産経新聞のコラム「小さな親切大きなお世話」(1月19日付首都圏版)の中で作家の曾野綾子さんが”高齢者も働ける社会を”と主張されていた。曾野さんは昭和6年生まれの同世代、普段書かれていることには共感が多い。しかし、このコラムはちょっと抵抗があった。”高齢者も働ける社会を”といっても一般的には80代、90代の超高齢者には無理である。テレビを見ると毎日どこかの局で「認知症」「孤独死」」限界村落」などなど―高齢者社会の抱える問題を扱っている。曾野さんには現実の高齢者社会について認識のズレがあるのでは。
曾野さんはコラムの中で「わが家の屋根の下に住む3人の高齢者の平均年齢を調べてみると87歳であった。しかし3人ともまっとうに肉体労働によって経済的収入をえている。つまりまだ現役なのである。ただ椅子に座ってお茶を飲んで時々居眠りをするような生活をしていない」と書かれていた。大変結構な羨ましいことである。だけど、こんなに恵まれているお年寄りは、ごく僅かではないだろうか。
超高齢化社会である。お年寄りといっても定年を終えたばかりの60歳から、従軍体験のある90歳まで開きがある。たしかに曾野さんが言うように町には元気な”お年寄り”が多く、パチンコ屋の開店を待って行列を作っている。この中にはまだ働きたいと思っている人もいるが、実際には職がないのである。僕も同年代にしては元気な方で、後期高齢者の75歳までは働く気持ちがあれば働けた。しかし、よほどの特技でもないかぎり、簡単には職はなかった。
同年代の仲間たちと時々話し合うと、会話はいつも、どうしたら「認知症」にならないかということだ。元気で介護なんか必要ないと思われた90歳すぎの先輩たちも、ここへきて福祉のお世話になる方が多くなった。”高齢者も働ける社会を”といっても80歳代、90歳代の超老人には無理である。”お茶を飲んで時々居眠りする”のが人生の幸せだと、僕は思うのだが。
曾野さんはコラムの中で「わが家の屋根の下に住む3人の高齢者の平均年齢を調べてみると87歳であった。しかし3人ともまっとうに肉体労働によって経済的収入をえている。つまりまだ現役なのである。ただ椅子に座ってお茶を飲んで時々居眠りをするような生活をしていない」と書かれていた。大変結構な羨ましいことである。だけど、こんなに恵まれているお年寄りは、ごく僅かではないだろうか。
超高齢化社会である。お年寄りといっても定年を終えたばかりの60歳から、従軍体験のある90歳まで開きがある。たしかに曾野さんが言うように町には元気な”お年寄り”が多く、パチンコ屋の開店を待って行列を作っている。この中にはまだ働きたいと思っている人もいるが、実際には職がないのである。僕も同年代にしては元気な方で、後期高齢者の75歳までは働く気持ちがあれば働けた。しかし、よほどの特技でもないかぎり、簡単には職はなかった。
同年代の仲間たちと時々話し合うと、会話はいつも、どうしたら「認知症」にならないかということだ。元気で介護なんか必要ないと思われた90歳すぎの先輩たちも、ここへきて福祉のお世話になる方が多くなった。”高齢者も働ける社会を”といっても80歳代、90歳代の超老人には無理である。”お茶を飲んで時々居眠りする”のが人生の幸せだと、僕は思うのだが。