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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

六本木変遷 米寿 卒寿の会

2018-12-09 07:38:39 | 2012・1・1

昨日、65年前の昭和28年、同じ新聞社に同期入社した仲間が集まって1年ぶりに会を開いた。昭和28年入社に引っ掛けて毎年、12月8日、大東亜戦争が始まった日に集まっているが、年々参加者がが減り、今年連絡がとれたのは、10人に過ぎず、うち元気に集まったのはたった5人だけだ。無理もない皆、88歳米寿、90歳卒寿を迎えた年齢である。しかし、5人のうち「介護」の認定を受けているのは僕だけ。残り4人は杖の世話にはなっているが、皆,カクシャクとして若者並みに杯を重ねた。

会場は偶然だが、12月8日に”ふさわしい”六本木の星条旗通りにある戸隠そば店であった。星条旗通りとは、戦後の占領下時代、ここに米国占領軍の機関紙「星条旗」新聞の本社があったかららしい。東京生まれ、東京育の僕には果たしてここが六本木とは思えないのだが。六本木といえば、昭和29年、俳優座劇場が引っ越してくるまでは、都電がゴトゴトと坂を登りおりするだけの町ぐらいしか僕には印象がない。もともとは武家屋敷が多かった地区だが、戦前は近衛三聯隊の兵舎があった。その一部の建物が国立近代美術館として、星条旗通りに残っている。

15年前に六本木ヒルズの複合商業施設が誕生して以来、どこからどこまでが「六本木」だか、古い東京の人間には判らなくなってきた。星条旗通りの戸隠そば店も住所は六本木ではなく、西麻布である。古い六本木しか知らない、昔の仲間たちから、幹事役の僕は案内状が不親切だとお叱りを受けたが、住所を勝手に変えるわけにはいかない。ここも滄海桑田である。