作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十一節[自己と他者の自由について]

2024年03月16日 | 哲学一般

久しぶりのアップロード。いつ辿り着くか。

ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十一節[自己と他者の自由について]

§31

Diese Selbstanschauung (※1)des einen im andern ist 1) das abstrakte Moment (※2)der Diesselbigkeit. 2) Jedes hat aber auch die Bestim­mung, für das andere als ein äußerliches Objekt und insofern unmittelbares, sinnliches und konkretes Dasein zu erscheinen. (※3)3) Jedes ist absolut für sich und einzeln gegen das andere und fordert auch für das andere als ein solches zu sein und ihm dafür zu gelten, seine eigene Freiheit als eines fürsichseienden (※4)in dem andern anzuschauen oder von ihm anerkannt zu sein. (※5)


第三十一節[自己と他者の自由について]

ある者が他者の中に自己を見るというこの自己直観は、1) この自他同一性の抽象的な境界である。 2) しかし、それぞれは、また外部の客体として、つまり直接的で感覚的な具体的なそこにある存在として相手に現れるという意味ももっている。 3) それぞれは、それ自身として絶対的であり、また他者に対する個別者であって、そうしてまた、他者に対しても、一個のそのようなものとしてあることを要求し、そうして、そのために一つの独立した(絶対的かつ必然的な)ものとして彼自身の自由を、他者の中において直観することを、あるいは自身が他者からもそのように認められることを要求する。

※1
Diese Selbstanschauung (この自己直観)は前節の“Es schauet im Andern sich selbst an.”(他者のうちに自己自身を見る)を受けている。ここでの自他の相互認識は意識の段階にあってまだ抽象的である。

※2
ここでのMomentは、FaktorとかUmstandの意で、「水は魚のMomentである」という意味で環境とか境界の意にとった。要素、契機、要因などとも訳される。

※3
自己も他者も、意識として観念的に抽象的に存在するのみではなく、肉体として感覚に捉えらる相互に具体的な客体である。

※4
als eines fürsichseienden「一つの独立した(絶対的かつ必然的な)ものとして」と訳した。
 
概念は、「an und für sich」な 存在 (潜在的から顕在的な存在へと、あるいは、無自覚から自覚的な存在へ)として発展するものである。その発展は、絶対的であり、したがって必然的であり、他者に依存しないから独立的である。

「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

※5
自己と他者の自己意識はそれぞれとして絶対であり、その自己意識の「Freiheit 自由」は、それ自身においても絶対的であり、また他者からもその自由が認められることを要求するものである。1) 普遍 →   2) 特殊  →  3) 個別 の進展の論理。

 


ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十一節[自己と他者の自由について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/qJMuTR

 

 

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