「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

百歳の先輩の「歴史認識の原点」

2014-01-22 06:22:43 | Weblog
今年3月で百歳を迎える今沢栄三郎さんから二宮(尊徳)報徳会の機関誌「ほうとく」初春号(平成26年1月号)の寄贈を受けた。今沢さんは、この雑誌に「歴史認識の原点」という原稿を寄せられている。今沢さんについては平成25年4月、小ブログ”わが大君に召されなば”で経歴を紹介させて頂いているが、再度簡単に触れさせてもらう。大正3年東京生まれ。旧制中学卒業後書店に勤務しながら橋本欣五郎に師事。昭和15年教育召集、第5師団給水部隊一兵卒として中国大陸を転戦、シンガポール作戦の後、豪北地区で終戦を迎え21年復員した。戦後は東南アジア文化友好協会協会の事務局長として東南アジアからの留学生の面倒を見てこられた。

今沢さんは「歴史認識の原点」の中で、極東国際裁判(東京裁判)のインド人判事パール博士の次のような言葉を紹介している。「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剝ぎとったあかつきには、その時こそ正義の女神は、その秤の平衡を保ちながら過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」「要するに彼ら(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったという歴史にとどめることによって、みずからのアジア侵略の正当化を誇示し、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し、罪の意識を日本人の心に植え付けることが目的である」今沢さんは、結論として日本人は連合国から与えられた(戦犯)の観念から脱却すべきだとしている。

しかし、一方で今沢さんは6年間の戦地での体験を踏まえて「”戦争のつぐない”という言葉にささやかな可能を求めるならば、戦場となった中国大陸、西欧の植民地(南方諸国)の人々への精神的な心からなる謝罪と無償の行為によるほかは不可能である」と書かれている。戦後今沢さんは、東南アジア文化友好協会を主宰した加藤亮一牧師の運動に共鳴し、東南アジア諸国からの留学生の面倒をみてきた。留学生の中にはシンガポール虐殺事件の被害者の遺児もおり、今でも今沢さんとの交流は続いている。