現象の前には原因があります。
では、原因の前には何があるのでしょうか。
そこにあるのは、目的です。
自然は、その原因に目的を持ちません。
種族保存は目的に見えますが、そうではありません。
自然でないものに摂理と名づけ、地球上の人間のすべてにゆきわたらせようとがんばってみたところで、目的があるからには、それも人工の仲間ということになります。
目的を持たないように見せながら、それが巧妙に隠されているものごともあります。
コンピュータープログラムの場合は、目的を全く隠すことはできないので、自然発生のプログラムというものはありません。
人工のものには、その目的に流儀とも言えそうな性格が顕れます。
創るか、流されるか、性格のありようによって、プログラムの動作という現象も、ユーザーのとらえ方も変わります。
OSもアプリも、使ってみての感覚は、一種の現象です。
もし、どこかしっくりこないところがあれば、それは、特徴の現れかた、設計目的、つまり原因のまた根源のようなところに、これだと決めつけられない何かの作用が働いているのかもしれません。
ものは使うために創られるのか、売るために作られるのか、その違いのような気がしています。