幕末掃苔屋 公式ブログ

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川路大警視の道 比志島から鶴丸城まで③

2011年02月09日 | 川路利良

つづき

外はすでに真っ暗になっていましたが、旅先での思わぬ出会いに興奮し、足取りは軽やかで
した。

広い道をまっすぐ進めばよいので迷うことはありませんが、街灯もあまりないので足元すら
ろくに見えません。
もしも路面排水溝の蓋が外れていたら、まったく気がつかずにスッポリはまってしまいそう
です。

もくもくと歩き続けるうちに、遠くに鹿児島中央駅のネオン輝く観覧車が見えてきました。
とうとう、ゴールが近づいてきました。
鹿児島本線の線路の下を抜け、平田橋の交差点を左折しました。
左側には城山がそびえ、城山観光ホテルの灯りが輝いています。西郷隆盛銅像前を通過し、
鶴丸城まではあとわずかです。

午後7時55分、鶴丸城(現歴史資料センター黎明館)前に到着しました。「川路大警視の
道」踏破です。
疲れはあまり感じませんでした。
気分が高揚しているからでしょう。
万歩計は15901歩をカウントしていました。「川路大警視の道」を歩き出す前までの14592歩
とあわせると、今日は三万歩以上歩いたことになります。
出発から到着までに4時間10分かかりましたが、そのうち1時間45分は真竹さんのお宅にお邪
魔していたので、2時間25分で踏破したことになります。

達成感を感じ「今夜はうまい酒が飲めそうだ。どこで祝杯をあげようかな」とウキウキ考え
ました。
しかし川路はこの道を歩いた後で仕事や剣術教授に精を出し、また同じ道を歩いて帰ったの
です。
そう思うと、片道歩いただけで達成感を感じ、祝杯をあげようとしていることが恥ずかしく
なりました。
釣洋一先生は東京から京都までの旧中山道575キロを16日間で踏破されたあと、京都島原の
輪違屋で太夫を囲んで祝杯をあげたそうです。
結局私はビジネスホテルの部屋にて缶ビールで祝杯をあげることにしました。
これくらいがちょうどよいと思いました。

翌日は熊本県と福岡県で掃苔をし、帰京しました。自宅に到着した時、万歩計の歩数は
30176歩をカウントしていました。
その翌日、筋肉痛に襲われました。日頃の運動不足を痛感しました。
川路の体力を、自分の体力をもって測ることができたのは、私にとって大きな収穫でした。

おわり


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2 コメント

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おつかれさまです (桝田道也)
2011-02-10 18:02:21
おおお、踏破おめでとうございます。

片道三里、往復六里……
うっかり忘れ物しても気軽に取りに帰れませんねー。
返信する
桝田先生へ (カワチ)
2011-02-11 10:38:24
ありがとうございます!
川路利良追っかけの日々については、「侍たちの警視庁 改訂版」でも掲載したいと思っています。
先生に描いていただきました川路イラストは、そこに使わせていただきたいと思っています。
返信する

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