幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

鹿児島訪問 その2(川路大警視関連史跡編)

2012年01月13日 | 川路利良

鹿児島県警察本部内にある川路大警視展示コーナーに行ってきました。
このコーナーは事前予約をしなくても、受付で見学したい旨を告げれば入ることができます。
大警視の肖像写真、史跡写真、年譜のパネルなどが展示されていました。
売店では念願だった焼酎「川路大警視(白・黒 共に千七百円)」と焼酎「巡査殿(千円)」と大警視の絵皿(五百円)を買うことができました。
県警マスコット・チェストくんのスタンプも押すことができ、ご機嫌です。

次に、明治七年まで東京で巡査をしていた長谷場純孝の掃苔のため、串木野駅に向かいました。
串木野市では郷土の偉人である長谷場純孝の顕彰に力を入れており、駅前には像が、生誕の地には碑が建てられています。
市のウェブサイトにも長谷場純孝を紹介するページがありますが、墓についての情報は見つけることができませんでした。
『長谷場純孝先生伝』には墓写真が掲載されていて、写真の下には「串木野市麓大道庵の奥津城」と書かれています。
墓が現存するかどうかを市にお尋ねしたところ、わからないとのことでした。
実際に訪れてみると、墓は生誕の地碑と目と鼻の距離にある墓地にありました。
駅からは1.5キロほどでした。
鹿児島は日本で最も墓を大切にしている県だと聞いているので、像や生誕の地碑だけでなく墓の紹介もしてもらいたいと、掃苔屋の私としては思いました。

その後、湯之元駅に移動し、上村戸右衛門の墓を掃苔するため上原墓地を目指しました。
上村戸右衛門は鳥羽伏見の戦で戦死した兵具隊士で、墓の碑文は大警視が草しています。
墓地の大体の場所は事前に調べていたのですが、いくら探しても見つかりません。
さまよい続けた末、この後の計画を考えると時間的にも体力的にももうヤバいという状況になったので、やむを得ずタクシーに乗りました。
さすが地元のタクシーです。難なくたどり着けました。
上村戸右衛門の掃苔をした後、同じタクシーで松窪墓地に向かい、黒川濤五郎の掃苔をしました。
黒川濤五郎は私学校党から警視庁の密偵と疑われ、惨殺された元警視官です。

タクシーの運転手さんが感じの良い歴史好きだったので、この後歩いて回るつもりだった史跡の地図を渡し、すべてタクシーで回ってもらうことにしました。
移動中、運転手さんが若い頃品川に住んでいて、品川スケートセンターによく通っていたという話が出ました。
私も小学生のころ、品川スケートセンターに通っていたので、話が盛り上がりました。

日置市東市来町美山で調所広郷を掃苔し、黒川濤五郎や高崎親廣が私学校党に惨殺された大渡橋を見てから伊集院駅に向かい、タクシーを降りました。

タクシーのお陰で予定より早くに目的を達成できたので、鹿児島中央駅に戻り、県立図書館で調べものをすることにしました。
2時間ほどこもり、『川路利良履歴資料』『谷口登太伝』『中島健彦の隠れた逸話』など、興味深い本を読みふけりました。

その後、空港連絡バスで鹿児島空港に行き、JALで羽田空港に到着後、モノレールとJRを乗り継いで鶯谷駅に向かい、そこから徒歩で家に帰りました。
帰宅後、窓を開けると、家の前に建つ川路大警視邸跡記念碑が見えます。
つい数時間前まで鹿児島で大警視の史跡巡りをしていたのに、今は東京の大警視邸跡にいることが、なんだか不思議に思えました。


おわり


※写真は鹿児島県警察本部内にある川路大警視展示コーナー



最新の画像もっと見る

コメントを投稿