「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         テレビで国会中継を見る二つの楽しみ方

2013-02-19 07:02:36 | Weblog
時間がありあまるほどある老人にとってテレビの国会中継は楽しみの一つだ。すっかりテレビ離れしている僕だが国会中継だけはしっかり見ている。見ているうちに自然に僕はこれを楽しむ二つの方法を知った。その一つは、あらかじめ質疑者について略歴などをネットで調べておくこと。そして、見た後”リアルタイム検索”で、視聴者が質疑にどんな寸評をしているか確認することだ。

昨日の参院予算委員会の模様も朝から見た。最初の質疑者は民主党の参院幹事長、小川敏夫氏とその関連の植松恵美子氏だった。小川氏は野田内閣の法相で国会内で競馬のサイトを見ていたと物議をかもしたり、離婚した女優との問題で週刊誌を賑わせた人物で僕でも知っているが、植松恵美子氏は、中継の委員室ではよく見かけるががどんな人だか知らない。早速ネットで調べると、香川県選出で45歳、故郷で会社を経営、クレーンの大型免許まで持っている異色の人だ。

二人の質疑を聴くいた後、早速、僕は視聴者がどんな反応を持ったのか興味があり”リアルタイム検索”を当たってみたが、同じ民主党議員なのに、こんなに評価が違うのも珍しい。両議員の”リアルタイム”の主な寸評を紹介してみよう。
(小川敏夫氏)▽なんでこんな不勉強な自己弁護しかできない男を総括質問にたたせるのか▽慰安婦問題を外交問題にさせようとしている売国奴▽おとなしく競馬でもやっていろ▽こんな男がいつまでも議員であることが信じられない。
(植松恵美子氏)▽こんな人が沢山いると日本があかるくなる▽民主党にもこれだけの、しっかりした女性議員がいたことに正直いってびっくり▽これだけの人を抱えながら、みじめに滅び行く民主党とはいったい何なのだ▽具体性があり実に建設的な鋭い質問だ。
国会中継を見ていた僕ら老夫婦の感想もおおむね”リアルタイム”と同じだった。民主党とは玉石混交いともおかしな政党である。

              不発弾処理は警鐘

2013-02-18 07:44:12 | Weblog
昨日17日、戦争中米軍が落としたとみられる爆弾の不発弾処理が浜松と神戸で行われた。浜松のJR東海工場で発見された不発弾の撤去作業には付近の住民3800世帯が避難、近くを通る新幹線上下32本が最大1時間もストップした。一方、神戸市東灘区のマンション建設現場で見つかった長さ1.2㍍、250㌔の不発弾処理では1千人が避難した。

このところ日本各地で自衛隊による不発弾処理が続いている。昨年12月には茨城県日立市で、今年2月3日には大阪市北区でそれぞれ発見され無事処理されているが、2月24日には八尾市でも撤去作業が実施される。ここへきて急に不発弾が増えたとは思わないが、改めて米軍による空襲や艦砲射撃の激しさを思いしらされる。

浜松市は軍の飛行場や軍需工場が集中していたこともあって、空襲回数は日本一とといわれ、戦争末期には艦砲射撃まで受けている。空襲初期の1月13日の記録ではB-29、1機だけの空襲で613発の焼夷弾が落とされている。日本全土では200以上の都市が空襲を受け、この無差別攻撃で33万が死亡、被災人口は900万人、日本全体の2割が被災している。

戦争が終わって68年、この空襲を体験した世代も少なくなってきた。幸い僕は東京に住んでいたが家は焼けなかった。しかし、落ちてきた焼夷弾の破片を火叩きで消したり、艦載機による機銃掃射を受けたことがる。テレビで不発弾処理で避難した人の大半は戦争を知らない人たちである。半世紀以上の出来事に当惑気味に見受けたが、不発弾の処理はいろんな意味で平和ボケした日本人への警鐘である。大地震によって不発弾が爆発するとも限らない。

                高齢者とペットの飼育

2013-02-17 07:15:15 | Weblog
誕生日の昨日、70年来の旧友から”おめでとう”のメールが届いた。彼は僕より1日前が誕生日だったそうだ。いつも僕のメールを見ていてくれている一人だが、同じように僕のブログを応援してくれている別の竹馬の友とは今年になって一度も会っていない。いつも月に一回は、昼間軽く酒を飲みながら食事を共にしている仲なのだが、理由は今年の冬の寒さとは別に、彼が医者から禁酒を命じられたからだ。会えばどうしても”ちょっと一杯”ということになりかねないから、僕も誘うのを遠慮している

彼の家はバスで行けば僅か10分足らずなので、お見舞い方々訪問したいと思い、その旨電話したら固辞してきた。旧友は子供さんたちが皆成長して今は夫婦二人きりの生活だが、犬が好きで10年来小型犬を家の中で飼っている。固辞の理由は、この飼い犬が老齢化して排泄物の処理などで悪臭が家の中にしてとても人をお呼びできる状態ではないのだという。

わが家でも10数年前、八王子に住んでいた時家に遊びに来ていた野良猫があまりに可愛いので、引っ越しの際、今の家へ連れてきて飼ったことがある。たしかにペットは可愛く年寄りには好い慰めだ。しかし、ペットが年をとったり、病気になった時の飼育が大変だ。わが家で飼っていた猫はまだ7歳だったが病気になり、その治療で老妻が家事をそっちのけで大変だったことを想い出す。

ネット情報によると、最近高齢者とペットとの関係が社会問題化しているらしい。とくに一人住まいの老人が高齢のペットの飼育が出来なくなり保健所に相談するケースが増えているらしい。それを受けてか、ネットには「NPO法人高齢者のペット飼育支援獣医師ネットワーク」という組織まであるのに驚いた。

           80代が多くなった昭和1ケタ世代

2013-02-16 07:53:14 | Weblog
馬齢を重ねて82歳の誕生日を迎えた。幸い持病の高血圧も糖尿も薬でコントロールされていて血液検査で見る限り正常値である。しかし、左膝の半月板摩耗からか外出時には杖のお世話になることが多くなってきた。誕生日を迎えての感想は月並みだが”冥土の旅の一里塚、うれしくもあり、うれしくもなし”(小林一茶)といったところだが、亡き父母の死亡時年齢に近くなったのだろう。”生きる”ことへの思いが深くなってきた。

昭和1ケタ世代もこの2,3年中には皆80歳の仲間入りする。学童疎開組み世代の石原慎太郎「維新の会」共同代表の学年まで80歳だ。ラジオを聞いていたら日本人の90%までが戦争の記憶がないそうだ。一方、これに反して直接銃を取って従軍した世代は、年々減少してきている。寂しい限りだが、先日、軍属として戦時中スラウェシにおられたKさんから、海軍の軍医だった佐藤衛大尉(故人)の自伝「雲騰う海」を贈って頂いた。海軍の短期現役制度(短現)出身の軍医さんで、戦争中は主として南太平洋、インドネシアのマカッサル、クーパンなどの病院で陸上勤務されいた方だ。

佐藤さんは大正7年生まれ鹿児島県出身の方。戦時中の自分の体験を克明に自伝で記されいるがその終章「戦争―経験―体験」の中で大正生れと昭和世代の世代感を述べられている。僕はこれに感じることがあったのでここで紹介させて貰う。
(大正世代)「自分たちの世代は明治以来の皇国政策から大正末期、昭和初期の自由主義、個人主義的な新教育、さらに太平洋戦争前の軍国的教育まで右に左揺れ動いて定見を持つに至らなかったが、戦争に行かねばならないことは、素直に疑わなかった」
(昭和1ケタ世代)「戦争がエスカレートする中に国民学校教育を受けた、いわゆる戦中派は敗戦のショックが最も激しく若い根幹をブツリと絶たれ動揺も大きかったが、若さによる復元力も強く、戦後の社会の新しい生き方をたくましく選んで今日の日本の原動力となった」

             「出雲八重垣」「専守防衛」

2013-02-15 07:11:30 | Weblog
もう半世紀以上も前から続いているカトリック教会のラジオ番組「心のともしび」(京都放送制作)に友人の熊本洋さん(元カトリック新聞編集長)が出演、「古事記とカトリック教会について話をされた。早朝番組のため聴きのがしたので、改めて熊本さんにその内容を尋ねたところ、メールで番組の草稿を送って頂いた。

熊本さんは番組の中で古事記に出てくる「出雲八重垣」の話を紹介されていた。”八雲立つ出雲の八重垣 妻篭みに八重垣つくる”ーは須佐之男(スサノオノミコト)が作られた日本最古の歌だそうだが、その意味は八岐大蛇(ヤマタのオロチ)を退治して櫛名田比売(くしなだひめ)を妻にした須佐之男が出雲の国に行き妻のために何重もの垣根をめぐらした八重垣の家を造った―というようなことだ。

熊本さんは中国の万里長城、ベルリンの壁、イスラエルの壁など古今東西の垣根、壁、敷居などを紹介しているが、何か僕にはわが国の防衛について示唆しているような話にもとれた。

安倍内閣になって憲法改正の論議が盛んである。おりしも中国艦艇によるレーダー照射など挑発的な行動が目立つ。週刊誌の見出しには”中国人9割は日本と戦争””東京空襲”などと物騒な言葉が躍っている。そんなことは絶対にあってはならないと思っているが、相手のあることだ。わが国は憲法9条によって「専守防衛」で縛られている。須佐之男は、八岐大蛇を退治した後、出雲の地に八重垣を築いている。過去の歴史を見ると、戦争は想定外のことで起きているケースもある。

              警察官の犯罪と交番制度

2013-02-14 07:05:34 | Weblog
60年前同期入社した旧友から時々旧友が業界誌に寄稿した随筆「寸想」が送られてくる。”雀百まで”ではないが、若い時文筆に携わっていた僕らは幾つになっても筆をたてない。旧友は”老人閑居して不善をなさずだが、ほとんど遠出もせず、耳と目に加えてノドの調子もさえず、さんざんです、と近況を知らせてきたが、「寸想」は共感を呼び、なかなかの力作ぞろいだ。

その中の一つに旧友が駆け出し時代、新潟支局で“サツまわり”(警察担当)をしていた時の体験が紹介されていた。新潟市内の海岸で若い女性二人の心中未遂事件が発見され、旧友は他社に先駆けて現場に到着、一部始終取材して写真まで撮り特ダネだとばかり勇躍引上げようとしたところ、現場にいた警察官が”若い将来のある少女たちだ。写真を載せたり、実名の報道はやめてほしい”と懇願してきた。旧友はこの警察官の一言が胸にせまり。翌日の紙面には写真は載せず仮名で小さく報道した。

旧友はこの体験を紹介しながら昔の警察官にはこのように心の温かい人が多かったのに、今、警察官に犯罪や不祥事が多いのは何故かと疑問を投げかけている。僕らが”サツまわり”をしていた頃は進駐軍の命令で警察は戦前の”おいコラ”式から、市民に開かれた警察に脱皮しようという時代だった。そのためかお巡りさんはつとめて市民と接し、今より身近な存在だったような気がする。その反面、今のように現職の警察官が殺人事件を起こすようなことは到底考えられなかった。

僕は最近警察官に犯罪が多いのは、日本が誇りにしていた交番制度が機能していないからだと思っている。交番勤務は若いおまわりさんにとって直接社会を知る機会であり勉強の場になっていた。警察本署や機動隊勤務では、あまり社会との接点がないので、自分たちだけの世界に閉じこもってしまう。これが警察官が本来の使命を忘れ不祥事に走る原因になっていなければよいのだが。

              石原"暴走老人"の独演会

2013-02-13 07:05:37 | Weblog
衆院予算委の石原慎太郎「日本維新の会」共同代表の質疑の模様をテレビ中継で見た。申し訳ないが、僕の印象は”暴走老人”の独演会の感があり”国民への遺訓”とはおこがましい気がした。石原代表は髪の毛も黒く一見若く見えるが、やはり年齢は争えない。ボケているとは言わないが、年寄りにありがちな考え方の独りよがりが見えてきた。

石原代表は約1時間、「憲法改正」「靖国参拝」「尖閣」「横田基地」「会計制度」と多岐に渡って質問したが、内容は「質問」というよりは、ご本人の知識のしけラカし、自分の言葉に酔った独演会のように僕の目には映った、たまたま石原代表の質問中にテレビの画面には逐一北朝鮮の地下核実験のニュースががテロップで流れていた。テレビを見ていると、このニュースはそのつど安倍総理の元へも伝えられていた。石原代表も質問前から北朝鮮の核実験は知っていたはずだが、安倍総理が官邸からのメモに目を通していたら”聞いていないのか”と怒っていた。一国の総理である。一刻の状況判断が必要な場合もある。石原代表はそれが理解できなかったのだろうか。

石原代表は僕より2歳下だが、ほぼ同じ世代である。おっしゃることはよく理解できる。とくに昨日の発言の中で総理の靖国神社参拝よりは天皇陛下の参拝を復活するよう総理が尽力したらという提案していた。これには僕も賛成である。8月15日の敗戦記念日に総理が参拝し、無意味な外交問題にさせるよりは、天皇陛下が伝えれる”A級戦犯合祀”にこだわって参拝を中止されているが、これを復活されたほうがよい。

石原代表は、だんだん数が減ってきた戦前世代の”スポークスマン”で、僕もあまり悪口を言いたくないが、やはり政治は若い世代に任せるべきである。ローマ法王ベネディクト16世が高齢と健康を理由に辞任された。それぞれの人生だが、僕は法王の気持ちが理解できる年齢になってきた。

               落陽の民主党の将来

2013-02-12 06:47:29 | Weblog
民主党の党改革創生本部(本部長海江田万里代表)が3年3か月の民主党政権の運営、衆院選敗北などを総括し、将来の党再生に向けての報告書をまとめたという。新聞によると、この報告書の中で、民主党は衆院選での敗因は”トップによる失政の連鎖が続いた”ことと”政権の権謀術数が無責任な政党だ、というイメージを有権者に与えた”ことをあげている。

安倍政権は好調なスタートを切っている。最近の読売新聞の世論調査によると、内閣支持率は71%.政権発足以来,2回続けて連続アップしている。これに反してみじめなのは民主党だ。毎日新聞の世論調査では民主党支持率は僅か5%、「維新」の15%、「みんな」の9%より低い。夏に予定の参院選挙の比例代表の投票先も「維新」「みんな」の後塵を浴びている。

民主党は本当に反省しているのだろうか。公正取引委員会委員長人事を巡る輿石東委員長の発言などを聞いていると、なんでも反対、抵抗野党、権謀術数の体質は変わっていない。相変わらずの無責任さだ。国会では安倍総理の訪米前に、予算案を通したい意向だが、民主党は例によって例のように審議の引き延ばしを図っている。

先日、NHKのテレビ番組「日曜討論」を見たら、民主党の国会対策委員長は、一昨年の3.11東日本大震災の時文部科学大臣だった高木義明氏だ。原爆事故直後、SPEEDI(放射能影響予測)を無視し被災地住民の避難を遅らせながら謝罪がなく、国難ともいうべきあの時に朝鮮人学校の無償化問題だけにこだわっていた人物だ。

国会の代表質問にたった前原誠司元代表も”ミスター年金”こと長妻昭元厚労大臣の発言を聞いたが、昔のままで色あせた感じだ。海江田代表がまた「生活」の小沢一郎代表にすり寄っているという報道もある。前原氏は”このままでは参院選で10議席だ”と言っているそうだが、果たして10議席もとれるかどうかだ。

         国は何故建国記念日祝典を主催しないのか

2013-02-11 07:14:58 | Weblog
今日は三連休最後の休日だが”ハッピー.マンデイ”ではない。れっきとした国が定めた「建国記念の日」の祝日である。しかし「建国記念の日」がどういう日なのか知っている日本人はどれだけいるだろうか?記紀によれば紀元前660年、奈良県の橿原宮で初代神武天皇が即位した日である。神武天皇は高天原(宮崎県)に降臨したニギニギノ命の曾孫であるという神話を戦前僕らは学校で学んだ。そして「建国記念の日」は「紀元節」と呼ばれ、この日には学校で祝典があり「紀元節の歌」を歌った。 
            ♯「紀元節の歌」(作詞高崎正風 作曲伊沢修二)
              雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も
              なびきふしけん大御世の 仰ぐ今日こそ楽しけれ

戦後「紀元節」は連合軍によって天皇制復活につながるとして廃止され、学校でも神話は一切禁止された。2月11日が「建国記念の日」と名前を変えて祝日になったのは1967年で”建国をしのび、国を愛する心を養う”(祝日法)ということであった。しかし、一部の市民活動家から建国記念日は国家主義の復活、戦争を美化するだと反対、政府が後援して開催されていた「建国記念の日」を祝う式典も2005年以降中止されている。つまり政府主催の式典はないのである。

毎年8月17日、僕は招かれて東京のインドネシア大使館大使公邸で開催される独立記念日式典に出席しているが、羨ましき限りである。国旗掲揚、国歌斉唱に始まって1945年8月17日の独立宣言日を模した式典には在京のインドネシア人が全員参加する。そして式典の後には大使を中心に会食し、時にはゲームを楽しんだりする。戦前の「紀元節」でも子供たちにお祝いの紅白の饅頭や鳥の子餅が配られた。たとえ神話であっても建国の歴史があり、綿々とそれが続いている国は誇りである。国が定めた建国記念日を国が主催しないのは何故なのか。不思議である。

        ”火の用心” 認知症グループホームの悲劇

2013-02-10 06:30:24 | Weblog
またまた僕ら老人にとってはショッキングなニュースである。長崎市の「認知症高齢者グループホーム」があり入居中のお年寄り4人が死亡、2人が意識不明だという。皆、僕ら夫婦と同年代から上の方々である。実をいうと、僕はこの事故が起こるまで、このグループホームのあることをよく知らなかった。それだけ幸せといえば幸せなのだが、いつ認知症になるとは限らない。他人事ではない。

ウイキぺディアで調べると「認知症高齢者グループホーム」とは”認知症の要介護高齢者が個室を持ち、共同生活をしながら介護を受ける施設で、1ユニットは最大9人”とある。2000年の介護保険法改正に伴い設置が許可になった。比較的施設が小規模なことと、認知症高齢者の増加で僅か10年ちょっとで、現在日本全体で、このグループホームは1万軒ほどあるようだ。

今回の長崎の火事は夜7時半過ぎに起きている。寝るのが早いお年寄りでも”宵の口”である。ホームは4階建てで1階と2階が住居で、火元は2階らしいが、健常者なら容易に逃げられる。しかし、認知症の高齢者である。おまけにスプリンクラーの施設もなく、防火扉も不備だったらしい。それに夜間の管理者が70歳代の女性だった、これではまるで”老々介護”である。

出火原因については今警察や消防で調べているが、お年寄りの部屋が出火元である。馬齢を重ねると、僕ら老ら夫婦も一番気を使うのは火事である。老妻は写真のように、東京品川の”竈の神様”荒神さんから頂戴した「火の用心”のお札を台所に張っている。老人になると、注意力が散漫になりガスのつけっぱなしが怖いのである。火の用心、念には念をおしたほうがよい。