ビター☆チョコ

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奇跡のシンフォニー

2008-07-04 | 洋画【か】行

エヴァン(フレディ・ハイモア)は生まれて間もなく養護施設に預けられ11歳になった。
温かいとは言いがたい環境だったが、エヴァンには心の支えがあった。
それは。。両親は自分を捨てたのではなく、なにか事情があって離れ離れになったのだ。
そして、きっといつかは自分を探し当ててくれるのだ。。。という強い想いだった。
その想いを後押しするのは、エヴァンの耳に、いつも聴こえる音楽だった。
風の音、雨の音、足音。。。街の騒音さえもエヴァンの耳には、素晴しい音楽になって聴こえるのだった。

ある夜、エヴァンは何かに導かれるように養護施設を出る。
向かったのはNY。
両親を探す手がかりは何ひとつなかった。

ファーストショットは草原だ。
一面の草原の中に、ひとり立っている少年が、音楽を聴いている。
草が揺れる。
風に揺れて重なって、ざわざわと音をたてる。
私たちが「風に揺れる草の音」としか聴こえないものを
この少年は体中で、「音楽」として聴いている。
そして、風に揺られて、ただ勝手にざわめいていた草が
まるで、少年の意志によって動かされているような錯覚に陥る。

。。。鳥肌がたった。
そして、ある映画を思い出していた。
嗅覚が異常に優れていたグルヌイユの物語を。
彼もまた、全ての「匂い」を「香り」として受け止め、最後には香りをまとって消えてしまった。
しかし、同じ天才ながらエヴァンは、消えてしまうことはなかった。
自分の中だけで感じていた「音楽」というものを表現する術を知ったから。
そして、なによりエヴァンには、まだ会ったことはないけれども愛する両親がいた。

エヴァンがNYに向かった頃
エヴァンの両親も、大きな転機を迎えていた。
実らなかった恋の痛手から音楽を捨てていたのだが
また、音楽と向き合っていく決心をする。
11年間離れていた3人が
同じ時期に、音楽に導かれNYにやってくるのは
ちょっと出来すぎな感じもするのだけど
これはお伽噺なのだから。。と思えば、なんの問題もない。
ジャンルを超えた様々な音楽に彩られた、極上のお伽噺だ。

エヴァンが初めてギターにふれて
弾き始めた時の喜びに満ちた顔。
そして指先から、あふれ出てくる音とリズム。
「鳥肌がたったシーン」は、数えきれないほどある。

大きなスクリーンで、音楽を体中に浴びながら観てほしい映画だ。