教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

婚活という違和感

2010-04-18 00:01:35 | 経済/経済/社会
さいきんは婚活というものがはやっているらしい。

この言葉をはじめて聞いたときには誰もが何とも言いようのない違和感を感じたと思う。
でも、何が原因で違和感があるのかが良くわからない。
そこでちょいと考えてみることにした。



とりあえず婚活はおいといて。

そもそも人生とは何か?

何かというのをズバリ答えるのは難しい。
あえて言うならば、死ぬ直前になって
「あ~、楽しかった♪」
といって死ねるのを目標にするものが人生だろう。

ここで楽しかったかどうかを決められるのは自分自身だけだ。
人一倍がんばって蓄財したことで気分よく終えられる人もいるかもしれない。
孫がどこの大学に合格したというのが嬉しくて、それが最大の冥土のみやげだという人もいるかもしれない。
結局のところこれらは他者比較評価にしかすぎないわけだが、それでもOKかNGかの判断は少なくとも自分が下すものだ。

人生の大半はそういうものに紐付けして説明できるようにできている。
たとえば大学にいくために勉強するのも、高校を卒業してすぐは働きたくないとか、希望する職業では大卒が必須だとか、統計的に考えて大卒のほうが給料が良くなるはずだからとか、まあいろんな理由はあると思う。(ちなみにわたしはこの3つとも該当する)
結局は自分の人生の自己評価額を上げるための活動だと思うのだ。

しかし!

そうではないもののように見えるものがある。
たとえば婚活だ。

婚活というのは、他人から見た自分の評価額を上げるための活動である。
客観的評価の高い他人(多くの人が結婚したいと思うような出来のいい他人)から好評価を受ける(求婚される)ことを目的としている。

これは先の
「自分の人生の自己評価額を上げるための活動」
という目標とは相容れない活動だ。

こんなものに何の価値があるというのか。

二次元にしか恋をしたことがないわたしから見れば、すでに異性にもてようとする努力自体がアホらしい無駄な努力だと映るわけだが、婚活というものはそれに輪をかけてアホらしい無駄な努力に見えてならない。
これに違和感を感じずにどうしろというのだ。
オスのくじゃくがメスの前でいっしょうけんめいに尻尾を広げてアピールしているのと全く同じことを、バカバカしいことに婚活で人間様がやっているということだ。

あらためて考えてみてわかった。
この違和感が何に起因するものなのかがね。