「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             多湖輝先生のスマトラ子守歌(続)

2012-02-09 07:24:00 | Weblog
先日、心理学者で東京未来大学名誉学長の多湖輝先生が幼児の頃スマトラで覚えたという子守歌を小ブログ(2月5日)で紹介したところ、早速知人を介してインドネシア研究家のM氏から、こんなインドネシア語にもとれますね、とメールを頂いたので紹介する。「belum kanak-kanak,ingat putih kayu jati,buat sang Datuk,nenek sinyo banyak cantik」

M氏によれば、多湖先生の耳に残っている最初の部分”ブロンテケネケネ”は解読出来ないが、あとは日本語に訳すとこんな意味になるのではないかという。「チーク(材)の白い花を思い出して、ご主人のために差し上げたのを。沢山の美しい白い肌のご婦人たちのように」。まったく僕のインドネシア力では解読不可能と思っていたのに見事なものである。

M氏もメールで指摘しているが、解読はしたが全体の意味が不明である。そこで、僕は辞書を引き引き、多少こじつけになるが、こう解釈してみた。”sang Datuk"だが、Datukは、マレー、スマトラ地方では”おじいさん”という意味もある。sangという愛称語があるし、ここはご主人よりは”おじいさん”ではないだろうか。"nenek"(おばあさん)との対比からも自然な感じがする。また”sinyo"は辞書によると、欧米人の着物という意味もある。だからおばーちゃんの(白い)ドレスを指しているのではないだろうか。

終戦直後、ボブ・ホープの喜劇「腰抜け二挺拳銃」の主題歌”Buttons and Bow"(ボタンとリボン)を当時の子供たちは”バッテンボー”と覚えたという話がある。多湖先生がまったく記憶がないスマトラで耳に入った子守歌の再生である。ここまで解明して頂いたM氏のご努力に感謝する次第である。