だますほうが悪いのですが、簡単にだまされるような交渉をした人も悪いです。この人が基地返還交渉をしていたと思うとゾッとします。裏の裏を考えないお坊ちゃんなのでしょうか。当時みこしを担いでいた人たちの、浅い魂胆が笑えてきます。
そんな今日この頃、小田急線の栢山に出かける用事がありました。基本図を見ているとあの「二宮尊徳翁」の生家があると注記が入っていました。原点に帰るつもりで早めに出かけてみました。
栢山の駅を下車、県道を歩く事約15分くらいでこの立派な石柱です。
県道から入り込むと広場の奥に生家があります。よく手入れされています。
1742年頃の建築だそうで、江戸時代の中流農家の典型的なものだそうです。尊徳兄弟は父母をなくし親戚に引き取られ、この生家は人手に渡ってしまったのです。
「金次郎さんの生家」として村人に大切にされ、明治42年ここを訪れた真珠王の御木本幸吉氏によって買い戻され整備されたそうです。
柱も太く、何よりも最初に気がついたのは床の間です。中流農家と言うのがよく分かります。驚きました。
囲炉裏も板の間も立派です。いくつか保存農家を見学しましたが、その中でも立派なほうです。
小学校の校庭にある金次郎さんの像は、当時の小学生に1メートルを認識させるため、身長1メートルになっていたと聞いたことがあります。
実物の二宮尊徳翁は180センチを越える体格だったそうです。
ここを朝の出発地としたため、二宮尊徳記念館には寄れませんでした。またの機会に。
そんな今日この頃、小田急線の栢山に出かける用事がありました。基本図を見ているとあの「二宮尊徳翁」の生家があると注記が入っていました。原点に帰るつもりで早めに出かけてみました。
栢山の駅を下車、県道を歩く事約15分くらいでこの立派な石柱です。
県道から入り込むと広場の奥に生家があります。よく手入れされています。
1742年頃の建築だそうで、江戸時代の中流農家の典型的なものだそうです。尊徳兄弟は父母をなくし親戚に引き取られ、この生家は人手に渡ってしまったのです。
「金次郎さんの生家」として村人に大切にされ、明治42年ここを訪れた真珠王の御木本幸吉氏によって買い戻され整備されたそうです。
柱も太く、何よりも最初に気がついたのは床の間です。中流農家と言うのがよく分かります。驚きました。
囲炉裏も板の間も立派です。いくつか保存農家を見学しましたが、その中でも立派なほうです。
小学校の校庭にある金次郎さんの像は、当時の小学生に1メートルを認識させるため、身長1メートルになっていたと聞いたことがあります。
実物の二宮尊徳翁は180センチを越える体格だったそうです。
ここを朝の出発地としたため、二宮尊徳記念館には寄れませんでした。またの機会に。