明けましておめでとうございます。
2006年が去り、新しく2007年を迎えました。
暖かい正月でした。温暖化がいよいよ体感されるようになってきたということなのでしょうか。昨日は小さいけれども真っ白な月が出ていました。
そんな月を見ても私には歌を詠む技量はありませんし、和歌を学ぶだけの余裕もないので、せいぜい、昔に西行などが詠んだ和歌をなぞって、その芸術的な感興を満足させることができるくらいです。もちろん、本格的に和歌を詠む練習などもできればいうことはないのでしょうが。しかし、これ以上恥の上塗りをしないことでしょう。
900年ほど前にこの同じ月を見て西行が詠んだ歌で代えます。
堀河の局 仁和寺に住みけるに、まゐるべき由申したりけれども、まぎるることありて程経にけり。月の頃、前を過ぎけるを聞きて言ひ送りける。
854 西へ行く しるべとたのむ 月影の そらだのめこそ かひなかりけれ
返し
855 さし入らで 雲路をよぎし 月影は 待たぬ心ぞ
空に見えける
堀河の局という知り合いの女性が御室の仁和寺に住んでいたときに、いずれお訪ねしますと申し上げていましたけれど、忙しさにまぎれて時が過ぎてしまった。月の美しい頃、私が、その人の家の前を素通りしてしまったことをその人が聞いて、私に次のような歌を送ってよこしました。
浄土のある西方への旅路の道案内としてお頼み申し上げていたお月様(あなた)でしたが、空頼みでしかなかったのは、甲斐のないことでしたよ。
こんな歌をその人が送ってきましたので、私は次のような歌を詠んで送ってやりました。
お月様が空の雲路を素通りしたように、私があなたの家をお訪ねしなかったのは、私を待ってくれる心のないことが、月の光を待ち望む心がないように、空から見えたからですよ。
西行がこのようなつれない返歌を送った相手の堀河の局は、京都の西山あたりにも住んでいたことが記録されている。西行が上記の歌を詠んだときは、彼女は仁和寺あたりに住んでいたようだ。堀河の局が仕えていた待賢門院藤原璋子が鳥羽天皇の中宮であったことから西行と和歌を通じて面識ができたらしい。西行は北面の武士として鳥羽天皇に仕えていた。堀河の局も女房三十六歌仙の一人に数えられて百人一首に選歌されるほどの歌人だった。
しかし、西行は待賢門院藤原璋子に惹かれたが、この歌に見られるように堀河の局にはさほど魅力を感じなかったらしい。
ただそれでも、堀河の局が西山に住んでいたときには、気にかけて訪れていた。その様子が次のように書き残されている。
ある所の女房、世を遁れて西山に住むと聞きて、たずねければ、住み荒らしたる様して、人の影もせざりけり。あたりの人にかくと申し置きたりけるを聞きて、言ひ送れりける
744 潮なれし 苫屋も荒れて うき波に 寄る方もなき あまと知らずや
返し
745 苫の屋に 波立ち寄らぬ けしきにて あまり住み憂き
ほどは見えにき
西行は堀河の局を訪ねていったが、このときは行き違いで会えなかったようだ。この頃にはすでに藤原璋子の落飾に従って、彼女も尼になっていたらしい。
西行と鳥羽天皇や藤原璋子らの交流に素材を取った辻邦生の小説に『西行花伝』がある。機会があれば読んでみたいと思う。
とはいえ、概念論などを中心的なテーマとしているかぎり、なかなかそんな暇も取れそうにはない。いつのことになるやら。
たぶん今年も特別のことはないと思います。ただ去年よりさらに充実した一年を過ごせることを祈るばかりです。
1254 今はただ 忍ぶ心ぞ つつまれぬ 歎かば人や
思ひ知るとて
本年もよい年でありますように。