あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

支那は水不足で滅ぶと言われてきたが

2011-08-22 00:50:36 | 日記
私の主張 ひとりの日本人として より転載です。
[ 支那関連 ]
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中国が直面する最大の問題、腐敗でも貧富の格差でもなく「水不足」―米誌
 2011年8月9日、米誌ワールド・ポリティクス・レビューは、中国が直面する最大の問題は、腐敗でも貧富の格差でもなく、「水不足」であると指摘した。12日付で環球時報(電子版)が伝えた。
 中国の1人当たりの水資源は世界平均の4分の1に過ぎず、しかも水資源の分布が偏っている。中国の人口の40%、耕地の50%は北部に存在しているにもかかわらず、北部の降水量は全国の12%しかなく、降水量の80%は南部に集中している。
 深刻な汚染も水資源不足に悪影響を及ぼしている。南部では取水量の90%以上を地表水源に頼っているが、昨年6月の段階で約4分の1が重度の汚染状態にあり、工業用水としても使用できない。また、地表水源の汚染進行に伴い、地下に水源を求めるケースが増加し、過度の地下水汲み上げによって、地盤沈下や塩水の侵入被害も拡大している。
 さらに、北部の砂漠化進行も深刻な様相を呈している。中国政府は砂漠化のペースを落とすべく努力を重ねているが、依然として毎年1696平方キロメートルの速度で砂漠が拡大している。
 ある政府高官は「中国の3分の2の都市が水不足に直面しており、農村部では3億2000万人が安全な飲料水資源を確保できていない」と語る。中国政府はこうした水不足問題の深刻さを理解し、一連の解決策を打ち出してはいるものの、改善にはまだ時間がかかりそうだ。(翻訳・編集/HA)
(2011-08-14 05:11:12 配信 レコードチャイナ)
(引用終了)
 私の知り合いに石材店を経営されている方がおり、その方から石の研磨に関する話を聞く機会があったが、ともかく石の研磨は水が命だそうで、だから支那の墓石は価格は安いものの水が良くないので綺麗に研磨されておらず、次第に表面が変色してしまうらしく、まさに「安かろう悪かろう」と言う訳だ。最近は国産の墓石用の石は高価になり、なかなか手に入りにくくなったことから輸入ものが増えたとはいえ、支那製の墓石では故人も安らかに眠れないだろう。 
 厄介な隣国と言われている支那が、共産党独裁政権を維持するために自国民に反日教育を行っているのは、党に対する不平不満を日本に向けさせるためであり、また脅威的な軍拡は資源確保と勢力圏の拡大が目的であって、それでも防衛目的で他国を脅かすことはないと平然と嘘を付いている。国土が汚染され沙漠化が進行している支那を攻める国などある筈はないのに、空母まで保有しようとしているなど防衛の範囲を明らかに越えていると言わざるを得ない。 
 反日教育と軍拡に力を入れてきた支那だが、水問題はかなり深刻のようで、カネにならないことをしないとして環境対策を怠ったことから汚染がひどくなり、また治水や森林保護に力を入れていないとなれば、近い将来、北京まで沙漠に埋もれる恐れがあり、支那は水不足で滅ぶと言われてきたが、その予想は当たりそうである。 
 レコードチャイナが、米誌ワールド・ポリティクス・レビューの記事として支那が直面する最大の問題は、腐敗でも貧富の格差でもなく、「水不足」であると指摘したそうであり、地表水源の約4分の1が重度の汚染状態で、また過度の地下水汲み上げによって、地盤沈下や塩水の侵入被害も拡大しているとのことで、砂漠化も毎年1696平方キロメートルの速度で拡大しているようだ。
 日本が砂漠化対策として、いくら資金を提供したとしても、支那人は植林の大切さを理解できず、樹木は水を吸うから水不足になるとして切り倒してしまうのだから話にならない。雨が降らなくとも川の流れが途絶えないのは樹木が少しづつ水を排出してることも知らないらしい、 
 支那がどうなろうと知ったことではないが、水問題を解決するために周辺国を侵略したとしても、即解決出来るとは思えず、また日本の水源林を買っているのは水を輸入するためとも思えない。支那がこれからも経済発展をするには水問題を解決しなれば難しいだろうが、日本として生暖かく見守るだけで良いだろう。
(2011/08/20)
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中国が半植民地状態から抜け出せたのはどこのおかげ?

2011-08-22 00:41:03 | 日記
自分の利益のためだったら、恩義も感じなくなる国=中国や朝鮮です。
お人好しの日本人、開放してやったのに、、、、
自分で開放したかったのに横取りされた?
と自分の弱さを隠して、自分で処罰した自国民を日本軍が行ったとして守る愚かさ。
そして、誤り続ける売国奴の日本人によって、嘘が事実に化けてゆく。
目覚めよ日本!!

草莽崛起より 転載です。
 米英の傀儡(重慶の蒋介石)と日本の傀儡(南京の汪精衛)の間での、ソ連と中国共産党の立ち回りの狡猾さが読み取れる。蒋介石の著書からは、外国の支配から抜け出すことの大切さもわかる。

英米は日本の「残虐と強欲」を盛んに強調していたが、実際はどうだったのか。最初に中国の疎開を解放して中国に資産を返したのはどこか?

 《1937年以来、米英両国政府は蒋介石政権に数十億ドルにのぼる借款と物資を供与してきた。だからアメリカ人は、中国は私たちの同盟国であると考える。

しかし、私たちが考える中国の全体像は、10指に余る法的擬制からできたものなのだ。第一に、国民あるいは国家を代表する権威ある政府をもった共和国、または国としての「中国」はまだ存在していない。戦争中に存在したのは三つの政権だった。

 すなわち、重慶の蒋介石、南京の汪精衛、そして延安のいわゆる共産党である。蒋介石はイギリスとアメリカに協力し、両国の支援で日本と戦った。
汪精衛は日本に協力し、日本の支援で米英と戦った。いわゆる共産党は、戦争中、蒋介石と対立しながらも抗日戦では共闘した。中国共産党はソ連に協力し、その支援を受けていたといわれている。

どこまで本当かはわからない。しかし、中共とソ連の関係は、蒋介石と私たちの関係や汪精衛と日本の関係ほど大きな意味はもっていなかったし、表に出ていなかったといえる(少なくとも戦争が終わるまでは)。

 大戦中、ソ連は共産党よりむしろ蒋介石を支援していた。現在、この国では蒋介石政権と共産党政権の内戦が続いている。すでに20年に及ぶ戦争だ。そして私たちが蒋介石を、ソ連が共産党を支援することによって、双方とも中国の平和と幸福を破壊している。内戦は高度なパワー・ポリティクスのゲームになっているのだ。

 中国との関係は、今後ますます、私たちを悩まさずにはおかないだろう。私たちは中国を「われわれの陣営」であり、蒋介石を友好国中国の代表と考える癖がついてしまったが、これは錯覚である。

蒋介石が書いた「中国の運命」の完全版を丹念に読むと、余りにも英米に依存せざるをえない現在の立場を慨嘆していることがわかる。本の中で彼は、日本の「帝国主義」だけでなく、西洋の「帝国主義」全般に対する怒りの気持ちを表し、近代に入って中国が混乱した原因は不平等条約下での欧米列強の行動にあったと非難するのだ。

 この本を読むと、蒋介石が英米の援助を受けているのは、これによって強力な政権を樹立し、名実ともに外国の支配から抜け出すのが狙いであることがわかる。

 しかし、それまでの間、蒋介石が私たちに頼らざるをえない部分はきわめて大きい。蒋介石が私たちの「傀儡」と見られても仕方がないのだが、これは、私たちにも戦慄すべきことである。

それが怖いなら、私たちはそう思われないように行動するしかない。実際には、近代中国の政権はいずれも傀儡だった。そして皮肉なことに、中国から見れば、日本の「傀儡」政権の方が、私たちのものよりはましだった。

私たちは日本が汪精衛に貸した金額より圧倒的に多額の借款を蒋介石に与えたことは事実である。しかし、日本は上海を含む中国の日本「解放」区にあった外国資産を、気前よく汪精衛に引き渡している。

これに対して、日本の敗北後、蒋介石が最初にやったことは、その資産の一部をイギリスとアメリカの元の所有者に返還することだった。》(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」)(364頁)

《私は、日中戦争には多分に侵略戦争的側面があると思っています。しかし、日中戦争があったから、中国が「半植民地状態」から抜け出せたことを知る人は多くありません。「アヘン戦争に敗れて以後、列強の清国に対する要求は激しくなり、いたるところ疎界だらけとなった。清国は半植民地状態だった」とは習うのに、いつ、どのような経緯で中国が半植民地状態から抜け出せたという知識は封印されているのです。
 清国が中華民国になって以降、租界の回収は積極的に行なわれていたが、租界返還の仕上げをしたのは日本です。しかも、それは第二次世界大戦中の出来事です。日本は英米に宣戦布告すると、直ちにイギリス租界を占領し、フランスのビジー政権(親ナチス政権)が有する租界も事実上支配下におきました。1943年にこれら租界をすべて中華民国(汪精衛政権)に返還します。さらにイタリアが連合国に降伏すると、天津にあったイタリア租界も日本の軍事力により汪精衛政権のものになりました。かくして中国は百年間の植民地状態から脱却したのです。
 日中戦争によって(しかも日本国の手によって)、中国は正真正銘の独立国になれたのです。》(森口朗著「戦後教育で失われたもの」160頁)板谷拝
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