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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(21)

2012-02-20 | 「アズミックアート物語」21~ その後
昨日は「内観法」の吉本伊信先生のことを書いたので、今日は五井昌久先生のことを書いてみよう。
さっき見た船井幸雄さんのHPにたまたま五井先生の話が出て来ていたので、ついでながら私の経験も紹介したくなったのである。
確か本も持っていた筈と思って本棚を探してみると、何と3冊も出てきて我ながら驚いてしまった。

前にもどこかに書いたかもしれないが、五井先生のことを知ったのは私がまだ生まれ故郷に住んでいた若い時のことで、年下の知人が五井先生の信奉者で、その家族全員が熱心な信者だったのだ。それである日私に「読んでみる?」と何冊か本をくれたのだが、その本がとてもよくて、それ以来私も「世界人類が平和でありますように」という祈りを自然に(我流で)するようになった。

けれども元々宗教や組織が嫌いで苦手な私なので、その後も一度も集会などには行かなかったし、また他の誰かに本を勧めるということもしたことがなく、それどころか五井先生についての話も誰とも語ったことが無かった。
時々公園などで、他人に「手かざし」をしてお祈りをする人たち(グループ)がいて、その人たちはたぶん「白光教」?の信者なのだと思うが、その知人は私にそういうことを強要したことも無い。

ただ、私がとてもその教えに共感していたので、五井先生の講演のカセットテープなどをくれたりした。
それを聴いてみるとなぜか「柏手」や「口笛」が入っていたが、それがどんなふうな時に使われているのか?何かの儀式なのか?
それとも五井先生はいつもそのような口笛を吹かれたり、柏手を打たれたりしていたのだろうか?
(これについては今も何も知らないままで、その折もそのことを知人に確かめることもしなかった)

そんなふうにその宗教団体についても、五井先生本人のこともよく知らないまま、その後何十年もずっとそのお祈りの言葉を折に触れて唱えている。それは私にとっては「般若心経」や「観音経」と同じで何となく気に入ったからに過ぎない。
ただ、その言葉を毎日唱え続けることで、それまでかなりの悲観主義者?だった私がいつからかそうでは無くなったという効果はあったかもしれない。(ただし、他の人にとってはどうかはわからないが)

ある年の暮れのこと。(英語と日本語が対訳になっている)お祈りの言葉の載ったカレンダーが発行されたので、私はその団体の指定口座に所定の金額を振り込んで、カレンダーが送られて来るのを楽しみに待っていた。
が、結局新年になっても届かず、その後もずっと何の連絡も無くそのままだった。その時私は文通していた海外のペンパルにそのカレンダーを送ってあげたくて、2部注文したように覚えているのだが、本当に今思い返しても惜しい気がする。
(お金にこだわるわけでは無くその対訳がとても欲しかったからだ)
そういうわけですっかりその宗教団体には失望したのだが、その後もお祈りは続けたし、五井先生に対する気持ちは今も変わらない。

それからかなりの年月が経ち、阪神淡路大震災があった。私の知人(上記の人とはまた別の人)が神戸(新開地)でお店をやっていて、そのお店の中庭には「世界人類が平和でありますように」という祈りの言葉が書かれた「ピースポール」が立っていた。
そのお店の周辺の家やビルなどは地震でほとんど全壊や半壊となり凄い被害状況だったのだが、不思議なことにこのお店と中庭だけはほとんど何の被害も無かったのだ!
私は地震後にこのお店を訪ねて自分の目でそれを確かめたのだが、本当に驚いたことだった。
(他にもそのような経験をした人も多かったようだ)

このことで私は「やっぱりそのおかげだ!」とその宗教を見直したというわけではもちろん無いし、それがその宗教の正しさの証拠だとも思っていない。
ただ、わかるのはとてもそのお店が大事にされていたこと、そこに集っていた仲間たちの想い、そしてその「ピースポール」に込められた(それに対して祈りを捧げていた?)エネルギーなどが、よい「磁場」を創り出し、それが地震の波動や波長を超えていたのでは?(もっと高い次元と調和し、平和と繋がっていた)という気がするのだが、どうだろうか?
調査したわけではないのでこれは憶測に過ぎないが、もしも東日本の大震災でも神社などの被害が少なかったとしたら、やはりそういうことではないかという気がする。

さて、その後広島の川野政次さんと知り合いになる機会があり、彼が私たちの伊豆の家に遊びに来てくれた時のこと。
我が家の庭に「MAY PEACE PREVAIL ON EARTH」(世界人類が平和でありますように)と英語で書かれたピースポールが立っている(これは表には「AZUMIC ART」と彫られていて表札代わりでもある)のに気づいた彼と「白光」の話になった。

驚いたことに何と彼はその宗教団体に長く関わり、止める前は幹部クラスだったというのである!
彼の話によれば内部ではけっこういろいろなもめごとなどもあり、組織や宗教者の醜い面を見せられて失望し、嫌になって止めたということだった。「さもありなん」と、私はかつてのカレンダーが届かなかったことなどを改めて思い返したことだ。

そんなふうに、五井先生の心酔者というか、その教えを秘かに信じて実践したり、影響を受けた人はかなりたくさんいると思う。
そう言えば(今ふと思い出したが)、メキシコツアーで知り合ったある年配の男性もその宗教団体に長く関わっていた人だった。

ところで私が五井先生が好きなのは、その考え方が好きだからだ。
例えばこんな話がある。ある時五井先生が修行させられて、「赤信号の横断歩道を目をつぶって渡れ」と指示されたそうだ。

(指示したのは「天」?というか、神というか、その頃五井先生を指導していた目に見えない存在らしいのだが)それで五井先生が
かなり逡巡したあげく、いよいよ渡りかけると今度はものすごい剣幕で怒鳴られたそうだ。(頭が割れるような感じ?)
そして「バカ、よく考えてみよ。常識で考えてわかることは常識に従えばいいのだ」と言われたのだ。

そんなふうにして、「神」や「天」の言うことに無条件で従うことの危険性や間違った依存心(マインド コントロール)について
教えられ、だんだんに「ほんものを見分けていく力」を得ていかれたのだ。

こんなふうなエピソードがたくさん載っていたので、私には五井先生の本が中村天風さんの本と同じぐらい面白かったのである。
もし、これから読んでみようと思われる方は本屋で手に取ってみて、自分に一番ぴったりくる本を選ばれてはどうだろうか。
ちなみに私が一番好きなのは『日々の祈り』であるが、他に『天と地をつなぐ者』『如是我聞』も書棚に残っていた。

この『日々の祈り』というのは、日めくりカレンダーのような感じで、一年を通して毎日少しずつその日のところに書かれた話を読んでいくことが出来るので、とても読み易く、私はこれを(まるで聖書のように?)何度も繰り返し読んだ。毎年毎年繰り返し読むことを何年も続けたが、全く厭きることが無かった。

全部の言葉が真理かどうかはわからないし、私の考え方とは違っていて受け容れられないところももちろんあった。
けれども読んでいるとなぜかこころが安まったのは事実である。

この「世界人類が平和でありますように」という言葉を見る(思い浮かべる)ことで、不安な心がいつのまにか自然に変換され、宇宙的規模にまで?心が大きく広がるという効果があるのかもしれない。
迷いやすくつい不安になることが多かった私にはよい「読む薬」になった気がする。
つい最近バシャールの本を読んだが、その中にもこのマントラ(真言)のことに言及している箇所があって、びっくりした。
私たちが制作したポストカード(第1集~第3集)のケース(表)にはこの祈りの言葉(英文)を刷り込んでいる。

余談だが、以前このブログで書いたように、私が寝ている時に勝手にしゃべる「異言」をテープに取ってみたら、そこには「口笛と小鳥の声」が入っていたが、もしかしたらあれは五井先生からのメッセージ!?だったのだろうか。
もしそうだとしたら(その意味はわからなくても)五井先生に見守っていただいているようで、とても嬉しい。

川野政次さんはもう亡くなってしまわれたが、彼のことについてもまたいつか書いてみたい。
昨日紹介した映画『第4革命』のように、彼も「平和というのは戦争反対や原爆反対の『運動』によって達成されるものでは無く、個人の心の『内なる平和』こそがほんとうの平和を生み出していくのだ」といつも言われていた。
広島で被爆され両親や兄弟を一瞬にして失った彼の言う言葉だからこそ強い説得力があった。

そしてその言葉通りに、晩年の彼は、踊ったり、祝詞を唱えたり、また自動で作曲されたり、即興で和太鼓の演奏をされたりしていた。彼から『よろしく頼みます』とあとを託された?にも関わらず、未だに何一つご恩返しも出来ていないことが今も私の心残りだ。

下記の絵は『セブンバウズ』(虹=七つの約束)です。




(無断転載、コピーなどはご遠慮ください)


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阪神淡路大震災で授かった能力(20)

2012-02-19 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
『第4の革命』(エネルギー・デモクラシー)という映画を観てきた。この映画は、ドイツが「原発廃止」を決めたその基ともなったと言われているらしい。(これは4年の歳月をかけて制作されたドキュメンタリーで、ドイツでは13万人もの観客を動員したそうだ)

この映画の監督カール–A・ フェヒナーさんへのインタビュー記事が「スピボイ」というサイトに掲載されていて、私はそれを読んで感銘を受け、さっそく観に行ったのだ。
(ちなみに近畿一円ではこの映画は現在大阪十三にある通称「七藝」(ナナゲイ)と呼ばれる「第七藝術劇場」/サンポードシティ6F/06-6302-2073)でしか上映されていないようだが、ぜひ多くの人にお薦めしたい)

私が強い関心を持ったのは、それまでのフェヒナーさんが平和活動家として数々の運動に参加、デモで拘束されたこともあるぐらいの方でありながら、1991年より方針を転換され、戦争報道等、悲惨な状況を伝えるより、「解決方法」を提示したいと、
「持続可能性」(セステナビリティ)をテーマにTV番組やドキュメンタリー映画を制作されるようになったという、その経緯である。

この映画の中で主に語っておられる(故)ヘルマン・シェーアさんの言葉を下記にご紹介する。
「100%再生可能エネルギーへのシフトが可能で必要だということを理解すれば、人々は自ずとこれを推進するだろう」

既得権を手放したくない権力側の抵抗勢力も強く、ことはそう簡単にはいかないかもしれないが、原発に反対するだけでは無く、代替方法や新しい世界観の提示を通して「持続可能な社会」やユニークでオリジナルなエネルギー環境を実際に生み出していくという、そのアイデアは実に素晴らしいと思う。

この映画の中ではそのような新しい可能性がすでに実現しつつあることが明らかに示されていて、声高では無く、淡々とその事実が静かな映像と共に「数字」(事実)によって現され、観ている私たちは次第に納得がいき、映画を観終わる頃には、ほんとうにそのような「100%再生可能エネルギー」へのシフトが出来るのだということを、容易に信じられるようになってくる。そして自然に「希望と勇気」が湧いてくる。


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阪神淡路大震災で授かった能力(19)

2012-02-18 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
もう25年ぐらいも前の話だが、「内観法」というものを経験したことがある。
それは既述したように、私の不思議な癖(寝ている時の霊動?)を治すためにいろいろなことを試していた時のことで、ある人からの勧めだった。

それで当時奈良県の大和郡山というところにあった(故)吉本伊信先生の自宅(内観研究所)で行われた1週間の(泊まり込み)研修に初めて参加した。
(「内観法」の詳しい説明は省くが、吉本伊信先生はその創始者で、私は生前の吉本先生夫妻から直接にご指導いただいた)

研修の合間の食事時間などには放送があり、殺人を犯した人が「内観」によって立ち直ってゆく話(テープ)などを聴いたりした。
最初はとまどいもあって、なかなか内観が深まらなかったが3日目ぐらいになるとだんだん集中出来るようになり、間脳?が突然開いた?かのように、子供の頃の記憶が鮮明に戻ってきた。

そしてその頃の母が着ていた着物の模様や手触り、その匂いまでがふと甦り、私は思わず号泣してしまった。
それまで私は母にはあまり愛されていないと「思い込んでいた」のだが、実際はそうではなく、私の方が心を(脳幹を?)閉ざしていたのかもしれないと感じた。
私のことをいつもいつも心配してくれていた母の愛を思い出してはその後もどれだけ泣いたことか。

内観することによって、それまで「自己中心的に」眺めていた風景が一変し、相手の側からというか、(外側から)客観的に自分を眺めることが出来たのだった。参加者は何人もいたが、中にはひどい鬱で起きられない人もいた。その女性も帰る頃にはみんなと一緒に起きて掃除したり出来るまでに快復したことも記憶に残っている。

一週間があっという間に経って外へ出た時には、何もかもが新鮮に見えた。駅で電車を待っていると「回送」電車がホームに入って来たのだが、私はそれを見て「回送なんて随分珍しい駅名があるもんだな」と思ってしばらく眺めていて、ようやくして、「あぁ、そうか、これは『回送電車』なのか!」とやっと気が付いたぐらいに、自分のものを見る目が「ニュートラル」になっていたのだ。

さて、これからが本題なのだが、何年か前にふとまた内観に行きたくなり、どこがいいかと全国あちこちにある研修センターのHPを調べている時、ある高名な内観研究所長が書かれた体験談に目が止まり、それを読んでいるうちになぜか涙が滂沱と流れてきた。
それで、自宅からはかなり遠かったのだが、(何となくご縁を感じて)その内観研究所にしようと決めたのだった。

行ってみると、そこは本当に立派な施設で、まるで神殿か御殿かと言っていいぐらいにどこもかしこも真新しくピカピカだった。
設備も最新式で(ちょうどその時期は空いていて)十畳の和室に私一人だった。
(かつての内観研修では、屏風で仕切られているだけで何人かが同じ部屋で寝起きしていたが、最近は個室も増えているようだ)

最初は隣の部屋にも誰か居るようだったが(この研修所では女性と男性が上下の階に分かれていた)、そのうちその女性も研修を終えて帰りやがて私一人だけになった。ところが初日を終わる頃から急に始まった頭痛が、日が経つと共にだんだんひどくなってきたのだ。それでまだ途中だが切り上げて帰りたいと申し出たら「もう少し頑張ってみられてはどうか。それは内観への抵抗かもしれないから」ということで、担当の先生(そこの所長)にやんわり引き止められた。

それで我慢していたのだが、その先生が、なぜか私に対してひどい罵声を浴びせてくるのだ。そしてあろうことか、「君は嘘ばかりついている」と言うのだ。何を根拠にそんなことを言うのか!?とよく考えてみたら、その人は私が吉本伊信先生から直接の研修を受けたことがあると(申し込み時に)話したのを、当時の参加者名簿か何かで調べたようだった。
それでそこに名前が記載されていないので「不信感」を抱かれたようだったが、私はその当時とは氏名が変わりまた住所も全く違うので、誰が見てもそれは分らないことなのだ。

また、掃除をする時間帯に私が(ごまかして?)掃除をしていないと誤解されたようだった。
そこではあまりよく眠れなかったので、決められた起床時間の前からすでに起きていて身支度をするのだが、あまり器用な方ではない私はなぜかどうしてもその時間内(30分ぐらい)に全てをこなすことが出来ないのだった。
これは言い訳では無いが、私は決して手抜きしたわけでは無く、広い長い廊下や割り当てられたお風呂の掃除その他を済ませて、いざ自分の居室の掃除に取りかかろうとすると、もう正座(内観)する時刻になってしまうので、仕方無く(掃除機はかけずに)拭き掃除だけしていたのだ。

ところがこの立派な施設では全てが「監視」?出来るようになっているようで、二階の気配が全て下の階にある事務所(先生の居室)に伝わるように光センサーか何かで(あるいは掃除機の音や動きで?)分るモニターシステムになっているようで、施設の全てがリモートコントロール(遠隔操作)されている感じだった。

これは決して私の思い過越しでは無い。入所してまず最初の注意が、「夜に窓に触れると警報が鳴りますから気を付けてください」ということだった。長い廊下の全ての窓には全部「鉄格子」がはまっていて、まるで「牢獄」のようだと私は感じていたが、それは説明によると勝手に脱け出す人を防止するためで(外からの侵入防止策では無く)「自殺防止」のためでもあるということだった。

例えば鬱やノイローゼの人など心身が病んだ人たちも(それを治そうとして)内観に来るので、時にはそういう危険性もあることだろうとは思ったが、(いくら部屋が旅館以上に豪華であっても)私にはちょっとなじみにくい環境だと感じた。

あと、不思議だったのは洗面所の洗面器の上に、朝になると必ず男性のヒゲを剃った後のチリのような髪の毛が点々と落ちていたこと。その洗面所は女性専用で、その掃除は奥さんが担当されていたので、とてもきれいに掃除されていたし、先生方の居室(自宅)は一階にあったので、わざわざ二階の洗面所を使われるのは不自然に思った。
もしもそれとなく私の様子を見に来られる?にしても、まさかそんなところでヒゲをそられることは考えられない気がした。
(一階には男性用の研修室があり、そこにも広い洗面所もある)しかもその週は、館内には私以外に誰も研修生が居なかったのに、である。

そんなことが続いて、頭はガンガンするし、今度は奥さんに帰宅の許可をもう一度お願いしてみたが、「ここに来るとなぜか頭が痛くなったり、風邪を引かれる人が多くて、、どうしてでしょうかね?」と軽く言われ、「寒いようなら遠慮せずに暖房をどんどん使ってください」とまたまた優しく引き止められてしまった。

それでその後も真剣に内観を続けていたのだが、その先生が私の話を聴かれた後、何が可笑しいのか、去り際に片袖で口元を押さえながら「ククッ」と何とも不気味な笑い方をされた時には、心底ゾクゾクッとしてしまった。
(今思い出しても寒気がするぐらいだ)
しかもその後ろ姿や雰囲気があまりにも吉本先生にそっくり!で、その顔がまるで血の気が無く真っ青だったのだ。

ひえぇ~、きっとこの人は「ヒョウイ」されていると直観した私は、もうこんなところは何が何でも一刻も早く逃げ出そうと決心して、すぐに荷物をまとめて悟られないようにこっそりと階下に降りた。
すると事務所で(モニターで?)すでに察知していたらしい先生がすぐに出て来られ、私はその場で掴まってしまった。
けれども私の決心が固かったので、(普通は途中退所は許されていないのだが)向こうもそれ以上は引き止めることを諦められたようだった。

そういうわけで、(まるで脱獄囚?のような気持ちでいのちからがら)何とか無事帰宅出来たのだ。ほっ。
(その後頭痛はまだしばらく続いたが、そのうち自然に治まった)


このコワイ経験から私が学んだことは、何事も「凝り固まる」のはよくないということだった。
あの先生もあまりにも熱心で吉本先生に全身全霊をあげて心酔するあまり、自分自身の固有の(個性的な)人生を見失い、その悲しみがHPを通じて私を捉えて離さず、つい私も引き寄せられてしまったのかもしれない。
もしも凝り=狐狸だとすれば、彼にヒョウイしていたのは、決して吉本先生の霊などではなく偽物の、低次元の低級なものではないかと思う。

いずれにしても、何かを信奉し過ぎることは危険だ。オウムのような新興宗教にも気を付ける必要があるが、その先生のような立派なお仕事をされていても、そういうことに気づかない(自覚出来ない)のは、彼こそまさに自分自身の心に(魂に)「正直に」生きていないからではないだろうか?
(自分自身を信じることが出来ないから、人にも不信感を抱くのかもしれない)

例えば吉本先生は、(内観で)ただ泣いているだけの私に向かって、『何か私があなたにして差し上げられることがあるでしょうか?』と尋ねてくださった。また、お風呂に入る順番が来る前に(遅れては次の人に申し訳ないと思って)早めに廊下に並んでいた私に対して、『時間が気になるのですか?』と問いかけてくださったりした。(てっきり叱られると思っていたのに、、)

もしも疑問に感じることがあれば、直接その本人に訊いてみればすぐわかることなのに、それを聞くことをしないで、「君は嘘つきだ」などと人を(自分の思い込みで)決めつけるのはほんとうにおかしなことだ。
その人の口からいきなりそのような言葉が出た時点で、「これは何かちょっと違うのでは!?」と違和感があった。
(きっとそれはこの人本来の姿とは違っていて、たぶん何かにヒョウイされて?本人も知らないうちにいつのまにか魂の本質からずれていたのかもしれない)

この豪華な新築の?内観研修所には皇族の方も内観に来られることがあるらしい。そうか、だからあんなに立派な施設なのだと納得がいき、大都会のしかも凄い一等地であのような広い敷地と最新の設備を備えた建物を日々維持していくためには、一体どのぐらいの膨大な費用とエネルギーがかかることだろうと内心心配になった。

もしも吉本伊信先生が生きておられたら、果たしてどう思われたことだろうか。
私がそこに行ったのは、もしかしたら吉本先生がその方のことを心配されたからかもしれないという気もする。
私が内観の途中で逃げ出した!?(笑)ことはその人にとってはショックだったかもしれないが、もしもそのことで何かに気づいて
自分自身を取り戻し「正気に」なっていただけたとしたら幸いだ。

もちろん私にとってもこれは貴重な体験だった。
頭より体の方が正直だということ。自分の感覚や直観を信じるということ。どんな偉い人の言うことであっても相手の言うことを鵜呑みにしないこと。外見の立派な建物よりも中身の人間の方がずっと大事だということ。時には途中で止めても(逃げても)いいこと。等々。
たくさんのことを学べたので、今ではその先生にも(親切にお世話して下さった奥さまにも)とても感謝している。







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阪神淡路大震災で授かった能力(18)

2012-02-16 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
私のように突然に「自動書記」が始まったという人は他にもたくさんいることだろう。
自動書記ではなくても、例えば「臨死体験」や何かのきっかけで急に意識が覚醒したり、さまざまな能力が発現したりといったこともよくあると思う。

『ヘミシンクで起きた驚愕の前世体験』という本を書かれた鈴木啓介さんもその一人だ。彼の主催するある会に出たことがあるが、彼はエネルギーのわかる人のようで、私のプレゼントした宇宙画ポストカードについて「これにはエネルギーがあります」と顔を合わせる度に言ってくれた。(絵を描いた私自身はそのようなことがわかる人間ではないので)鈴木さんにはとても感謝している。

その本は本屋で注文しても在庫切れで出版社の方にも無く、残念ながらまだ読んでいないのだが、その次に出た『はじめてのチャネリング』という本(ビジネス社)は非常に面白く、かつ参考になった。鈴木さんのHPもとてもきれいで見易い。

それから、「うさ」さんという人が書かれた「『フツーの主婦がチャネラーになっちゃった!』(きこ書房)という本も、挿絵のマンガがぴったりで、内容がメッチャ面白く、しかも深いメッセージも多くて本当に素晴らしかった。
うささんは現在「チャネリング アーティスト」やヒーラーとしても活躍されているようで、この本の元になった彼女のブログもとても人気があるようだ。

そんなふうに自分に起こったことをきちんと整理して客観的に眺めることはとても大事なことだと思う。私がこのブログを始めようと思ったのも、そういう理由からだ。
そしてそれが誰かの参考になり、少しでも役に立てばなお嬉しい。

さて、有名なチャネラーのダリル・アンカさんがチャネルする「BASYHAR」の本『BASYAR GOLD』(関野直行 通訳/VOICE )という本を読んだので、ここで少し紹介したい。
私はバシャールの個人セッションを受けたことは無いが、阪神淡路大震災の前年だったか、関野あやこさんの主催された「グループセッション」に知人に誘われて参加したことがある。(その知人は関野あやこさんに瓜二つで、そのせいもあってかどうか、彼女の大ファンだったのだ)

その時の詳しい内容は忘れたが、知的で美しく、とても可憐で繊細にさえ見えるあやこさんが、バシャールと繋がってチャネルを始めたとたんに、なぜかエネルギーがすっかり変貌?して、荒々しいというか、男性的で大胆な態度になり、大きな力強い声で話し始めたのが強烈な印象として残っている。
そして正直な話、私はその変化についていけず、どちらかと言えばバシャールよりもエクトン(リチャード・ラビンさんがチャネルされ、チャンパックさんが通訳をされている)の方が安心出来て好きだったので、その後バシャールの本は何冊か読んだが、実際に個人セッションを何度も受けたのはエクトンの方だった。
(このエクトンのセッションの体験談についてはいずれまた紹介したい)

今回久しぶりにこの「バシャール」の集大成とも言うべき本を読んで、改めてバシャールを見直し、書かれてあることがとてもよく理解出来たのだ。その頃の私にはバシャールのエネルギーは強過ぎて、はじかれてしまうような感覚があったが、ようやく少し受け容れることが出来るようになったのかもしれない。

そして自分のこれまでの人生と照らし合わせてみても、「ワクワクすること」をやっている時やそういう方向を目指していた時はなぜかとても人生がスムーズにいっていた気がする。多少の困難や苦労はもちろんあったとしても、イキイキとして元気だったのだ。
反対になかなかうまくいかなった時のことを振り返ってみると、(この本を読んで気が付いたのだが)自分自身を疑っていたり、目標(ワクワクする夢など)を見失っていたように思える。

この本にはバシャールと出逢って大きく人生の方向転換をした人たち(自分の天命、使命を見い出し、ワクワクする目標を見つけそれを仕事として人生を楽しんでいる人たち)の体験談がたくさん載っている。
彼らによって語られているその歩みの実話(この20年間の軌跡!)を読むだけでもとても勇気付けられるが、その他にも誘導瞑想、実際のセッション(オープンチャネリング)の記録等々もあり、盛りだくさんの内容で誰にとってもかなり役立つと思う。

これまで誤解していたようなことについても新しい発見があり、私自身の認識を変えるのに大いに参考になった。
特に「自分の願う現実を創造する」ためのコンテンツ「1-3-5-7 現実創造法則」は、新しい現実を創造したい人にとって、本当に使えるツールとなることだろう。
もちろんそれを選択するかどうかは個人にまかせられているが、私はさっそくにこの方法を試している。
「この現実を変えることが出来る」(そういう選択をする)ということが、私にとって今一番ワクワクすることだからである。


下記の絵は『チャネル』です(まだポストカードにはなっていません)。




(無断転載、および許可無しのコピー等はご遠慮ください)

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オーリングテストの話(9)

2012-02-14 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストについてさらに詳しく知りたいと思っている人に朗報です♪

もうすでにご存知かと思いますが、昨日(2月13日)の船井幸雄さんのHPに、「にんげんクラブ京都大会」が4月22日(日)に開かれるという話が載っていました。
会場は国立京都国際会館(午前9時開場/10時開演~18時閉会)だそうです。

当日、O-リングテストの世界的権威である下津浦康裕医師(病院経営者・医学博士・O-リングテスト開発者の大村恵昭博士のもっとも信頼する人)が、船井勝仁氏のナビゲートによる「第一回 光・水・風フォーラム」という座談会に出られるそうです。

また、日本バイ・ディジタルO-リングテスト協会会長大村恵昭博士ご本人も登壇され、単独講演も予定されているとのことです。
この他にも豪華なゲストが多数登場されるようです。

一般の人の参加料は一人7000円(にんげんクラブ会員は5000円)だそうです。
閉会後には懇親会(18:00~20:30)もあるようです。(別途5000円 先着200~300名を予定)
当日のプログラム等の詳細は、船井幸雄さんのHP(2月13日付け/「いま一番知らせたいこと、言いたいこと」)をご参照ください。

実は先日12日にも「大阪クレオ西」でにんげんクラブが開催されていて、私もぜひ行ってみようと思ってスケジュールを空けていたのですが、急用で残念ながら行けませんでした。京都の大会は「準全国大会」だそうですが、今度こそ!と願っています。

ところで、私はいつも「オーリングテスト」とカタカナで書いていますが、正式には「O-リングテスト」です。
(文字入力の都合で勝手ながらカタカナで書いています。遅ればせながらですが宜しくご了承ください)
……………………………………………………………………………………

さて、この同じ船井幸雄さんのHPのトップページの「船井幸雄注目の〝本物〟に携わる人たち」という人物紹介コーナーに、エクボ株式会社 代表取締役 清水美裕氏のコラムが掲載されています。

『過去は変わると知っていますか?』という題ですが、『想念センサー』と社内で呼ぶ(開発中の)「システム」があるそうです。その実験中に起きた衝撃的で興味深いお話(清水氏のコラム)の一部を下記に抜粋転載してお伝えします。
………………………………………………………………………………………

(転載ここから)
エクボでは、「想念センサー」の実験中に「おかしな」ことに気がつきました。過去に無人で実験して記録媒体にデーターを記録しておいたものが、今行っている実験によって過去に記録した記憶媒体の中身が変わってしまう!という‥‥‥あり得ない事が起きたのです。(中略)

皆さんは、今の努力が、未来を変えることは疑いを持たないと想います。
では、今を一生懸命生きて、今を頑張って、今に感謝して〔今〕を変えることで‥‥その作用が時空を超えて、
今と繋がっている「過去」が、変わりはじめる‥‥‥としたら‥‥どうでしょう。

過去の失敗や、過去の復帰不能だと想っていた事象のいくつかが「若干」ではあっても「今の行動」で変わるのだとしたら‥‥‥

今の努力を続けていると、ある日急に運が向いてきて大成功する‥‥などはよくあることです。
このメカニズムが、実は、今の努力が未来を動かしただけでなく、同時に「過去」にも作用して過去が若干変化したために、
「今と未来」が加速し始めた‥‥としたら‥‥

どうです?
今の行動は「とても」大切だと想いませんか?
過去は全部ではありませんが‥‥若干〔変化する〕‥‥それを〔想念センサー〕の実験は示しています。
(転載ここまで)
…………………………………………………………………………………………………

ほんとにこれはびっくり!!!のビッグニュースです。(バレンタインデーにもぴったりのラッキーな話題かも)

例えば今日私がこのブログを書くことで、過去に書いたブログの内容も〔若干〕変化するのだとしたら!?
もうとても真剣にならざるを得ませんね。それと同時に何だかほっと救われる気持ちにもなります。

間違っていたことも、失敗も、今を改めることで、少しは改善される(そういう可能性がある)のだと知れば、これからの未来にもさらに「希望」が持てる気がします。
素晴らしい「想念センサー」が無事完成し、誰でもが自由に使える時が来るのが楽しみです。
(エクボの清水社長にも感謝です)






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