教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

LUXが乙女ゲー作った

2010-11-20 00:20:33 | オタネタ全般


http://www.lux.co.jp/index.html



化粧品(というか、髪の毛用品?)で有名なLUXが、いつの間にやら乙女ゲー作ったらしい。

その名も
「the Actress ~華麗なる女優たち~」
「最高にゴージャスなハリウッド女優ゲーム登場!」
なのだとか。

なぜLUXが(-_-)?

とはいえ。
パッと見では大変LUXらしい。
LUXが売りつける、LUX商品を買った人の成功イメージ例にソックリだからだ。

わたしは男だからこの乙女ゲーはやることはない。
わたしの生息域はギャルゲーのほうだ。
そのわたしがこの乙女ゲーを観察すると、なかなかおもしろいことがわかってくる。



まず1つ。

主人公(女)の恋人役になると思われる野郎ども。
こいつらは当然ながらイケメンぞろいになっている。
いかな乙女ゲーでもそれは必須だし、ギャルゲーでヒロインが美女ぞろいなのとリクツは同じである。

しかし!

主人公(女)はたしかにハリウッド系の典型的美女風のキャラではあるが、これがまた全くといっていいほど可愛らしさを感じない。
冷静に見て美女でいい女なんだろうというのはわかるのだが。
なんというかこう、ギャルゲーのヒロインたちの持つ、あの男の心を瞬殺で鷲掴みにするような、そんな異性としての魅力をこれっぽっちも感じないのだ。



これはギャルゲーの主人公(男)視点とも構造が違う。

そういったものは、多くのものはなるべく個性を潰して主人公の我を抑えることで、プレーヤー(男)との一体感のズレが出ないように工夫されていることが多い。
おかげで単なる優しいしか褒めるところがないような、そんな没個性極まるつまらんヘタレキャラになってしまうわけではある。
つまりギャルゲーとはヒロインが輝くものであり、主人公の光をともなう活躍はほとんど伴わないものなのだ。

また、男向けの主人公が輝く的な作品ともまた構造が違う。

こういったものの典型はたとえば聖闘士聖矢である。
聖闘士聖矢の主人公はカッコいい。
もちろん男視点でそれはカッコいい。
しかし女視点でもまた乙女ゲー的(またはBL的)な萌えの対象になる。
すなわち男から見ても女から見ても聖闘士聖矢の彼らは魅力的なのだ。



つまりこのLUXの乙女ゲーは、同性(女)から見ると魅力的なあるべき姿のキャラに映る反面、異性(男)から見ると恋愛対象として見れるボーダーラインから足切りされるほど異性として魅力がない。
そんな特別な存在である。



もう1つ。

この乙女ゲーの宣伝ムービーにとあるキャッチコピーがある。
「世界中があなたに夢中!」
だと。

実はこれも男が求める女優像やアイドル像とは異なる。

たとえばアイドルマスターというギャルゲーを見てみよう。
作中では、主人公がプロデューサー役となってアイドルを成功に導く物語となっている。

これは一見すると
「世界中があなたに夢中!」
に似ている。
しかし、根本的に異なる。

主人公のプロデューサーにとっての目的とは、担当アイドルの夢をかなえてその喜びを2人で分かち合うことであり、その手段としてアイドルを成功させるにすぎない。
主人公は数多のアイドルが夢中になるようなイケメンを目指すわけではない。
主人公は世の中でたった1人だけ、その担当アイドルの女の子1人だけに振り返ってもらえれば、それでよい。

アイドルの女の子にしても同じである。
アイドルの女の子はアイドルとして活躍することで
「世界中があなたに夢中!」
にさせることを目的とするわけではない。
一見そのように見えてしまうが、実は違う。

アイドルの女の子たちにはそれぞれ目的がある。
たとえば如月千早なら、ボーカリストとしてさらに高いところへ到達すること。
千早は単にもっと大勢の人に歌を聞いてもらえるきっかけを作るために手段として単にダンスやビジュアルのトレーニングをつんでいるわけであって、そこには大勢の異性を夢中にさせたり、きらびやかでラグジーな成功体験を得たいという意図は微塵もない。
こういったことは千早に限らずヒロイン全員がそうなのだ。
そしてそのひたむきで純粋な心にプレーヤーの野郎どもは心を撃ち抜かれ魂を魅入られるのだ。



アイドルマスターではそうではないが、世の中には気がつけばハーレム的な作品も少なくない。
たとえば「ラブひな」など典型だろう。

これも一見すると
「世界中があなたに夢中!」
に似ているが、これも根本的に異なるものが根底にある。

これは読者(男)視点で感情移入して見るとハーレムが望まれているわけではないこともわかる。
そこでは自分のお気に入りの特別な誰かだけが特別に素敵に見えるだけで、ほかのキャラなど極論するとどうでもいい的な存在でしかなく、不特定多数みたいな大勢の異性にチヤホヤされたい願望を満たすものでは決してないのだ。



LUXのこのゲームは男と女の価値観の違いを端的に表しているのかもしれない。

女の場合は・・・
勝ち負けがはっきりわかりやすい、異性(男)が大勢言い寄ってくるような同性(女)の誰もが羨むような生活を送ること。
そこでは自分が他人より優れていると分かる(人に分からせる?)ことが大変重要になってくる。

男の場合は・・・
自分にとって特別な異性1人だけが自分の側を向いてくれれば、ただそれでいい。
自分をのぞく世界中の同性(男)がどう思うかや、特別な1人をのぞく世界中の異性(女)からどう見られるかなど、そんなものは犬にでも食わせてやればいい。

その価値観の壁をわたしは超えることができないからこそ、このLUXの乙女ゲーが大変異質なものに見えてしまうのだ。