「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          小中学校の留年は必要だろうか

2012-02-24 05:43:09 | Weblog
橋元徹大阪市長は,好い悪いは別として話題の発信力のある人だ。2月23日付けの読売新聞首都圏版の第三社会面に”小中学校「留学」検討要請”という見出しの記事があった。小中学生が目標の学力水準に達しない場合は、進級を認めず留年させることを検討するよう橋元知事が大阪市教育委員会に要請したという内容だ。

「留年」というと言葉は良いが、昔流にいうと落第である。義務教育課程での留年は学校長の判断で可能だとのことだが、実際には病気で長期休学した以外あまり例はない。小学校が国民学校と呼ばれた時代でも落第という言葉は聞いたが、実際に落第生はいなかった。

昭和18年4月、僕は旧制中学1年に入学したが、何人かの落第生が他のクラスにはいた。”あいつは国語で落第した”とか”あの男は英語でドッペった”という話を仲間うちで話し合った。戦争が激しくなった翌年からは勤労動員され学校での授業がほとんどなくなったから”落第”制度も自然消滅してしまった。

作家の遠藤周作の本に「落第坊主を愛した母」という作品がある。その前書きによると、遠藤は子供の頃周囲の者や親戚の人たちから馬鹿にされ、学校の先生からも馬鹿扱いを受けて自分でも本当に馬鹿ではないかと劣等感に悩まされたが、母親が”お前には一つ良いことがある。それは文章を書いたり、話をするのが上手なことである。小説家になればよい”と励まされた。遠藤はこの一言で作家への道を選んだとのことだ。

橋元市長は”学んだかどうかに関係なく進級させるのは子供に対してかえって害になる”と言っているが果たしてそうだろうか。僕が知っている限りでも、小中学校時代、学校の成績が悪くても一芸に秀でていた友人は沢山おり、社会に出て成功している。多感な子供時代に留年させても変な劣等感を持たせるだけではないだろうか。