ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

お詫びと報告に

2024-02-05 | よもやま話
きのうはまだ畑のコンディションが悪く、
2軒のお宅へ米の配達です。

1軒目は新戸町だったので、
ついでと言ってはなんですが
義父母のお墓参りに立ち寄りました。

義父母にオカンが亡くなったことを
自分からまだ報告していなかったのです。





義父母のお墓はちょうど長崎港の反対側で、
今では港の入り口に橋が架かっていて
ここからだったら橋を渡れば直ぐ行ける場所です。

最後にお参りしたのは昨年の春のお彼岸だったかな?

オカンがまだ自分で動けていた時で、
何とかお参りすることが出来たのです。

義父母のお墓は長崎港の入り口にあり、
ちょっと坂を上らなければいけないので、
本人はもう諦めていたのですが、
自分の足で一歩ずつ一歩ずつ上ったことでした。

たしか、そのとき以来です。





橋を渡って最初のインターで下りる予定が、
次の交差点からが近いか・・・・で失敗しました。

お墓まで途中お店がまったく無くて、
お花もお線香もお供えも何も買えなかったのです。

時間も無いことだし止むを得ず、
まったくの手ぶらで勘弁してもらうことに。

ところが、
ちょうど墓地の横の空き地には、
水仙の花が沢山咲いていてちょうど良かった。
少し分けて貰いました。

オカンを護ってやれなかったことをお詫びし、
そちらでまた面倒見てやってくださいとお願いしてきました。





実は、お墓参りの前には必ず立ち寄っていたこのスーパー。

お花にお供え、ここでよく買っていたのです。

お供えは義父が好物のお饅頭とコーラ、
義母には私の一存で三ツ矢サイダーでした。

お風呂上りにはいつもこれが出てきたんですね~。

思い出多きここのお店、
帰りに立ち寄って遅いお昼を済ませました。





その後、昭和町方面へは行かずに
「西の箱根」と呼ばれた日見越えで大村へ。

大手町を通るとどうしてもオカンと義母を思い出してしまうんです・・




「長崎の変」とは?長崎の新たな変化やチャレンジを応援し、 その魅力を発信するプロジェクトです。


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