怖れるでもなく、嫌うでもない。
しかし、簡単にはそうしたくない。
それが、ものごとへの理解。
人間の知りたい意欲と、
理解したい意欲は、
別のものらしい。
知ってどうなるということを知りたがり、
わかったほうがよさそうと思うことは、
理解をあえて避けたがる。
天の邪鬼は、程度の違いこそあれ、
どこかで強情な底意地として、
働くものらしい。
怖れるでもなく、嫌うでもない。
しかし、簡単にはそうしたくない。
それが、ものごとへの理解。
人間の知りたい意欲と、
理解したい意欲は、
別のものらしい。
知ってどうなるということを知りたがり、
わかったほうがよさそうと思うことは、
理解をあえて避けたがる。
天の邪鬼は、程度の違いこそあれ、
どこかで強情な底意地として、
働くものらしい。
「またやっちまった」の回数は、
「繰り返し」の行為に至るその「意味」を、
見つけようとするかどうかに、
かかわっているようだ。
人間は同じことをしたがるようにできている、
そう思い込んでしまえば、
「またやっちまった」は、
「またそうなったか」に変わり、
そのうちに「また」の意識が薄れていく。
回さないもの、それが新しい技術の方向に見える。
飛行機のエンジンも回転しなくなった。
列車も車輪を使わなくなる。
パソコンの内蔵ストレージもHDD(Hard Disk Drive)よりSSD(Solid State Drive)がはるかに処理速度がすぐれているときいた。
DVDなどはもう古いらしく、Win10 には既定のプログラムにDVDのドライバーはないそうだ。
茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし:
おいでおいでのお言葉は、
水をくみ入れ火をおこし、
準備万端整えて、
それからさあさいらっしゃい。
呼ばれて行って躙り口、
探せと言われちゃそりゃ困る。
専門の技術者が調整しているはずの、
音が飛び散るラジオ放送もある。
ちかごろの音屋には、
聴覚障害の人もいるのだろうか。
音はコロナのせいにはできないが。
平凡未満の世の中で
やっと平凡に暮らすには
面白そうなことどもを
自分で探さにゃ仕方なし
視力が弱ってきたくせに
やたらモノを見つめたくなる
普段は見えないところがあった
ミクロの世界へ 行ってみよう
どういうところか覗いて見ても
商品ゼロでは 話にならず
そうかこれが面白さだったか
ミクロの世界は 遠かった
オンラインと聞けば
何でも早くできる
足を運ばなくてもよい
紙に書かなくてもよい
そう思って不思議はない
ところが紙に書いて
郵便で送るより遅くなる
それどころか
止まって動かなくなる
オンラインもあった
なぜそうなったのか
実際にはできなくても
できますと言わなければ
話が進まなかった
とにかく乗せられる
それがオンラインだった
うろうろ歩き廻らずに、じっくり腰を落ち着けて、何かしてみたい人には、やはりデスクトップの大画面が向いているようです。
D社から Inspiron と名付けられた大型パソコンが出ました。
いかがでしょう、何か霊感が湧き出てくるかもしれません。
今回の異常事態は、積荷の一つが中身をそっくり抜かれた状態なのかと、もう一つを開けてびっくり、その別ものも空っぽになっていたのです。
これは車のほうに問題がありそう、故障車を無理に走らせっていたのでは開ける端からみな空にされてしまうという寒い予感がして、車をすぐに廃車、新車を入れることにしました。
つまり、エディターをアンインストール、もう一度最新版をダウンロード~インストール、ここで違うものに変えることも考えましたが、もし同じようなことが起きたらそのときはということにして、扱いに手慣れた元のものをあえて換えないことにしてみました。
ちっぽけなテキストファイルが、破壊の標的にされるはずはありません。
実害のあった破壊現象は、何かの文字が消されてしまうというような、なまやさしいものではありません。
ファイルの中身が全部消えてしまうものでした。
個別のファイルが標的にされたのではもちろんなく、傍杖を食わされたのでしょう。
さて、その傍杖が、どういう争いのものなのか、いくらか興味が湧いてきました。
肩先を見せるファッションがあります。
型を先に決める事務様式があります。
型を先に決めるには、パソコンのアプリが便利です。
便利さに騙されると、その事務処理が何のために必要なのかが忘れ去られます。
型を決めるのが得意な人がいて、先に型を決めてしまうと、その型に当てはまるようパソコンのキーが叩かれます。
それを始めてしまうと、キーを早く叩くことが仕事の神髄のような集団錯覚に陥ります。
たとえば、10万円支給の申請が郵送されてきたものを、OCRで読み取ることにも頭が回らず、先に決まった型どおりにひたすらキーを叩きます。
支給することが決まったら、一刻も早く配って早く金が動き回るようにすることには、型先頼りの頭は働きません。
内閣の首脳が「私は受け取りません」などと、型先の下手なカッコつけを見せてしまうようなお国柄ですから、仕方がないのかもしれません。
「もちろん受け取って早く使い切ります」という返事は、型先のお役目席にいたのでは思い付かなかったのでしょう。
昨日は、まだ慣れてない人のためのテレビ会議参加演習会の予告があって、そのことを書こうかと挿絵を探していたら、面白い画像が見つかりました。
いま、テレビ会議は、一つの部屋に人が集まらずに開かれるものと相場が決まっていますが、この画像が作られたころは、集まりに加われない人も出られるのがテレビ会議ということになっていたようです。
言葉の意味も、数か月と経たないうちに大きく変わります。
永田町の会議も役所の仕事も、前例にしがみついて変えられないのでは、あの世紀の大悪人にしてやられます。
身につけるものは、ブランドに何か嫌味感を持っていたのに、パソコンのCPUには、インテル i シリーズのブランドの罠にはまっていた自分に、気付かされた記事があります。
インテルとは全く違った設計思想で機能は全く同じという Ryzen CPUのパソコン、その道の通のあの方が最近買われたというお話にも、なるほどと週が変わってからの感服、つい最近の出来事です。