教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ギャルゲーの中の時間

2011-09-05 00:00:08 | オタネタ全般
二次元のヒロインが暮らす世界と、我々自身のハードウェアを置いている世界とでは、いくつもの大きな隔たりがある。

なかでも今日は時間について語りたい。



我々自身のハードウェア(肉体)を置いている世界(ようするに現実)を基準に時間の流れを考えてみよう。
相対性理論によると時間の流れを基準にとるのは誤りの元なのだが、まあこの際そこまで細かい話は置いといてくれたまえ。

さて、二次元のヒロインが暮らす世界はどう映るだろうか?

有限の選択肢や、有限の場合の数で数えられる世界。
オープニングがあり、エンディングがあり、いつでも再スタートできうる世界。
・・・そんなところだろう。

我々から見ると、我々が好きになった二次元のヒロインたちが暮らす世界は、時にきゅうくつなものに見えることもある。
こちら側から見るとそこで表現できているものは実に限られるからだ。

あちら側の世界は、そのヒロインがいるというただそれだけの理由でもバラ色に見える。
それがために、こちら側とあちら側を隔てている壁を突破し二次元の世界へと旅立ちたいと願うこともある。

しかし。
逆に、むこう側の世界の限界を知っているがために、かわいそうだと思うこともある。

しかし!

実はコンセプト的には両者同じであり、規模の大小が違うだけという話もありうる。



ニーチェの思想に永劫回帰というものがある。
この世界でありうる場合の数をすべて試すほどの永劫とも思える遠い未来の果てでは、今のこの瞬間と全く同じ状態が再現し、やはりそこでも自分が存在して同じことを繰り返す…という思想である。

これは二次元のヒロインたちが暮らす世界に実にピッタリ当てはまる。

アイマスをプレイしたとしよう。
アイテムの有無という違いはありこそすれ、プレイをスタートしたときには以前に自分がプレイしてヒロインと共に成し遂げたその思い出は全て無になっており、また初対面からヒロインとの出会いを繰り返す。
そして分の単位で1週間がすぎる向こう側の世界からすれば永遠に等しい遥か彼方の未来にまた我々は再度プレイをスタートし、また初対面からヒロインとの出会いを繰り返す。

そう、二次元の世界は我々から見たニーチェの永劫回帰の世界の縮図なのだ。



さすがに我々のいる世界は次元が二次元より1つ多いだけあって、場合の数は遥かに多い。
だから全ての場合の数を試すためには我々から見ると永遠とも思える時間がかかる。
しかしこの世界ですら、さらに空間座標が1つ多い次元の世界の誰かが作った仮想空間での、ほんのつかの間の出来事かもしれないのだ。

その誰かとは神と言うのがふさわしい存在かもしれない。
しかし、神話の世界の話のごとく、神は人に惚れることはありうる。
まるで我々が二次元のヒロインに魂を魅入られたときのように。