作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

VEGA

2007年07月07日 | 日記・紀行

                  

 

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今日は七夕。しかし、空は曇り空で、織姫も彦星も眺めることはできない。二人のプライベートなデートは他人が干渉する筋合いのものでもないから、かえって織姫もこの曇り空を喜んでいるかもしれない。昨年の七夕は晴れていたのかどうか、2006年7月7日の日記の記録もなく、この日をどのように過ごしていたのか、もう今では忘れてしまっている。その前年の2005年の七夕の日は曇っていたことがわかる。ブログではほとんど瞬時に過去の日記を検索できるのはうれしい。夕方から雷を伴ったかなり激しい雨が降っていたことが思い出される。  

西洋の文化の入った現代では、織姫は琴座のヴェガにあたる。西洋には西洋なりに、とくにギリシャ神話などに、この星の名の由来があるのだろうがわからない。映画「コンタクト」では地球外生命体からの発信音はこのヴェガから発せらることになっていた。実際はその可能性はほとんどゼロに近いのだろうけれども、本当に地球外生命体と交流できるなら、人類の世界観も根本的に変わるかも知れない。あるいは、そこで時間の限界を超えて、もう一人の自分に出会うことにもなれば、どんなに奇異な感じに打たれるだろう。  

伊勢物語には、七夕にちなんでまことに美しい物語が語り残されているが、現代はそうした物語は生まれにくい時代なのかも知れない。  

いと暑き頃、涼しき方にてながめ給ふに、池の蓮の盛りなるを見給ふに、「いかに多かる」などまづ思し出でらるるに、ほれぼれとしてつくづくとおはする程に、日も暮れにけり。蜩の声はなやかなるに、御前の撫子の夕映えを一人のみ見給ふは、げにぞかひなかりける。      

つれづれと  我が泣き暮らす  夏の日を
 

        かことがましき  虫の声かな  

蛍のいと多う飛びちがうも、「夕殿に蛍飛んで」と例の古言もかかる筋にのみ口馴れ給へり。

夜を知る 蛍を見ても  悲しきは
              

        時ぞともなき  思ひなりけり  

七月七日も、例に変わりたること多く、御遊びなどもし給はで、つれづれに眺め暮らし給ひて、星合見る人もなし。まだ夜深う、一所起き給ひて、妻戸押し明け給へるに、前栽の露いとしげく渡殿の戸より通りて見渡さるれば、出で給ひて、

七夕の  逢う瀬は  雲のよそに見て  
               

        別れの庭に  露ぞ置き添ふ  

七夕の日に正室紫の上の一周忌を迎えようとする源氏の君の寂しさを、さすがに紫式部はよく描いている。その果敢なさからやがて源氏は出家するにいたる。そういえば、来年は源氏物語の千年紀とかで何かと行事もあるらしい。久しぶりにこの巻を読んでみようかと思う。

 

 

 


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