先月中旬に亡くなったコニッツの作品を。もっと知名度が高く、定評のあるアルバムが有りますが、この2枚に。
今でこそ、コニッツはasのジャイアンツの一人、稀代のインプロバイザーと広く認識されていますが、モダン・ジャズ絶頂期の60年代中~後期では「忘れられた」、又は「敬遠される」存在で、一部のスノッブなジャズ・ファンを除き話題の対象にならなかった、と記憶している。
コニッツを紹介するに当たり必ず使われる「クール」、「アブストラクト」と言った表面的なイメージが独り歩きして当時の熱いムーブメントに受け入れられなかったのだろう。
左は1953年1月30日、ロスのクラブ「ヘイグ」でのライブもので、大きくフューチューされたB面のコニッツを聴けば、表面的なイメージでは語れない彼の魅力に気付かされる。中でも、途切れることがないイマジネーションと迸る情熱が見事に融合した”All The Things You Are”は人間業を超えた3分57秒ですね。
右は1974年録音の”SATORI"、好きな一枚、ただ、カヴァは好みではありませんけど(笑)。
スタンダードが4曲入っており、あの”MOTION”ほどではないにしろ一筋縄では行きませんが、メンバーとの「一期一会」的密度は本作の方が濃厚と思う。それが「悟り」のタイトルに繋がっているのかもしれない。なお、クレジットではコニッツはasだけとなっているけれど、ss、tsも吹いている。
この頃、コニッツの立ち位置は決して順境ではなかったにも拘らず、こうした作品を吹き込むとは、「時代は変わってもジャズはインプロビゼーション」という揺るぎない信念を持ち続けていたのだろう。
サイドとして参加したエヴァンスの作品(1977年)を。玄人筋からは酷評を受け、単独ではUPしにくい(笑)一枚です。
意味深なタイトル(逆流、反主流)とチープなカヴァ、特にガサツなデザインの裏を注意して見ると、この作品がどういう経緯、目的で作られたか凡そ見当が付きます。
男は真似できないけれど、女性のプロデューサーはミュージシャンのキャリアを切り離せますね。エヴァンスは大衆作家風のピアノ・タッチで明るく割り切り、コニッツ、マーシュもポーズは取るものの軽く吹き流している。
確信的「フュージョンもの」と捉えると全て合点が行きます。でも、こうした作品が有ってもいいんじゃない。
コニッツの追悼が横道に逸れちゃいましたね。
60年代後半から70年代は、かつてのジャイアンツたちへの心理的な反発が
あったんじゃないだろうか、などと想像します。
特に、マイルスみたいにラディカルに変貌しなかった人たちへは
それだけで相手にされなかったのかな、と思ったりします。
気持ちはわからないではないですけど。