幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

中川祐順について

2010年11月17日 | 侍たちの警視庁
長連豪を掃苔した石川県金沢市の宝円寺ですが、実は一つの淡い期待をもっての訪問でした。
それは、私が長年探し続けている中川祐順の墓があるのではないかという期待です。
中川祐順とは、岩倉具視暗殺未遂事件の犯人を逮捕した警視庁の大警部です。

明治七年一月十四日、赤坂喰違で岩倉具視が襲撃される事件が起きました。
事件の翌日となる一月十五日、警視庁が創設されています。
生まれたての警視庁は、岩倉襲撃犯を早急に逮捕することを求められました。
明治天皇からも犯人捜索について御下問がありました。
警視庁の威信は、この事件の捜査にかかっていると言えました。
川路大警視はこの事件の解決のため、中川祐順を長とする八十余名を捜査に専従させました。
そして事件発生から三日後、中川は岩倉を襲った武市熊吉一味九名を逮捕することに成功しました。
生まれたての警視庁の威信は、中川によって守られたといえます。 

この警視庁史に残されるべき中川祐順という人物について、私なりに調べているのですが詳しい
ことはわかっていません。
明治十年の警視庁名簿には「石川県士族」と記されています。
そこで「加賀藩士檀家別名簿」という本を調べてみたところ、中川武十郎忠順という人物が宝円寺
を菩提寺としていることが記されていました。
加賀藩には他にも中川姓が数家ありましたが、名前に「順」の字が含まれているのは宝円寺を
菩提寺とする一家だけでした。
そこで今回、宝円寺の墓地をローラーして中川家の墓を探しました。
中川家の墓はいくつか見かけましたが、中川祐順につながる墓は見つけることができませんでした。
石川県士族=加賀藩士というわけではないので、加賀藩関係を調べても出てこないのかもしれません。

いつか中川祐順と出会えればと思い、これからも墓地に行く際は中川の文字に気をつけて歩こうと
思います。

※写真は喰違で岩倉を襲撃した武市熊吉の墓(高知県高知市中高見皿が峰)

コメント