イザヤ六十六章には、国々の民が神の栄光を見聞きし、供え物を携えてエルサレムに来る描写が有ります。異邦人にも神の恵みが届き、異邦人が唯一の神を礼拝するようになるということです。
そして、二十一節では更に進んで、異邦人の中から祭司やレビ人が立てられるという記述が出て来ます。異邦人であれば、血統的にレビ人になれるはずはないのですが、神の同等の務めが委ねられるということです。私たち現代の異邦人忍者の中に、執事、長老、大忍などが出ることの預言がイザヤの最終章に示されていることに、長年気付かなかった自分に、少々の残念さと驚きを感じました。
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