「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          竹島の不法占拠と第三国人時代の無法

2013-02-23 06:29:57 | Weblog
昨日2月22日は「竹島の日」であった。明治38年(1905年)竹島が島根県の行政区域に編入されてから百周年の平成18年、県条例によって「竹島の日」と制定された。今年は初めて政府から島尻安伊子内閣政務官が松江市で開催された式典に参加した。しかし、今一つ国民的な盛り上がりにはかけ、NHKラジオの早朝番組「今日は何の日」も「竹島の日」に触れていなかった。

竹島は言わずもがな日本の固有の領土である。明治43年の朝鮮統合前からの領土である。韓国が竹島を領土と主張したのは戦後の混乱期、李承晩初代大統領が一方的な海洋主権法を宣言、そのドサクサに紛れて竹島に兵を送り実効支配してからだ。国際法に反する海洋主権法(李承晩ライン)は昭和40年の日韓基本条約で廃止されたが、竹島の実効支配はトカゲのしっぽみたいに残ってしまった。

戦後すぐの時代、かって日本の植民地であった朝鮮半島や台湾住民を、戦勝国や中立国民と区別して「第三国人」と呼んだ時代があった。吉田茂内閣(昭和24年)時代の資料によれば「第三国人」は半島出身者だけで百万人いて、ほとんどが不法入国者であった。その犯罪率は日本国内の21%にも及んだという記録もある。彼らは「第三国人」をよい事に不法行為や犯罪を繰り返していた。ヒロポンという覚醒剤や酒を密造したり、都会ではヤクザと組んで闇市場でボロ儲けをしていた。僕が新聞社で駆け出し記者だった昭和28年頃でも彼らは何かというと徒党を組んで警察に抗議にやってきていた。

昭和27年に設定された李承晩ラインは、この時代の産物である。李ラインが廃止されるまでの20年間に、日本の漁船328隻が拿捕され、3924人が不法に抑留されて44人が死んだり怪我を負わされている。当時、日本は連合軍による占領下にあったことと、朝鮮戦争の勃発などで強い外交交渉が出来なかった。それをよい事に竹島を占拠してしまった。言ってみれば「第三国人」時代の延長線にある無法行為なのだ。