「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

学校給食が始まった頃の食糧難とその時代

2014-01-26 06:30:41 | Weblog
学校給食費を納めていない家庭が今なお全国で0.9%もあり、総額は22億円に上ると新聞に出ていた。文科省によると、未納の理由は”保護者の経済的な問題”(38%)より”保護者の責任度や軌範の欠如”(61%)だという。日本人のモラルの高さは、かっては世界にも冠たるものと思っていたが嘆かわしい。若い人の間に変な甘えがあるようにみえてならない。

僕は学校給食の経験がない世代だが、昭和22年(1947年)1月初めて全国の都市部の学校で給食が始まった時代を覚えている。極度の食糧難でお米の配給は途絶えがちで欠配もあった。学校給食は、これに同情した米国のララ(日本難民救済会)という団体から贈られてきた脱脂粉ミルクから始まった。たまたま当時の亡父の1月19日の日記に”粉(小麦粉)4㌔(3人家族)=4日分=配給、2月21日には”待望の米6㌔、久しぶりにご飯にありつける”とある。

当時僕は旧制中学4年(高校1年)の食べ盛りであった。亡母がなれぬ手つきで手製のパン焼き器を作り、重曹を入れて蒸しパンを作った。ジャムやバターなどなく、味噌をつけて食べた。しかし三食パンでは空腹で、当時はまだ農家があった日吉(川崎市)まで買い出しに出かけ闇米を入手してきた。配給の米は玄米なので、どこの家庭も一升瓶にこれを入れ、棒で精米して食べた。学校も確か、この年は授業は午前中だけだった。

今は恵まれすぎている。高校まで授業料が無料なので、親の中には給食も当然タダだと思っているのかもしれない。戦前昭和の時代は教科書も有料で、給食などなかった。東京では弁当が持参できない者がクラスに4,5人はいて、昼食時には家へ帰って食べていた。