goo blog サービス終了のお知らせ 

怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

幻冬舎刊『奇跡のリンゴ』を読む

2009年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 本屋さんでふらふらしてたら、ふうっと眼についたのが、この本。「農業と農家が生き残るには…?」と考えていたので、すぐ飛びついた。Photo

 忙しくて、なかなか時間が取れないが、眠る前の10分とか、昼休みの5分…と、毎日離さずに読んでしまった。

 自分自身、6㎡ほどのほんとに小さな畑なのに、農業の難しさにまいっていたので、すごく面白かった。

 この本にもあるように、無農薬と言っても、病気になったらどうしようもない。せいぜい酢を散布するくらい・・・と、すこしやる気をなくしていただけに、この本から勇気をもらうことができた。

  

 本の表紙には、『「絶対不可能」を覆した農家 木村明則の記録』と書かれている。

 この本には、青森県弘前市の農家、木村さんが農薬どころか有機肥料も一切使わず、不可能と言われた林檎づくりに突き進む姿が紹介されている。

 もともとは、2006年12月のNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されたもので、それに大幅に手を加えて書籍化したとのこと。

   

 門外漢で勉強不足の私が解説するわけにもいかないので、ぜひ読んでみることをお勧めします。どうしても病気や虫にかてなかった木村さんが「これだ!」と眼を開く場面などは、「うーん、そうか!」と唸ってしまったのです。

コメント

 息子のことで頭いっぱいになり、車運転してるの忘れて…

2009年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 10月のある日の夜、自動車保険のお客さんを訪問しました。そうそう、私は保険の代理店なんです。継続契約のためです。

 こんなことがありました。なんかほのぼのとした気持ちになったので書いてみます。

   

 50代後半のご主人です。9月に自爆事故があった方です。

 話の中で、福島にいた息子さんが横浜に転勤になったことが話題になりました。

 9月に、その息子さんが帰省してバイクを横浜に持って行ったそうです。

「久しぶりに帰ってきたんで喜んでいたら、その日の夕方に、『もう帰る…』と言い出して、バイクで帰ってしまった。」

「横浜までは今日のうちには帰れないから、今夜は泊って、あした帰れば…と言ったが、『栃木のあたりに泊まる』と帰ってしまった。」

「えーっという気持ちと、暗い中のバイクで大丈夫か…と、頭がいっぱいになってしまって。そこへ上から鳥のフンが車のボンネットに落ちてきて…あーっとなり、車を運転してるの忘れてしまった。」

「そこで、どーんと土留めのコンクリートにぶつかってしまったんですよ」

「運転してること、頭に無くなってしまって・・・」

   

 もともとが憎めないタイプの、愛すべき人なんですが、子どもさんへの愛情が伝わってくる話でした。もちろん、事故には気をつけてもらわなければなりませんよ。

コメント

農業を守るために息子家族が…?

2009年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 「なんで暗いことばかり書くんだ…」と、書いている自分まで疑問になってしまいます。

 そうなんです。あまりに暗いことばかり多いんです。

 その時に、「暗いことの多い世の中だからこそ、明るいことを取り上げて」と思うか、「そうしたいけど、事実は事実」とばかりに暗いことを取り上げるか、・・・どっちがいいか、自分には分かりません。

 でも、今日あったことの中で、一番考えさせられたのは次のことなんです。

   

 40才前後のSさんご夫婦、子どもさんは小学低学年の子と保育園児の2人。

 2~3日前、Sさんから電話がきました。「東海林さん、もうだめだー。仕事を続ける自信ないよー。この前も原チャリで転んで怪我しそうになった。(原チャリで配達の)仕事は忙しいし危ないし、今度は『一人で静岡に行って仕事してこい』と言われるし…」と。借金が150万あり、収入も不安定で「自己破産するか、生活保護受けるか、もうどうにもならない!」と言うのでした。

 そして、昨日の朝、また電話がありました。

 「今日、台風だから仕事休みなんで、東海林さん、時間空かないですか?」と。

 急きょやりくりして、昼どきにファミレスで会いました。

 彼は、奥さんとも話し合って、なんとか生活を立て直そうとしていました。

 「嫁さんに共稼ぎしてもらうしかないんです。嫁さんにも頼みました。でも、うちの嫁さんは『(Sさんの実家の農業を)手伝いに行かないと、じいちゃん、ばあちゃんが大変…』と、毎日、手伝いに行ってくれてるんです。」

 「実家は、今年のさくらんぼは天気が悪かったために全然だめ。林檎もだめだし、手伝いの人を頼むどころじゃない。嫁さんが手伝いにいかなかったら親も倒れちゃう状態。介護受ける状態のばあちゃんまで働いているぐらいなんです」

 「もちろん、嫁さんが手伝いに行ったからといって、嫁さんにお金出せる状態じゃないですよ。」「だから、うちで共稼ぎをしなかったら、うちがやってけないんです」

 「でも、実家の農業手伝わなかったら、親が倒れちゃうし…。さくらんぼの収穫時には、自分も手伝いに行ったんです。上に登っての危ない仕事は、父ちゃんには、もう無理になってきているし…」

  

 どうすればいいのでしょうか? この上、Sさん自身の仕事も先行きあやしいし・・・。子どもにはお金がかかるばかりになっていくし・・・。

 何代も続いた農家とその家族が、こんな状態に追い詰められていってるのです。

 もはや、個人の努力で何とかできる状態ではありません。

 はたまた、自営の農家はもういらない…というのでしょうか? 会社経営の法人農業にすればいい? 本当に日本の農業がアメリカ農業の小型版になっていいのですか?

コメント

友の死は重い・・・

2009年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 9月10日に、私の東京時代の20代からの友人、最も信頼していた仲間の一人、Fさんが癌で亡くなったのを知った。

 7月31日、力尽きたとのこと。「成人T細胞白血病リンパ腫」、これが病名だったと、後で、奥さんから伺った。

 9月20日と21日に、埼玉のFさん宅を訪ねた。奥さん、中2、中3の二人の息子さんとも話し合うことができた。

 話せば話すほど、実情やお気持ちを聞けば聞くほど、自分の言葉が軽くなり、どんどん重い気持ちになっていくのを避けられなかった。

 それから、悶々と考えてきた。何を考えたわけではない。何が分かったわけでもない。

 でも、今の自分の気持ちを、このブログに残しておこうと思った。ありのままに。

   

 14年前、私が東京から山形に帰る時、彼がくれた「餞別」に、相田みつおさんの詩が引用されていて、その最後に、こうありました。

 「・・・自分だけが苦労しているのではない、みんな同じなんだ、苦労、なやみは違うが、と思う事ができるようになりました。『ただ』という詩の終始一貫して無償の行為、また『道』という詩は、思うようにならない人生を生きて行くために耐え忍ぶという事、東海林さん(私の本名です)もつらいと思いますが、未来のために共にガンバリましょう。また会える時をたのしみに待っています。   F・K 」

 何もできない自分が情けない。Fさんは、もう居ない。

 Fさん、ごめんよ。

 

 

コメント

  亡くなった友人がくれた14年前の「餞別」

2009年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 9月12日に、このブログに「信頼していた友人が死んだ!」と書いたFさん、Fさんのくれた「餞別」が出てきました。

 14年前、私が32年間生活した東京から山形に帰ってくる時、彼がくれた「餞別」。

 職を辞め、単身で田舎に戻る私を心配して、手紙などくれたことのない彼が、初めて封筒に入れて「餞別」と題した手紙をくれたのでした。

   

「東海林さん(私の本名です)へ

 長い間、東京での活動、ご苦労様でした。

 今度は、山形での生活、東京とは違った苦労があるとは思いますが、元気で頑張って下さい。また東京で活動されることを願っています。

 東海林さんへ送る言葉として、相田みつをさんが書いている中から、私の思いをつたえるものを選びました。

 『  ただ

 花には人間のような

 かけひきが

 ないからいい

 ただ咲いて

 ただ散ってゆくからいい

 ただになれない

 人間のわたし   』

   

 『    道

 長い人生にはなあ

 どんなに避けようとしても

 どうしても通らなければ

 ならぬ道

 てものがあるんだな

 そんなときはその道を

 黙って歩くことだな

 愚痴や弱音を吐かないでな

 黙って歩くんだよ

 ただ黙って

 涙なんか見せちゃダメだぜ?

   

 そしてなあ その時なんだよ

 人間としてのいのちの根が

 ふかくなるのは    』

   

 最近、思うことがあります。自分だけ苦労するのだろ、東海林さんほどは苦労はしてないとは思うがと落込むことがありました。

 東海林さん達からもらった相田みつをさんの本を読んで、自分だけが苦労しているのではない、みんな同じなんだ、苦労、なやみは違うが、と思う事が出来るようになりました。

 「ただ」という詩の終始一貫して無償の行為、また「道」という詩は、思うようにならない人生を生きて行くために耐え忍ぶという事、東海林さんもつらいと思いますが、未来のために共にガンバリましょう。

 また会える時をたのしみに待っています。

                    F・K  」

  1995年6月ころに、Fさんからいただいた「餞別」です。彼が先に旅立つとは・・・。 

コメント

久しぶりの公園散歩、よかったあー!

2009年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 運動不足で、このままだと、何年か後には膝が痛くて座れなくなってしまう…、この不安をもっていました。

 私の住む寒河江では、70代以降のお年寄りなら、ほとんどの人が膝の痛みを抱えています。

 原因は、一番目に正座の習慣でしょう。

 私も、毎日お客様を訪問し、1日あたり5時間程度は正座をしています。

 これは非常に膝に悪い。「最悪だ」と医者からも言われました。

 2番目の原因は、労働のし過ぎでしょう。

 特に、かがんでの農作業はきつい。

  

 膝が痛いような、固まっているような感じがありましたので、なおさら、歩こうと思っていましたが、やはり、その時間がなかなかに取れない、これが大変です。。

 今日、久しぶりに、近くの公園を散歩しました。

 ちょっと小雨模様でしたが、よかったあー。やっぱり、時々は歩かなくちゃ。

 再度、決意を固めたのでした。

 ? 写真は、近くの「最上川ふるさと公園」(名前を間違っているかも?)です。

 090913_16440001                                           

 寒河江も、いいとこでしょう。

コメント

信頼している友人が死んだ!

2009年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 人生にはさまざまのことがある。当たり前のことだ。でも、つらいこと、悲しいこと、時間が経っても忘れられないこと・・・などに直面すれば、やっぱり、つらい。

 多くの人が何度も経験し、通り抜けてきたことに違いないのだが…。

 おととい、横浜の友人がメールで「Fさんが亡くなったそうだ」と、知らせてきてくれた。

 えーっと驚き、すぐ、あちこちの友だちに問い合わせのメールを打った。山形に戻る前の東京時代、15年ほども前の仲間たちなので、詳しいことは分からなかった。

  

 昨夜、失礼かと思いつつも、奥さんに電話をしてみた。「間違いかも…」との思い半分で。

 もう20年ほども会ってないのに、奥さんは覚えていてくれた。

 「間違いなら大変恐縮なのですが・・・」と言っただけで、「Fのことでしょ、間違いじゃないですよ」と言われた。

 えーっ、やっぱり…、ショックだった。

 癌との闘病を続け、最後は内臓全部に広がり、点滴だけの生活だったとのこと。

 2009年7月31日、力尽きた、とのこと。

 「自分でも、『こんなに痩せて…』と言いつつ、治療という治療は全部受け入れて…。私には、あそこまでの治療はできない…」(奥さんの話)

 「子どもは中学2年と3年。最後まで、子どもが成人するまでは…と言っていた」

     

 Fさんは、外見は、はっきり言って悪いが、茫洋としているようでいて、でも、本当に信頼できる骨太の人間だった。

 彼との付き合いは、私の在京時代、かれこれ35年ほど前から。

 彼は鹿児島出身の薩摩っぽ。口数少なく、根は頑固者。彼には嘘がない。彼が心にもないことを言ったのを、長い付き合いで一度も聞いたことがない。

 初めて知り合った20代の頃、一緒に勉強会を始めたが、読めない漢字があると、次回からは調べて振り仮名を振ってきていた。30才くらいになって、「字がへただから」と習字の塾に通い出した。「小学生と肩を並べて勉強するんですよ」と言っていた。

 そして、いつの間にか、私などよりずっときれいな字を書くようになっていた。

  

 Fさん! まだ中学生の子どもさんたちと奥さんを残して、さぞ無念だったろう。

 自分は、何にもできなくて悪かったねえ・・・。

 来週、埼玉のあなたの家に行って、線香あげさせてもらうよ。

 あなたが、私のところのホームページに書いた癌の手記も、奥さんに届けることにしているよ。奥さんは見たことないらしいから。

 今、読み直したけど、いかにもFさんらしい原稿だぞ。

  

 「・・・二度再発している私としては、治療方法が無くなってきていることもあり、食事療法(玄米菜食)でガンを克服できるのであればとの思いで玄米菜食を始めました。子どもたちが成人するまでは、何とか生きながらえたいとの思いです・・・」(Fさんの手記から)

? この全文は、私が代表をしている(有)保険相談所のホームページで、「お知らせ」の2008年4月22日のところに掲載してあります。アドレスは下記のとおりです。

  http://www.tmn-agent.com/hokennsoudannsho/

    

 この手記の直後、今から1年半ほど前、上野の西郷さんの銅像のところで、仲のよかったムーミン(S君の通称?)と3人で会ったけど、Fさん、あなたの変わりように言葉もなかった。

 あなたは、本当に、最後まで頑張りぬいたんだね。それも、多分、自分のためというよりも、奥さんや子どもさんたちのために。

 そのうち、あっちで、また会おうよ。

       2009年09月12日     

             山田 吾作(私が東京にいたころのペンネームです)

コメント

手入もしていないのにがんばっている花たち

2009年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 忙しさにかまけて庭の手入れができていません。花や野菜が可哀そうです。

 それでも、毎日のように何か咲いてくれています。そこで、ちょっと花たちの紹介を。

 上段は、庭の奥にひっそりと咲いているオレンジ色や朱色のようなばら。

 中段は、玄関脇の黄色のばら。咲いたと思うと1日か2日でしぼんでしまう。

 下段は、たぶん「虎の尾」という花。

 雑草だらけの中に咲いています。

Photo_4

Photo_2 Photo_3 

コメント

「朝日新聞」の選挙報道に疑問あり ・・・ 歴史的・具体的な分析を

2009年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は総選挙。しかし、自分には納得できないものがあります。

 特に疑問なのはマスコミの報道姿勢、その中でも、長年愛読してきた「朝日新聞」の報道姿勢です。

 もちろん、自分達のやってきたことを棚に上げて相手の批判ばかりしている〇〇太郎君を支持するわけでもなければ、ノリピーとやらの報道に血道をあげているテレビ各局の報道ぶりに感心しているわけでもありません。

 期待すればこそ、朝日新聞などをはじめとする識者諸兄にモノ申したいのです。毎日毎日、昼も夜も、仕事に追いまくられているだけの凡人のたわ言にすぎないかもしれませんが、少しでも、今の日本が良くなることを願って、一言申し上げます。

      

[Ⅰ] 2009年8月29日付けの「朝日新聞」への疑問

 今日の未明、2時間ほどかけて「朝日」をじっくりと読みました。(ここ10日ほどは、毎晩1時間は「朝日新聞」を主に、地元の「山形新聞」と「日経新聞」を読んでいます。) そこで感じた疑問を幾つか上げてみましょう。

 ① 中味というよりも、「朝日」の報道姿勢に疑問を感じたのは、次のような記事でした。その一つは。

 4面「発言録」の舛添厚労相演説「(海賊から自国の船を)よその国に守らせて、我が国が尊敬を受けるとは思いません。我々自民党・公明党は外交政策、しっかりとした一本柱を持っています。野党(民主党)の諸君、昔で言えばソ連と手を握るような共産党みたいな連中と(連立)政権結んで、アメリカとの関係どうなるんですか。」

 ・・・これを、実際にあった発言だからとそのまま掲載することが“真実の報道”でしょうか?

 麻生首相の発言ぶりにも呆れますが、国政に責任ある大臣が、相手を批判するためなら何を言ってもよいのでしょうか? 野党に転落した時、政権を奪還するためなら黒も白と言わんばかりに、当時の社会党と手を組んで村山政権を作ったのは自民党だったじゃないですか。その反省もなしに、前記のような発言を繰り返す!

 私には、その発言の中身よりも、その節操のなさに呆れます。

 また、こんな発言を、何のコメントもなしに垂れ流す「朝日」の報道姿勢にも疑問です。

 ② 16面の漫画は、野球のベンチに選手があふれ、鳩山代表に似た監督らしき人物が「じゃま!」という叫び声で、ベンチから放り出されているひとコマ漫画です。

  「『それが心配』 320人もベンチに入ってきたら どうなるんだろ!? 」と題されています。

 これは風刺漫画として、何を言いたいのでしょうか? 

 民主党が勝ちすぎたら鳩山代表が放り出される、「それが心配」? ということでしょうか?

 真剣に選挙の投票を考えている多くの国民を揶揄してませんか。

 「投票に行ってもしょうがないよ。どうせ民主党が勝つんだし、勝ってもいいことないんだから…」などと、示唆していませんか。

 風刺漫画にこそ、鋭い権力批判と民への愛情を期待する私は時代遅れなのでしょうか。

 ③ 4面の記事、「鳩山氏寄稿『米主導の市場原理で尊厳喪失』…米専門家が批判」の内容も以前の「朝日」なら考えられないような記事ではないでしょうか。

 鳩山氏がニューヨーク・タイムズに寄稿した「米国主導」から「アジア中心」を唱える論文に対して、アメリカの専門家たちが批判的意見を言っているというものですが、そんなことは当たり前でしょう。よく言うアメリカの専門家が多いわけはありません。

 素人の私が考えるに、こういう記事を掲載するときは、逆の立場の人たち、すなわちアジアの専門家たちの意見も取材するのが“真実の報道”というものではないでしょうか。

 「朝日」は取材の手を抜いて、安上がりな報道に走っているのではないですか?

 ④ こうした手抜き記事は、他にも散見されます。

 17面には、私の尊敬する星浩編集委員が「民主党の子ども手当をはじめ『やるやるリスト』は示されたが、800兆円にも達する財政赤字をどうするかといった深刻な問題への処方箋は示されていない」と書いています。

 この記事の中味にいろんな意見があるのは当然としても、私がマスコミ人としての最低の倫理観を求めるのは、この「やるやるリスト」という表現です。

 政府与党である自民党の財源論を分析するどころか、野党の政策を「やるやるリスト」と茶化してしまう。こう言ってしまったら、民主党の子ども手当の中味を検討する必要は無くなるでしょう。入り口で切って捨てるやり方ではないでしょうか?

 「政策の論争を」と言いつつも、こんなレッテル貼りを行うのは星さんらしくもないことと思いますが、いかがでしょうか?

 同じ17面の作家高村薫さんの論文「はけ口求める不安 皮膚感覚に背く成長依存の枠組み…」の中で、高村さんは財源問題について次のように述べています。

 「国と地方合わせて800兆円もの長期債務を積み上げた与党が胸を張ることではないし、政権を取ったことのない野党に要求することでもない。まずは、一般会計と特別会計の財務内容の総点検と情報公開が先であり、私たち有権者としては、予算編成も財政再建もそこから始まると考えてよいと思う。…」と。

 変にレッテルを張るよりも、ずっと、「成るほど」と納得させるものがあるのではないでしょうか。

 ⑤ 3面の「地殻変動 自民・民主の『成長』海外注視」との囲み記事にも驚きです。

 自民の「閣僚経験もあるベテラン政治家」と、民主党の「薬害訴訟の原告として知られる若い女性候補」とが激突する長崎2区に関して、次のような論旨の展開をしています。

 海外メディアの宋さんの意見のようにして。

 「旧来型の政治家として率直に語る(自民党の)久間氏に宋さんは好感をもった。」「(民主党の)福田氏には勢いがあると感じた。『今回は民主だ』と多くの人がカメラに向かって語った。その根源を探ろうと、25日には福田氏に突撃取材を試みたが、陣営から断られた。」

 そして、この事実だけで、「宋さんは、こう言葉をつないだ」となっていく。「硬く、慣れていない政治。それが政権交代後の日本の政治にならなければいいが」。

 日本の理性と謳われた「朝日新聞」が、どうしてこのような論理の飛躍、浅はかな結論に至ってしまうのか、不思議でなりません。選挙終盤のぎりぎりの時に、「突撃取材」に応じられない時もあるでしょう。薬害患者なのですから、疲れ果てていたのかもしれません。

 取材に応じなかったというだけで、それ以外の何の根拠も示さずに非難する…、これが、大きな影響力を持つ大新聞の取るべき態度なのでしょうか。お粗末というか、マスコミの驕りではないでしょうか?

 ⑥ 3面の「総選挙 あす投票」と題した「社説」も疑問です。

 以前の「朝日」なら、何か勉強になるものがあったように思います。

 ところが、この歴史的と言ってもよいほどの総選挙の前日の「社説」が、分かりにくいの一語。

 本当に思っていることをベールに隠しながら書いているとしか思えません。そしてよーく読むと、「総選挙だからとて俄かに馬鹿騒ぎをするのは不必要のことだ」、もっと冷静に、「政権交代を望む。でもそれだけでは…。政権が暴走しそうな時の歯止め役になったり、市井の小さな声を丁寧にすくい上げたりする勢力も必要だ。…」との趣旨のようです。

 先ほど取り上げた17面の星浩編集委員の「政治コラム」にも同趣旨のことが書いてありました。

 「改革クラブ」の荒井参院議員の、「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすいことがよく分かる」という発言を借り上げながら論旨を展開しています。

 だが、しかし、もし「馬鹿騒ぎ」になっているとするなら、その半ばの責任は「朝日」をはじめとする報道人が負うべきではないでしょうか? 前回もそうでしたが、今回も、総選挙にあたって報道人は何をなしたのか!

 その世論に対する問題提起の足りなさこそ猛省されるべきなのではないでしょうか?

   

[Ⅱ] 取り上げてほしかった選挙の論点

 ① いつ始まるかと、連載記事を楽しみにしていたのが「戦後64年間の振り返り」でした。私の知る限り、ずっと取り上げられなかったようです。

 戦後の歴史は、激動の戦後でもあっただけでなく、多くの教訓に満ちた日本人の財産ではないでしょうか。

 戦争と平和について。世界と日本の連環について。「自社対立の55年体制」の功罪について。総評を中心とする労働運動は高度成長を妨害したのか…など、今日的な多くの教訓があると思います。

 戦後日本の60年余は、工業と農業、都市と農村の“対立と連環”をも教えていると思います。

 現在が大きな歴史的転換点にさしかかっていることには、多くの人々が異論のないことでしょう。ならば、政党のマニフェストを比べて欠点を指摘するだけで報道人の役割を果たしたと言えるでしょうか?

 否、です。

 私が最も恐れるのは、4年前の結果は裏切られたと感じている人々が、もし、今回も裏切られたと感じたなら、その先には何が待っているのか…?

 一気に社会は激動に向かわないのか? そして、現状の日本を考えるなら、激動は、外国人排斥などを掲げて日本的なファッショに向かわないのか…と。

 だからこそ、みんなの力で生活を改善できるんだ、という成果を挙げなければならないのではないでしょうか。それが今回の総選挙とその後の課題ではないでしょうか。

 「朝日」などの報道人には、こうした歴史的な視座からの問題提起も必要なのではと思えてならないのです。

 また、社会を“暴走”に陥らせないためには、曲解や暴言、歪曲による誹謗・中傷を許してはならないと思います。それこそ、冷静な事実にもとづく議論が必要であり、それをリードする大切な一つの役割が新聞・テレビではないでしょうか。

 ② 少なくとも、民衆の体感温度に共感し、根源を極めることが必要です。

 そうであれば、前述の[Ⅰ]ー⑥の星浩編集委員が取り上げた「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすい」との荒井参院議員の話は的外れ、となるのではないでしょうか。

 「雰囲気に流されやすい」のではなく、どうしようもないほどの生活苦と生活の不安、これが私たち民衆の心を揺さぶっているのです。

 4年前は、「自民党が変わる」ことに期待したのです。今回は、「自民党ではだめだ」と民主党に頼ろうとしているのではないでしょうか。

 私は、「保険相談所」という看板を掲げ、少しでも多くの人の役に立とうと、毎日、普通の人の家をまわっています。ご家族と、膝づめで話す機会も多い仕事です。それだけに、一人ひとりの苦悩や不安が痛いほど伝わってきます。

 もちろん、明るい話もあります。昨夜は、訪問したお宅の21才の息子さんが「今月、結婚するんだ。彼女の車の保険のことだけど…」と相談してくれました。私まで、心の中がほのぼのとなってきました。

 でも、明るい話題は少ないんです。

 おとといも、30才過ぎの奥さんから「いろいろ考えて、会社をやめたんだ」と聞かされました。会社の先の見通しがなかったようです。同じく30代の他の女性からは「建物関係の、何か仕事ないですか?」と電話がありました。営業でもないのに、会社から「注文を取ってこい」と責められているとのことでした。彼女の人となりからして、私のところまで頼んでくるのは相当に困ったからのようです。

 東京の大きな会社に勤めている人たち、ましてや大新聞社の幹部などの年収1000万、2000万もの人たちには分からないでしょうが、地方の普通の人たちにとっては、500円1000円でも大問題なのです。ですから、自動車保険料が年間1000円も上がったら、まず半分の人は「何故なんだ?」と不信感をもって責めてきます。

 ここ最近は、「お金がかかるから、子どもの病気では医者に行くけど、自分は行かないようにしてるんだ」と、若いお母さんたちに言われます。

 なんと悲しいことでしょう。こんなことがあってよいでしょうか?

 エライ人たちのみなさん! 想像してみてください。狭いアパートで、少しくらい熱があっても医者にも行かずに、小さい子どもの世話をしているお母さんたちの情景を?

 「子ども手当の財源はどうするんだ…」などと言うまえに、こういう若い家族の実情に眼を向けてほしいのです。他を削ってでも、みんなで若い夫婦を応援する時ではないですか!

 「風」や「ブーム」などではありません。多くの人たちの苦しい生活の現実があるのです。生活の現実の重みに押し出されるようにして、4年前は「小泉改革」に、今回は「政権交代」に望みをつなごうとしているのではないでしょうか。地底のマグマが胎動し始めているのかもしれません。 

 「朝日」も「地殻変動」と言うのなら、総力を挙げて、その根源を分析してほしいのです。

               09年8月30日 記

?追記? 8月30日の記述には、時間が不足してしまったために舌足らずな点や分かりにくい点がありました。9月3日未明に一部加筆修正しました。「総選挙の論点」については、特に、農村と都市、農業と工業・商業の問題については、近日中に私見を述べたいと思い、別建てに変更しました。 

 

コメント (1)

月山の自然博物園・・・いつ行っても自然に感動

2009年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 8月23日、久しぶりに月山の自然博物園を歩いてきました。1年ぶりくらいです。

 いつ行ってもすばらしい。初心者が安心して自然を満喫できるように、博物園の人たちが心を配ってくれていると感じます。

 園の入り口にあるネイチャーセンターに顔を出したら、今回は「スズメバチの巣があるから、通行止めになっているところには行かないで」と教えられました。ありがたいことです。

 山全体が自然博物園になっているようで、川に沿って上り、山に入っていくと、ブナ林や月山の湧水、大トチの木、山伏の修験場あと…などがあります。

 大人の足なら、ゆっくり歩いて1時間半くらい。きついというほどのコースではありませんが、胸の中が自然の香りであふれてしまうようです。

 来る途中の寒河江ダムで買った名物の団子(私は毎回買う、ほんとにおいしいんです!)を食べながら、休憩。緑のど真ん中で食べる団子は格別でした。

 10年ほど前、単身で山形に戻ってきてアパート暮らしをしていた頃、この山の中を歩き、のんびり昼寝をしたり、夕闇が迫りかけた山で見たお月さま…など、どんなに癒されたかしれない。それ以来の「自然博物園ファン」です。

 もっともっと、多くの人に月山の良さを知ってほしい。

 自然博物園のホームページは次のところです。

 http://gassan-bunarin.jp/

コメント