようとしても

 どうしても通らなければ

 ならぬ道

 てものがあるんだな

 そんなときはその道を

 黙って歩くことだな

 愚痴や弱音を吐かないでな

 黙って歩くんだよ

 ただ黙って

 涙なんか見せちゃダメだぜ?

   

 そしてなあ その時なんだよ

 人間としてのいのちの根が

 ふかくなるのは    』

   

 最近、思うことがあります。自分だけ苦労するのだろ、東海林さんほどは苦労はしてないとは思うがと落込むことがありました。

 東海林さん達からもらった相田みつをさんの本を読んで、自分だけが苦労しているのではない、みんな同じなんだ、苦労、なやみは違うが、と思う事が出来るようになりました。

 「ただ」という詩の終始一貫して無償の行為、また「道」という詩は、思うようにならない人生を生きて行くために耐え忍ぶという事、東海林さんもつらいと思いますが、未来のために共にガンバリましょう。

 また会える時をたのしみに待っています。

                    F・K  」

  1995年6月ころに、Fさんからいただいた「餞別」です。彼が先に旅立つとは・・・。 

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久しぶりの公園散歩、よかったあー!

2009年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 運動不足で、このままだと、何年か後には膝が痛くて座れなくなってしまう…、この不安をもっていました。

 私の住む寒河江では、70代以降のお年寄りなら、ほとんどの人が膝の痛みを抱えています。

 原因は、一番目に正座の習慣でしょう。

 私も、毎日お客様を訪問し、1日あたり5時間程度は正座をしています。

 これは非常に膝に悪い。「最悪だ」と医者からも言われました。

 2番目の原因は、労働のし過ぎでしょう。

 特に、かがんでの農作業はきつい。

  

 膝が痛いような、固まっているような感じがありましたので、なおさら、歩こうと思っていましたが、やはり、その時間がなかなかに取れない、これが大変です。。

 今日、久しぶりに、近くの公園を散歩しました。

 ちょっと小雨模様でしたが、よかったあー。やっぱり、時々は歩かなくちゃ。

 再度、決意を固めたのでした。

 ? 写真は、近くの「最上川ふるさと公園」(名前を間違っているかも?)です。

 090913_16440001                                           

 寒河江も、いいとこでしょう。

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信頼している友人が死んだ!

2009年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 人生にはさまざまのことがある。当たり前のことだ。でも、つらいこと、悲しいこと、時間が経っても忘れられないこと・・・などに直面すれば、やっぱり、つらい。

 多くの人が何度も経験し、通り抜けてきたことに違いないのだが…。

 おととい、横浜の友人がメールで「Fさんが亡くなったそうだ」と、知らせてきてくれた。

 えーっと驚き、すぐ、あちこちの友だちに問い合わせのメールを打った。山形に戻る前の東京時代、15年ほども前の仲間たちなので、詳しいことは分からなかった。

  

 昨夜、失礼かと思いつつも、奥さんに電話をしてみた。「間違いかも…」との思い半分で。

 もう20年ほども会ってないのに、奥さんは覚えていてくれた。

 「間違いなら大変恐縮なのですが・・・」と言っただけで、「Fのことでしょ、間違いじゃないですよ」と言われた。

 えーっ、やっぱり…、ショックだった。

 癌との闘病を続け、最後は内臓全部に広がり、点滴だけの生活だったとのこと。

 2009年7月31日、力尽きた、とのこと。

 「自分でも、『こんなに痩せて…』と言いつつ、治療という治療は全部受け入れて…。私には、あそこまでの治療はできない…」(奥さんの話)

 「子どもは中学2年と3年。最後まで、子どもが成人するまでは…と言っていた」

     

 Fさんは、外見は、はっきり言って悪いが、茫洋としているようでいて、でも、本当に信頼できる骨太の人間だった。

 彼との付き合いは、私の在京時代、かれこれ35年ほど前から。

 彼は鹿児島出身の薩摩っぽ。口数少なく、根は頑固者。彼には嘘がない。彼が心にもないことを言ったのを、長い付き合いで一度も聞いたことがない。

 初めて知り合った20代の頃、一緒に勉強会を始めたが、読めない漢字があると、次回からは調べて振り仮名を振ってきていた。30才くらいになって、「字がへただから」と習字の塾に通い出した。「小学生と肩を並べて勉強するんですよ」と言っていた。

 そして、いつの間にか、私などよりずっときれいな字を書くようになっていた。

  

 Fさん! まだ中学生の子どもさんたちと奥さんを残して、さぞ無念だったろう。

 自分は、何にもできなくて悪かったねえ・・・。

 来週、埼玉のあなたの家に行って、線香あげさせてもらうよ。

 あなたが、私のところのホームページに書いた癌の手記も、奥さんに届けることにしているよ。奥さんは見たことないらしいから。

 今、読み直したけど、いかにもFさんらしい原稿だぞ。

  

 「・・・二度再発している私としては、治療方法が無くなってきていることもあり、食事療法(玄米菜食)でガンを克服できるのであればとの思いで玄米菜食を始めました。子どもたちが成人するまでは、何とか生きながらえたいとの思いです・・・」(Fさんの手記から)

? この全文は、私が代表をしている(有)保険相談所のホームページで、「お知らせ」の2008年4月22日のところに掲載してあります。アドレスは下記のとおりです。

  http://www.tmn-agent.com/hokennsoudannsho/

    

 この手記の直後、今から1年半ほど前、上野の西郷さんの銅像のところで、仲のよかったムーミン(S君の通称?)と3人で会ったけど、Fさん、あなたの変わりように言葉もなかった。

 あなたは、本当に、最後まで頑張りぬいたんだね。それも、多分、自分のためというよりも、奥さんや子どもさんたちのために。

 そのうち、あっちで、また会おうよ。

       2009年09月12日     

             山田 吾作(私が東京にいたころのペンネームです)

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奨学金の返済分は「経費」と認め、「所得控除」にせよ ・・・ 総選挙後に思う “日本の行方 ①”

2009年09月10日 | 社会・経済

 総選挙を通じて、民主党中心に、「モノよりも人にお金を」と叫ばれるようになりました。

 大賛成です。

  

◇ 文字通りの「貧乏人の子だくさん」として、4人の子どもを育てた経験からも、子ども手当はぜひ実現してほしいと思っています。

 妻が3人目を妊娠した時は、本当に夫婦で悩んだものです。6畳と4.5畳の2間に、トイレ付き風呂というか風呂付きトイレというか、今では考えられないような造りの都営住宅住まい。ここに、親子4人暮らし。「もう一人子どもが増えたら、どうするの?」「子どもの面倒は誰がみるの?」「生活費はどうなる?」・・・。

 当時、28才の私と25才の妻、志は高く持っていても、貧乏暮らしの自分たちには大変な難問でした。

 今の若い人たちが子どもをつくらない、否、つくれないのも無理のない状況と思います。仕事もろくにない、あってもいつまで続くか分からないのですから。

 でも、こんな日本にしたのは誰ですか! 政治家も悪い、しかし、彼らを選び、現状追随でその日暮らしをしてきたのは私たち壮年・老年世代なのです。

 子ども手当に「財源はどうするんだ」などと騒ぐ前に、まず私たちは、大いに恥を知らなければならないと思うのですが、いかがでしょうか?

  

◇ 話は飛びますが、同じようなことは、社民党の福島党首にも言いたい。なにか、自分たちは正しくて、たくさんの支持を集めた民主党がおかしいかのような言動を繰り返しています。

 なぜ社民党が支持を集められないのか、一番の原因は、票を取りすぎた民主党にあるのではなく、自分たち社民党に問題があるからではないですか。

 自分たちの弱さや誤りを他人のせいにしてはいけない。

 社民党が今のように凋落した最大の原因は、私が思うに、自民党と手を組んで村山政権をつくったことだと思いますよ。あれで社会党は無くなったのです。

 それを反省せずに、民主党の弱さばかりを叩いていても本当の支持は得られないのではないでしょうか。(ちょっと横道にそれてしまいました)

   

◇ 日本は、もっともっと“人づくり”に金も人材も振り向けるべきだと思います。それを疎かにしてきたことを反省しなければ・・・、政治家もマスコミも、そして私たち年配者も。

 子ども手当は、この反省からの出発じゃあないですか。

 そして、財源がどうの…と言われているので、私のささやかな提言を一つ。これは大したお金がかからないと思うのですが。

 生活が大変な中でも勉強したいと、奨学金を受けた若者の現状は悲惨なものです。大学を出た時には200万とか、500万とかの借金を抱えているそうです。

 そのうえ、奨学金には利子がついているとか。

 これは無茶苦茶です。

 私が山形の片田舎から東京の大学に入った時の何十年も前の日本は、今の日本よりずっと貧しい国だったでしょう。でも、当時で、月8,000円の奨学金がもらえました。返済は3,000円分だけでよかったのです。それも無利子の20年か30年払いでした。月に10,000円あれば間借りでの生活ができた時代の8,000円です。

 ありがたいと思ったし、日本に生まれてよかったと思ったものです。

 この奨学金がなければ、今の私はいなかったでしょう。東京の私立の大学などには、とても入れませんでした。

 だから、奨学金の大幅拡充や無利子化、貸与(貸すだけでなく与える分も)制度の復活など、深刻で緊急の課題だと思います。

 でも、国のお金が無いなら、まず、奨学金返済中の若者に、返済分を「経費」として認め、所得から控除したらどうですか! これは、やる気になれば、すぐできるのではないでしょうか。

 ぜひ、みんなで、早急に、検討をしてもらいたいのです。  

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手入もしていないのにがんばっている花たち

2009年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 忙しさにかまけて庭の手入れができていません。花や野菜が可哀そうです。

 それでも、毎日のように何か咲いてくれています。そこで、ちょっと花たちの紹介を。

 上段は、庭の奥にひっそりと咲いているオレンジ色や朱色のようなばら。

 中段は、玄関脇の黄色のばら。咲いたと思うと1日か2日でしぼんでしまう。

 下段は、たぶん「虎の尾」という花。

 雑草だらけの中に咲いています。

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