「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        大激戦だったシンガポール上陸作戦から70年

2012-02-15 07:08:44 | Weblog
70年前の昭和17年(1942年)2月15日は、日本軍によるシンガポール上陸作戦が大激戦の末勝利に終わり、英国軍が白旗を掲げて降伏した記念日である。戦後この作戦の参謀の一人であった国武輝人氏が”どちらが手をあげてもおかしくない、ギリギリの戦いだった”と述懐している。日本軍はたった5日間の上陸作戦で1,713人の戦死者と3,387人の負傷者を出している。僕の知人のYさんもこの戦いで右足を失っている。

大きな白旗を肩から担いで降伏した英国軍との降伏式は15日午後6時すぎ、戦塵がまだくすぶるブキティマのフォード工場で行われた。日本側から第25軍司令長官山下奏文中将、英国軍側からはパーシバル中将が代表として出席した。この降伏式の写真は有名で、宮本三郎画伯によって絵にも描かれ、当時の日本人は全員、山下将軍が席上、敗将のパーシバル中将に対して”(降伏)はYESかNOなのか”と迫った言葉とともに知られ、溜飲をさげたものだ。(のちにこの山下将軍の発言は通訳に対してのものだ、と関係者が否定している)

戦後僕も激戦地だったブキティマの三叉路を訪れたことがあるが、数年前、フォード工場跡に戦争博物館が出来たようである。ネットの写真でみると、出征兵士ののぼりなどシンガポール作戦にあまり関係のないものも展示されている。シンガポールの博物館や観光地セントーサ島にも降伏式の模様が蝋人形になって残っている。それはそれでいいのだが、政府が発売している写真集の中には事実と異なり、上陸作戦の一翼をになった松井太久郎第5師団長の顔写真が誤って同じ松井だが松井石根大将のものが掲載されたりしている。

戦争から70年を経過して当時を知る関係者も少なくなってきた。僕は研究者の一人として元気なうちに現地を訪れ、過ちは過ちとして指摘、訂正を申し出てきたいと思っている。