2年ほど前書いた小ブログ「ダバオの日本のトンネル」(2016年5月28日)に対して、昨日マニラ在住28年の「南十字星の爺」という方から”同感です”のコメントが届いた。僕はこのブログで、ドゥテルデ比大統領の出身地、ミンダナオ島のダバオに戦争中、旧日本軍が掘った大規模なトンネルがあることを紹介、今なお海外戦地にある戦争遺産の保存を呼び掛けた。
ダバオのトンネルは、今、観光地になっており、ホテルまであるが、偶然にもこのホテルは「南十字星の爺」さんの遠縁の化粧品会社の副社長が2001年に建てたものだと分かった。僕は国内外の戦時遺産に関心があり、松代の大本営跡や日吉の慶応大学キャンパス内の旧海軍連合艦隊司令部跡の壕を見学したことがある。海外もインドネシアが中心だが各地の壕を視察したが、西スマトラのブキティンギにある旧第25軍司令部防空壕跡のように、いつの間にか虐殺の虚妄が独り歩きしていたところもあった。
ダバオのトンネルは幸い反日宣伝には利用されていないが、訪れた方の記事や写真を見ると、どうも正しいトンネルの歴史が残され伝っていないようだ。例えばトンネルは昭和17年に当時ダバオの防衛に当たっていた海軍第32根拠地隊が造営したものと思われるが、トンネル入り口の旧日本軍の服装は”日本兵”らしいが、海軍だか陸軍だかわからない。
不幸にもダバオでは戦争末期の昭和20年4月、連合軍が逆上陸してきて日本の守備軍との間で激戦が展開され双方に大きな犠牲が出ている。そのため当時の日本側の記録も喪失してしまった。しかし、防衛庁には部分的だが当時の資料が残っている。JICAがダバオのインフラ整備の一環としてトンネル保存を始めるそうだが、その時には、ぜひ史実も保存してもらいたい。