教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

AKB48オタ と アイマスオタ

2010-11-09 00:22:25 | オタネタ全般
AKB48の握手会はアホみたいな人だかりになるというのは、TVも見なければアイドルにも興味のないわたしでも知っているほどに有名なものだ。

しかし、アホみたいな人だかりというのは必ずしもそうでもないらしい。

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1034.html

↑これを見るといい。
4枚目の、客が来なくて(´・ω・`)ショボーンとした顔が実に哀愁をそそる。
少々不謹慎ながら、こんなにガラガラなら物見遊山の冷やかしで1度くらい行ってみたいような気もしてきた。

・・・ところがどっこい。

http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/

↑これを見るといい。
その(´・ω・`)ショボーンの当の本人のblogである。
記事に数1000件もレスがついているではないか。

なんだ。
べつに極端に不人気なわけでもないわけね。
単にそういう売りなのか。

まあそれはいいとして。



AKB48オタとアイマスオタ。
かたやリアルワールドのアイドルオタクであり、かたや二次元世界のアイドルオタクである。
ファンとして群がるという意味では同じものだ。
アイドルなんぞ単なる偶像にすぎんわけだから、そもそもどちらも架空の存在には違いはない。

しかし!

実はこれらには天と地ほどの違いがある。



AKB48のオタの自慢は何か?

それは握手券の枚数にある。
いかに自分が財力をつぎこんで、いかに自分がかのアイドルを愛しているか。
それを自分のサイフで誇示するものだ。

では。
アイドルマスターのオタの自慢は何か?

それは二次創作にある。
イラストでもボカロでもノベマスでも同人誌でもいい。
いかに自分の熱意をつぎこんで作った作品で、いかにそのアイドルが素晴らしいか。
それを自分の才覚をもってして人に示すものだ。
そこに多少の金はかかるが、同じCDを100枚買ったことを自慢するようなバカはいない。



この違いの本質的なところは、受動的に楽しむか能動的に楽しむかの違いにあるような気がする。

たとえばCDがオマケでついてくるという握手券を1枚1000円で買いにいくとしよう。
社会人で独身なら100枚買うことくらい大したことない。
自分の努力などそこには無い。

しかし!

イラストを描いたり。
ボカロを操ったり。
ノベマスを書いたり。
同人誌を製作したり。
blogで熱く語ったり。

これらは苦心と情熱がなければ成しえない。
金さえ払えば自動的に出来上がるものでは断じてない。



AKB48のオタの間には競争はあるのかもしれない。
次に研修生からイチ抜けするのが誰かということに関して口論や抗争があるのかもしれない。

しかし!

アイドルマスターのオタはそうではない。

彼らは、他の皆は自分の信奉するアイドルの魅力について理解不足なのだと感じ、そしてその魅力を最大限に伝えられるのは自分たちだけなのだという使命感を背負っている。
だから、他の人のニコマス動画で他のアイドルの新たな魅力を発見したときは投稿者に敬意を払うし、また自分も同じくらい魅力を引き出せないかと一人格闘する。
そしてできあがった成果物のことを二次創作という。

二次創作するところまでやるオタは極少数派の先鋭的なオタだけだという意見もあるかもしれない。
しかし、ニコマスのPは8000人はいると言われている。
はたしてこれは極少数派といえる人数なのだろうか。

悲しいかな、アイマス2では何名かのリストラが行われた。
しかし、律っちゃんのPのことごとくが持つフリーダムな発想っぷりには皆が認めるところだし、あずささんの動画はあずささん以外の代役は絶対きかない深い愛情をそこに感じるし、伊織は罵倒MADだけでもファン以外に釘宮病を蔓延させるだけの破壊力を持つから気をつけねばならないということは皆に周知されている。
そこには、他人の不幸(リストラ)により自分の信奉するアイドルの地位が相対的に上がることを喜ぶような雰囲気は1ppmも存在しないのだ。
場合によっては他の人の動画に感動し、身銭を切って広告することすらあるのだから。



実はこの両者の違いはプラモデル製作に例えると分かりやすい。

かたや自分でプラモを組み立てて塗装に挑戦しようとし、そして自分のモデラーとしての腕前の上達に実感を得る者。
かたや単に誰かが組み立てて塗装までしてくれた完成品のプラモを金にあかせてヤフオクで何体も買ってきて部屋に飾って悦に浸るだけの者。

それくらい大きな違いがあると考える。



誰かが好きならば。
その誰かの魅力を人に伝えたいならば。
自分の愛する想いを人に示したいならば。

自分のサイフにあかせて金を使っただけの成果物には何の価値もない。
いかにすばらしいかを自分の身で表現して人にその感動を伝えるのがファンの真の姿ではないのだろうか。